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癒やしの札と第三の進路  作者: 孔雀丸


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第9話 犬との新しい接し方

こんにちは、著者です。


第9話をお届けします。


福江南高校では友紀たち九人が七人の鬼と激突していますが、今話は少し視点を変えて、慎悟・美奈子・寿蒙の三人と、智徳・聖矢の中学生コンビに焦点を当てます。


「戦えない」という状態が、これほど人を苛立たせるものだとは、慎悟自身も知らなかったはずです。


そして今話には、もう一人の新顔が登場します。


第五章のキーパーソンとなる少女と、彼女が大切にしている小さな家族。


穏やかな住宅街の散歩が、思いがけない戦いへと変わっていく様子を、どうぞお楽しみください。


それでは、本編どうぞ。

 つい数分前まで十人以上がひしめいていた空間に、慎悟(しんご)脇出美奈子(わきでみなこ)、そして池口寿蒙(いけぐちじゅもう)の三人だけが残されている。

 テーブルの上には、飲みかけの麦茶のグラスと、封を開けたままの煎餅の袋が置かれていた。誰かが慌てて立ち上がった証拠だった。

 冷房の低い駆動音だけが室内に響く。窓の外には七月の日差しが容赦なく降り注ぎ、庭の緑を白っぽく焼いていた。

 慎悟は座椅子に横たわるよう言われていたが、身体を起こしたまま何度も窓の外へ視線をやった。

 友紀たちは今、あの日差しの下で戦っている。自分だけが冷房の効いた部屋で座っていることが、どうしても腑に落ちなかった。

「慎悟くん」

 寿蒙が静かに声をかけ、慎悟の脇腹へ手をかざす。皺の刻まれた指先が、傷の周囲をなぞるように動いた。

「傷そのものは、塞がりかけています。ですが」

 寿蒙の表情が、わずかに硬くなる。

悪路漢(あくろかん)の『松影(まつかげ)』が残した鬼気が、根や糸のように身体の奥へ絡みついている。あなたが蒼牙(そうが)の力を引き出そうとするたび、その鬼気が反応して、蒼牙の霊力と衝突しているのです」

「......それが、この痛みの正体ですか」

「ええ。単なる古傷ではありません」

 慎悟は自分の脇腹を見下ろした。皮膚の上には目立った傷跡しかない。だがその奥で、目に見えない何かが今も燻っている。そう思うと、身体の内側が急に見知らぬものに変わったような気がした。

