仕事のあとの、希望のご褒美
差し入れを持参したコーデリアがシルヴェスターの周囲の書類の山が少しは減ったかなと思ったその日。
紅茶のお代わりをもらった頃、コーデリアはシルヴェスターから割と唐突な願いを切り出された。
「今の仕事が落ち着いたら、パメラディアの屋敷に行きたいんだけど、可能かな? 伯爵は今も温室を改良なさっていると聞いている。もちろん、ここにもそれを反映させてくれているけど、そちらのほうが進んでるんだろう?」
そんな突然の言葉にコーデリアは目を瞬かせた。
どう反応してよいのか分からない……というよりは、純粋に想定外の要望だったためどう返答するべきかわからなかった。
(これは、どっちの立場からの希望なんだろう……?)
友人として屋敷に来たいと望まれれば『ヴェルノー様もご一緒にいらっしゃいますか?』と、まずは軽く尋ね返せることだろう。
けれど『シルヴェスター殿下』として視察したいというのであれば、それなりのもてなしをしなければいけない。
「……おい、ディリィ」
「なんでしょうか」
「仕事が終わったやつが仕事をしに行きたいと思うか? 息抜きだぞ、息抜き」
クッキーを一枚口に放り込みながら、ヴェルノーはそう言った。
ポリポリと割といい音を立てているヴェルノーも休憩中でありながら書類に目を通しているが、以前より落ち着いている。
「ということは、お忍びですね」
「本当は忍ばずに行きたいところだけど、暇そうに見えたらまた急に仕事が増えそうだから、こっそりね」
少し冗談めかしにシルヴェスターは言った。
確かにそれもそうだとコーデリアも納得はするものの、お忍びとして心得たうえで招くとなれば、さらに一つ確認しておかなければならないことがある。
「温室の建物自体のことは、あまり私は詳しくありません。一番詳しい者が対応するとなれば、やはり父なのですが……いかがいたしましょうか?」
もちろんいつも突然来るヴェルノーはさておき、お忍びと言えどもあらかじめ伝えられた訪問を受けるのであれば、エルヴィスに伝えはする。
しかし案内役としてエルヴィスに依頼をするのであれば、もはやそれはお忍びと言うよりも公務の一環であるようにも感じられる。
そもそも悪い関係ではないとはいえ、心なしか……いや、はっきり言っていろいろと見定めようとするエルヴィスを前に、シルヴェスターが息抜きができるのか、コーデリアには疑問だった。
(でも、温室のことならやっぱりお父様なのよね)
どういう設備であるかは知っていても、コーデリアは利用者の立場でしかそれを知らない。設計まわりのことに関してはほとんど勉強していないのだ。
だから念のために聞いたのだが、シルヴェスターは小さく笑った。
「いや、ディリィに頼むよ。もしも分からないことがあった場合は、後日伯爵に尋ねてみる。伯爵もお忙しいだろうし」
「よろしいのですか?」
「うん」
「それなら、おそらく問題はないかと思います」」
多少エルヴィスがもの言いたげにするかもしれないとコーデリアは思ったが、訪問禁止だとは言われないと考えている。エルヴィスはシルヴェスターを見定めようとしているだけで、遠ざけようとしている風ではない。
そうなるともてなしの菓子は何にしようかとコーデリアが考えていると、ヴェルノーとばちりと目が合った。
「そういえば、ヴェルノー様もいらっしゃるんですよね?」
「なんで俺に話を振るんだよ」
「いつもいらっしゃってるではありませんか。念のための確認です」
そもそも一人でシルヴェスターが城下をうろつきはしないだろうという前提で尋ねると、ヴェルノーは深いため息をついた。
「おい、ジル。言いたいことはわかったから思いっきり睨むな」
「睨んでないけど、本当に私の言いたいことがわかってるのか?」
「来るなって言いたいんだろ」
「違うよ。そんなに頻繁に行ってるのかと羨ましく思っただけだよ」
「最近のことじゃなくて、昔の話だってのは知ってるだろ。ディリィも紛らわしい」
ヴェルノーの主張はさておき、ノータイムで訂正する辺りシルヴェスターの言葉は彼の本心なのだろうが、正解だろうが不正解だろうが、コーデリアにとってはどちらであっても改めて話をされるには恥ずかしい内容だと思った。
