第六話 おっさん、危機一髪
「痛だだだっ!」
右の脹脛がこむら返りを起こした痛みで目を覚ます。
背もたれに体重を預けて立ち上がり、地面に爪先を押し付ける。縮んで痙攣している筋肉をゆっくり伸ばしていく。
ミネラルが不足しているのかもしれない。
『ようおっさん、絶好調だな!』
『マサルおはよう』
『朝から情けない姿だねw』
『今日は何すんの?』
ベンチに座り、脹脛を揉む。
いまの俺に出来る仕事は薬草採取のみ。
一日八十ミースだから、五日間に二回だけ小さなパンを食える。
うん、死んでしまうな。
「ゴブリンを狩れなきゃ生活できないし、やっぱり装備が欲しいよね。知恵を貸してよ妖精さんたち」
実は頼りになるって分かったし、助けを求めてみる。
『金ないし、武器でも作る?』
『石斧とか攻撃力高そうじゃない?』
『結局メイスが最強って何かで見たぞ』
妥当かも。先祖をリスペクトして旧石器時代の武器を自作ってのは考えていた。
しかし、それは最終手段だ。俺は手先が不器用だからな。
戦闘中に石と木が分離して返り討ちに遭う未来が見える。
『レンタルとかないのかね?』
『バーンズさんにお古を借りたら?』
『まだ使えそうなのが捨ててあったりしない?』
昨日の一件でジャケットの価値が上がったし、バーンズさんを訪ねてみるのはありか。
再利用は良案だな。無料ってのがいい。
「なるほど、ありがとう! ゴミを漁ってみるよ!」
壊れた武器や防具があるかもしれない。
石より金属。一から作るより、修理できるならそっちの方が良さそう。
街の人に尋ねながら、ゴミ捨て場を回ってみた。
「ここも酷い臭いだ。鼻が曲がる。でも、やるしかない」
成果を得られぬまま三ヶ所目に到着。生ゴミが異臭を放っている。
口で呼吸をすれば問題ない。積み上げられ瓦礫や家具を掻き分けながらお宝を探す。
「あっ!」
……すると、あるではないか。
刃が少し欠けた槍を見つけた。
飴色の柄は生きている。
固定もしっかりしており、穂先にぐらつきはない。研げばまだ使えそうだ。
そういえば、瓶の底で擦れば切れ味が蘇ると聞いたことがある。
割れたガラスの容器で研磨していく。
『これでゴブリンいける?』
『さすがに殺されるだろ。肩書きは冒険者だけど、現状はただの貧弱な浮浪者だからな』
『みんなでゴブリンに勝つ方法考えようぜ!』
『スキルでスライムになったところでなぁ。動きが遅いから窒息死させる前に殺されそう』
『じゃあ手詰まりか』
『結論早くね?w』
その後も街中を歩き回りゴミを漁り続けたが、使えそうな物は見つからなかった。
しかし、十分な成果だ。これで身を守る最低限の術は手に入れた。
戦国時代には、竹槍を持った農民が脅威になったという。
狙いを定め、長いリーチで突く。武術の心得がない俺にはぴったりだ。
「街から出てみようかな」
少し離れたところに、モンスターが住む巨大な森があるという。露店で見た野菜や果物が自生しているかもしれない。
ゴブリンがどれほど強いのか知らぬまま挑むほど、俺は愚かじゃない。散策しているうちに、他の冒険者が戦っているところを見学できたら僥倖だ。
門のところまで行くと、警備兵が二人立っていた。
どちらも屈強な大男だ。
「通ってよし!」
耳が痛くなるほどの声で送り出されて街を後にする。
視界の先まで豊かな緑が続いていた。
風が流れて、草原が穏やかに波打つ。青い香りが鼻を突く。
右手の方向、遠くに森が見える。あれが目的地だ。
槍を杖代わりにして歩きだす。
『ジジイやんけw』
『初見です。この世界で何かやりたいことはありますか?』
『妖精も増えたねぇ。初日は多くて五十匹くらいだったけど、いまや二千匹もいる』
『どうなん異世界、辛くない?』
二千匹って、そんなにたくさんいたのかよ。
俺なんかに取り憑いて何が面白いのかね。妖精に好かれるタイプなのかもしれない。
初見と聞くと、なんだかライブ配信を思い出す。
「やりたいことねぇ……難しい質問だな。人の命が軽いこの世界だからこそ、俺にしか救えない誰かがいるとは思ってる。妖精さんたちのおかげで頭の中が賑やかだから、現状楽しく過ごせてはいるよ」
常に誰かが喋っているので、寂しさを感じない。
キリがないから基本的には無視しているけど、たまにこうやって質問を返す。
話し相手に困らないから感謝している。
一時間ほど経っただろうか。
ようやく木々の葉っぱの形まで視認できるところまで来た。
俺は槍を構えて警戒しつつ、外周から森の中を窺う。
