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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第9話 記録は裏切りませんわ

 その日の夕刻、私の部屋には一冊の帳面が届けられた。


 厚すぎず、薄すぎず。

 表紙は深い紺。

 角はきちんと補強され、紙質も悪くない。

 装飾は控えめだが、品はある。


 実に良い。


 私は机の前に座り、その帳面を前にして小さく息を吐いた。


 記録帳である。


 鍛錬の。

 学びの。

 そして、断罪対策の。


 前世でも、記録は大事だった。

 感覚は鮮烈でも、数日経てば薄れる。

 気づきは大きくても、言葉にしなければ曖昧になる。

 何となく分かったつもり、というものが一番危うい。


 だから残す。

 見たこと。

 感じたこと。

 上手くいったこと。

 崩れたこと。

 次に直すべきこと。


 そうして積み上げた言葉は、後になって自分を助ける。


 筋肉も技術も裏切りにくいが、記録もまた裏切りにくいのだ。


「お嬢様」


 ミアが、机の横で静かに声を掛けた。


「グレゴールが、お使いになるなら予備の紙も追加でご用意できると申しておりました」


「さすがですわね」


「あと、鍵つきの引き出しも必要であれば、と」


 私は顔を上げた。


「鍵つき」


「はい。大事なことをお書きになるのでしたら、と」


 ……優秀すぎる。


 さすがに、そこまで配慮が回るとは思わなかった。

 たしかに記録は大事だが、同時に見られて困ることもある。


 特に、断罪という語を多用している今の私の帳面は、うっかり父や母の目に入ると余計な騒ぎを生みかねない。


 いや、もう十分騒いではいるのだが、それでも無用な刺激は避けたい。


「では、引き出しもお願いできますかしら」


「承知いたしました」


 ミアが一礼する。


 私は再び帳面へ目を落とした。


 さて、何から書くべきか。


 記録には型がいる。

 思いつくままに書くのも悪くないが、後から振り返る時に見づらい。

 前世でも、雑なメモほど後で読み返して困った。


 ならば、最低限の項目を決めるべきだ。


 私は羽根ペンを手に取った。

 まだ幼い手には少し長く感じるが、扱えないほどではない。


 まず、日付。

 次に、その日の鍛錬内容。

 そのあと、良かった点。

 崩れた点。

 気づいた点。

 次回の課題。


 よろしい。

 これでいこう。


 私はゆっくりと書き始めた。


 日付。

 騎士団訓練場見学の学び。

 午後の基礎鍛錬。


 記録しながら、頭の中が少しずつ整理されていくのが分かる。

 見たものが、ただの印象から言葉へ変わっていく。

 言葉へ変われば、次にどう活かすかが見えてくる。


 やはり良い。


 私は夢中で書いていた。

 終わりを崩さない。

 礼は相手のためだけでなく、自分を整えるためでもある。

 強い集団は空気が揃う。

 見たものは今の自分へ落とす。


 そこまで書いた時だった。


「……お前は何をしているんだ」


 不意に声がして、私は顔を上げた。


 兄である。


 いつの間にか扉のところに立っていた。

 ノックはあったのかしら。

 いや、たぶんあったのだろう。

 私が集中しすぎていただけで。


「お兄様」


「返事がなかったから、少しだけ扉を開けたら机に向かって鬼気迫る顔で何か書いていた」


「鬼気迫ってはおりませんわ」


「いや、かなり迫っていた」


 兄は部屋の中へ入ってきて、机の上を見ようとした。

 私は反射的に帳面を閉じた。


 ぱたん、と音がする。


 兄が足を止めた。


「……そこまで隠すのか」


「当然ですわ」


「兄に対して?」


「兄だからこそ、ですわ」


 前にも言ったが、家族だからといって情報を全部開示するほど私は甘くない。

 特に今は、まだ私自身の中でも整理しきれていない部分が多い。


 兄は少しだけ呆れたように肩をすくめた。


「見ませんよ」


「信頼はしますが、確認もいたしますの」


「その物言い、父上にもしているのか」


「たまに」


「やめてやれ。胃が痛みそうだ」


 それは少し分かる気がする。

 だが今はそれどころではない。


「それで、お兄様。本日は何のご用件で?」


「妹が訓練場を見た後にどうなるか、少し興味があってな」


 またそれである。


 好奇心の強い兄だ。

 だが、悪意はなさそうだから完全には切れない。

 むしろ上手く付き合えば情報の橋にもなる。


「で、どうなったと思われまして?」


「興奮して木の棒を振り回しているか、誰かを捕まえて質問責めにしているか、部屋にこもって考え込んでいるか。そのどれかだと思った」


「だいたい合っておりますわね」


「どれだ」


「全部ですの」


 兄は吹き出した。

 感じが悪い。

 いや、悪くはないのだが、やはり少し面白がっている。


「それで、その帳面は何だ」


「記録帳ですわ」


「何の」


「鍛錬と学びの」


「……本当にやる気なんだな」


 その言い方には、呆れと感心が半分ずつ混ざっていた。


 私は頷いた。


「やる気というより、必要ですもの」


「何が」


「積み上げが、ですわ」


 兄は黙った。

 言葉を探しているようにも見える。


