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第9話

「私の勝ちですね」


 目を白黒させている俺に向かって、肩を上下させながらミイナールが言い放つ。その表情はどこか誇らしげで、普段からは想像できないような爽やかな顔であった。


 それを向けられると負けた悔しさもどこかへ飛んで笑うしかなかった。

 ミイナールはハッとして表情を正したが、一瞬でも忘れられるはずがない。普段は抑えているであろう表情を見られたのだ。半分くらい俺の勝ちと言っても過言ではない。


「やっぱ強いな……」

「カナタさんも十分に。ちょっとだけ本気になってしまいました」

「あれでちょっとか……」


 ミイナールから偶然一本取っただけで強くなったように錯覚していた。しかし蓋を開けてみればまだまだ敵わない。思い上がりも甚だしい。


 ミイナールの手を借りて立ち上がる。


「今日はここまでです。ご飯もできたようですから」


 その視線を辿ると、孤児院の方からマイナールが歩いて来ていた。夕食の準備ができたので呼びに来たのだろう。

 残念だが、マイナールを怒らせると後が怖い。


「カナタさん、大丈夫ですか?」


 少し心配そうにマイナールが言うのも、やられ役がいつも俺だからである。

 そしてマイナールもまた、普段から俺を打ち負かしている。まさか一度だけは俺が勝ったなんて思ってもいないのだろう。


 俺の服は土に汚れ、汗もかいている。それに対してミイナールは涼しい顔。どちらに軍配が上がっているのかは誰の目にも明らかであるし、これを見ると自分でも少しの間だけ夢を見ていたんじゃないかと思えてくる。

 しかしミイナールの服が汚れているのにも気づいたようで、


「どうやら……あまりうかうかしてもいられないですね」

「一回だけな。それもたまたまだから全然、うかうかしてくれて構わないぞ」


 十回やって一回勝てるかどうか。その一回をたまたま引き寄せただけだ。それで危機感を抱かれてしまっては一生勝てない気がする。

 もちろん、冗談である。


 自分で偶然だと思っているからこそ卑屈になってしまい、マイナールからの称揚も素直に受け取ることはできなかった。


「いいえ。カナタさんは着実に強くなっていますよ」

「今日のスープは特別多くしてあげますよ」


 自分はまだまだ力不足。これでは抑止力になり得ない。頭でどう考えていても、空きっ腹はマイナールの申し出をありがたく受けるつもりであった。鼻はすでに美味しそうな食事の匂いを嗅ぎつけている。


 食卓にはすでに子供達が揃っていて、配膳も済んでいた。

 残すは俺とミイナールだけで、すぐに準備される。


「えぇ!? カナタ兄ちゃんの多くない?」


 一人の男の子の声を合図に、主に年少組からのずるいコールが俺を包む。


「カナタさんは今日私に勝ったからそのお祝いよ」


 ミイナールの言葉ですぐ、ずるいコールはすごいコールに変わる。子供達から口々に賞賛され、恥ずかしさに頬を掻くしかなかった。


「ほら、みんな早く食べるぞ」


 その照れを隠そうとするも今度は、


「カナタ兄ちゃんがいつまでもミイ姉ちゃんと遊んでたからだろ」

「そうだそうだ」

「本当はもっと早く準備できてたんだから」


 と、手痛い反撃を食らう始末である。

 子供達にとっては俺の修行も、ミイナールと遊んでいるのと変わらないのだろうか。実際、弄ばれているようで反論できない。


「でも、ミイ姉ちゃんに勝ったんなら、おじさんにも勝てるんじゃない?」


 その言葉を皮切りに、今度は「おじさんが負けるはずない」「マイ姉ちゃんの方が強い」などと俺をどこかにやっての議論に発展していく。


 いつも賑やかな食卓であるが、今日はより騒がしかった。

 それもマイナールが手を叩いて静かにさせる。


「待たせて悪かったけど、とにかく食べましょう」


 流石は孤児院の母親代わり。すぐに子供達は大人しくなり、食前の祈りを捧げる。

 それが終わると、再び食卓は賑やかになった。これも毎日のことで、皿をひっくり返しそうな子から器を遠ざけたり、おかずの取り合いで喧嘩になりそうなら仲裁する。すっかり慣れてしまった食事風景だ。


「そういえば……」


 と言ったマイナールに注目が集まる。

 この孤児院の家長的な立場であるマイナールの発言は、良くも悪くも大事である。

 いったいなにを言い出すんだ、という視線が半分。もう半分はなにか嬉しい出来事でも起こるのか、という期待の眼差しである。


「近い内におじ様が来るからみんなちゃんとするのよ」


 三度、食卓は賑やかになる。

 前回も子供達はヴィデールさんに遊んでもらったはずだが、俺とミイナールの戦いが始まってしまったお陰で後半は観客になっていた。遊び足りなかったのだろう。


「それにしても喜び過ぎじゃないか?」

「いつもは月に一度、来るか来ないかですからね」


 俺の呟きを聞いたミイナールが答えてくれる。


 一足早く食べ終えたミイナールは、食卓を回って空になった器を回収したり、余っているスープを注いで回っていた。

 なんだかんだで鍋いっぱいに作ったスープも毎回空になるのだから、主婦としての力量が窺える。


「そのペースからするとずいぶん早いな。まだ半月経たないくらいだろ?」


 前回ヴィデールさんが来た日は、俺がこの世界にやって来た日のことなのでよく覚えている。


「カナタさんの様子を見るためですよ、きっと」

「なるほどな」


 単純に体調を気遣っているのもあるのだろうが、俺の元いた世界、ヴィデールさんから見た異世界についても知りたいのだろう。


 そんな話をしている内に、ほとんどの子供達は食事を終えて歯を磨いていた。普段は面倒臭がるのに、これもヴィデールさん効果か。


 ちなみにこちらの世界の歯磨きは、専用の薬草を乾燥させて粉にした物を水に溶かし、それを含ませた布で歯を磨く、というやり方であった。

 最初こそ薬草の苦みに戸惑っていたが、今では苦みと共に訪れる清涼感の虜となっていた。


 閑話休題。


 食卓に一人残され、急いで器を空にして洗い物をしているミイナールに渡す。マイナールは子供達を寝かしつけに行っていた。


 いつもであればこうして後片付けをしている時も何人かは残っているものだが、今日に限っては静かだ。あまり騒がしくするとマイナールに叱られるからだろう。叱られて、そのことがヴィデールさんにでも伝わったらせっかく来てくれたのに説教で終わってしまう。

 みんながどれだけヴィデールさんに会えるのを楽しみにしているのかがわかる。


 俺にとっては死にかけていたところを助けてもらった恩人だが、子供達にとってはそれこそ親のような存在だ。それがたまにしか会えないのだから、会えるとなったら喜び勇むのも当たり前である。


「ミイナールもやっぱり嬉しいのか?」

「そうですね……。あの子達ほどではないですけどやっぱり嬉しいですよ」


 幼い頃よりこの孤児院で暮らしていたと言っていた。当時にも今のマイナールやミイナールのように年長者はいたであろうが、やはり大人であるヴィデールさんの存在は大きかったのであろう。


 上機嫌に鼻歌交じりで洗い物をしているミイナールの表情からは、ヴィデールさんに対してどういう想いでいるのかは読み取れなかった。

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