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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第20話 お母様、あの沈黙は“詰まった”のではなく“待った”のですわね

 お茶会の翌日、私は朝から少しだけ頭の中が忙しかった。


 昨日のやり取りを反芻しているのである。


 青の伯爵令嬢の問いの置き方。

 侯爵家の次女の空気の和らげ方。

 子爵令嬢の短く正確な差し込み。

 母の沈黙。

 あれは単に喋らなかったのではない。

 場の流れが次にどう動くかを見て、必要な時だけ入る人の沈黙だった。


 ああいうのは、大変に良い。


 目立たない。

 だが、場を握っている。


 前世でも、強い人間はいつも前へ出るわけではなかった。

 必要な時にだけ動く。

 それ以外は、見ている。

 そして、いざという時の一手が正確だ。


 母のやり方は、まさにそれだった。


 私は朝の歩法を終えたあと、そのまま中庭の回廊を静かに歩いていた。

 歩きながら考える。

 考えながら崩れない。

 最近はそれも、だいぶ同時にできるようになってきた。


 すると、少し先で母の姿が見えた。


 花の様子を見ているらしい。

 朝の光の中でも、隙がなく美しい。

 だが同時に、昨日の茶会を思い出すと、あの優雅さの下で場を回していた人でもある。


 すごい。


 本当にすごい。


「お母様」


 私が声をかけると、母が振り返った。


「おはよう、ルゥ。今日はずいぶん真剣なお顔ね」


「昨日のことを考えておりましたの」


「まあ。反省会かしら」


「どちらかと申しますと、観察結果の整理ですわ」


 母が少しだけ笑った。


「あなた、本当にそれが好きね」


「好きというより必要ですもの」


「ええ、そういうところよ」


 母はそう言いながら、近くの椅子を勧めた。

 私は素直にそこへ腰掛ける。


 中庭は静かだった。

 鳥の声と、遠くの水音が少し聞こえる。


 こういう場で話す母は、お茶会の時ともまた少し違う。

 人前の主催者ではなく、教える側の空気がある。


 私は一度呼吸を整え、それから言った。


「お母様、あの沈黙は“詰まった”のではなく“待った”のですわね」


 母の目が、少しだけやわらかく細くなった。


「どの沈黙のことかしら」


「昨日、お茶会でわたくしが伯爵令嬢の問いへ返した後ですわ。すぐにお母様は入らず、皆さまの反応を少し待っておられたでしょう」


「ええ」


「最初、わたくしはただ黙っておられたのかと思いましたの。でも違いましたわ。あれは、誰が次に拾うかを見る沈黙だったのですね」


 母は数秒、私を見ていた。

 それから、ゆっくり頷く。


「ええ。その通りよ」


 やはり。


 私は内心で小さく拳を握った。


「どうしてそう思ったの?」


「詰まった沈黙は、少し空気が落ちますわ。でもお母様の沈黙の時は、皆さまの視線が散りませんでしたの。むしろ、次の動きを待つ空気になっておりました」


 母はそこで扇も持たずに、ただ静かに笑った。


「よく見ていたのね」


「勉強になりますもの」


「それで済ませるには惜しいくらい、よく見ていたわ」


 それはかなり嬉しい評価である。


 母は庭の花へ一度視線を流し、そして言った。


「場にはいくつか種類の沈黙があるの。困って止まる沈黙。考えている沈黙。誰かに譲る沈黙。あとは、今あなたが言ったように、“待つための沈黙”ね」


「待つための」


「ええ。誰かが入る余地を残す沈黙よ。主催側が何でも拾ってしまうと、場は回るけれど育たないこともあるの」


 私はその言葉を頭の中で反復した。


 回るけれど育たない。


 なるほど。

 これはかなり重要だ。


 何でも自分でやれば、一見うまくいく。

 だが、それでは他の人間が入る余地を失う。

 すると、場は主催者一人の技量に依存する。

 強い場ではなく、強い一人になる。


 それはたぶん、訓練場でも同じなのだろう。


「お母様」


「何かしら」


「それは、団長の注意の仕方にも少し似ておりますわね」


 母がわずかに眉を上げた。


「どういうこと?」


「全部を先に仰らないところですわ。まず本人に言わせて、それから必要なだけ直す。昨日のお母様の沈黙も、少し似ている気がいたしますの」


 母は少しだけ驚いた顔をした。

 その反応だけで、今の連想は外れていないと分かる。


「……なるほどね」


「違いまして?」


「いいえ。違わないわ。あなた、少しずつ“場を作る人”の見方が分かってきているのね」


 場を作る人。


 良い言葉だ。


 私は少しだけ背筋を伸ばした。


「それは重要ですもの」


「ええ。とても」


 母の声音は穏やかだったが、そこには少しだけ真面目な重みがあった。


「ルゥ。場を強く握る人には二種類いるの。全部を自分で動かそうとする人と、人が動けるように余白を置く人」


「余白」


「ええ。前者は分かりやすく強いわ。でも後者の方が、長く人を集められることも多いの」


 私は静かに頷いた。


 前世でも、そういう違いはあった気がする。

