心から
静かな図書室の中で、ペンを走らせる音だけがこだまする。
昨日の雨模様とは打って変わり、暖かな日差しが降り注ぎ、風が柔らかく頰を撫でる。
チラリ、と向かいに座る彼を見れば、真剣な表情でスラスラと問題を解いていた。
(……心配なさそうね)
私は彼を邪魔しないよう、気付かれないように自然と笑みをこぼしてから、自分の教科書と向き合い、問題を解き進める。
早速昨日の放課後から、二人で図書室での勉強を始めた。
一緒に勉強していて改めて感じたことは、彼は勉強が出来ないわけではなく、むしろずっとペンを走らせているほど難なく問題を解けるということ。
分からないところがあったら聞いてくるかな、とあれこれ考えていた私の心配は無用だったようで、彼は黙々と手を動かし続けていた。
(……あまりにも集中力がありすぎるから、逆に心配になるけれど)
私はふと思い立ち、彼に悪いかな、一度声をかけて何も返答がなかったらやめよう、そう思って彼の名を呼んだ。
「エルヴィス殿下」
「? どうしたの?」
私の呼びかけに対しすぐに顔を上げた彼に少し驚きつつ、私はおずおずと口を開いた。
「じゃ、邪魔をしてしまってごめんなさい。
その……、もし良ければ、お菓子を一緒に食べないかと思って……」
「! 持ってきてくれたの?」
「え、えぇ」
私が想像していたよりも良い食いつきに、驚きつつ鞄の中から2つ、クッキーの入った袋を取り出した。
そして彼にその内の一袋を手渡しながら口にする。
「あの……、一応、手作りなの。
お口に合えば、良いのだけど……」
「! 君の手作りなのか!?
……あ、すまない。 嬉しくてつい……」
「っ」
此処が図書室だと一瞬忘れたのだろう、彼は大きな声を出してしまったことを謝りながらそう言うものだから、私は恥ずかしくなって早く食べるよう促した。
「だ、大丈夫よ。 幸い、今司書さんは居ないようだし……、た、食べましょう」
「……わざわざ、僕の為に作ってくれたの?」
「! あ、えっと、その……、普段から勉強する時は、糖分を摂るようにしているの。 それで、いつもは取り寄せたもの、とかなんだけれど……、きょ、今日から貴方と一緒に勉強するから、その……、い、息抜きに作ってみようかな、とか……、喜ぶかな、と思って……」
小さく、最後は消えそうな声で呟くように言ったつもりだった。
だけど、彼にはしっかりと耳に届いていたらしく。
「……ふふっ、嬉しい。 有難う、ミシェル」
「! 〜〜〜」
そして彼は、袋を縛っていたリボンを丁寧に解き、一つ取り出すと、そっと形の良い唇に運び入れ……。
「! 美味しい! ミシェル!!」
「ほ、本当?」
「本当だって! ほら」
「っ!?」
気が付けば、彼がいつの間にか、袋からもう一つクッキーを取り出して、私の口の中に入れた。
それに気付いた瞬間、口の中いっぱいに甘さが広がると同時に、心がじんわりと温かくなって……、恥ずかしさより私は、嬉しさでいっぱいになった。
「良かった。 喜んでくれて」
「っ! ……ミシェル」
彼は少し驚いたように固まっていたけど……、やがてふっと笑って口を開いた。
「本当、ミシェルは……、僕を喜ばせる天才だね」
「え……」
そういった彼の表情は、下を向いているから見えなくて。
彼はその後すぐ私に向き直ると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……本音を言うとね。 本当は、少し怖いんだ」
「え……?」
「……今迄、こんなに……、ミシェルが婚約破棄されるまで、一度だって本気になったことがなかったから。
何に対しても……」
「……」
私は、それに対して何も言えなかった。 それは、そう言った彼の瞳が……、アイスブルーの瞳が、まるで、何も映していないような……、そんな燻んだ色を帯びているように見えたから。
「……僕は……、唯一、君だけが光だったと言っただろう?
それは本当なんだよ。
もし君が居なかったら、僕は……、例え卒業出来なくても、試験を受けなくて良いと思ってしまう程、適当な人間なんだよ」
「……そんなこと、言わないで」
「え?」
私は思わず、彼の言葉を遮っていた。
「貴方が……、本当は、そんな方ではないことくらい、私は、知っているわ」
「! ミシェル……」
気が付けば、涙で視界がぼやけていて。
(彼に呆れた、からとかじゃない。 この涙は……、彼が、あまりにも……、辛そうな顔をするから……)
「……ミシェル、ごめん。 泣かないで。
君を泣かせたかったわけじゃないんだ。
……って、そんなことを言っても説得力はないんだけど」
「……っ」
彼の手が私の頭に乗る。
その行動により一層、涙が溢れてしまう私に、彼は只管謝りながら言葉を紡いだ。
「ごめん、僕も……、混乱しているんだ。
君が、あまりにも……、優しいものだから。
僕の心に……、気が付けば、君が自然と入ってくるから。 僕はそんな君に……、甘えてしまうばかりで」
「っ、そんなの! 私は……っ、もっと、甘えて欲しいくらいで……っ」
気が付けば、彼が立ち上がって、私の隣に来ていた。
そしてきつく、昨日のように私を抱き締めて……。
「……ミシェル」
「っ」
彼はただ、私の名前を呼んでギュッときつく抱き締めた。
そして少しした後、私の体をそっと離し、私の瞳を真っ直ぐと見つめて言った。
「ミシェル、僕はもう諦めない。
この試験で、それを証明してみせる。
だから……、それが終わったら、僕の話を、聞いてくれるかな?」
「!」
彼の瞳は、少し不安に揺れていた。
そんな彼の瞳からそらさず、私は大きく頷いて口を開いた。
「えぇ、勿論。 私に……、貴方の話を、聞かせて」
「! ……ははっ、本当君には敵わないな」
彼はそう言って、綺麗な笑みを浮かべた。
(やっと、見られた)
貴方の、心からの笑顔が。
(その笑顔を見ているだけで、私の心は満たされる)
不思議ね。 笑顔ひとつでこんなにも、幸せな気持ちになれるなんて。
(知らなかったわ)
貴方と出会って、温かな心を知った。
貴方の温かな言葉を、表情を見られれば、私は他には何もいらないと。
そう思ってしまうくらい貴方のことを、心から想っているから。
だからずっと、その笑顔を……、私の大好きな笑顔を、絶やさないように。
例え世界が敵に回ろうと、私は彼の味方であり続ける。
そう改めて心に誓った、爽やかな風が吹く6月のある日。
試験まで、残り一週間……―――




