第49話 狭間
【 LOG:アクム 】
「ちょっと!リヴィア!急にいなくなって、どういうつもりよ? ナインは無事なんでしょうね!?」
部屋に戻ってきたリヴィアに向かい、私は思わず声を荒げてしまった。
実際はミームの事故からまだ一刻も経っていなかったが、途方もなく長く感じた焦燥感が口から溢れてしまったのだ。
「すまん、すまん。懐かしい知り合いから連絡があってな。安心しい、ナインは生きとるよ」
リヴィアはニカッと笑い、八重歯が覗いた。
「しかし、リヴィアさんって本当に『データ』なんですね!急に現れたり消えたり、びっくりしましたぞ!」
ナインが無事だと聞いてか、タイチョーは少し余裕が戻ったようだ。ナインが消えた時には真っ青だった顔色が、今は元に戻っている。
「せやから、女神様って言うたやろ。崇めてもええで!」
「それよりっ! ナインはどこなの?」
私の鬼気迫る問いにリヴィアが説明を始める。
ナインがミームに呑み込まれそうになった瞬間、彼女がナインを現実世界に転送したのだという。
「ミームは食べ物を必要とせんからな。あの大きな口はただの凶器や。喰われたら一瞬でミンチやで」
リヴィアは右手をパクパクさせて、説明を続けた。今回は、どうやらリヴィアに感謝しないといけないようだった。
しかし、ナインの意識が不安定だったため、現実とこの世界の「狭間」に引っかかってしまい、救出が必要だということだった。
どうやら、ナインはこちらの世界で両親に会い、その両親が目の前でミームに殺されてしまったらしい。
その出来事が、彼のすでに不安定だった精神に追い打ちをかけたのだろう。
「そこでや、アクム。うちと一緒に狭間へ行って、ナインをこっちに連れて帰ってほしいんや。やっぱり、好きな人から『帰って来て』って言われるのが一番効果的やろ?」
リヴィアは笑顔のまま言うが。今朝、愛する人を連れ戻したいというユダさんの願いを叶えられなかった私には、その言葉が心に刺さる。
嫌な思い出がフラッシュバックするが、ナインを必ず連れ戻さなければならないと心に誓った。
「わかったわ!すぐに行きましょう。それで、どうしたらいいの?」
「うちと添い寝すれば連れてったる。でも…」リヴィアの難しい表情に、何か問題があるのだろうか?と、不安が過るが。
「昼飯食ってから行こうや!腹が減っては、何とやらって言うやろ?」
── 全く、呑気というか、何というか。
「私はいいわ。早く済ませてきて頂戴!」
『じゃ、遠慮なく!』そう言って、リヴィアの姿が消えた。
そんな彼女に、データが食事を必要とするのか?と、疑問を感じる中、突然、タイチョーが何かを思い出したかのように立ち上がった。
「アクムさん、ちょっと待ってください!」
そう言って部屋を飛び出し、ほんの数分で戻ってきたタイチョーは、手に袋を持っていた。
「タコのみ焼きを持ってきました! 中々いけますぞ!」
気持ちは嬉しいが、食べる気にはなれず、お礼を言って断ったところ、タイチョーに叱られてしまった。
「いい仕事をするには、ちゃんと食事をしないとダメだ! 確実にナインを連れ帰ってほしいんですから!」
もらったタコのみ焼きは冷めていたが、とても美味しかった。
「タイチョー、ありがとう。必ず連れて帰るわ」
その後しばらくして、リヴィアが現れた。
「お待ちどーさん! 季節外れやけど、水茄子の浅漬け、最高やわ。さ、行こか!」
リヴィアは『プログラム』だと言っていたが、食べ物にこだわる様子は、ご当地グルメのプログラムか何かの聞き間違いかもしれない。
「アクム、こっちにおいでや」
リヴィアがベッドの上で手招きする。
私はリヴィアの隣に寝そべると、彼女は静かな声で囁いた。
「アクム、『狭間』であんたは選択を迫られるやろう……。 間違ったら、うちはあんたを消さなあかん。その時は、かんにんやで」
「どういうこと?」
その問いに、リヴィアは微笑むだけだった。
「ほな、行ってくるわ。2、3日かかるかもしれへんから、タイチョーはん、留守番よろしゅうな!」
次の瞬間、私は緑色の文字列に包まれた。
「きれい……」
その光景は、まるで優しく包み込む母のようにふわふわとした感覚を私に与え、安らぎを感じさせた。
「気持ちええやろ? これがあんたらの世界のほんまの姿やで。ボーッとしてたら呑み込まれるさかい、意識はしっかり保つんやで!」
リヴィアの声は聞こえるものの、姿は見えない。
「もうすぐ狭間や、アテンションプリーズやで!」
『ズゥゥン』という重みが身体にかかり、視界が暗転する。
周りには無数のモニターのようなものが浮かび、そこに映像が映し出されると、ぼんやりとした明るさが辺りを照らしていた。
「ここが…『狭間』?」
モニターの一つに目をやると、私の幼少期の映像が映っている。それは、幼稚園でアズサと友達になった日の様子だった。
「せや、懐かしいやろ。これが現実での出来事を、あんたらの世界に上書きされた記録や」
リヴィアが私の見つめるモニターを覗き込みながら言った。
「この先にナインがおる。ついといで」
リヴィアがふわりと飛ぶのを追いかける。周りには無数の人々の思い出が垣間見えた。
「おったで。アクム、頑張ってな」
リヴィアの視線の先には、膝を抱えて座り込むナインの姿があった。
「ナイン…あなたを必ず連れ戻すわ」
私は決意を胸に、ナインの元へ向かった。
ナインのすぐ側まで辿り着くと、「ねえ、ナイン。私が……わかる?」と、そっと話しかける。
それに対し、ナインはうずくまり顔を伏せたまま「ああ、悪夢だ……」と、呟いた。
「そうよ、アクムよ! 一緒に帰りましょう!」
私の声にナインが顔を上げたが、その姿に思わず息を飲んだ。
信じられない事に、本来あるべき顔が無く、そこにはポッカリと穴が空いていたのだ。
そして、その空洞の中央には緑に光り輝く小さな玉が浮かんでいる。
「あんたは……誰なんだ? 何も見えないんだよ。早く、この悪夢から起こしてくれないか」
「私が、私の声が、わからないの? ナイン!」
胸が締め付けられる感覚が、私を襲う。
「俺はアルトって言うんだ。ナインって呼ばれているって事は、やっぱりまだ夢の途中か……」
── 夢…ですって!?
