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公爵夫人の長い一日

長い、長い時を超えて、己の体が再生されてゆく、ひとつひとつの細胞が形成され、記憶が断片的にそこここによぎる。


「ルーカスって誰」


そう強く感じた時、真っ白な世界に、ずっと求めていた答えが見えた気がした。


光がくる。


ハーレ公国グラモン公爵家長女、ハーレルイ・ド・グラモン。


星屑が降るような金髪は腰まで長く、新緑の海に吸い込まれそうな翠眼、白く細い四肢の張りは十代後半、豊かな表情からは年齢を推察出来ない。


白い光の中で再生されてゆく魂と肉体。


そして、ありし日の記憶。


   ༓༊༅͙̥̇⁺೨*˚·


ハーレルイは生まれ落ちる前からご先祖様の記憶があった。


母の腹の中で外の世界に生まれ落ちるまで記憶を整理する時間があったのは幸いだった。


アレクサンドラから十二代目になるハーレルイには十一人の記憶が、帯が絡まるように混濁していて、結び目を解き繋げ整理するのは生まれてからも続いた。


母、ハーレティアは魔力と知識のほとんどをハーレルイに譲り渡し、自分だけの一つになった記憶にホッとしていた。


父、ルドルフは天職ともいえる優秀な文学者。歴史やオペラ、美術など幅広い見識から作家、評論家としても活動。王家の怖い絵シリーズの展示会は大盛況、舞台化も決定し、特別舞台演出家として参加する。


三歳になったハーレルイは記憶を知識として整理し、公爵の仕事を引き継ぐ準備を始める。しかしこの頃はまだ、お昼寝も必要な年頃。


ハーレルイは午前中、宮廷で書類仕事を片付けた後、公爵邸に戻り投資事業と自領の陳情書に目を通す為、PHV馬車(機械で動く馬車)に乗り、宮廷の門を出るところだった。


ふと、門番が怒鳴り散らす先に、項垂れ咳き込む隣国の騎士章を付けた紳士と、その紳士に手を引かれ門番に怯える男の子が目に入った。


ハーレルイが御者に声をかけ、その先に馬車を止めると、ハーレルイは彼等に近付く。


あの騎士章、隣国の騎士団長職に与えられる物だったはず。であれば彼は最近亡命してきたという第一王族騎士団団長を代々務めるバヴロン侯爵家の騎士団長殿ではないだろうか。


信頼してきた第一王太子に看過できない裏切りにあい、一族まとめて亡命の現在、隣国は防衛の要であった第一騎士団団長、暗闇でも昼間のように動き敵を倒す悪魔のようであることから「白夜の悪魔」の二つ名を持つ、バヴロン侯爵。


バヴロン侯爵家がハーレ公国に亡命することは、隣国を属国に従える絶好の機会になる。その重要人物ともいえるバヴロン侯爵が門番などと揉めている?


「どうなしゃいましたか。」

ハーレルイはバヴロン侯爵に優しく微笑みかけ、門番に冷笑を向けた。三歳の口調はまだ舌ったらずであるが、威圧は一人前である。


「ひいっ。」

バヴロン侯爵にぞんざいな態度だった門番は、若き次期公爵として名を馳せるハーレルイの威圧に尻餅をついた。


美しい艶のある黒髪、黒目のバヴロン侯爵は、幼くとも気品に満ちた三歳児に、胸に手を当て騎士の礼をする。

「どなたか存じませんが、ありがとうございます。拝謁の書簡を見せたのですが通して頂けず途方に暮れておりました。」

チラと、幼いハーレルイの背後に控える侍女と屈強な従者に目をやる。


バヴロン侯爵が手にする書簡を侍女が受け取りハーレルイに渡す。身元引受人のサインがヴェスタープ男爵とある。勉強不足の門番に舐められたか、とハーレルイの眉間が僅かに動く。