すると、木陰に馴染みのあるモンスターを発見した。
――スライムだ。
あいつはメガネが必要なほど目が悪い。
距離は三十メートルくらいか。
まだ俺には気付いていない。
相変わらずとろい動きで、ずりずりと地べたを這っている。
あれならいくらでも倒せそうだが、残念ながら金にならない。
俺も半分スライムみたいなもんだ。知らない特性なんかがあるかもしれない。しばし大先輩を観察して勉強させてもらうか。
『野生のスライムもマサルスライムと変わらんな』
『殺っちまうか?』
『わらび餅っぽくて可愛い。ペットにできるなら人気出そう』
『確かに清潔感ある見た目してるもんな。マサルと違って』
『スライムって臭くなさそうだしな。おっさんと違って』
スライムが木に登っていく。大蛇がとぐろを巻いたような変わった木だ。
俺も営業先のエレベーターが停まっていたとき、駆け足で螺旋階段を上ったことがある。
先輩――いや、兄貴。辛いだろう……苦しいだろう。
一生懸命に体を伸び縮みさせる様子に、なんだか情が湧いて応援したくなってきた。
兄貴はようやく天辺まで辿り着いた。
幾重にも分かれた枝に移ると、細長い葉っぱを体内に取り込む。
シュワシュワと泡が出て、葉っぱがどんどん小さくなっていく。
小刻みに体を揺らし、美味しい美味しいと喜んでいるようだ。
「いいなぁ、食べ放題で」
昨日の昼から何も食べていない。
あんな光景を見せられたら腹が減ってきた。
「……ん? 俺も一緒に食えばよくね? ――チェンジ!」
スライムに変化すると、視点が地面近くまで下がる。
――兄貴、いま行きますよ!
伸ばして縮める、伸ばして縮める。人間の状態なら走って十秒もかからず到着するはずが、遠い。全然進まない。
気が急いてしまった。
『え、まさかあの葉っぱ食うの?』
『食レポ頼むわw』
『マサルって頭おかしいよな』
『モンスターになれるからって、発想までモンスターにならんでもw』
速く。もっと速く。少し弾んでいるかもしれない。
これが俺の全力――猛スピード(笑)だ。ゴキブリにすら追い抜かれてしまいそう。
ようやく螺旋状の木に到着した。
"うおおおおおおぉ!"
登れ登れーい!
脳……があるのかは分からないけど、アドレナリンが出まくっている。
へこへこと高速で体を動かしているのに、息が切れたり疲れたりといった感覚がない。
臓器も筋肉もないのだから当然か。スタミナだけは化け物級だ。
やっと天辺までやってきた。枝を伝って葉っぱに向かう。
"いっただっきまーす!"
そして、細長い葉を口いっぱいに頬張った。
俺を包む透明な液体は消化液。全身で発泡感を楽しみながら溶かす。
"ふむふむ。レモングラスに似た清々しい香り。ほんのり甘くて、昆布のような旨味がある。結構いけるぞこれ、好きな味だ!"
『これが本当の草食系男子か』
『変な食生活のおっさんだけどな』
『話だけ聞いてると美味そうw』
『説明上手くて草』
空腹だからかもしれないが、すごく美味しい。
この味の炭酸飲料を作ったら爆売れ間違いなしだ。
まさかスライム視点の食レポをすることになるとは思わなかった。
"なあ、そこのお前さ? オレッチがここで食事してんだけど。邪魔だからどけよ"
言葉が聞こえた。
ここで声と表現しなかったのは、音ではない何かを核が捉えたからだ。
どうやら一人称オレッチの兄貴が俺に怒っているらしい。激しく全身を震わせているのが見える。
あの人に続けとばかりに来てしまったせいで、すぐ隣の枝で優雅にモーニングを決めこんでしまった。
しかし、スライムになってもマウントを取られるとは。
先に餌場を確保した方が偉い……ね。こんなところでも縦社会が出来上がってしまった。
俺が悪いのは分かるけど、世知辛い世の中だ。
とりあえず謝罪しておこう。
"これは失礼しました! 兄貴があまりに美味そうに召し上がっていたので、俺も食べてみたくなっちゃって……"
"お、おぉ、兄貴ね。立場分かってんじゃねえか。飯食うならこの木は基本だろ。ったく、しゃーねーな。離れて食えよ!"
"はいっす! すんませんっす!"
口調は強いけど、わるいスライムではなさそうだ。
お言葉に甘えて葉っぱを溶かしに溶かし込んでいく。
だいぶお腹が満たされた気がする。
……胃なんてないんだけどな。
どういう仕組みなのだろう。
"お前、生まれたてだろ。このあとどうすんだ?"
"兄貴に色々教えて欲しいっす!"
"いいぜ、オレッチについて来な"
"ありざっす!"