「何を言ってるの!しっかりしなさい!私の知っているあなたは、そんなんじゃないっ!」
悔しさが溢れ、目頭が熱くなる。
「あなたは、ナインでしょう! アクムと…タイチョーと旅をして、一緒に天魔と戦って、つまらない事でいっぱい笑って! それを『夢』で、片付けるなんてっ!」
私はナインを抱きしめた。強く。彼のことを想う気持ちと共に。
しかしその時、静観を続けていたリヴィアが突然口を開いた。
「アクム、見つかったで。気をつけや」
刹那、私の頭の中に聞き覚えの無い女性の声が響いた。
『貴女がアクムさんね? お取り込み中にごめんなさい。私はイヴと申します』
「何なのっ!リヴィア……どういう事?」
その問いに彼女は押し黙り、視線を逸らした。
『リヴィア? 何の事かしら? まあいいわ。アクムさん、あなたに提案があるの。きっと気に入ってもらえるわ』
その女性の声は優しく響くが、心の奥で危険だと直感が告げていた。
「私は今、ナインと話しているの! 後にして頂戴!」
『あらあら、他人の助言は素直に聞くべきよ。あなたの望む未来の為に、いい事教えてあげるのに』
女性の声は続いた。
その内容は、私がナインの理を超える能力を引継ぎ、中央塔を破壊する目的を達成させる方法だった。
『……方法は簡単。 ナインくんの顔にある、その光っている玉を飲み込むだけよ。ナイン…いいえ、アルト君は私が責任を持って現実世界に連れ帰ってあげるわ。どうかしら?』
相手の素性もわからないまま、信じろと?
「あなたは何者!?その話を信じる証拠は?」
『私はイヴ……。『創造主』から『知恵の実』を授かった者よ。私は世界を正しい形に導く責務があるの』
リヴィアが、何か言いたげに視線を投げてくるが、一切口は開かない。
イヴの話が本当なら、悪い話ではない。が。
「悪くない提案ね。でも、お断りよ! わがままかもしれないけど、私はナインを愛しているの!最後まで一緒に旅を続けたいの!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
無意識にナインを抱きしめる腕にも力が入り、「ア…クム…?」と、ナインの声が苦しそうにくぐもっていた。
慌てて彼を放すと、そこには見慣れた顔があった。
「アクム? ここは…どこなんだ?」
ナインは複数のモニターが浮かぶ異様な光景に目を見張る中、私は溢れそうな涙を堪えて言った。
「ここは私達の記憶。『狭間』よ。 ナイン。お帰りなさい」
「ただいま。俺を呼んでくれて有難う」
ナインは憑き物が取れたように微笑んでいた。
「アクム? 俺のこと愛してるって言った?」
「んなっ?! ほ、本当に、一言多いっ!」
頭の中に声が響く。
『馬鹿な女……。もういいわ、次に会ったときは消してあげる』
そして、声は消え去った。
「アクム、正解や。ようやった。黙ってて、すまんかったな。イブに見つかると色々厄介やし、うちは、物語の大きな分岐点では口出しできへんからな」
── 物語?
「それよりっ!ナイン、一緒に帰ってくれるわよね!」
ナインが真っ直ぐ視線を向けてくる。
「ああ、もちろんだ。俺は、絶対に現実世界を救う。 ……決心ができたよ」
その様子にリヴィアが「あはは、元に戻ったみたいやな。ほんま良かったわぁ」と、八重歯を覗かせた。
「なあ、リヴィア。 俺と昔会った事あるんじゃないか? 俺が過去の思いにとらわれている間に、あんたと話した記憶があったんだ」
リヴィアは微笑を浮かべ「さあ?過去は振り返るモンやない。前向いて行こうやないの」と優しく微笑む。
そして、ナインに手を差し出し「まったく世話が焼ける子やわ」と、呟いた。
「さあ、帰りましょう!」
私もリヴィアとナインの手に手を重ねる。
「せやな!みんな、アテンションプリーズやで!」
リヴィアが瞳を閉じると、沢山のモニターから緑色の光が溢れ出し、光の洪水が広がってゆく。
それを見て思う。
── ほんとに、私の住む世界は美しいと。




