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俺、凡人。異世界で世界大戦の仕掛け人になる  作者: 風間 秋
第6章 『大逆の産声』
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94.鬼の娘は人知れず

 イラ殿の連れの調略に、護衛長殿が動いている。

 その報がウルリムよりもたらされた時、あるまじくも私は配下を前に、眉間に顕わとなる不快を隠すことを忘れていた。

 それほどまでに本意と異なる形へと物事が傾いていた。


 聞けば、もう幾日も前から続けられていると言うではないか。

 失態……そう失態だ。全て、私の。

 大事に頭を悩ませていたとはいえ、手元に目が行き届かなくなるなどなんたる無様。

 報告を怠った影たちへの不満すら畢竟、私の手抜かりに行き着く。


 だが、失敗がこの件のみであれば、斯くの如く狼狽に感情を揺らすこともなかったに違いない。

 私はすでに、取り返しようのない過ちを犯していた……。




 アレを、イラと名乗る人間を、私は余りにも甘く考えていた。

 異物と自ら評しておきながら、それが如何なる意味を持っているのか、まるで考えが及んでいなかった。

 これまで使い潰してきた数多の無印(むいん)と近しい者だと、その形に捕らわれ、あたかも同じ人であるかのように錯覚していた。


 初めてアレを見つけた時のどこか弱々しい印象が、己の判断を狂わせたのだと、言い訳を並べ立てることはできる。

 アレと出会ったのは、もう5年も前のことになるか。

 狡猾さは当時から見て取れたが、アレは間違いなく弱い生き物であった。

 どうすればあの様に育つのか、未だに答えは見つからずにいる。

 だがアレと再び会い見えた時、愚にもつかぬ想像が――妄想と言った方が良いかも知れないが――頭の中を駆け巡ったのを覚えている。


 私の眼には、成長したアレは相も変わらず弱々しい人間である様に映った。

 だがそれはかつて見せた生き物としての脆弱さとは違う。

 人におもねるような、その者の優越感をくすぐる類の、毒を含んだ弱さだった。

 毒だ。世の中にはああした手合いは掃いて捨てるほど居るが、それとこれとを同列に語るのはどうしても躊躇われた。

 異様とも取れる弱さをそれまで隠すこともできずに育ったアレが、今はそれを片鱗すら見せず、果てには世の理に則り弱者という仮面でその身を装っている。


 成長したとでも?

