第十五話 おっさん、パンツは市松模様
街に戻った俺は、ふらふらと大通りを歩く。
肉串の屋台から炭火に落ちた肉汁とタレの香ばしい煙が漂う。魔性の力で通行人を惹きつけている。
店の前を通るたび、よだれが溢れそうになっていたからな。ずっと食べてみたかった。
八百ミースと値は張るが、長い串に一口大の肉がたくさん刺さっているので、食べ応えは十分だ。
「一つください」
「あいよっ! うちのは美味いからね。腰抜かすなよおっさん!」
溶けだす脂、カラメル色のとろりと煮詰まったタレ、滴る肉汁。熱々の肉に絡まる魅惑のミックスジュースがきらきらと輝いている。
頬張ると、脂身は甘く柔らかい。肉質は硬めだけど、旨みが強い。
うん、店主の言う通りこれは絶品だ。荒んだ心に染み渡る。
食べ終わった串は公共のゴミ捨て場に放り投げ、ベトベトになった手は井戸の水で洗い流した。
ちょっと不便だ。
『どう? ちょっとは気分マシになった?』
『森から街まで来るとき、青ざめて酷い顔だったもんな』
『もう稼げるって分かったからさ、次からは堅実にいこうぜ』
『傷薬買っといたほうがよくね?』
『あんなことがあったから言うわけじゃないけど、元の世界に帰りたくならない?』
ようやく少し心に余裕ができて、妖精さんの声に耳を傾ける。
俺を思っての言葉が温かい。
「いやぁ、どうだろう? 貯金もないし、資格があるでもない。この歳で再就職ってのも厳しいからな。あのまま働いてたら、俺は壊れていたと思う。ここに来た日のことを考えたら、すでにおかしかったのかもしれない」
俺の中に未練があれば、金を貯めてからまたこの世界で営業すればいい。
何を売るかよりも、どうやって売るかを考える。作戦がバシッとハマったときは脳汁が出るしな。あの仕事の楽しいところはそれくらいだろう。
まずはギルドに立ち寄り、換金を行う。
受付にて支払われた本日の稼ぎ、なんと二万ミース弱。
まだ余力を残して半日が終わったところ。命懸けにせよ、ゴブリンでこれだ。かなりの高級取りになってしまった。
しかし、俺は冒険者としてはまだまだ。知識も覚悟も足りない。
ゴブリンより格上の敵に出会ってしまったときのために、いつもの受付嬢――パンジィさんに聞いてみよう。
「ゴブリンの次って、オークでしたよね? 情報が欲しいのですが」
「はい、そうですね。討伐報酬は一体で千ミース。魔石は一つ二千ミースで買い取らせていただきます。その他オークの部位は肉屋にどうぞ。資料はこちらです」
一体で三千ミースか。モンスターのグレードが上がると、報酬もさすがに跳ね上がるな。
手に取った絵付きの資料に目を通す。
まるで二足歩行の豚だ。顔は脂肪で弛み、しわくちゃで厳つい。
肌なのか毛皮なのか、全身汚れた十円玉みたいな色。手の指は五本なのに、太い脚の先は二つに分かれた蹄になっている。
でっぷりと突き出した腹にはボロ布が巻かれていた。
『これ、どんくらいでかいんだろうな?』
『うちのお母さんに似てる!』
『俺ともそっくりだぞw』
『妖精にオーク混じっとるやんw』
『こいつも風魔法で倒せんのかな?』
また、注意事項として次のようなことが書いてある。
希望があれば、ギルド職員が選出する熟練の冒険者一名と同行し、オークと戦える実力を有しているかを判断する簡易的な試験を実施してもよい。
このとき、選出された冒険者は拒否することができず、ギルドはその補填として十分な報酬を支払うこと。
ゴブリンの資料には無かった記載だ。
ギルドが金を払ってまで慎重に戦わせたい相手……それだけ危険なモンスターなのだろう。
まあ、強そうな見た目だしな。
「マサルさんは冒険者になったばかり。まだゴブリンを吸い終えていませんよね? オークに挑まれるのは止めたほうがよろしいかと」
「お心遣い感謝します」
パンジィさんから釘を刺されてしまった。ちゃんと俺のことを覚えているらしい。
日々の仕事ぶりを、その冒険者が何をどれくらい狩っているかで判断し、情報ベースで大まかに実力を把握しておく。これも受付嬢の仕事なのだろう。
記憶力がよくて、かつ冒険者業の理解が深い人でなければ務まらないんじゃなかろうか。少なくとも俺には無理だな。
尊敬の念を込めて頭を下げ、ギルドを後にした。
次に冒険者用の雑貨屋に向かう。
……といっても、すぐ近くなんだけどな。三軒隣にある。
