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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第1話 断罪される前に最強になりますわ

 熱に浮かされていた。


 喉が渇く。

 頭が重い。

 体の芯が熱いのに、指先だけが妙に冷たい。


 薄く目を開ければ、視界に入ったのは見知らぬ天蓋だった。


 白い薄布。

 繊細な刺繍。

 磨き抜かれた柱。

 高そう、というより、明らかに高級品である。


 少なくとも、前世で見慣れていた日本のベッドではない。


 そこで私は、ようやく違和感に気づいた。


 違和感ではない。

 これは決定的な異常だ。


 なぜなら私は今、自分が誰なのかを、二重に理解してしまったからである。


 ルクレツィア・フォン・ヴァルツェン。


 それが今の私の名前だ。


 そして同時に、前世の記憶もはっきりと蘇っていた。


 汗の匂いが染みついた練習場。

 擦り切れたマット。

 組み合い、投げ、崩し、抑え込む感覚。

 レスリングの試合前の緊張。

 剣道の踏み込み。

 柔道の受け身。

 鍛え抜いた筋肉。

 追い込んだ先で、まだ一歩前に出る感覚。


 そして、帰宅後にプロテインを飲みながら始める乙女ゲーム。


 推し。

 ルート分岐。

 好感度管理。

 イベント回収。

 隠しキャラ。

 バッドエンド。

 断罪イベント。


 そこまで一気に思い出した瞬間、私は天井を見たまま悟った。


 終わりましたわ。


 これ、完全に断罪される側の名前ですの。


「お嬢様。お目覚めですか」


 おそるおそる掛けられた声に、私はゆっくり顔を向けた。


 若い侍女が、濡れた布を手に心配そうな顔をしている。


 私は掠れた声で問いかけた。


「……わたくしの名を、言ってちょうだい」


「ルクレツィア・フォン・ヴァルツェン様でございます」


 やはり。


 私は静かに目を閉じた。


 ルクレツィア。

 フォン。

 ヴァルツェン。


 強い。

 名前が強い。

 そして何より、いかにも高位貴族の令嬢である。


「お父様は、公爵……でしたわよね」


「はい。ヴァルツェン公爵閣下にございます」


 はい、確定ですわね。


 公爵令嬢。

 それも、剣の名門や魔法の名門ではなく、宮廷に近い由緒正しい家柄。


 これは危ない。


 乙女ゲームをやり尽くした者として断言できる。


 こういう立場の令嬢は、高確率でろくな目に遭わない。


 王子と距離が近い。

 家格が高い。

 周囲の令嬢から一目置かれる。

 婚約の話が来てもおかしくない。

 学園に通う未来もあり得る。


 危険要素の詰め合わせである。


 私はまだ熱で重い頭を回しながら、必死に状況を整理した。


 落ち着きなさい。

 こういう時ほど、盤面確認が大事ですわ。


 前世で私は、レスリングで国体に出場できるところまで行った。

 剣道も柔道もやった。

 スポーツ全般好きだった。

 不安な時ほど走り、迷った時ほど鍛え、追い込まれた時ほど基礎に戻る人間だった。


 その一方で、恋愛経験は一度もない。


 恋人がいたこともない。

 告白されたことも、付き合ったこともない。


 だが、乙女ゲームはやり尽くした。


 だから分かるのだ。


 現実の恋愛は知らない。

 けれど、断罪イベントの空気だけは知っている。


 卒業パーティー。

 婚約破棄。

 罪状の列挙。

 冷たい視線。

 ざわめき。

 主人公の背後に立つ攻略対象たち。


 嫌すぎますわね。


 私はぎゅっと布団を握り締めた。


 あんなもの、画面の向こうで眺めるからよいのであって、自分が壇上に立たされるのは絶対に嫌だ。


 そもそも、私は悪くないかもしれないのに断罪されるかもしれないではないか。


 理不尽である。


 しかし世の中というものは、理不尽だからこそ先に備えねばならない。


 ここで重要なのは、断罪そのものを嘆くことではない。


 どうやって生き残るかだ。


 社交を磨く。

 礼儀作法を完璧にする。

 家族との関係を良好に保つ。

 敵を作らない。


 無論、どれも大事である。


 だが、それだけで足りるだろうか。


 私は知っている。


 婚約者は裏切る時は裏切る。

 立場は崩れる時は崩れる。

 好感度を積み上げても、シナリオの強制力でひっくり返ることすらある。


 では、最後に頼れるものは何か。


 己ですわ。


 己の身体。