 馬鹿な、それはあまりに具合が悪い。


 私はアレを拾ってから、その素性について情報を集めたのだ。

 黒の民の幼年兵。それだけで特定は容易だった。

 しかし伝え聞くその者と、自らの眼で見て確かめたアレは、まるで別人だった。


 そして、アレをラーデ・ロムニスに送ってしばらくして手元に届いた、黒の民から無印が見つかったとの報告。

 あの時はやはりと自らの見立ての正しさに、そしてあの異質さこそが無印の無印たる所以なのだという確信に、凝った心に歓喜の念すら灯ったものだが……。


 今や私は思わずにはいられない。

 アレは、あの化け物はまさにあの日、あの場所で、神の箱庭たるこの世界に産み落とされたのではないか、と。


 初めは妄言と笑い飛ばした。

 どれだけ異質であろうと、本質的な部分でアレは人間である様に見えたからだ。

 だが消魔結界を自在に操る様を見せられ、次第に私は己の眼を、その判断を、信じる事が出来なくなっていった。

 私は己が妄想と笑い飛ばした戯言が、虚構である確証を欲した。

 いっそのこと、真である証でも良かった。

 しかしどれだけ望もうと、私にそれを確かめる術はない。


 否、ひとつだけある。

 当人の口から聞き出せば良いのだ。

 だが私がそんな素振りを見せた時、果たしてアレがどう動くか。

 今の時点ですでに、かなり危険な橋を渡っているという自覚があった。

 気づけば立っていた、と言うのが正しいか。


 私にとって、よもやアレが黒の民ではない一介の人間として見えるなどという事態は、慮外のさらに外側にあった。

 私だけではないか。

 神の理を個の力が覆すなど、考えることすらおこがましい背信の行い。

 この世界に生きるすべての存在にとって、認知しかねる禁忌そのもの。

 起こり得るものと呑み込めた私がおかしいのだろう。


 私は私の心を縛る神の呪いに気づいてしまった。

 無印を駆逐せんとする神の意思が、私の心を常に侵している。

 だから私は物心がついてからこの方、寝ても覚めてもそのことばかり考え続けてきた。

 神が危惧する無印という存在が如何なるものであるのか、思索を巡らせ続けてきた。

 それ故に私は断言できる。

 アレが人によく似た、けれど人ではないナニか――化け物なのだと。


 化け物だ。人知を逸した。


 黒の兵に授けられた神の奇跡――消魔結界への干渉。

 そんなものは神の僕たる人には到達不可能な思考だ。

 私がその考えに至ることが出来たのは偶々、運が良かったからに過ぎない。

 私がひたすらに神を拒み続けているから。

 眼前に結果として示されたから。

 その異常性を呑み込み理解することができた。


 アレはその精神性において、紛れもなく神の領域に足を踏み入れている。

 それは私の待ち望んだ鍵に違いなかった。


 私は浮かれていた。幼い童女の様に浮かれ果てていた。

 枯らした心は狂喜に濡れそぼち、不慣れな喜悦に年甲斐もなくはしゃいでしまった。

 叩けば叩いただけ、アレは私の知らない音を響かせてくれる。

 執着をすり潰し削ぎ落としても、湧き出す好奇心までは抑えきれなかった。

 それほどまでにアレは興味深く、未知に満ち溢れていた。


 その最たるものはアレの見地だろうか。


 アレがただ神の領域に手を伸ばしているだけならば、私もここまで童心には返らなかったであろう。

 アレがただの個に過ぎなければ、神に肉迫する脅威であろうとも、世界に潰されるだけであったはずだからだ。

 現に天意はアレを消し去ろうとラーデ・ロムニスを炎で焼き尽くした。


 だがアレは生き残った。生き延びて見せた。

 それが決して偶然ではなかったことを、私はこのふた月で確信している。


 人は己に関わる範囲と、よくてそのひとつ外側までしか、世界として認識し思考することができない。

 アレにとってその身は枷だ。

 黒の民という器が触れることのできる世界は限りなく狭い。

 今は人間として振る舞っているようだが、無印であることを隠し立ち回る必要があるのだから、それは庶人の世界に毛が生えた程度のものだろう。

 であるにもかかわらずこの化け物は、私や親父殿と同じかそれ以上の視点で物事を見据えている。


 訳が分からない。


 親父殿は帝国の将としての記憶を継いでいる。

 私は幼少のみぎりよりその知識を叩き込まれ、兄らと共に経験を積まされた。

 そしてなにより、私の手元には大陸屈指の情報網がある。


 だと言うのに、アレはそうした過程を全て飛ばして私と同じ場所に居るのだ。


 恐怖が、長年に渡り押し込め続けた感情の殻を割って顔を覗かせる。

 そう。私はアレが恐ろしかった。

 アレの考えには私には読めぬ箇所が多きに過ぎた。

 未知への好奇はそのまま恐怖にも繋がる。

 それでも私は考えずにはいられない。

 アレに情報という餌を与えたら、どこまでの世界をその視界に収めることになるのか。

 それはともすれば、神々の見る世界にまで至るのではないか。


 斯くも尋常ならざるモノが言ったことがある、私を恐れている、と。

 私に害する意思がないと伝えたところで、まるで信用してはくれなかった。

 魂に誓って信じるなどと口にはしていたが、誓約に寸分も信を置いていないのは直前に分かっていたこと。


 私は誓いを嫌っている。

 神も魂も私には等しく価値がない。

 けれど誓いの価値まで疑うなど、あの時まで考えもしなかった。

 アレに誓いへの好悪はなく、しかし等しく価値もない。

 道具だ。アレにとって誓約とは単なる信用のための道具でしかなかったのだ。


 あの時、私はその事実に気づき戦慄を覚えたものだ。

 だが、本当に気づくべきは他にあった。


 好奇の先にこれまでもちらちらと足先をかすめていた恐怖に、首元まで浸かってようやく私は思い至ることができた。

 あの化け物が、果たして自分のことをどう認識しているのだろうか、と。


 これまでの言動を振り返ればなるほど、好意的に見られているとはどう甘く見積もっても考えられない。

 考えを読めぬ相手の敵意を煽っていた。なんと愚かしいことか。

 私は己がどれだけ危険な橋を渡っているのかを思い知った。

 その事実に行き着いた晩、私は呪いによる感情の動きが些細なものに思われるほどの恐怖に震え、眠る事も叶わなかった。


 それからというもの、私はあの人の警戒を解こうと必死で頭を働かせた。

 しかし互いが互いを危険視している状態にあって、しかも逆鱗に触れないようにと探りながらとなれば、それは遅々として進まない。


 下手に出れば何故か恐れられ、配下の黒の民にイラ殿との良好な関係を築く方法を遠回りに相談すれば調略を疑われる。

 情報を提供しても能力を称賛してもまるで言葉通りには受け取ってもらえない。

 黒月の瞳を有する者同士の同族嫌悪も足を引っ張る。

 周囲にイラ殿と結ぼうとしていると悟られぬように取る態度が、イラ殿との距離が近づくことを許さないという悪循環。


 なにもかもが上手くいかない。

 利害の方向さえ一致させておけば、同じ道を歩むことは出来るのだという予感はあった。

 けれど何か判断を誤りイラ殿に敵と見なされたら。

 その恐怖が、それでは足りぬと私に訴え続けるのだ。


 此度の件は凶報だった。

 配下の黒の民には手を出さぬとの誓いはどの口が言ったことか。

 イラ殿の不興を買うのは必至である。

 私は焦りに焦っていた。


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