「ごめんくださーい」
扉を開くと、二階建ての雑貨屋はコンビニくらいの広さだった。
壁には棚が、床にはテーブルがあり、商品が並んでいる。木札で物の名前と簡単な説明が書いてあるからありがたい。
「はい、いらっしゃい」
奥のカウンターには、パイプを吹かす優しそうなおじいさんが座っていた。
硬い草で編まれた買い物カゴを手に取り、店内を見て回る。
天井から子供の足音、きゃっきゃと騒ぐ声が響く。上は住居なのだろう。
「へー、これはいいかもな」
手に取ったのは、モンスターの血も落としてくれる強力な洗濯石鹸。ベージュ色のそれは、ベルガモットに似た爽やかな香りが付いていた。
千二百ミースとお高いが、これは必要だな。
この世界には髪と体を分けて洗う文化がないらしい。
少し甘いムスクのような匂いがするボディ石鹸も買っておく。
こっちは青色なので、見分けがつくのはありがたい。
『え、石鹸買うの?』
『おいおい、気でも触れたか?』
『綺麗好きのおっさんとかおっさんじゃない……』
『もっと悪臭振りまいていけよ!』
アホを無視して傷薬を見ていく。緑、青、紫の三種類ある。
緑色のやつは、レイミー君が使っていた。
青は毒消し。木札の右上にデフォルメされた蜘蛛の絵が描いてある。これが四千ミースか。
紫のは、『効果抜群、緊急時に!』だってさ。このキャッチコピーをあのおじいちゃんが考えたのだとしたら、ちょっと可愛いかもな。
お値段なんと五万ミース。でも、今日のような体験をしてしまったら持っていて損はない。
お金に余裕ができたら買うことにしよう。緑色のやつだけカゴに入れる。
「え? うわ、あるんだ」
テーブルの上に目を引く商品があった。
俺はこの世界にくるまで毎日三回欠かしたことがない。
……そう、歯ブラシだ。
歯磨き粉らしき物も売っている。
正確には、歯磨き毛皮と歯守薬という。
歯磨き毛皮は、シート状の毛皮を好みの大きさにカットし、二本指で挟んで使うらしい。密度の高い毛を指で撫でてみると、『かため』という文字が頭に浮かぶ。
歯守薬は、薬草やハーブをすり潰したもので、殺菌効果があり歯を綺麗にしてくれるようだ。おじいさんの視線を気にしながら手のひらサイズの木箱を開けてみると、清涼感のあるいい香りがした。よし、これも買っておこう。
『うわ、歯まで磨こうとしてやがる』
『口臭いままでいろよこいつ』
『不潔のスキル持ってるんだから極めていけ!』
『どうしようもねえ野郎だなまったく』
こいつらは俺が人間らしくすることの何が不満なのだろうか。
会計を済ませて店を出る。
それから色々と店を回り、レイミー君と同じ宿を予約して、他にも必要なものを購入した。
洋服と下着を二日分、大小のタオル。あとはリュックが素材用になってしまったので、日用品を入れる巾着袋とか。素材の剥ぎ取りが大変だったから、革のホルダー付きのナイフとか……。
今日の稼ぎがほとんど無くなってしまった。
でもまあ、無駄遣いはしていないと思う。
ナイフは腰のベルトにぶら下げておけば邪魔にならないし、何よりカッコいい。明日から活躍してもらおう。
武器や防具を手に入れるのはまだまだ先になりそうだ。新品の槍なんて安くても十万ミースを超えていたからな。何匹のゴブリンを生贄に捧げたら召喚できるのやら。
店員さんに話を聞けたので、買いたい装備に目星を付けておいた。
「嫌なことを忘れるためにも、スッキリしないとな! ――チェンジ!」
再び街の外に出てシャドウバルチャーに変身。
早朝に初めて飛んだとき、森とは逆の方向に続く道の近くで川が流れていた。
いまからそこに向かう。
宿にシャワーがあるんだけど、先客がいたので諦めた。
それに、異世界といえば水浴びだしな。
”やっぱ空はいいなぁ”
鳥の体は素晴らしい。本当に風と一体になれる。
いや、風だって追い越せてしまう。
青い空、白い雲。このだだっ広い場所を独り占めしている気分だ。
翼で大気を手懐けて大空を漂う。
これは俺にしかできない、俺だけの楽しみだ。
”どれどれ、川の中は……っと”
もう二度と油断はしない。川の真上で滞空し、目を光らせた。
小魚が泳いでいる。底のほうでエビみたいなのが苔を摘まんでいる。
陽光を反射して輝く水面など問題にならない。全部はっきり見えている。
危険なモンスターはいないようだ。
”――チェンジ!”