第一印象は当てにならないな。兄貴みたいに面倒見がいい人ばかりなら、世界は平和だろう。
さあ、葉っぱを食べ終えたら移動開始だ。兄貴の一歩後ろを這う。
森の中へ入っていくらしい。
『舎弟ロールプレイ笑うんだがw』
『このおっさんマジでなにしてんの?w』
『スライムの社会見学助かる』
『この兄貴、うちの会社の先輩みたい』
穏やかな日差しが柔らかな地面に木の葉の影を映している。
風が森を撫でると気持ちのいい音がする。
ぼんやりと緑に光るキノコ、珊瑚礁みたいな花の群生。未知の植物たちが織り成す幻想的な光景だ。視界の悪さがもったいない。
スライムの足は遅いため、なんだか時間がゆっくりと流れている気がした。
子供の頃に、友達と一緒に知らない場所を探索した大冒険を思いだす。
"これもなかなかいけるぞ"
"なんともグロテスクな……"
まず案内されたのは、腐葉土から逆さに生えた巨大なフルーツの前。人間の俺よりでかいぞ。
見た目はホヤにそっくりだが、毒々しい青色をしている。
兄貴を見習い、まず上に乗って皮を食い破った。
そこからアリの巣を作るように中心へ向かって果肉を溶かしながら進む。
"なんだっけこれ? そうだ、グァバだ。南国のフルーツみたいにトロピカルで甘い。そしてなぜか全身がピリピリ痺れてる"
"この|痺れが癖になんだよ"
全身で味わうスライムならではの経験。長時間正座した後の足って感じの痺れが体中に広がっている。
こんなことになって大丈夫なのかと不安になるくらい強烈な刺激だ。
"こっちは好みが分かれるかもな"
お次は、真っ直ぐに伸びた黒い植物。葉のないサトウキビといったところか。
何本か纏って生えており、こんな見た目の芳香剤があった気がする。
これは皮だけを食べるらしい。
"……なるほど、ウイスキーに似た風味だな。味がないから、香りを楽しむものなのかもしれない"
"美味くはないけど、これを食えば色々と元気になる"
金があれば払いたくなるほど有意義なスライム食い倒れツアーだ。
あれは食べられるけど美味しくないとか、あれだけは食べるなとか、兄貴にたくさん教えてもらった。
こんなに楽しかったのはいつぶりだろうか。
時間とは、意識の外にあるときに早く流れるものである。
森が茜色に染まっていた。
"暗くなると危ないからな。そろそろ寝床に隠れるぞ"
"ご一緒していいんすか兄貴!"
"最初からその気だったんだろ?"
"はいっす! お供しまっす!"
ご飯をご馳走になって、泊まるところまで用意してもらえるなんて、至れり尽せりだ。
"今日はここでいいか"
特に決まった寝床はないようで、兄貴は体を平たくしながら低木の下へと潜っていく。
俺も真似して後を追う。
密度の高い枝葉を地面すれすれまで茂らせた木の根元は、絶好の隠れ家になるようだ。
たしかに、これなら外敵に見つかりそうにない。
『なんでスライムのまま一日を終えようとしてるんだよw』
『夜の森は危ないって兄貴が言ってるぞ!』
『お前は街に帰れってベンチで寝ればいいだろw』
『このおっさんイカレてるわ』
今日という日が終わる。
だんだん暗くなり、視界は闇に包まれていく。
心地よい沈黙が続いていた。
"いいってことだよな?"
"えっと、何がですか?"
あとはもう寝るだけだというのに、なぜか兄貴が近づいてくる。
"何ってお前。その気があったんだろ?"
"言ってる意味がよく分からないのですが"
そして、俺の体に触れた。
嫌な予感がする。
"まあいいや、子供の作り方もオレッチが教えてやるよ。大丈夫、すぐ終わるから"
"……へ? いや、ちょ、ちょっと待って! ア、アアアアアァッ!"
脳内で危険信号が鳴り響く。
なんかちょっと入ってきてる。
"――チェンジ!"
茂みを突き破りながら人の姿に戻った。
ケツに兄貴がへばり付いている。
ぎりぎりのところで大事なものを守ることには成功したらしい。
『ちょwww』
『スライムに掘られてるやんけ!w』
『ダメだこいつ、笑いすぎて腹痛いw』
『アアァじゃねえよマジでw』
誓って未遂ではあるが、三十六歳のおっさんが性被害に遭うとは思わなかった。
兄貴は変態だが恩人だ。引っぺがして叩きつけてやりたい気持ちをぐっと堪える。
兄貴を槍の柄で払いのけ、地面に落とす。
「すんません兄貴。俺、人間なんです。今日はありがとうございました」
言葉が伝わるかは分からない。
でも、お礼だけは言っておきたかった。
俺を掘ろうとした兄貴は、大慌てで逃げていく。
最後に後ろ姿で教えてもらった。スライムでは人間に勝てないのだと。
「――チェンジ」
そこまで深くは入っていないけれど、月明かりすら乏しいこの暗闇で動きたくはない。
結果的に奪い取ることになってしまった寝床で、スライムのまま朝を迎えることにした。