 己の技術。

 己の判断。

 己の実力。


 そこまで考えた時、私の中で答えはすとんと落ちた。


 最強になればよろしいのですわ。


 単純明快だった。


 誰も逆らえず。

 誰も侮れず。

 誰も断罪を言い渡せないほど強くなればいい。


 完璧である。


「お嬢様……?お顔色が優れません。お医者様を」


「木剣を」


「はい?」


「木剣を持ってきてちょうだい」


 侍女が固まった。


 それはそうだろう。

 高熱を出した五歳の公爵令嬢が、目覚めて最初に求めるものではない。


「お、お嬢様。何を仰って……」


「鍛えますわ」


「え……」


「断罪される前に、最強になりますの」


 侍女は絶句した。


 だが私は本気だった。


 前世でもそうだった。

 不安なら鍛えた。

 泣く前に走った。

 迷う前に体を作った。


 筋肉と技術は裏切らない。


 恋は知らない。

 けれど、受け身は知っている。

 好意の見分け方は分からない。

 けれど、間合いの詰め方なら分かる。


 ならば、私が頼るべきは明白だ。


 まず鍛える。

 話はそれからである。


「お嬢様、熱で混乱なさっているのでは……」


「いいえ。むしろ、非常に冴えておりますわ」


 私はゆっくりと体を起こした。


 小さな体だった。

 前世のような鍛え抜いた筋肉はまだない。

 手足も細い。

 握力も足りない。

 重心も軽い。


 だが、分かる。


 この体は伸びる。


 柔らかく、素直で、鍛え方次第でどうとでもなる体だ。


 五歳から鍛えれば、どこまで行けるか。


 考えただけで、少しだけ胸が高鳴った。


 いや、違う。

 これは高揚ではない。


 生存戦略への手応えである。


「社交も学びますわ。礼儀も磨きますわ。勉強もいたします」


 私は宣言した。


「ですが、それだけでは足りませんの」


 侍女はぽかんとしたまま、私を見ている。


「公爵令嬢が破滅するのは、追い詰められた時に盤面を返す力がないからですわ」


「ばん……?」


「ですから、鍛えますの」


 私は小さな手を握った。


「誰にも断罪できないほど、強く」


 その瞬間だった。


 部屋の外が少し騒がしくなり、慌てた足音が近づいてくる。


「ルクレツィア!」


 勢いよく扉が開いた。


 立派な身なりの男と、息を呑むほど美しい女性が駆け込んでくる。


 おそらく父と母だ。


 いや、間違いなく父と母である。

 顔立ちが良すぎる。


「目が覚めたのか」

「まあ、ルゥ。まだ起きてはだめよ」


 母が寝台の傍に来て、私の頬に触れる。

 父は安堵したように息を吐いた。


 愛されているのだろう。

 少なくとも今は。


 だが、油断は禁物である。


 乙女ゲームにおいて、家族愛は時として断罪ルートを防げない。


 私は二人を見上げ、静かに口を開いた。


「お父様、お母様」


「どうした、ルクレツィア」


 私は真剣に告げた。


「わたくし、剣を習いたいですわ」


 室内がしんと静まり返った。


 父が目を瞬かせる。

 母が微笑みを固める。

 侍女がとうとう口元を押さえた。


 だが、私は畳み掛けた。


「基礎体力も必要ですわね。足腰も鍛えなくてはなりませんし、体幹も重要ですわ。受け身も必要ですし、転倒対策も欠かせません。それから礼儀作法も重心移動に応用が利くはずですから、そこもきちんと学びます」


「ル、ルクレツィア?」


「大丈夫ですわ、お父様」


 私はにこりと笑った。


「わたくし、ちゃんと立派な公爵令嬢になります」


 そして続ける。


「そのうえで、最強になりますわ」


 父が黙った。

 母も黙った。

 侍女はとうとう天を仰いだ。


 しかし私は、誰よりも真面目だった。


 公爵令嬢に生まれた以上、断罪の危機は必ず来る。


 ならば備えるしかない。


 五歳から始めれば、遅くはない。

 むしろ早いくらいだ。


 ここから積み上げればいい。


 社交も。

 教養も。

 剣も。

 体も。

 全部だ。


 存在しないかもしれない破滅に備えて、存在する努力を積み上げる。


 それこそが、今の私にできる唯一にして最善の選択だった。


 ――こうして、ルクレツィア・フォン・ヴァルツェン五歳。


 後に王都を、学園を、騎士団を、そして王国そのものを盛大に巻き込むことになる公爵令嬢の鍛錬人生は、この日から始まったのである。

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