「俺も、行くべきだったんじゃないか」

 呟くように言うと、美奈子が首を横に振った。

友紀(ゆき)さんたちなら大丈夫です。あの九人は、もう何度も一緒に戦ってきましたから」

「分かってる。信用してないわけじゃない」

 慎悟は膝の上で拳を握った。

「ただ、俺がその場にいなくて、誰かが傷ついたとしたら。その事実に、俺は耐えられない気がするんだ」

 美奈子はしばらく黙っていた。それから、いつもより少しだけ低い声で言った。

「信じることと、心配しないことは、違うと思います」

 その言葉は、慎悟の胸の奥へ静かに落ちた。反論できなかった。

 寿蒙が立ち上がり、窓の外へ目をやる。

「家の中で焦り続けるより、少しだけ外を歩いてみませんか。身体と心の状態を、自分の目で確かめるために」

「散歩、ですか」

「ええ。ただし約束してください」

 寿蒙は指を三本立てた。

「痛みが強くなったら、すぐ引き返すこと。歩幅を無理に広げないこと。そして、平気なふりをしないこと」

 慎悟は少し間を置いてから、小さく頷いた。

「分かりました」

 その返事が、自分でも思っていたより素直な声になったことに、慎悟自身が少し驚いていた。

 三人は北潟家を出て、住宅街の細い道を歩き始めた。

 夏の日差しはアスファルトを容赦なく焼き、足元から立ち上る熱気が肌にまとわりつく。街路樹の葉が時折の風にざわめき、遠くから途切れることのない蝉の声が響いていた。

 平穏な住宅街だった。だが福江南(ふくえみなみ)高校では、今この瞬間も友紀たちが戦っているという事実が、慎悟の胸の底に重く沈んでいる。

 美奈子も体力に不安があるため、三人はゆっくりとした歩調で進んだ。

 慎悟は最初こそ、いつも通りの顔を作っていた。しかし数十メートルも進まないうちに、脇腹の奥で鈍い痛みが疼き始めた。

 痛みを庇うように、無意識のうちに歩幅が狭くなる。片側の肩が下がり、呼吸が浅くなっていく。

 寿蒙はその変化に気づいていたが、すぐには声をかけなかった。慎悟自身が、自分の限界を認める必要があるからだ。

 美奈子が、慎悟の足元へ目をやった。

「少し、休みませんか」

「大丈夫だ」

 反射的に返した言葉に、美奈子は困ったように笑った。

「その大丈夫は、あまり信用できません」

「......美奈子」

「私も、よく使うので分かるんです。その言葉」

 美奈子は自分の胸に軽く手を当てた。自分自身にも返ってくる言葉だと、彼女は分かった上で口にしていた。

 慎悟は何も言い返せなかった。

 近くの小さな公園の脇に、木陰へ半分入ったベンチがあった。三人はそこへ腰を下ろすことにした。

 慎悟が座る瞬間、脇腹を庇うように上体を斜めへ傾け、不自然な動きでゆっくりと腰を下ろした。その動作を、美奈子と寿蒙は何も言わずに見ていた。

 ベンチで一息ついていると、自転車のブレーキ音が二つ、続けざまに響いた。

 牛山智徳(うしやまとものり)清滝聖矢(きよたきせいや)だった。

 二人は慎悟たちを見つけると、自転車を放り出すような勢いで止め、駆け寄ってきた。

 福江南高校が襲撃されたという速報を知り、北潟家へ様子を見に向かう途中だったという。

「こんな時に何してるんですか」

 聖矢が思わず強い口調で言った。

「傷が悪化したらどうするんですか」

 智徳も続けて言う。

「軽い散歩だ。無理はしてない」

 慎悟がそう答えると、智徳の視線が慎悟の顔色と、座る時の不自然な傾きへ向いた。

「――嘘ですね」

 智徳は静かに言った。

「先輩、俺たちには何度も『無理をするな』って言いましたよね。自分だけ違うんですか」

 正論を後輩から突きつけられ、慎悟は苦い顔になった。何も言えなかった。

 聖矢が真剣な表情で申し出る。

「友紀さんたちが福江南高校へ向かったなら、俺たちも加勢すべきじゃないですか」

 寿蒙が穏やかに、しかしはっきりと止めた。

「敵の人数も、戦況も分かっていません。今そこへ別働隊が飛び込めば、救助や指揮系統を混乱させる可能性があります」

 智徳は理屈では理解していた。それでも、唇を強く結んだまま俯いた。

「以前は、慎悟先輩たちに守ってもらってばかりでした」

 聖矢も頷く。

「俺たちの学校を、先輩たちが守ってくれたんです。今度は俺たちが役に立ちたい」

 慎悟は二人の顔を見た。まっすぐな目だった。

「気持ちは分かる」

 慎悟は静かに言った。

「だが、出番が来た時に動けるように、今は待て」

 その言葉が、まさかこのすぐあとに現実になるとは、この時の慎悟はまだ知らなかった。

 会話が途切れた直後、住宅街の奥から少女の悲鳴が響いた。

「やめて! その子を離して!」

 声は一度きりではなかった。泣き声を交えながら、何度も繰り返される。

 智徳が真っ先に自転車を降り、走り出した。聖矢もすぐ後を追う。

 慎悟も反射的に駆け出そうとした。だが踏み込んだ瞬間、脇腹へ鋭い痛みが走り、思わず膝が折れかける。

 それでも慎悟は傷口を手で押さえ、美奈子と寿蒙を置き去りにしない速度で現場へ向かった。

 細い生活道路へ入ると、灰色がかった髪の少年が立っていた。

 少年は片手を肩の高さまで上げ、その手で小さなクリーム色のチワワの首元をつかんでいる。

 首には山吹色の首輪。中央の銀色のプレートが、犬の身体が揺れるたびに小さく震えていた。

 犬は宙に浮き、細い脚をばたつかせている。呼吸がうまくできず、口を小さく開閉していた。

 やがて脚の動きが弱くなっていく。震えるプレート。そして、少年の足元にいる少女へ懸命に伸ばされる前脚。

 少年の足元には、黒髪を低い位置で束ねた女子中学生がいた。指中莉奈(ゆびなかりな)だった。

 莉奈は少年の腕へ手を伸ばしていたが、強く引けばガトーを落とされると分かっている。動けないまま、涙を流しながら繰り返す。

「ガトーを離して」

 慎悟はその顔を見て、記憶の奥から名前を引き出した。福江東(ふくえひがし)中学校時代の後輩。頻繁に話した相手ではないが、家庭科部に所属し、校内で何度か挨拶を交わした顔だった。

