N7:“生温かい”
[まもなく…]
静かな車内 ――ガタンゴトン ギギギィィ…
カーブで擦れる耳に鳴り響くあの音。
私にとって…
【い つ も の 光 景 だ っ た】
[まもなく2番線に…]
人でごった返した駅のホーム ――俺は…
ドサッ!
「いったあ!!……っえ!?………あ…」
辺りは騒然。
ファアアアアーーーーーー!!!
キャアアーー!!
響き渡るブレーキ音。
俺にとって…
【最 悪 な 1 日 の 始 ま り だ っ た】
▼
電車はホームの手前で時速40キロで接近。汽笛が鳴り響き、車内は激しく揺れた。
非常ブレーキの金切り音が鼓膜を激しく刺激した。
その反動は、多くの乗客を雪崩のように転倒させる。
声を掛け合いながら立ち上がる乗客。
そこへ――
『ただいま、人身事故が発生したため……』
車掌の声は ――震えていた。
私が乗ってるこの電車が…人を……。
血の気が引き、具合が悪くなった。力なく床に座る。
「遅刻だ…」
私は小さく呟いた。
俯いていた私は周囲がガヤガヤと騒がしい事に気付いた。顔を上げて車内を見渡した。乗客はスマホを片手に通話をしている。
私も会社に電話しないと…。
握りしめるスマホ。私は深呼吸し、勇気を振り絞って通話ボタンをタップした。
▼
「そこのあんた!ちょっと!」
「……ん……?」
身体を揺すられ、ゆっくりと目を開けた。
「……え? 誰……?」
ぼんやりとした頭で、声の主を確かめようとする。
「……俺、どうしたんだ……?」
「………おはよう」
「……お、おはようございます……?」
反射的に挨拶を返したものの、頭が追いつかない。
……おはよう? いや、待て。俺、電車に乗ろうとして。
「すみません。俺、さっきまで駅にいたはずなんですけど……」
身体を起こそうとしながら、相手を見上げた。
「……ここ、どこですか?」
「うふふ、さて…どこかしらぁ♡」
「……いや、さてって……」
思わず聞き返した。
「そこ、クイズにするところじゃないですよね!?」
俺は周囲を見回した。
何なんだ、この人……。というか、俺、どうなったんだ?
「……あの、もしかして何かのイベント会場ですか?」
目の前の女性に視線を戻す。
「それとも……俺、まだ夢でも見てるんでしょうか?」
「あらまぁ!」
彼は驚いたように、でも、どこか嬉しそうに微笑む。
「……え? 何ですか、その反応」
嬉しそうに微笑む女性を見て、思わず身構えた。
俺、そんなに変なこと言ったか……?
「……あの、俺の顔に何かついてます?」
頬を手で擦りながら、困惑した表情を浮かべた。
「あたしに、逃げない男は久々よん♡」
「……逃げる?」
俺は女性の顔をまじまじと見た。
「いや、逃げるも何も……まだ状況が分かってないんですけど」
……久々ってことは、今まで逃げた人がいるのか?
一歩後ずさりかけて、足を止めた。
「……ちなみに、皆さん何で逃げるんですか?」
聞いてから、少し後悔した。
……これ、聞かないほうがよかったやつか?
「あら、もしかして…」
彼は瞬きしながら顔を近づけてくる。
「あたしってキレイ?♡ もしかして!あ・な・た、そっち系?」
「ち、近い近い近いっ!!」
思わず上半身を後ろへ反らした。
「き、綺麗かどうかって……ええ!? そっち系!?」
何の話だ!? 俺、道を聞いただけだよな!?
「いや、あの! そういう話じゃなくてですね!」
慌てて両手を振る。
「俺はただ、ここがどこなのか知りたいだけなんです!!」
……なんで初対面の人に、こんな必死で弁解してるんだ、俺。
「カ・ワ・イ・イィィ♡」
彼は徐ろに、とあるポケットから数字が書かれたカードを俺に渡してきた。
「あげる♡」
「……え?」
差し出されたカードを反射的に受け取った。
「……ありがとうございます?」
いや、何でお礼言ったんだ、俺。
カードに並んだ数字を眺める。
「……数字? これって……」
何度か見直してから、女性に視線を戻した。
「……ビンゴカード、ですか?」
……待て。何でビンゴ?
