第80話 前期課程修了となりましたけれど、どうやら三年の前期とは「自分がどこまで進んだか」より「何を持って次へ渡せるか」で締まるようですわね
三年次前期課程の終わりは、思っていたより静かに来た。
一年次前期課程修了試験の時のような、露骨な消耗の総決算ではない。
二年次の終わりのような、“次へ上がるか”の判定だけでもない。
三年の前期は、もっと妙だった。
すでに準王国騎士団服を着ている。
すでに三か月ごとの仮出向がある。
すでに、学校の外と繋がっている。
つまり前期課程修了といっても、それは“ここまで学びました”の区切りではなく、“ここまで持ったものを、後期とその先へどう繋ぐか”の区切りなのだ。
かなり面倒ですわね。
ですが、かなり好きですわね。
前期課程修了の数日前から、広場の空気は少しだけ張っていた。
だが、一年の頃のような分かりやすい緊張とは違う。
今の三年生は、もう“試験が怖い”だけの段階ではない。
仮出向へ出た者は、学校の外の速度を知っている。
残った者は、残った形で二年を通し続けてきた。
戻った者は、順番の違いを学校の中へ再接続しようとしてきた。
だから前期の終わりに意識するのは、
自分がうまくやれるか、ではない。
今の自分が持っている順番や位置や視界を、どこまで壊さずに次へ渡せるか。
そこだった。
主教官は前期課程修了にあたり、三年へ最後の総合訓練を課した。
仮出向帰りと未仮出向組を混ぜる。
二年生も混ぜる。
役割を変える。
教導役も入れ替える。
指揮も回す。
つまり、前期でやってきたことを全部一度に見る、というより、
前期でズレた順番や進み方が、それでも一つの流れとして機能するかを見る訓練だった。
それは、一年の頃よりずっと三年らしい試験だった。
派手ではない。
だが、深い。
その日の朝、主教官は整列した私たちへ短く言った。
「三年前期課程修了をもって、三年の前半を締める」
広場が静まる。
「見るのは単純な上手さではない」
「仮出向へ出た者は、持ち帰った順番をどう使うか」
「まだ出ていない者は、今の位置で何を残せるか」
「二年を見ている者は、何を急がせず、何をもう急がせるか」
それで十分だった。
よろしい。
かなりよろしい締め方ですわね。
私の組は、かなり混成だった。
仮出向帰りの三年が私を含めて二人。
まだ仮出向へ出ていない三年が一人。
二年が四人。
しかも途中で指揮役と教導役が入れ替わる。
つまり、“自分のやり方だけで通す”のが最初から不可能な組み方だ。
良い。
かなり良いですわね。
最初の小隊運動で、それはすぐ分かった。
未仮出向の三年は、言葉がまだ少し長い。
だが、その分だけ二年には通りやすい。
仮出向帰りの私は、位置で通したい。
だが、位置だけでは今の二年には速すぎる場面もある。
もう一人の仮出向帰りは、切るのが早い。
だが、早いぶんだけ二年が置いていかれかける。
つまり、全員が少しずつ正しい。
だが、そのままでは噛み合わない。
そこで私は、ようやく三年前期の最後にふさわしいものを見た気がした。
ああ。
ここで問われているのは、“どれが一番正しいか”ではありませんのね。
違う順番を持った者同士が、どうやって一つましな形へ寄せるか。
それが大事なのだ。
かなり面倒ですわね。
ですが、かなり本質ですわね。
訓練の途中、二年の一人が未仮出向の三年の指示を受けて少し止まりかけた。
その瞬間、仮出向帰りの別の三年が切りたそうな気配を出す。
私はそこで、その二人の間へ半歩だけ入った。
「今は、そのままでよろしいですわ」
短く置く。
二年は止まりきらず、三年の切りも半歩遅れる。
だが、その分だけ全体は死なない。
止めのあと、主教官が言った。
「今の、何をやった」
私は答える。
「正しさを争わずに、流れを一つましな方へ寄せましたの」
「そうだ」
短い肯定。
だが、その短さがもう嬉しい。
「三年の前期で要るのは、そこだ」
「仮出向帰りの順番が全部上というわけではない」
「未仮出向の教え方が全部遅いわけでもない」
「混ざった時、何を残せばいいかを切れ」