 莉奈も慎悟に気づき、縋るように叫ぶ。

北潟(きたがた)先輩!」

 智徳は莉奈と同学年だが、クラスが違うため顔と名前を知る程度だった。聖矢は学校で莉奈を見かけたことがあり、ガトーを散歩させている姿も覚えていた。

 智徳は少年を刺激しないよう、低い声で告げる。

「犬を、下ろせ」

 少年は薄い笑みを浮かべる。

「何を騒いでるんだ。犬との新しい接し方を試しているだけだ」

 首輪をつかんでいるわけじゃない。落とすつもりもない。犬だって、本気で嫌がってなんかいない。飼い主だからって、犬の気持ちが全部分かるわけじゃないだろう。少年はそう並べ立てた。

 莉奈は震える声で訴える。

「苦しがってるのが、見えないの!?」

 ガトーが莉奈の声に反応し、彼女の方へ小さな前脚を伸ばした。

 その瞬間、慎悟の表情から自分の傷への焦りが消えた。代わりに浮かんだのは、静かな怒りだった。

 慎悟は少年とガトーの間へ進み出る。

「そいつは物じゃない」

 低く、しかしはっきりとした声だった。

「お前の考えを試すための道具でもない。今すぐ地面へ下ろせ」

 少年は反発する。

「一方的に動物虐待だって決めつけるのか。犬が好きだから、新しい触れ合い方を考えただけだ。何も知らないくせに否定するな」

「好きだという言葉は」

 慎悟は少年の目を見据えたまま続けた。

「相手の痛みを無視していい理由にはならない。悪気がなかったと言っても、そいつが苦しんでいる事実は変わらない」

 少年の薄笑いが、その一言で消えた。

「学校も、野球部も、世間も」

 少年の声が低く歪む。

「誰も俺の話なんか聞かなかった。一方的に悪者に仕立てただけだ」

 寿蒙が少年の身体から漏れる気配を感じ取り、鋭く声を上げた。

「近づかないでください。これは尋常な気配ではない」

 美奈子も、少年から溢れる感情を捉えていた。屈辱と怒り、そして誰かに認められたいという渇望。それらが濁流のように渦巻いている。

 慎悟は、灰色がかった髪と「犬との新しい接し方」という言葉に、記憶を呼び覚まされた。歩美が話していた、福江南高校野球部の動物虐待事件だ。

「お前が、馬場翔之助(ばばしょうのすけ)か」

 少年の顔が歪んだ。

「その名前は、もう捨てた」

 周囲から灰色の鬼気が噴き上がる。ガトーが怯え、耳を伏せた。

 少年は慎悟を睨みつけ、告げた。

「俺は――斬牙(ざんが)だ」

 莉奈が再びガトーへ手を伸ばした瞬間、斬牙は見せつけるように腕をさらに高く上げた。

 智徳の中で、抑えていた怒りが弾ける。

「その手を離せ。今すぐだ」

 斬牙は智徳の体格を見て、鼻で笑った。

「力が強そうな奴ほど、正しい持ち方にうるさいんだな」

 聖矢はガトーの脚の動きがさらに弱くなっていることに気づき、鋭く告げた。

「先輩、あれ以上は長くもちません」

 慎悟は斬牙の注意を自分へ引きつけながら、視線だけで二人へ合図を送った。聖矢が斬牙の死角へ回り込み、智徳はガトーが落とされた場合に受け止められる位置へ移動する。

 斬牙は二人の動きに気づくと、突然、ガトーを莉奈の方へ放り投げた。

 莉奈が悲鳴を上げて両手を伸ばす。

 寿蒙が素早く前へ出て、横からガトーの身体を支えた。莉奈と寿蒙が、倒れ込むようにその小さな身体を受け止める。

 莉奈は首だけをつかまず、胸と腰を両腕で包み込むように抱きかかえた。

 斬牙の持ち方とは、まるで違う抱き方だった。

 ガトーは意識を保っていたが、呼吸は浅く、身体を小刻みに震わせている。

「ごめんね......守れなくて、ごめんね......」

 莉奈が謝り続ける中、寿蒙が静かに言った。

「今は自分を責めるより、呼吸を確保することが先です」

 美奈子が莉奈の背中へ手を添え、寿蒙の指示へ意識を向けさせるように促した。

 ガトーを奪われた斬牙は、顔を歪めた。

「よくも――恥をかかせやがったな!」