地面に降りておっさん登場。
さて、始めますか。
「ひゃっほう!」
服を脱いで川に飛び込む。
冷たくて気持ちがいい。
『おっさんのサービスシーン』
『全年齢に配慮されてんな』
『だらしない体ありがとー!』
『あの下っ腹、ゴブリンみたいw』
『やめたれwww』
頭を濡らして手櫛を通すと、油汚れやほこりでガチガチになっていた。
小さいタオルを取り出し、石鹸を付けて泡立てる。
体を擦れば、ごわごわした安っぽい生地が汚れを落とすのにぴったり。
続いて頭を洗おうとしたけど、石鹸パワーが通じない。こいつは強敵だ。二回目でようやく討伐に成功した。
少し伸びたヒゲは、ナイフで剃り落とす。皮膚を切るのが怖いので、美容師のように深くは攻められない。
「よし、ぴっかぴかだ!」
体からいい匂いがする。
大きめのタオルで水分を拭き取り、買ったばかりの服に着替えていく。
パンツはぶかぶか。腰紐でウエストを調節するようだ。
その上からベージュのズボンをはく。腰にはベルトを通せるから、お気に入りのナイフを装着できる。
薄い青の上着は、作務衣みたいな形。ゆったりした着心地だ。これまた右腰のあたりで結ぶタイプ。
お次は洗濯だ。
「こんな適当に洗っちゃっていいのだろうか」
スーツをもみ洗いしていく。
高級石鹸のおかげか、汚れが溶けて流れ出す。
しばらくクリーニングにも出してなかったからな。
自分のものとはいえ、見ていて気分が悪い。
シャツ、肌着、パンツと続き、作業終了。あとは乾くのを待つだけだ。
『なあゴブリン、洗濯物と一緒に飛んだらすぐ乾くんじゃね?』
『ワロタw』
『濡れたら後頭部の薄さが際立つなゴブリン!』
『ゲギャッ!』
『ゴブリンが対話しようとしてて草』
「体型いじりはセクハラだぞお前ら。鳴き声に関してはゴブハラだからな? 乾燥させるアイディアは頂こう。――チェンジ!」
クチバシにパンツを咥え、残りを足で掴む。
高く、高く舞い上がり、そして急降下。
猛スピードで滑空すると、洗濯物がばさばさと暴れている。
しばらく何も考えずに飛んでいたら、森の方まで来てしまった。
ある程度乾いたし、そろそろUターンをして……と思ったそのとき。深紅の瞳がある人物を捉えた。
小柄で青髪、中世的な整った顔――レイミー君が、神妙な面持ちでショートソードを構えている。
対峙しているのは、おそらく冒険者。銀髪をオールバックに撫でつけ、おでこが広い。
柄の長い片刃の斧を肩に乗せた彼は、凄い剣幕で何か叫んでいるようだ。
一触即発といった雰囲気。助けに向かうべきだろう。
羽ばたいては翼を閉じる動きを繰り返し、どんどん速度を上げていく。
レイミー君の頭上近くまで来たところで急停止。
巻き起こした風が銀髪を襲う。
”ちょっと待ったぁ!”
口も足もかっぴらいて全力で威嚇。俺の甲高い咆哮が大気を震わせる。
びびってこの場から去ってくれるならよし。居座ったときは、殺傷力低めの魔法を撃って威嚇するしかない。
「なんでシャドウバルチャーがいるんだよ!」
デコハゲは驚愕の表情を浮かべ、一目散に逃げていく。
戦闘にならなくてよかった。
「……マサルさんですか?」
大事なことを忘れていた。
クチバシを開いてはいけなかった。
恐る恐るといった様子で俺を見上げたレイミー君の顔に、ひらひらとパンツが舞い落ちた。