「すみません。これ、何に使うんですか?」
「それは…お・た・の・し・み♡」
彼は俺を優しく抱き寄せてきた。
すごく体格がいい。まるで、プロレスラーのようなゴリゴリの男だった。
「……ん?」
抱き寄せられた瞬間、俺の顔が分厚い胸板に埋まった。
……硬っ!?
「むぐっ!? ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てて顔を上げる。
で、でかい……! しかも腕、俺の太ももくらいないか!?
「す、すみません! 苦しいです! あの、離していただけると……!」
両手で相手の胸板を押してみる。
……びくともしねえ!!
「……あの、もしかしてプロレスとか、やってらっしゃいます……?」
「やだ!失礼ね!筋トレが好きなだけよぉ」
「き、筋トレですか! なるほど……!」
筋トレだけでここまでなるのか!?
「す、すごいですね……。相当鍛えてらっしゃるんですね」
胸板を押していた手をそっと引っ込める。
「……あの、筋トレのお話は分かりましたので、そろそろ離していただけませんか?」
このままだと、ビンゴする前に背骨が折れる!!
「そうね…ごめんなさいね」
そっと離してくれた。
「勇気づけたかっただけなのよ…。辛かったわね……。来世はきっと素敵な人生になるといいわね……」
そう言い残し彼は離れて行った。
「……あ、はい。ありがとうございます……」
去っていく大きな背中を見送った。
……勇気づける? 辛かった?
「……ん?」
手元のビンゴカードに視線を落とす。
……来世?
もう一度、顔を上げた。
「…………来世?」
数秒、頭の中で言葉を反芻する。
「……えっ!? ちょっと待ってください!!」
慌てて彼の背中に向かって声を張り上げた。
「来世って何ですか!? 俺、死んだんですか!?」
……いやいやいや! そんな大事なこと、帰り際にさらっと言う!?
「死んだからここにいるんでしょ…」
背後から冷たく言い放たれた。
「…………え?」
背後からの声に、ゆっくり振り返った。
「……死んだ?」
俺が……?
手元のビンゴカードを握りしめる。
「いや……だって、俺……さっきまで駅に……」
言いかけて、口を閉じた。
……そうだ。電車に乗ろうとして。
「…………」
記憶をたどろうとするが、その先が思い出せない。
「……あの、すみません」
声が少し震えた。
「俺……どうやって死んだんですか?」
「僕に聞かれてもわかるわけ無いだろ!!」
女子高生は、不愉快そうに声を張り上げた。
「ひっ! す、すみません!!」
反射的に頭を下げた。
……今度は女子高生!? しかも一人称が僕!?
「いや、そうですよね……。知らないですよね……」
気まずそうに頭をかく。
「……でも、死んだからここにいるってことは、あなたも……?」
そこまで言って、慌てて口を押さえた。
……まずい。これ、聞いていいことなのか!?
「うるさいな!!どうでもいいだろぉ!!」
「……ご、ごめん」
今にも泣き出しそうな彼女を見て、言葉に詰まった。
……そうだよな。俺だって混乱してるんだ。聞かれたくないことくらい、あるよな。
「……変なこと聞いて悪かった」
握っていたビンゴカードを少し緩める。
「もう聞かないから。……ごめんな」
俺はそれ以上何も言わず、そっと距離を取った。
……しかし、ここは一体何なんだ?
「あなたも…そのカード貰ったの?どこでやるのか知ってます?」
彼女は小首を傾げた。
「……え? ああ、これ?」
手元のビンゴカードを持ち上げた。
「さっき、すごく体格のいい人から貰ったんだけど……」
カードを裏返してみる。
「……場所までは聞いてないんだよな」
そういえば、お楽しみとか言ってたっけ。
「君も持ってるの?」
少し安心したように笑った。
「よかった。俺だけ変なカード渡されたのかと思ってた。……一緒に会場、探してみる?」
「いいんですかっ!!僕っビンゴ大好きなんです!!だってあのワクワク感、堪らないじゃないですか!!」
彼女は興奮気味に俺に近寄ってきた。
「うわっ!? び、びっくりした!」
勢いよく近づいてきた彼女に、思わず肩を跳ねさせた。
……さっきまで泣きそうだったのに!?
