信じているから
6月、期末試験編開始致します。
6月。
「……あら、雨……」
放課後、学園の図書室の窓からふと空を見上げれば、いつの間にかしとしとと雨が降っていて。
「……そろそろ、帰らなければね」
パタリ、と教科書を閉じ、雨がこれ以上強くならないことを祈りながら、教科書やノートを鞄にしまっていると。
「あれ、ミシェル?」
「! ……エルヴィス殿下」
図書室に用があったのだろうか、私を見て驚いたような顔をする彼に向かって口を開く。
「まだ帰っていなかったのね」
「あぁ。 ……ミシェルはこの時間までここで勉強を?」
「えぇ、もうすぐ期末試験だもの。 しっかり勉強しておかないと」
イベントの次は、期末試験。
今回もしっかりと勉強をして良い成績を残さないといけない。
だって、私は……。
「流石だね、ミシェルは。 ……でも」
「!」
彼が不意に、私の頭を撫でる。
その行動に驚けば、彼はアイスブルーの瞳を細めて笑った。
「あまり気を張ってはいけないよ? きっと君のことだろうから、自分のことより僕の“婚約者”だから良い成績を、とかそういうことを気にしているんだろう?」
「っ、ど、どうしてそれを……」
「ふふ、君のことなら何でもお見通しだよ」
彼はそう言って、不意に私の制服に目を向け……、柔らかく微笑んだ。
「……付けてくれたんだね。 そのピンバッジ」
「!」
彼の視線の先、それは、私が以前貰った“婚約者の証”である、彼のイニシャルが入ったピンバッジで。
「……か、勝手に付けてしまったのだけど……、良かった、かしら?」
「勝手に付けるも何も、僕が以前言った言葉を覚えていてくれたんでしょう?」
「!」
それは、婚約者の証を貰った直後に言われた言葉。
―――もし……、君の気持ちが少しでも、僕に向いてくれたら。
その時は……、君が弟の婚約者であった時と同じように、校章の横に僕の婚約者である“証”を付けてくれたら嬉しい。
私は小さく頷けば、彼は少し悪戯っぽく笑って言った。
「そうだよね、これで僕達は、晴れて両思いになれたわけだし」
「!?」
彼の直接的な表現に、思わず私は顔が赤くなるのが分かる。
それを見た彼は、態とらしく笑って口にした。
「あれ? 両思いじゃないんだっけ?」
「……意地悪」
私がそう返せば、彼は少し驚いたように目を見開いて……、ボソッと呟いた。
「あーあ、いつまで我慢出来るかなあ」
「!?」
(そ、それはどういう意味!?って聞きたいけど、ここで突っ込んでしまっては、また彼の思う壺になる気がする……)
「っ、あ、雨が本降りになっては大変だし、私はお先に失礼するわ!」
「っ、逃げられた」
彼のククッと笑う声とその言葉に、私はやっぱりからかわれたんだと再認識しながら、火照った頰を冷ますように、足早にその場を後にするのだった。
(学園長がお話って……、何だろう)
翌朝、登校してくると、レティーから学園長が私をお呼びだと告げられ、私はすぐに学園長室へと向かった。
(でも……、イベントもないこの時期に、何故お呼びがかかったのかしら? 例の薔薇の件は殿下が内密に済ませた、と言ってくれていたけれど……)
私はそう不思議に思いながら、学園長室の扉をノックし、扉を開けると、其処には。
「! エルヴィス殿下?」
「! え、ミシェル!? どうして此処に……、まさか」
彼は何故か、少し青褪めたような表情をした後、学園長を睨みつけるように見る。
(ちょ、ちょ、殿下! 幾ら長い付き合いだと言っても、相手は学園長よ!?)
そんな私の視線と彼に向けられた視線を見て、学園長は息を吐くと、分厚い眼鏡をクイッとあげ、私に扉を閉めて入ってくるよう促す。
それに従い、彼の隣に立てば、学園長は何処か険しい表情で殿下の方を見る。
そして、口を開いた。
「……エルヴィス殿下。 私が如何して、貴方方を呼んだのか……、貴方なら分かるでしょう?」
(! や、やっぱり何かやってしまったかしら)
そう一瞬焦りが過った私を他所に、彼は厳しい表情で静かに口を開いた。
「分かっていますよ。 ですがどうして、彼女を……、わざわざミシェル嬢を呼んだのですか?
彼女には関係のないことだ」
「!」
私は思わずその言葉に彼を見上げた。
(っ、線引き、された……?)
