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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第29話 八歳の一年で、ようやく“自分で場を戻す”感覚が少し分かってきましたわ

 七歳の一年で私が手に入れたのは、“乱れても戻れる”という感覚だった。


 待てる。

 崩れても立て直せる。

 相手に少し揺らされても、自分の軸を見失いきらずに済む。


 それだけでも大きな進歩だった。

 だが八歳からの一年は、その先だった。


 戻るだけでは足りない。

 いずれは、自分から場を整え直せなければならない。


 そうでなければ、本当に強いとは言えない。


 八歳の春、オズヴァルトは鍛錬の組み方をさらに変えた。


 今までは、乱される中で形を保つ練習が中心だった。

 だがこの年からは、“崩れた流れを自分で立て直す”ことを明確に求められるようになった。


 たとえば打ち込みの途中、わざと合図の間が変わる。


 前半は短く。

 後半は急に長く。

 そこへ声が入る。


 以前の私なら、その揺れに対して自分が崩れないことだけで精一杯だった。

 八歳の私は違った。


 崩れかけたら、一度呼吸を置く。

 礼まで戻らなくとも、構えと足の位置だけは静かに戻す。

 そして次の一本を、前の乱れを引きずらずに始める。


 これが最初は本当に難しかった。


 人は、一度乱れるとそのまま次まで曖昧にしがちだ。

 前世でもそうだった。

 失敗したあとの一本が雑になる人間は多い。

 だが、本当に強い人間は違う。

 崩れた直後ほど、あえて静かに戻す。


 八歳の一年は、それをひたすら身体へ入れる一年だった。


 夏に入る頃には、オズヴァルトが時々言うようになった。


「今の戻しは悪くありません」


 秋には、こう変わった。


「崩れたあと、前より一拍早く整えられるようになりましたな」


 冬の入口には、ついにこうなった。


「ようやく、“乱れたから終わり”ではなく、“乱れたなら戻せばよい”と身体で分かってきましたか」


 それはかなり大きな言葉だった。


 私は素直に頷いた。


「ええ。少しだけ」


「少しで結構です。その少しがない者は、ずっと崩れを引きずります」


 よろしい。


 かなり良い。


 舞踏でも、この一年は大きかった。


 七歳までは、相手に乱されても自分を保つことが課題だった。

 八歳からは、相手が少し遅れたり、逆に少し早く入った時に、“こちらが静かに整え直す”ことが課題になった。


 最初にそれを言い出したのは母だった。


「ルゥ。相手が上手い時だけ綺麗なのは、まだ半分よ」


「存じておりますわ」


「ではその先は?」


 私は少し考え、答えた。


「相手が少し乱れても、こちらが慌てず整えることかしら」


 母は微笑んだ。


「ええ。その通り」


 兄との練習でも、それははっきり出た。


 兄はもともと、少し先に入りがちなところがある。

 七歳の私なら、それに引っ張られないだけで精一杯だった。

 八歳の終わり頃には違った。


 兄の入りが半歩早い。

 だが私がそこで慌てない。

 遅れず、急がず、流れを少しだけ柔らかく均す。


 ある日、練習を終えたあと兄が言った。


「最近のお前、前よりやりにくいな」


 私はそちらを見た。


「褒めておりますの?」


「かなりな。前は俺が少し崩せば、そのまま流れた。今は逆に、お前が静かに戻してくる」


 悪くない。

 かなり悪くない評価である。


 母も頷いた。


「そうね。ルゥはようやく“自分が崩れない”から“場を崩しきらせない”へ入ってきたわ」


 その言葉は、この一年を一番よく表していた。


 礼儀作法でも同じだった。


 八歳になると、マルグリット夫人はわざと“少し乱れた空気”を作るようになった。


 私が立つ直前に質問を挟む。

 礼のあとで沈黙を長くする。

 座る流れで他の侍女に指示を出して、空気を少し散らす。


 以前なら、そういう小さな乱れで私の所作も薄く乱れた。

 八歳の後半には、それが少し変わった。


