CROSS ROADS(9)
「目が覚めたかい?」
橘が目を開けると彼の目の前には若い1人の医者が立っていた。
「叶先生、じゃあ私は707号室の患者さん診てきます」
「はい、お願いします」
その医者は傍らの看護婦を見送ると、再び橘に向き直る。
「覚えているかい?君は学校の屋上から落ちたんだよ。で、ここは近くの病院」
手をついて体を起こそうとすると、医師がそれを制した。
「無理しないほうがいい。外面的には無傷と言っても、君も郁也も頭を強く打っているんだからね」
「…あなたは…、叶君の…?」
「従兄弟だよ」
にっこり微笑んで言う。
「あいつの事だったら気にしなくていいよ。こういう事には慣れてるし、見た目よりだいぶ頑丈にできてるからね」
医師が指し示した隣のベッドには、大口を開けながら仰向けに眠る郁也の姿があった。
「…よかった」
「君も。助かってよかったよ」
医師の自然な笑顔につられながら隣の郁也を見る。
「僕、叶君に会ったんです。…夢の中で」
「そう」
傍らのイスに腰掛けながらあいづちをうつ医者。
「…笑わないんですか?」
「?どうして?」
心の底から疑問に思っているという表情をする医者。
唐突な話を驚きも呆れもせず受け入れてしまうようなところは、少しだけ郁也に似ているかもしれない。思わず笑みがこぼれてしまう。
「その夢の中で言ってくれたんです、叶君。…お前を必要としてる奴がいるって」
「そう」
「お前は必要とされてるからって…、俺じゃなきゃダメなんだって…」
「…それって家族の人かい?」
思わず顔を上げる。
「そうじゃ…ないですけど、…たぶん、家族と同じくらい…、今は…大きな存在…です」
あの猫が本当に自分の事を必要としているのかは分からなかった。もしかしたら単なる思い込みなのかもしれない。それでも、今すぐに会いに行って抱きしめてやりたかった。きっと今もあの場所で待っているはずだから。
「そうか。…てっきりお母さんの事かと」
「え、母さん?」
「うん。君が運ばれてきてからずっとここにいたんだよ。命に別状は無いからって話したらやっと納得して、先ほど帰られたけど」
「…まさか。母さんが…そんなはず」
「すごく心配していたよ。自分が無理させたせいだって、…自分を責めてた」
意外だった。母が自分を責める姿など、想像したこともなかったから。
『―帰っておいで―』
夢の中で聞こえたあの声。どこか聞き覚えのある懐かしい声。
あんなに優しい声を聞いたのは本当に久しぶりだったから忘れていた。
「そうか…あの声は…」
その時病室のドアが開き、騒がしい声とともに男の子が入ってきた。
「あ、兄ちゃん!こんなところでなにしてんの?はやくかえってゲームやろうよー!!」
「明。病院なんだから静かにしなきゃダメだろ」
その後ろからもう1人男の子が疲れた表情をして入ってくる。
「…明に、兄貴…。どうして、…ここに」
「すぐ退院できるって話だったし、家で待ってようと思ったんだけど…、明がどうしても豊に会いたい!って、聞かなくってさ」
「だって悠兄ちゃんすぐ負けちゃうんだもん。豊兄ちゃんすっごく強いからやり方教えてもらうんだー!!」
ねー!と同意を求めて抱きついてくる明。その傍らで肩をすくめる兄。
「お前じゃないと嫌なんだってさ。ああ、もう…!すみません、すぐ静かにさせますから」
「いいえ、構いませんよ」
にこにこと笑顔で受け流す医者に頭を下げ、もう一人の弟に目を向ける兄。
「頼むから早く帰ってきてくれよ。明はつまんないってうるさいし、母さん達もなんか落ち着かないみたいだからさ」
「母さんが?」
「今日だけで皿3枚割った」
「………」
あの冷静な母親がまさかそんなことになっているとは。唖然としていると兄がくすくす笑いながら言った。
「父さんも父さんでなんかそわそわしてるし…。やっぱ皆ちゃんと家族が揃ってないと、調子狂うみたいだな。」
ぎゅっとしがみついてくる小さな弟。そのぬくもりに涙が出そうになった。
「…ははっ…。…そう…か…。皆、待ってて…くれてるんだ…ね」
誰かに必要とされることが、こんなにも嬉しいことだったなんて知らなかった。
(…ありがとう)
こらえきれなくなった涙が頬を伝っていくのを感じながら笑った。兄も弟も笑っていた。
久しぶりに心の奥底から笑顔になれたような気がした。