だから二人のやり取りを見ても顔が引きつらないようにするのが精いっぱいで、できれば早く話題を変えて欲しいと願った。
しかしコーデリアを呆れたような表情で見るヴェルノーにはその思いは通じなかったようだった。
「だいたいディリィがボケた質問をするのが悪いんだろう。本気でこいつが温室を見たいと思ってるだけだと思うのか?」
「ええ。『殿下』のお立場を考えれば、使用人の目がある我が家でこの場のように砕けた雰囲気でお話するのも難しいかもしれませんし、羽を伸ばすには不適当かと。そう考えると、実際に我が家にあるものをご覧になりたいからいらっしゃるのだと思います」
コーデリアは迷わずそう答えた。
(その……仮にそういう……くど……とかなら、我が家ということはないでしょう)
しかし途中からそのように考えることが恥ずかしくなり、普通にしていた表情も今や堪えることが精一杯で、『口説く』という単語に至ってははっきり頭に思い浮かべられないほどになっってしまった。それでも、考えに変わりはない。
「ディリィが言ってる通りだよ。ヴェルノーも一緒に行こうよ」
「本気で言ってるのか?」
「何をそんなに疑っているんだい?」
「久々の休みなのに褒美はいらんっていうのか?」
驚きつつも若干からかうように言ったヴェルノーにシルヴェスターは笑い返した。
「そういう時は自分から申告するから大丈夫だよ」
「あっ、そ。お前、本当にすがすがしくなったな」
ヴェルノーの表情はもはや呆れに代わっていた。
そしてこのやりとりを聞いたコーデリアもどこかこのまま隠れさせて欲しいと切に願った。
(これは素直に恥ずかしい)
人にはあまり噂を立てないように言っていたはずなのに、直接言う分に関しては全く気にしていないところを見ると、どういう判断基準なのかわかり辛いと感じてしまう。
(嫌とは違う感情なんだとは思うけど、なんというか……。うん、でも、口を挟める状況ではないし、とりあえず今は気にしないでおきましょう)
何にせよまずは心を落ち着けようとコーデリアは紅茶を口に含んだが、ヴェルノーがそこで話を止めることはなかった。
「しかし、だったらお前は何のためにディリィん家に行きたいんだよ?」
「だから温室を見たいんだよ」
「本当に温室に行きたいだけなのか?」
「そうだね。ただ、ディリィがどういう場所で育ったか、せっかくだから見たいなっていう下心はあるよ。幼いころに一度訪ねた場所だけど、温室そのもののことはあまり覚えていないしね」
紅茶を吹き零さなかったことに対して、コーデリアは思わず自分を褒めたくなった。
「そんなもの下心に入らないだろうが」
「私がそう思えばそうだと思うけど」
「まぁ、好きにすればいいと思うけどさ」
「……あの、私、そろそろ時間ですので、お暇させていただきますね」
逃げるが勝ちという言葉もあるが、実際にコーデリアにとってはそろそろいい時間になっている。
コーデリアは紅茶を飲み切ってから立ち上がった。
「では、詳細はまた後日ということでよろしいでしょうか?」
「うん。もうひと段落ついたら相談させてね」
「はい」
「あ、ディリィ。帰るなら途中まで送る。俺もちょっと書庫に用事があるから」
そうしてコーデリアはヴェルノーと共にシルヴェスターの部屋を後にし、回廊をしばらく進んだところで口を開いた。
「……何か言いたいことがおありなのですよね?」
「さすがにわかるか?」
「ええ。もちろん、気付いたのは私だけではないと思いますけど」
あのタイミングであれば、シルヴェスターも気付いたはずだ。
それでも止めなかったことを考えると別にマズイことを言うつもりはないのだろうと判断したのかもしれないが、単にヴェルノーの行動が早かったから止める間もなかったという風にも感じられる。
「一つだけ頼む」
「はい?」
「俺が馬に蹴られるような気分になる展開はもってくるなよ」
それはからかっているのか、それとも本気で言っているのかコーデリアには判断ができなかった。
しかしコーデリアが言えるのは一つだけだ。
「それは私に言わないでくださいな」
シルヴェスターの言葉からはそういうことにはならないと思うものの、残念ながらそれを肯定するだけの根拠をコーデリアも持っていなかった。
だからできたのは、苦笑いを浮かべて返すことだけだった。