ヴェスタープとは要人を一時保護する時に使う名で、その名の保護下にあるというだけで派閥に関係なく、ハーレ一族の保護下であり何人も手出し無用という暗黙のルールが存在するのだが。


「申ち遅れまちたが、わたくちはグラモン公爵家がひとりむしゅめ、ハーレルイ・ド・グラモンにごだいましゅ。」

「げっ」「やべ」

ハーレルイがバヴロン侯爵に礼を向けると、その後ろで門番の無礼なヒソヒソ話が聞こえた。


ハーレルイは門番を無視したままバヴロン侯爵に微笑む。


頭の悪い門番がご迷惑をお掛け致しましたご様子。ここからは私にご案内させてくださいませ。を舌ったらずにバヴロン侯爵へと話しかけると。


バヴロン侯爵の背広の裾を握って後ろに隠れている男の子が、バヴロン侯爵に似た黒髪黒目で、恥ずかしそうにハーレルイを見つめて。バヴロン侯爵が男の子の髪を優しく撫でる。


「助かります。ゴホ。この国に来てから、母国との気温差からかゴホゴホ、喉をやられまして。」


少し枯れた声はとても低く心地良い。人柄も良さそうな口調にハーレルイは改めて、この人物からの信頼は失うわけにはいかないと腹を据えた。


そこからハーレルイは早かった。


自分の乗ってきた馬車をUターンさせバブロン侯爵親子を乗せて宮廷に案内し、医務官を呼んで侯爵を見てもらうと少し熱があるというので、急遽大事をとって医療官邸へ護送、終始侯爵の裾を掴んでいた男の子の手はいつの間にかハーレルイのレースをむぎゅっと握っていた。


白いベッドの横で男の子はうつらうつらしながら、ハーレルイの服を握った手は緩まない。


「グラモン公女様。もし宜しければ、息子のお昼寝を公女様にお願いしても?」

バブロン侯爵は、白いベッドの横で侯爵を見守るように丸椅子に座り、うつらうつらしていたハーレルイに声をかけた。


はっ

睡魔に襲われ視界も記憶も夢見心地なハーレルイ。「お願いしても?」は何とか聞き取れたハーレルイは、にこやかに、「はい、お任せくださいませ。」を舌ったらずに即答。


側に控えていた医務官が、ではそのように手配致しますので今暫くこのままお待ちを。と去って行く。


ん?ん?

医務官と侯爵を見比べるがまた睡魔に襲われ、

こてん

と白いベッドに頭を乗せた。


それをぼんやりと見ていた男の子が、ハーレルイに寄り添うように、こてん、と白いベッドに。ゆっくりと、男の子の手がハーレルイの手を握る。握り返すハーレルイ。


控えていたハーレルイの侍女が二人の肩にストールをかける。


バブロン侯爵は並んで眠る二人を眺めながら目尻を下げた。


「ふ。ルーカス。お姫様を見つけたのかい?」


   ☆


まるで弟のように可愛らしいと思っていたルーカスがハーレルイの中で大切な存在へと変わったのは。


騎士見習い、従者と経て新兵訓練や奉仕活動でその勇敢さを示し、宮廷で働くことになったルーカスの、騎士叙任式前夜。


叙任式当日は、その後騎馬試合に雪崩れ込むことも珍しくはなく、そうするとそのまま饗宴へとズルズル朝まで酔い潰れることになりそうだから、会いにきた。とルーカスが告げる。