「そ、そうなんだ。ビンゴ好きなんだね……」
彼女のあまりの変わりように、思わず苦笑する。
「まあ、確かに数字が揃いそうになるとドキドキするけど……」
手元のカードを見つめた。
……死んだって聞かされた直後にビンゴ大会って、どういう状況なんだよ……。
「……とりあえず、会場を探そうか」
……なんか俺よりずっと楽しそうだな、この子。
「えへへっ、びっくりさせてごめんなさい。早く行きましょ!」
「あ、うん! 行こう!」
彼女の勢いにつられて、思わず笑ってしまった。
……さっき怒鳴られたときはどうなるかと思ったけど、結構いい子なのかもな。
「あ、そうだ。俺、岡本っていうんだ。よろしく」
ビンゴカードを片手に、彼女の隣へ並ぶ。
「……それにしても、死んだあとにビンゴすることになるなんて、想像もしなかったな……」
……しかも、会場がどこかも分かってないんだけど。
「……君、どっちに行けばいいか分かる?」
「さっきのオカマに聞けば良かった…」
がっくりと肩を落とす彼女は、ゆっくりと俺の顔を見上げた。
「てかさ!ヒドくない?このカード股間から出してきたんだよ!下品だよねっ!」
「……えっ?」
思わず彼女の持っているカードを見た。
「こ、股間から!?」
……待て。俺のカード、どこから出したっけ!?
慌てて自分のカードを指先でつまみ直す。
「いや、俺のときはポケットから……って、まさか!?」
カードと彼女の顔を交互に見た。
「……それ、ズボンのポケットじゃなくて?」
……頼む。そうだと言ってくれ!
「…言わなきゃよかったね」
彼女に真顔で言われた。
「まあいいや、行こ!」
「うわっ! ちょ、ちょっと!」
突然手を引かれ、慌てて足を踏み出した。
「分かった! 行く! 行くから!」
……言わなきゃよかったって、どういう意味だよ!?
手元のビンゴカードが急に気になり始めた。
……いや、考えるな。考えたら負けだ。
「……なあ、ひとつだけ聞いていい?」
彼女に引っ張られながら、恐る恐る口を開く。
「……このカード、交換してもらえたりしないかな……」
「無理でしょ…あのオカマしかいなかったもん」
「……そっか。無理かぁ……」
がっくり肩を落とす。
……よりによって、死後最初の記念品がこれかよ。
「……まあ、数字が読めれば問題ないよな。うん」
自分に言い聞かせるように頷いた。
「……でもさ、あの人しかいなかったってことは、君もあの人に抱きつかれたりした?」
……あの胸板、まだ感触が残ってるんだけど。
「…えっ」
彼女に引いた目で見られた。
「抱きつかれたの?可哀想…」
「……えっ」
彼女の視線に、思わず固まった。
「いや、そんな目で見ないで!? 俺だって好きで抱きつかれたわけじゃないから!」
……可哀想って言われると、余計に惨めなんだけど!?
「しかも、すっごい力だったんだぞ!? 押してもびくともしないし!」
そこまで言って、ふと我に返る。
「……って、何で俺、必死に説明してるんだ……」
小さくため息をついた。
「……もう、この話やめよう。頼むから……」
「それこっちのセリフ。ねぇ!早く行こうよ〜!」
彼女は兎のように跳ね、ワクワクした表情で俺を見つめてくる。
「はいはい! 分かったって!」
ぴょんぴょん跳ねる彼女を見て、思わず笑った。
……元気だなぁ。さっきまで泣きそうだったのが嘘みたいだ
「そんなにビンゴが楽しみなのか?」
俺も歩き出し、彼女の隣に並ぶ。
「……そういえば、まだ名前聞いてなかったな」
「君、何て名前?」
「名前よりもっ!ビンゴ!ビンゴ!ビンゴォォ〜!」
「わ、分かった! ビンゴな! ビンゴ!」
彼女の勢いに圧倒され、思わず両手を上げた。
……名前よりビンゴって、どんだけ好きなんだよ!?