 私は少しだけ迷ったが、帳面を開いて、見せてもよい部分だけ兄へ向けた。

 全部は見せない。

 だが、記録していることそのものは示してもよい。


 そこには今日の鍛錬内容と、気づいた点だけが書いてある。

 断罪という単語の多い前半ページは指で隠した。


「……細かいな」


「細かくないと意味がありませんわ」


「そんなものか」


「そんなものですの」


 兄は机の横へ来て、覗き込んだ。


「終わりを崩さない、礼で整える、見たものは今の自分へ落とす……」


 その三行を読み上げ、少しだけ目を細める。


「これ、誰に言われた?」


「オズヴァルトと団長のお話、それからわたくし自身の整理ですわ」


「自分でも整理したのか」


「当然ですの」


 前世でも、言われたことをそのまま受け取るだけの者は浅い。

 自分の言葉にし直せる者の方が、後で強く残る。


 兄はしばらく帳面を見ていたが、やがてふっと笑った。


「なるほどな」


「何がですの」


「父上が困るわけだ。お前は思いつきで騒いでいるように見えて、中身は妙に段取りがある」


 ……悪くない評価である。


 私は少し顎を上げた。


「合理的と言っていただきたいですわね」


「それはまだ保留だ」


 心外だが、前進はしている。


「お兄様は、記録はなさいませんの?」


「する時はする」


「曖昧ですわね」


「俺はお前ほど細かくない」


「細かい方が後で便利ですわ」


 私が言うと、兄はまた帳面へ視線を落とした。


 それから、何気ない風を装って問う。


「その記録、毎日つけるつもりか」


「ええ」


「飽きないか」


「飽きませんわ」


「どうして言い切れる」


 その問いに、私は少しだけ考えた。


 どうして、と言われれば理由はいくつもある。


 不安だから。

 強くなりたいから。

 断罪されたくないから。

 前世でも、こういう積み上げは好きだったから。


 だが、一番しっくりくるのはたぶんこれだ。


「記録すると、昨日の自分と今日の自分の差が見えますもの」


 兄が目を上げた。


「差?」


「ええ。少しでもましになっていれば、それは進んでいるということですわ」


 私は帳面に視線を戻した。


「人は急には変わりませんもの。けれど、一日ごとの違いを残せば、積み上がりは見えますわ」


 前世でもそうだった。

 いきなり強くなった日はない。

 だが、過去の記録を見返すと、確かに前へ進んでいた。


 重さ。

 回数。

 反応。

 崩れ方。

 集中の質。

 全部、少しずつ変わっていた。


 それが分かると、人は続けられる。


 兄は珍しく笑わなかった。

 少しだけ真面目な目をしている。


「……そうか」


「ええ」


「お前、意外と良いことを言うな」


「意外とは何ですの」


「普段が普段だからな」


 失礼である。


 だが、兄の声音は悪くない。

 むしろ、少しだけ見方が変わったようにも聞こえた。


「お兄様」


「何だ」


「この記録は見せませんわよ」


「分かっている」


「でも、毎日続けるつもりですの」


「それも分かった」


 兄はそこで、ふっと口元を緩めた。


「なら今度、記録の付け方を少し見直してやってもいい」


 私は瞬きをした。


「お兄様が?」


「意外か」


「少し」


「俺も勉強や訓練で、整理の仕方くらいは知っている」


 なるほど。

 確かに、兄も公爵家の子息だ。

 ただ気軽に笑っているだけの人ではないのだろう。


 観察して、試して、役立つなら取り入れる。

 そういう意味では、私と少し似ているのかもしれない。


「では、その時はお願いするかもしれませんわ」


「素直だな」


「使えるものは使いますもの」


「それ、もう少し可愛げのある言い方はないのか」


「信頼しておりますわ」


「急にそれを出されると調子が狂う」


 兄は苦笑したが、機嫌は悪くない。


 そのあと少しだけ他愛ない話をして、兄は部屋を出ていった。

 去り際、扉のところで一度だけ振り返る。


「ルクレツィア」


「何かしら」


「記録、続けろよ」


「もちろんですわ」


「ならいい」


 それだけ言って、兄は去った。


 私はしばらく閉じた扉を見つめ、それからもう一度帳面へ向き直った。


 続けろ、か。


 言われるまでもない。

 だが、少しだけ悪くない言葉だった。


 私は再び羽根ペンを持った。


 今日の分はまだ終わっていない。

 最後に、明日の課題を書き足す必要がある。


 歩法の再現。

 礼の安定。

 打ち終わりの静止。

 呼吸の整理。

 それから、団長の言葉をもう少し自分の中で噛み砕くこと。


 書いているうちに、頭の中がさらに澄んでいく。


 やはり記録は良い。


 積み上げは目に見えにくい。

 だからこそ、言葉にして残す意味がある。


 誰にも一方的に裁かれないために。

 ただ強いだけでなく、崩れないために。

 自分の足で、自分の人生に立っているために。


 私は羽根ペンを走らせながら、小さく口元を緩めた。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、ついに“積み上げを見える形で残す”という前世由来の武器まで手に入れ、断罪対策をますます逃げ場のない日課へと変えていくのだった。

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