 散った空気に引っ張られず、自分で呼吸を置いてから座る。

 質問が入っても、答えてから礼へ戻す。

 流れが切れても、無理に繋げようとせず、自分の中で一度整えてから次へ出る。


 マルグリット夫人は厳しい人だが、この年の終わりに珍しく少しだけ緩んだ声で言った。


「ルクレツィア様。最近は、少し場が散っても所作まで一緒に散らなくなってきましたね」


 私はその言葉が嬉しかった。


 所作とは、内側の反映だ。

 だから場が散ると、所作も一緒に散りやすい。

 それが散らなくなってきたというのは、かなり大きい。


 お茶会や会話の場でも、この一年で明確な変化があった。


 七歳までの私は、主に“見る側”だった。

 誰がどう話題を置くか。

 誰がどう沈黙を拾うか。

 誰が笑顔のまま観察しているか。


 八歳の私は、そこへ“少しだけ返す側”が加わった。


 話題が途切れかけた時、無理に大きな話を出すのではなく、今の流れに半歩だけ沿った言葉を置く。

 誰かの問いが少し鋭すぎた時、やわらかい感想で空気を戻す。

 相手が答えに詰まりかけた時、拾いすぎず、だが沈黙が冷えない程度に橋をかける。


 母はその変化を見て、ある日さらりと言った。


「ルゥ、ようやく“見ているだけの子”ではなくなってきたわね」


 私は少しだけ目を瞬かせた。


「それは進歩ですの?」


「ええ。かなり」


 兄はもっと分かりやすかった。


「最近のルクレツィアは、黙っている時でも黙り方が上手くなったし、喋る時は喋るで妙にちょうどいい時がある」


 少し褒め方が雑だが、悪くない。


 父の見方も、この一年でまた変わった。


 以前の父は、“続けていること”と“形になりつつあること”を認めていた。

 八歳の終わり頃には、その先へ来ていた。


 ある日の夕食後、父は私を見て言った。


「最近のお前は、ただ自分を整えているだけではないな」


 私は顔を上げた。


「どういう意味かしら」


「場が少し散っても、自分からそれ以上悪くしない。場合によっては、静かに戻している」


 私は少しだけ黙った。


 父にそこまで見られていたのは、かなり意外だった。

 だが、悪くない。


「少しだけ、ですわ」


「少しでも十分だ。それは簡単なことではない」


 その言い方は、前より少しだけ重かった。


 私は理解した。

 八歳の一年で、父の中でも私の位置づけがまた少し変わったのだ。


 “本気の子供”から、“場を少し扱える子供”へ。


 かなり良い進歩である。


 もちろん、まだ足りないものは山ほどあった。


 戻せるようになっても、まだ時間がかかる。

 乱れが大きいと、完全には取り切れない。

 会話では“整えすぎて少し不自然”になる時もある。

 舞踏では、相手を戻そうとして自分の動きが先に意識へ出ることもあった。


 だが、それでもはっきりしていた。


 八歳の私は、七歳の私より確実に“場へ手を入れられる”ようになっている。


 その夜、記録帳には一年分のまとめが静かに書き込まれた。


 乱れた流れを前より早く戻せるようになった。

 舞踏で相手のずれを少し整えられるようになった。

 礼儀作法でも、散った空気に引きずられにくくなった。

 会話では、見るだけでなく少し場へ返せるようになった。

 父は、私が自分だけでなく場まで少し扱い始めたことに気づいた。


 最後に私は、少しだけ考えてこう書いた。


 八歳の一年で、ようやく“自分で場を戻す”感覚が少し分かってきた。

 次に必要なのは、その場で自分から流れを作る強さである。


 かなり良いまとめだ。


 私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。


 よろしい。


 次は九歳。

 戻すだけではなく、最初の一手を自分で置ける年だ。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、八歳の一年で“乱れた場を静かに戻す”感覚を身につけ始め、ついに断罪対策を受けの技術から、場を扱う技術へと進めていくのだった。

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