「でも、まだ会場も見つかってないんだぞ?」
楽しそうな彼女につられて、俺も少し笑ってしまう。
「……よし! じゃあ、まずは会場探しだな!」
……俺、死んだばっかりなんだよな?
「……なんか、文化祭に来た気分になってきた……」
「も〜!おじさん置いてくもん!!」
そう言い走り出した。彼女は俺へ ―― 手招きをしながら。
「お、おじさん!?」
思わず自分を指さした。
「ちょっと待て! 俺、まだ26歳だぞ!?」
……おじさんって呼ばれる歳なのか!? 俺!?
「あっ! こら! 走るなって!」
慌てて彼女の後を追いかける。
「分かったから! 置いてくなよ!」
……死んだ直後に女子高生と追いかけっこって、何なんだよ、この状況!!
「待ってくれってばぁぁ!!」
「ああ!ミッケ? おじさん!はーやーく〜!!」
「だから、おじさんじゃないって!!」
息を弾ませながら、彼女の後を追う。
「……ん? あれか?」
彼女の視線を追うと、前方に人だかりが見えた。
……結構いるな。みんなビンゴカード持ってるのか?
少し足を速め、彼女に追いつく。
「おお、よく見つけたな!」
手元のカードを握り直した。
「……でも、あれが本当にビンゴ会場なのか?」
……頼むから、今度こそ普通の人がいてくれよ。
「あ〜ら!ご新規様?」
「いらっしゃ〜い♡」
「はーい、カード受け付けは、こちらでーす♡」
三人のオカマ集団に迎えられた。
「げっ…。カード…はい」
彼女はまるで汚いものを持つかのようにビンゴカードを指先でつまんだ。
「潔癖症?まあいいわ、入場スタンプ押すわね♡」
「……えっ」
受付に並ぶ三人を見て、思わず足が止まった。
……増えてる!? あの人みたいなのが三人も!?
隣の彼女がカードを指先でつまんでいるのを見て、さっきの会話を思い出す。
……そうだ。俺のカードも……。
慌ててカードの端をつまみ直した。
「……あ、あの! 俺も受付お願いします!」
恐る恐るカードを差し出す。
「……ちなみに、入場スタンプって、どこに押すんですか?」
……頼む。普通にカードであってくれ!
「あら、どこがいい?オデコ?♡」
そう言いながら、彼はビンゴカードの裏面にスタンプを押した。
「お、オデコ!?」
反射的に額を押さえた。
「いやいや! カードでお願いします!」
……って、もう押してるじゃないか。
……絶対からかわれてるよな、俺。
スタンプの押された裏面を確認する。
「……あ、ありがとうございます」
カードを受け取り、そっと息を吐いた。
……よかった。普通のスタンプだった。
隣の彼女に小声で話しかける。
「……なあ。ここの受付、全員こんな感じなのか……?」
「僕に聞かないでくれる? 逆に僕が聞きたいんだけど!?」
彼女に呆れられた。
「……ごもっともです。すみません」
……また怒られた
気まずそうに頭をかく。
「いや、だってさ……あまりにも強烈だから……」
三人の受付係をちらっと見て、慌てて視線を戻した。
……聞こえたら絶対面倒なことになる!
「……ま、まあ! 無事に受付も済んだし!」
ビンゴカードを持ち直す。
「……で、俺たち、次はどこに行けばいいんだ?」
「あれ!あれじゃないの? ねぇ、行こ?」
「ああ、そうだな! 行ってみよう!」
彼女の指さす方向に目を向ける。
……人が集まってるってことは、やっぱりあそこが会場か。
「それにしても、すごい人数だな……」
ビンゴカードを落とさないように持ち直し、彼女の隣を歩く。
「……なあ、これって景品とかあるのかな?」
……いや、死後の世界のビンゴ大会って、何が当たるんだ?
「……まさか、現金とかじゃないよな?」