“彼女には関係ない”
その言葉は、彼の口から飛び出ると、何倍にも膨れ上がって深く胸に突き刺さる言葉で。
それに気付いた彼が、ハッとしたように慌てて私を見て言った。
「ご、誤解だよ、ミシェル。
僕はこんなこと、君に知らせる必要はないと言っているだけで」
「そうはいきませんよ、エルヴィス。
……こうして彼女を呼んだのは、貴方が心配だからという私の気持ちからです」
「し、心配……?」
一体、何の話をしているのだろう。
頭の中で疑問符が浮かび続ける私に、学園長は「良いですか」と私と殿下を交互に見て言った。
「今度、期末試験がありますね」
「は、はい……。 ?」
(? 何故其処で期末試験の話が……?)
「その試験まで……、ミシェルさんにとって迷惑な話かもしれませんが、エルヴィス殿下と一緒に勉強をして頂けないかしら?」
「!?」
「は!? 学園長!?」
その言葉に、エルヴィス殿下は素で驚いたようで、慌てて口を開いた。
「だ、だから大丈夫だと言っているだろう!
今回は真面目にやると」
「こ、今回?」
私が思わずその言葉に突っ込めば、学園長は深くため息を吐いて言った。
「ミシェルさん。 この通り……、エルヴィス殿下は今迄、試験をまともに受けた試しがないのです」
「!? で、殿下!? それは本当なの!?」
思わず私が彼に詰め寄れば、彼は明後日の方を向いてしまう。
「……その結果、彼は……、今回、他の誰よりも良い成績を収めなければ……、卒業出来ない。 最悪の場合、落第するとの先生方の見解が出たのです」
「!?!? え、エルヴィス殿下!!」
「……その話をなにも、彼女に言わなくて良いだろう……」
そう言って蹲ってしまう彼に対し、私は少し迷ってから口を開く。
「あの、その……、今回の試験の結果が良ければ、彼はきちんと卒業出来るんですよね……?」
「えぇ、今回さえ頑張ってくれれば……、何とかなるでしょう」
「……分かりました。 それなら、私が彼と一緒に勉強します」
私はそう言うと、彼に手を差し伸べる。
「殿下、いつまでも蹲っててはいけませんよ」
「……」
そう言った私の言葉に彼は何も言わず、私の手を取って立ち上がる。
それを見ていた学園長は、ゆっくりと口を開いた。
「では、宜しくお願い致しますね」
その言葉に私は頷いたのだった。
そして、学園長室から出て教室へ向かっている途中、何処か暗い表情の彼を見て、私の心の中ではずっと引っかかっていることがあった。 ……それは。
(……以前……、“手を抜いていた”と言っていた)
それが何を意味しているのか、未だに分からないけれど……、やはり彼には、何か抱えているものがあるのではないか、と。
(だって……、今迄の彼を見てきたら分かる)
エルヴィス殿下は頭の回転も運動神経も、全てにおいて万能であると。
(だから今迄の試験だって、彼には何か考えがあって、手を抜いているのだとしたら……)
「……ミシェル」
「!」
不意に彼に名を呼ばれ顔を上げれば……、困ったような、何処か泣き出してしまいそうな、見ていて痛々しい笑みを浮かべて彼が口を開いた。
「格好悪いところを、見せたよね。
ずっと……、言わなくては、と思っていたんだけど……」
(……手が、震えてる)
そう言っている間、殿下の握った拳が、小さく震えているのが分かって。
「っ、僕は……、!」
私は思わず、その手を両手で握った。
そして、首を横に振ってゆっくりと言葉を紡いだ。
「無理しないで。 貴方が……、言いたくないことは、無理して言わなくて良いから」
「! ミシェル……」
本音を言ってしまえば、彼が何を思い、何を抱えているのか、知りたいと言う気持ちはある。 そうすれば、彼がたまに見せる悲しげな表情をしている理由が分かるだろうし、それを一緒に抱えてあげられることが出来ると思うから。
……だけど。
「……いつか、殿下が……、言いたくなったら。 私にも、伝えられると思ったら……、その時、ちゃんと話を聞かせて。
私は、それで逃げたり、貴方を嫌ったりなんて絶対にしないから」
「っ、ミシェル……」
彼の握っていた拳が解かれたと思ったら、今度はギュッと、私の手を包み込むように手を握られて。
そして彼の額が、私の額と重なった。
(! ……泣いている……?)
近くなった距離によって、目の前にあるアイスブルーの瞳に、ほんの少し涙が溜まっていることに気付いて。
私はそんな彼の姿を見ないようにと、目を瞑って、静かに彼だけに聞こえるような声で告げた。
「エルヴィス、私はいつだって、貴方の味方だわ。
……信じて、いるから」
(だから、負けないで)
私はそう思いを込めるように、彼に握られた手をそっと握り返したのだった。




