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不遇幼女に転生した私、悪役令嬢に拾われて何故か溺愛されてます 〜貴族生活楽しい!〜【1万PV感謝!】  作者: ペンギンの搾り汁
最終章 《憂鬱な決戦編》

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最終話



 王城でのあの夜から、季節が一つ巡った。


 長く、そして酷薄なほど冷たかった王都の冬が終わり、石畳の隙間から名もなき若草が顔を出し始める頃。

 灰色の空にもようやく薄紅色の春霞が混じり、私たちの隠れ家を覆っていた蔦にも、柔らかな緑の蕾がつき始めていた。


 古い洋館の朝は、静かに、そして緩やかに訪れる。

 かつて私たちを縛り付けていた、定時を知らせる王宮の甲高い鐘の音はここには届かない。代わりに私たちを目覚めさせるのは、窓の隙間から差し込む陽光と、遠くの街路樹で鳴く小鳥のさえずりだけだ。


「……ん」


 目を覚ますと、隣には銀色の髪が散らばっていた。

 アイリスは、私の腕の中にすっぽりと収まるようにして、規則正しい寝息を立てている。その顔は、以前の「休止状態スリープ・モード」のような無機質なものではない。時折、何か楽しい夢でも見ているのか、口元が微かに綻び、長い睫毛が震える。


 私は彼女を起こさないよう、その柔らかな頬にそっと指先で触れた。

 温かい。

 脈打つ血の巡り、柔らかな皮膚の感触。彼女がただの精巧な人形ではなく、一人の「女の子」としてここに生きているという確かな証明。


「……おはようございます、先輩」


 不意に、群青色の瞳がゆっくりと開かれた。

 寝起きの霞んだ視線が私を捉え、そして、ふにゃりと愛らしい笑顔を作る。王宮時代には絶対にあり得なかった、完全に油断しきった無防備な顔。


「起こしちゃった?」

「いえ……先輩の体温が離れそうになったので、アラートが鳴りました。……なんて」


 彼女は冗談めかして笑い、さらに私の懐へと身を寄せてくる。

 あの決闘の夜、私たちは王宮と決別した。

 フレデリック殿下はその後、何も言ってこない。いや、言えなかったのだろう。大勢の貴族の前で完璧な後継機が論理崩壊を起こし、彼自身の権威も地に落ちたのだから。

 セシリア様は「あとは若い二人でごゆっくり。私は教国で適当にサボってくるわ」とだけ言い残し、あの派手な馬車でいずこかへと旅立ってしまった。この埃っぽい、けれど居心地の良い隠れ家だけを私たちへの退職金代わりに残して。


 私たちはベッドから這い出し、不揃いなマグカップにコーヒーを淹れる。

 アイリスが豆を挽き、私が湯を沸かす。完璧に計算された温度でも、分量でもない。日によって少し苦かったり、薄かったりする。でも、その「エラー」すらも、今の私たちには愛おしいスパイスだった。


「……先輩」


 窓辺の古いソファに二人で並んで座り、湯気の立つコーヒーを飲んでいると、アイリスがぽつりと呟いた。


「この生活にも、随分と慣れました。

 朝起きて、ご飯を作って、掃除をして……たまに失敗して、お皿を割ってしまったり。

 非効率で、無駄が多くて……でも、どうしてこんなに、心が満たされるのでしょう」


 彼女は、マグカップを持つ自分の左腕に視線を落とした。

 そこには、あの夜、氷の彫刻から子供を庇った時にできた、一筋の薄い傷跡が残っていた。

 王宮の医療魔法を使えば跡形もなく消すこともできたはずだが、アイリスは「これは私が人間であるための勲章ですから」と言って、自然に治るのを待ったのだ。


 私はマグカップをテーブルに置き、彼女の左腕をそっと手に取った。

 その白い肌に残る、かすかな盛り上がり。私はそこに、静かに唇を落とした。


「っ……」


 アイリスの肩が小さく跳ねる。


「痛む?」

「いいえ……痛くは、ありません。ただ……先輩が触れると、胸の奥がぎゅっとして、うまく呼吸ができなくなります」


 アイリスは少し困ったように眉を下げながらも、私の手から逃げようとはしなかった。


「傷跡は、生きてきた証だよ。

 アイリスが誰かのために泣いて、怒って、血を流して……そして今、私の隣にいてくれるっていう、何よりの証明だ」


「……はい」


 アイリスは目を閉じ、私の肩にこつんと頭を乗せた。


「不思議ですね。王宮にいた頃は、自分が少しでも汚れたり、傷ついたりすることが恐ろしかった。完璧でなければ、存在価値がないと信じていたから。

 でも今は……この傷跡を見るたびに、ホッとするんです。ああ、私はもう機械じゃないんだって。先輩と同じ、不完全で、脆くて、温かい生き物なんだって」


 春の柔らかな日差しが、彼女の銀糸のような髪をキラキラと照らしている。

 私たちは、ただ何をするでもなく、肩を寄せ合い、同じ毛布に包まりながら、窓の外の景色を眺めていた。

 かつては息が詰まるほど窮屈に見えた灰色の王都の街並みも、ここから見下ろせば、ただのちっぽけな箱庭に過ぎない。

 そこには無数の人々がいて、それぞれの不完全な生活を営んでいる。私たちも、その中の一つに過ぎない。それがたまらなく嬉しかった。


「ねえ、アイリス」

「はい」

「今日は、お昼を食べたら少し遠くまで散歩に行こうか。広場の近くに、美味しいパン屋さんができたって噂を聞いたんだ。少し焦げたクロワッサンが絶品らしいよ」

「焦げたクロワッサン……ふふっ、王宮のシェフが聞いたら気絶しそうですね。でも、とても美味しそうです。一緒に行きましょう、先輩」


 アイリスは顔を上げ、私に向かって、これ以上ないほど美しく、そして人間らしい笑顔を見せた。

 ガラス玉のようだった瞳には、今や海よりも深く、空よりも澄んだ感情の光が満ち溢れている。


 私たちは、これからも生きていく。

 たくさん失敗して、たくさん傷ついて、その度に手を取り合って笑い合うだろう。

 永遠に完了することのない、この愛おしく不完全な日常を、二人で紡いでいくのだ。


 私は彼女の頬に手を添え、静かに、誓いを立てるように深く口づけた。

 コーヒーのほろ苦い香りと、彼女の甘い体温が混ざり合う。

 窓の外では、春を告げる柔らかな風が、新しい季節の始まりを祝福するように、静かに、優しく吹き抜けていった。

皆様、全四十七話に渡るアイリスと主人公の物語を最後まで見届けていただき、本当にありがとうございました。


豪快に道を切り開いてくれたセシリア様、最後まで揺るぎない体温と愛情を注ぎ続けた主人公、そして何より「欠陥品ポンコツ」であることを心から誇りに思えるようになったアイリス。

彼らがこれから紡いでいく、埃っぽくて温かい日常が、皆様の心の中に少しでも優しい余韻として残ってくれれば幸いです。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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