ハーレルイは寝室のバルコニーから、眼下の庭園で跪くルーカスを見てギョッとした。


「我が真理をもって貴方に忠誠を誓う。私の心、体、魂は未来永劫ハーレルイとともに。」

「ルーカス。」

「ルイ。命じてくれ。今すぐ貴方の元へ馳せ参じよと。」


ハーレルイはネグリジェにガウンを羽織っているだけだ。


ルーカスは請い願っているようでいてそうではない。それを命じるということは、今すぐハーレルイがルーカスを受け入れるという事に他ならない。


今?!いきなり、そんな。

ハーレルイが可愛い弟の変貌に戸惑っていると、下からルーカスが自分の名を呼ぶ声に、視線を向ける。


「ルイ。愛している。ルイ。ルイ。」


真っ直ぐにハーレルイを見つめる熱い瞳で、ルイのナイトにしてくれ、と泣きそうになっているルーカスがいた。


ぎゅん。ハーレルイの胸が締め付けられた。


目の前で跪く鎧の騎士は出会った頃の小さな男の子ではない。


いつのまにか、こんなにも、男らしく真っ直ぐに、真摯にハーレルイと向き合う、大人の男に。


しかも。このシチュ(シチュエーション)。最高。


「いいわ。ルーカス。私の元へ来て。」

「今行く。」


ルーカスは重い鎧を着た体を立たせ、その場を離れた。


ハーレルイの寝室の扉から堂々と招かれる為に。


ハーレルイは扉の前でウロウロ。真っ赤な頬を両手で覆い、ウロウロ。


こんこんこん

ひゃんっ。ハーレルイはノック音に内心小さく悲鳴をあげた。


ルイ様。ルーカス・バブロン様がいらっしゃいました。お通ししても?

扉の向こうで信頼する侍女の声。


「そ、そうね。貴方はもう下がっていいわ。」


しばしの沈黙。


な、な、何、何なのこの静寂っ。扉の向こうにルーカスがいるのよね。何で入ってこないの。もしかして、帰っちゃった?

気が変わった、とか。


こんこん こん

ひうっ。まさかのノックに後ずさるハーレルイ。


「入るからな。」

ノックならさっき侍女がしたじゃないっ。サッサと入ってきなさいよっ。とは言葉にならない。


「ルイ?」

くっう。この扉の向こうにルーカスがいる。そう思うとハーレルイは声が出なくなった。緊張で声が裏返りそうで怖い恥ずかしい。でも。きっと。それはルーカスも同じ。だってルーカスの声。震えてる。