 全部を仕切る人は速い。

 だが、人が育つかは別だ。

 余白を置ける人は一見目立たないが、長く見ると強い。


 それは組織でも、競技でも、たぶん社交でも同じなのだろう。


「昨日のお茶会は、小さな場でしたわ」


「ええ」


「だからこそ、お母様は全部を拾わず、皆さまが入る余地を置いておられたのですね」


「そうよ。あなたたちが自分で会話を作れるなら、その方がよいもの」


 母はそこで少しだけ笑った。


「まあ、ルゥの場合は“見すぎる”ことがあるから、少しだけ泳がせてみたかったというのもあるけれど」


 心外である。

 いや、心外だが、否定は難しい。


「お母様は意地悪ですわ」


「そうかしら」


「少しだけ」


「それで学べたなら、悪くないでしょう?」


 その通りなので反論できない。


 その時、後ろから別の声がした。


「何だ、朝から難しい話をしているな」


 兄である。


 また自然に混ざってきた。

 本当に最近の兄は気配が軽い。


「お兄様」


「“お兄様”の一言に、微妙に警戒が混ざるようになったな」


「気のせいではなくて?」


「たぶん違う」


 兄は私たちの近くへ来ると、話の最後だけ聞いたらしく、母へ問うた。


「余白がどうとか聞こえたが」


「場の作り方の話よ」


「またルクレツィアが変なところへ気づいたのか」


 変ではない。

 大事なところだ。


 私がそう言おうとする前に、母が先に言った。


「変ではないわ。昨日、この子は“待つための沈黙”に気づいたの」


 兄が少し黙る。

 それから私を見る。


「……お前、本当にそこまで見ていたのか」


「見えてしまいましたもの」


「最近、そればかりだな」


「見えるなら仕方ありませんわ」


 兄は苦笑したが、すぐに少しだけ真面目な顔になった。


「たしかに、母上は全部拾わない時があるな」


「でしょう?」


「でも、あれをわざとやっているとは考えたことがなかった」


 私は兄を見た。


「お兄様もですの?」


「そこまで細かくは見ていない」


 兄は素直に言った。

 それは悪くない。

 見ていないことを見ていないと言えるのは、少なくとも雑ではない。


 母が言う。


「アルフレート、あなたは“入る”のは上手いけれど、“待つ”のは少し苦手だものね」


 兄が露骨に嫌そうな顔をした。


「母上までそれを言うのか」


「本当でしょう?」


「……否定はしない」


 私は小さく頷いた。


 そう。

 兄は場へ軽やかに入るのは上手い。

 だが、少し先走るところがある。

 舞踏の時もそうだったし、笑いの間でもそうだった。


 なるほど。

 全部繋がる。


「ルクレツィア」


 兄が私を見た。


「今、お前、何か納得した顔をしたな」


「しておりませんわ」


「している」


 否定しきれないのが悔しい。


 だが、そのやり取りに母が笑ったあと、ふいに真面目な声で言った。


「ルゥ。覚えておきなさい」


「はい」


「場を回せる人は強いわ。でも、場を育てられる人はもっと強いの」


 私はその言葉を、かなり深く受け取った。


 強い。

 しかし、ただ強いだけではない。

 育てる。

 余白を置く。

 必要な時にだけ入る。


 それは、剣の技術ではない。

 だが、たぶんもっと広い意味での強さだ。


 断罪を恐れて鍛えている私にとっても、それは無視できない話だった。


 ただ打ち返せればいいのではない。

 ただ守れればいいのでもない。

 場そのものがどう動くかを見て、その中で崩れないこと。


 それが本当の意味での備えかもしれない。


「覚えますわ」


 私は静かに言った。


 母は満足そうに頷いた。

 兄は少しだけ私を見ていたが、やがてふっと笑った。


「お前、本当に変な方向へ強くなっていくな」


「変ではありませんわ」


「そこはもう諦めろ。普通ではない」


 少し心外だったが、否定はしない。

 普通で断罪を避けられるなら、誰も苦労しないのだ。


 その夜、記録帳にはまた新しい頁が加わった。


 沈黙には種類がある。

 待つための沈黙は、場を育てる。

 全部を拾うと回るが、育たないこともある。

 場を回せる人は強い。

 場を育てられる人はもっと強い。


 最後に私は、少しだけ迷ってからこう書いた。


 強さとは、前へ出ることだけではなく、入るべきでない時に待てることでもある。


 良い言葉だ。


 私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。


 今日もまた一つ、学びが増えた。

 剣でも舞踏でもない。

 だが、たしかに断罪対策へ繋がる。


 それどころか、もしかするとこれは、今まで学んできたものを束ねる視点なのかもしれない。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、ついに“待つことで場を育てる強さ”にまで気づき始め、断罪対策をただの防御ではなく、場そのものを見る技術へと変えていくのだった。

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