 灰色の鬼気が全身を包む。骨格と筋肉が異形へと変わり、皮膚は灰色の装甲鱗となる。

 頭部から背中にかけて煤けた白色の羽毛が逆立ち、両腕からは三本ずつ巨大な鉤爪が伸びた。中央の爪は一メートルを超えている。

 獣脚に変わった脚が地面を踏みしめ、長い尾が道路脇の塀を削った。

 灰色のテリジノサウルスの鬼、斬牙が完全な姿を現す。

 斬牙は腰の日本刀「嫁威(よめおどし)」を抜き、鉤爪と刀身を擦り合わせた。刃物同士が触れ合うような、耳障りな音が響く。

 慎悟は莉奈たちを守るため、蒼牙(そうが)との契約を試みた。青い霊気が身体を包み始める。

 だがその力が脇腹へ集中した瞬間、松影の鬼気が激しく反応した。

 脇腹から黒い霊気が噴き出す。全身を内側から貫かれるような激痛が走り、慎悟は変身を維持できないまま膝をついた。

「正義の味方も、今日は壊れかけか」

 斬牙が嘲笑する。

 慎悟は蒼王を呼び出そうと歯を食いしばるが、指先に力が入らない。

 それでも立とうとする慎悟の前へ、智徳が立った。聖矢もその隣へ並ぶ。

「下がってろ」

 慎悟が命じるが、智徳は振り返らなかった。

「前は、慎悟先輩が俺たちを守ってくれました」

 聖矢が続く。

「先輩が戦えないから、仕方なく代わるんじゃありません。俺たちが、戦うと決めたから前に出るんです」

 最後に智徳が、静かに、けれど確かな声で言った。

「今度は、俺たちが守ります」

 慎悟は、かつて自分の背中にいた二人が、もう守られるだけの存在ではないことを悟った。

 それでも慎悟は、痛みに耐えながら声を上げる。

「その爪は、霊力や武器のつながりを断つ。まともに受けるな」

 聖矢は斬牙の動きを見たことがなかった。だが、迷わず答える。

「なら、今から覚えます」

 智徳は瞬時に作戦を組み立てた。自分が正面で攻撃を受け止め、聖矢が死角から動きを読む。

土角(どかく)!」

聖翔(せいしょう)!」

 二人が霊護獣の名を呼ぶ。

 智徳の背後に茶色の牛――土角が姿を現し、聖矢の背後には象牙色のペガサス――聖翔が翼を広げた。茶色と象牙色の光が二人を包む。

 智徳は重厚な装甲を持つ戦士へ変わり、巨大な土角大斧(どかくだいふ)を構える。聖矢は翼を思わせる装甲をまとい、聖翔剣(せいしょうけん)を抜いた。

 斬牙は中学生二人を見て侮蔑をあらわにする。

「子供が、大人の考えを否定するな」

 聖矢が言い返す。

「犬を苦しめるのに、大人も子供も関係ない」

 智徳は斧を地面へ低く構えた。

「慎悟先輩にも、莉奈さんにも、ガトーにも――攻撃は通さない」

第9話、お読みいただきありがとうございました。


慎悟が「守られる側」に回ることの苦しさ、智徳と聖矢が「もう守られるだけの後輩ではない」と示す瞬間、そして指中莉奈というキャラクターの初登場。


今話はいくつもの転換点が重なった回になりました。


とくに智徳の「――嘘ですね」の一言は、著者としても書いていて胸が痛むシーンでした。優しさから出た正論ほど、言われた側には効くものです。


斬牙(馬場翔之助)についても、彼なりの理屈と屈辱を丁寧に描いたつもりです。彼を単純な悪役にしないことが、この章のテーマの一つでもあります。


次話「敵を治す札」では、智徳と聖矢が斬牙とどう向き合うのか、そして倒れた敵に対して寿蒙が下す選択が描かれます。「治す」という行為の意味が、少しずつ揺らぎ始める回になりますので、ぜひ楽しみにお待ちください。


※本作の執筆にあたり、構成や文章作成の一部でAIを活用しています。ただし、キャラクター設定・世界観・物語構成・最終的な表現の判断はすべて著者自身が行っています。


それでは、次話でまたお会いしましょう。





Claude は AI のため、誤りを含む可能性があります。回答内容は必ずご確認ください。

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