第八話
第八話
お披露目会から数日が経った。
ヴェルグレイヴ家の屋敷は、再び落ち着きを取り戻している。華やかな喧騒は消え、いつもの静かな日常が戻っていた。
その中で、ルシアンの日々は大きく変わることなく続いている。
ただ一つ、増えたものがある。
鍛錬だ。
「ルシアン、今日は剣の稽古の日だぞ」
廊下を歩きながら、アルベルトが声をかける。
「はい」
「相手はローデリックさんだ。分かってると思うが――」
少しだけ間を置いてから続ける。
「現副団長で、次期団長だ」
「強い方なのですね」
「強いなんてもんじゃない」
アルベルトは軽く笑う。
「今の俺じゃ、まだ届かない相手だな」
その言葉に、誇張はなかった。
ルシアンは静かに頷く。
中庭へ出ると、すでに一人の男が待っていた。
短く整えられた髪。無駄のない体躯。静かに立っているだけで、空気が引き締まる。
ローデリック。
ヴェルグレイヴ家騎士団、副団長。
「お待ちしておりました、アルベルト様、ルシアン様」
丁寧に一礼する。
「今日から指導を担当させていただきます」
「よろしくお願いします」
ルシアンは同じように礼を返す。
ローデリックはその所作を一瞬だけ観察し、すぐに視線を戻した。
「まずは木剣を持ってください」
差し出された木剣を握る。
重さを確認する。
(軽い)
だが、子供用としては適切。
「構えてみてください」
言われた通りに構える。
基本通り。無駄を削ぎ落とした形。
ローデリックの目がわずかに細くなる。
「……誰かに教わりましたか」
「いいえ。本で読んだだけです」
「そうですか」
それ以上は聞かない。
ただ、一歩踏み出す。
「では――軽く打ち込んでみてください」
ルシアンは踏み込む。
速さは抑える。力も抑える。
子供として不自然にならない範囲で。
木剣が振り下ろされる。
だが、その軌道は簡単に受け止められた。
「力が足りません」
短い指摘。
そのまま軽く弾かれる。
体勢が崩れる。
「……っ」
「今のは悪くありません。ただ――」
ローデリックは続ける。
「剣は振るうだけでは意味がない。どう当てるか、どう崩すかが重要です」
淡々とした説明。
だが、無駄がない。
「もう一度」
「はい」
再び踏み込む。
角度を変える。速度をわずかに上げる。
だが、やはり届かない。
すべて受け流される。
(技術差)
理解する。
純粋な身体能力ではない。
積み重ねの差。
経験の差。
それが決定的に違う。
何度か打ち込んだ後、ローデリックは手を止めた。
「今日はここまでにしましょう」
「ありがとうございました」
ルシアンは礼をする。
ローデリックは一瞬だけ視線を向けた。
「……焦る必要はありません」
それだけ言って、背を向ける。
⸻
夕方。
自室に戻る。
窓から差し込む光が、床を染めている。
(差は大きい)
率直な結論だった。
だが。
(問題ない)
むしろ、理解できたことが収穫だった。
剣は時間がかかる。
だが、魔力は違う。
すでに扱える。
だからこそ――
(効率を上げる)
目を閉じる。
意識を内側へ向ける。
魔力を分ける。
分離する。
わずかな負荷。
だが、問題はない。
影が揺れる。
足元から、もう一人の自分が立ち上がる。
同じ姿。
同じ存在。
ただし、力は分かれている。
(成功)
初めての完全な分離。
ルシアンはそれを見つめる。
分離体もまた、同じようにこちらを見る。
(共有できる)
思考も、感覚も。
ならば。
(同時に鍛えられる)
効率は単純計算で倍。
だが、魔力は分散される。
だからこそ制御が必要になる。
(ちょうどいい)
訓練として最適だった。
ルシアンは静かに呟く。
「――ノクシェル」
その言葉は、自然と口から出た。
過去に読んだ古い書物。
そこに記されていた言葉。
夜。
影。
それを意味する古代語。
(これが適切だ)
意味と感覚が一致する。
それで十分だった。
分離したもう一人が動く。
同時に、自分も動く。
二つの視界。
二つの感覚。
それらが一つに重なる。
(……面白い)
ほんのわずかに、口元が緩む。
誰も知らない場所で。
誰にも見せない力を使い。
静かに、確実に、積み重ねていく。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
だが。
(必ず、届く)
根拠はない。
だが、確信だけはあった。