その言葉で、私は少しだけ息を吐いた。
ええ。
ようやくはっきりしましたわね。
仮出向から戻ってきてからずっと、自分が何を持ち帰ったかを気にしていた。
どう二年へ渡すかも考えた。
だが三年前期課程修了で問われるのは、そのさらに先だった。
持ち帰ったもの同士。
持ち帰っていないもの。
まだ育てるべきもの。
それらを混ぜた時、どう一つましな形へ整えるか。
そこまで来てようやく、“三年の前半を終えた者”なのだろう。
昼休憩、レオンが言った。
「何か、やっとまとまってきた気がするな」
「ええ」
「仮出向行った組と、まだの組と、戻ってきた組とで、ずっとちょっとずつ噛み合い切らなかっただろ」
「ええ」
「でも、今は“どっちが正しいか”より“今どれを残すか”になってきた」
イリーナが水筒を持ったまま頷く。
「三年っぽいわね」
「ええ」
「好きじゃないけど」
私は少しだけ笑いそうになった。
「わたくしは少々好きですわ」
「知ってる」
カイルが静かに言う。
「前期が終わるって、そういうことなんだろ」
その通りだと思った。
一年の前期修了は、自分が崩れないかの確認だった。
二年は、三年の駒としてどこまで理解して動けるかだった。
三年の前期修了は違う。
違う順番、違う速度、違う立場を持った者たちが、それでも一つの流れを保てるか。
そこに尽きる。
午後の後半には、二年へ短い講評を返す時間があった。
私はそこで、一つだけ言った。
「全部を同じ速さでやらなくてよろしいですわ」
二年たちがこちらを見る。
「今の自分にとって急がせるべきものと、まだ急がせない方がよいものを切りなさい」
「そうすると、崩れ方が少しましになりますの」
それは、前の私なら言えなかった言葉だと思う。
前なら、“全部をましにしなさい”に近かっただろう。
今は違う。
全部ではなく、切る。
その順番を渡す。
それが今の私の教導なのだろう。
訓練の締めで、主教官は三年へ言った。
「前期課程修了」
広場が静まる。
「ここまでで、お前たちはもう“学校の中だけの三年”ではない」
「仮出向へ出た者も、これから出る者も、戻った者も、全部含めて一つの三年だ」
短い。
だが深い。
「後期で見るのは、卒業に向けて何を削り、何を残すかだ」
「前期で得た順番を、ここで終わりだと思うな」
「次へ渡せ」
その最後の言葉が、今日一日で一番重かった。
次へ渡せ。
ええ。
そうですわね。
前期課程修了とは、自分の中で完結することではない。
ここまで持ったものを、後期へ、二年へ、卒業へ、騎士団へ、どう渡していくかの始まりなのだ。
かなり面倒ですわね。
ですが、かなり良いですわ。
その夜、私は記録帳を開いた。
三年前期課程修了。
どうやら三年の前期とは、“自分がどこまで進んだか”を確認する段階ではなく、“違う順番や速度や立場を持った者たちの間で、何を残せば流れが一つましになるか”を切れるようになる段階のようですわね。
仮出向帰りであることも、未仮出向であることも、それだけでは答えではない。
混ざった時に、何を急がせず、何を急がせるか。
そこを切れることが、前期の締めに近いのかもしれませんわね。
そこまで書いて、私は少しだけ手を止めた。
それから最後に、一行だけ静かに足した。
どうやら三年の前期課程修了とは、“自分が強くなった”で終わるのではなく、“自分の持った順番を、次へどう渡すかを考え始める”ことで初めて締まるようですわね。
……かなり面倒で、かなり良い前期でしたわ。
私は羽根ペンを置き、準王国騎士団服の袖を静かに撫でた。
よろしい。
前期は終わった。
ならば次は後期だ。
削るべきものと残すべきものを、もっとはっきりさせていけばよい。
そのための後半なのだから。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、三年次前期課程修了を迎え、自分がどこまで進んだかを誇るよりも、持った順番や位置や視界を、後期とその先へどう渡していくかを考える段階へ静かに移り、卒業へ向けた三年の後半へ、また一つ深い足場を持って入っていくのだった。




