第四十五話
建国記念舞踏会の夜。
王城は、何千もの蝋燭と魔法石の光で、真昼のように照らし出されていた。
私たちを乗せた馬車が正門を抜けても、警備の騎士たちは誰一人として槍を交差させなかった。
それもそのはずだ。先頭を歩くセシリア様が、教国の最高権威である「聖女の証」をこれ見よがしに掲げているのだから。指名手配犯だろうが何だろうが、表立って捕縛できるわけがない。
「……手が、冷たいですね」
馬車を降りる直前、アイリスが私の手をぎゅっと握った。
彼女が着ているのは、あの窮屈な侍女の制服ではない。
セシリア様が特注した、夜空のように深い群青色のドレスだ。背中が大きく開き、彼女の滑らかな白い肌を惜しげもなく晒している。もはや「誰かの所有物」であることを示す意匠は、どこにもない。
「緊張してる?」
「少しだけ。
でも……先輩の心音を聞いていたら、落ち着きました」
彼女はふわりと笑った。
その笑顔は、どんな高級な化粧よりも彼女を美しく見せていた。
「さあ、行くわよ。
最高に悪趣味なパーティーの始まりね」
セシリア様を先頭に、私とアイリスは王城の大階段を登り、大広間の扉の前へと立った。
ギィィィ……ッ!
重厚な扉が開かれた瞬間、広間を包んでいた優雅なワルツの調べがピタリと止んだ。
数百人の貴族たちの視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
「……聖女セシリア様だ」
「後ろにいるのは、例の狂った侍女……?」
「なんて格好だ。あんな破廉恥なドレスで……」
ざわめきが波のように広がる。
その波をモーセのように割って、一人の男が進み出てきた。
銀糸のような金髪に、氷のように冷たい碧眼。
フレデリック王太子殿下だ。
そして彼の隣には、一人の少女が寄り添っていた。
「……! あれは……」
息を呑むアイリスの声。
無理もない。その少女の顔立ちは、アイリスと瓜二つだったのだから。
ただ、纏っている空気が全く違う。
少女の瞳には、一切の光がない。まるで精巧に作られたガラス玉だ。姿勢は一ミリの狂いもなく、瞬きの回数さえ計算されているのが分かる。
「お帰り、セシリア。
随分と長い家出だったね」
フレデリック殿下が、完璧な笑みを浮かべて口を開いた。
「そして……わざわざ『粗大ゴミ』を届けに来てくれたのか?
回収の手間が省けて助かるよ」
殿下の視線が、アイリスを射抜いた。
以前のアイリスなら、この一瞥だけで膝を折り、謝罪の言葉を口にしていただろう。
けれど今の彼女は、私の手を握ったまま、まっすぐに殿下を見つめ返した。
「……紹介しよう。
次世代型・完全自律人形、開発コード『イヴ』だ」
殿下が指を鳴らすと、イヴと呼ばれた少女が一歩前へ出た。
「お初にお目にかかります。
私はイヴ。あらゆる感情的ノイズを排除し、殿下の命令を0・1秒の遅滞なく実行する、真の完璧な存在です」
その声は、かつてのアイリスが使っていた「機械語」よりも、さらに無機質で冷たかった。
「旧型のデータは全て学習済みです。
彼女が起こした『エラー』の原因も分析しました。不要な感情、自己主張、無駄な疲労……。私には、それらが一切ありません」
イヴは、無表情のままアイリスを見据えた。
「あなたはもう、不要です。
ただちに機能停止し、解体処分ルートへ移行することを推奨します」
広間が、水を打ったように静まり返った。
誰もが、アイリスの反応を待っていた。絶望して泣き崩れるか、あるいは狂乱して襲いかかるか。
しかし。
「……ふふっ」
静寂を破ったのは、アイリスの小さな吹き出し笑いだった。
「アイリス?」
殿下が不快げに眉をひそめる。
「申し訳ありません、殿下。
でも……あまりにも、昔の自分を見ているようで、おかしくて」
アイリスは私の手を離し、ゆっくりと前へ進み出た。
その足取りは、計算されたモデル歩きではなく、自分の意志で地を踏みしめる「人間」の歩き方だった。
「イヴ。貴女は確かに『完璧』かもしれない。
でも、それってすごく……退屈じゃない?」
アイリスの言葉に、イヴの首が機械的に傾いた。
「退屈、という概念は理解不能です。
効率と成果こそが全てであり……」
「違うのよ」
アイリスは、胸に手を当てた。
「悲しくて泣くこと。
二日酔いで頭が痛くなること。
誰かに触れたくて、胸が苦しくなること。
……その『エラー』こそが、生きているっていう証明なの」
彼女は、凛とした声で広間に響き渡らせた。
「私はもう、誰かのための便利な道具じゃない。
私はアイリス。
不完全で、ポンコツで、最高に幸せな……ただの女の子です!」
その宣言は、王宮の冷たい空気を一瞬で打ち砕いた。
フレデリック殿下の顔から、初めて「完璧な余裕」が剥がれ落ちた。
「……狂っている。完全にバグに侵されているな」
殿下は忌々しげに吐き捨てた。
「いいだろう。そこまで言うなら証明してみせろ。
お前のその『無駄な感情』とやらが、私のイヴの『完璧』に勝るということを!」
かくして、華やかな舞踏会は、二人の少女の決戦の舞台へと変貌した。
私はセシリア様と顔を見合わせ、深く頷いた。
大丈夫。私たちのポンコツは、絶対に負けない。