「入って。」


ガチャ


「ルイ。」

泣きそうなルーカスの声。瞳。


ハーレルイは思わず、少し自分よりも背が高くなったルーカスの首に両腕を絡め、抱き締めた。


「私のナイト。」

くっ。ルーカスがずっと欲しかったその言葉がやっと聞けた、という表情でハーレルイの首筋に顔をうずめる。


ルーカスはハーレルイの腰に手を回して支え、もう片方の手で扉を閉めた。


   ☆


「また見てる。」

「うん。嬉しくて。」


ハーレルイの左薬指には封印の指輪。宝石の中にはルーカスの騎士の誓いが封印されている。


ルーカスが見ているのはその左薬指にはめられた祝福の指輪。


魔女の祝福。真実の愛でしか死ねないハーレルイの真実の愛が封印されている。真実の愛で互いの命を終えた時、その魂は固く結びつき輪廻から抜け出せる。


永遠に二人はひとつに。


しかし無常にも、運命の朝はやってくる。


結婚式当日。


真空崩壊。時間遡行で当日の朝に戻ってきたハーレマリーがハーレ一族に向けて紙飛行機を飛ばす。


ルーカスの腕枕で紙飛行機を受け取るハーレルイ。


寝息の聞こえるすぐそこには、幸せそうに眠るルーカス。


時間はない。泣いている時間さえ惜しい。


ハーレルイは気丈にも涙をこらえ、ルーカスの唇にお別れのキスを落とす。


寝室をそっと抜け出したハーレルイは、早足で歩きながら流れ作業の侍女に着替えさせられマントを翻した。


世界に散らばったハーレ一族はその力を使い果たすまで異次元ポケットに世界を収納し続けた。


何も知らず目覚めたルーカスは結婚式の準備を進め、ハーレルイが現れるのを待ち続け、幸福と絶望の瞬間が訪れる。


蜃気楼のように現れたハーレルイと愛を交わし、その瞬間、二人は確かに夫婦になった。


どうしても。もう一度。最後の一瞬でも。ルーカスに会いたかった。

「ルーカス遅れてごめんなさい。ああ。貴方と離れたくない。誰よりも愛してます。」

「ルイ!愛してる!」


愛しいルーカス。ハーレルイはルーカスを突き飛ばした。真空崩壊で消えるハーレルイからルーカスを離す為に。ルーカスを巻き込まない為に。


私の愛とともに生きて。ルーカスに微笑みながらハーレルイは光の中に消えていった。


   ༓༊༅͙̥̇⁺೨*˚·


異次元ポケットに収納された世界に魔女はいない。


世界から忽然と姿を消した魔女はやがて世界から忘れ去られてゆき、伝説だけが残された。


色鮮やかに蘇ったこの世界。


再生されたハーレルイの魂と肉体。左薬指の封印の指輪は空っぽだ。その宝石に封じられていた筈のルーカスの誓いが消え失せている。


右薬指に戻る祝福の指輪。


どうして。


再生と同時に私はルーカスとひとつになれる筈だったのに。


ルーカスの愛は消えてしまったの。


もういない。この世界のどこにも貴方はいないの。


こんな世界いらない。


ハーレルイは封印の指輪に記憶の全てを封じて、とぷん、と湖に沈んだ。


儚く美しいこの世界、どうか私を殺してください。涙は涙にならず湖に溶けてゆく。


『そんなことをしても死ねないだろう?』


ゆらゆらと揺らめく朝日の反射が湖の底まで照らしている。


朝日に照らされる光の影となって彼は姿を現し、ハーレルイの封印の指輪を外した。


ドンバリンゴゴゴン。衝撃が頭の中を突き抜けてゆく。


古の魔女ハーレ一族最後の生き残り、ハーレクイーンオブハート。


髪に魔力が流れ、キラキラとした流星群が腰まで長い金色の髪に流れる。


瞳に生気が戻り、美しいエメラルドのような輝きに、長い睫毛がパサリと揺れる。


海中を漂う四肢は白くしなやかで、ハリのあるむっちりとした胸、ウエストはキュッとくびれ、指先に真っ赤なマニキュアが塗られている。


ぷっくりとした瑞々しい唇から空気の泡がゴボゴボと溢れ海上に上がっていく。


十代後半の若々しい肢体に色気と生気が宿ると、死から生還したハーレルイはベルダの腰に引き寄せられて、右手指を絡ませるように繋がれていた。


「ベルダ。彼がいないの。どこにもいないの。」

ハーレルイは真っ直ぐにベルダを見る。何か知っているなら隠さず教えて欲しい。


『知ってる。外の時間で言えば何億年も前に亡くなったよ。異次元ポケットの中はとてもゆっくり時間が過ぎるから、数千年かな。』


「ベルダ。彼は。誰か他の人を愛したのかしら。」

ハーレルイはベルダから手を離し、溢れている筈の涙を両手で隠す。


『心の中まではわからない。けれど。死の間際に自分で指輪を外していた。』

ベルダは持っていた封印の指輪を海中に放す。ふわりふわりと漂いながら、指輪がハーレルイのもとへ。


「ベルダ。私は。彼に愛されていたのかな。」

空っぽの、封印の指輪をぎゅっと握りしめて、両手で包む。


『私が何を言ったところで所詮は気休め程度だろう。』


美しい光の波間を見上げながら、ベルダはふと思う。


『ルイはどうなんだ。ルイが彼を愛していたなら、それはそれでいいんじゃないか。それとも。愛さなければよかったと思うか?』

ベルダは視線の先にハーレルイを捉えると、失言だったと目を伏せた。


ハーレルイは、それには答えず、ただ、泣きそうな顔で微笑んでいた。


1/21変身シーンと、ベルダとルイの再会を色っぽく追記。

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