第九十七幕 新たなスタートラインと王子の宣言
慣れた家の周囲でも、外が暗ければ見慣れない景色をみている気もしてくる。
しかしそんなことよりもコーデリアが一番見慣れないと思ったのは、当主であるエルヴィスが門の外に立っていたことだった。
エルヴィスの表情は予想していたものと異なり、激しい怒気は含んでいなかった。しかし、静かに凍てるような怒りは感じ、コーデリアの足は思わず竦んだ。
「ただいま、戻りました」
コーデリアは声を震わせないように芯を持たせた。怒られても仕方がないことだとは思っているが、コーデリアが他にとれた方法は今も思い浮かばない。
だが、エルヴィスはコーデリアの方を見ることなくまっすぐにシルヴェスターの前まで進んだ。
「……イームズ侯爵家とフラントヘイム侯爵家の者から話はあらかた聞いております。殿下、御身を危険にさらす行いはあまりに愚かだと、苦言を申し上げます」
それは一切の遠慮などない言葉だった。
結果がよければすべてがよいというわけではないことをコーデリア、そしてシルヴェスターは知っている。だが、エルヴィスの言葉はそこで終わらなかった。
「ですが、父としては娘を無事に帰して下さったこと、心より御礼申し上げます」
そして深々と礼をしたエルヴィスに、コーデリアとシルヴェスターは目を丸くしたが、シルヴェスターはすぐに首を横に振った。
「もっと、叱られると思っていました」
「その必要があることだと、自覚があっての行いでしょう。ただ、子供でない殿下がそう判断なさったというのであれば、私にできることは意見するのみです」
「それは……あまりに勝手を続ければ、あっさり見放されるということですね。気を付けます」
淡々と話したエルヴィスは相変わらず無表情ではあったが、すでに最初に感じた冷たさは消えていた。
「もっとも、私が何を思おうとも殿下のご活躍で刺激を受けたものもいると思いますが」
無意識だろうがシルヴェスターをフォローしたエルヴィスにコーデリアは小さく笑い、エルヴィスの隣へと足を進めた。そして振り返るとシルヴェスターと目が合ったので、同時に微笑んだ。
「エルヴィス。一つ私からの願いを聞いてくれませんか」
「何か」
「私がもしコーデリアを口説き落とすことができたなら、彼女を妃に向かえることを許してくれませんか?」
その言葉を聞いたコーデリアは完全に思考が停止した。身体も固まってしまっているので見上げることは叶わないが、エルヴィスもおそらく固まってしまっていることだろう。
ただ目に映るのはシルヴェスターの真剣な表情だけだった。
「もちろんコーデリアが嫌がれば、無理にとは言いません。両陛下にも言うつもりはないので、王家としてではなく、私個人の願いだと思ってくれて構いません」
突然の言葉に焦るも、コーデリアだってシルヴェスターに何も返事をしていない今は伝えられる方法なんて何もない。ぎこちない動きでエルヴィスの様子を窺えば、表情こそ変わらないものの背負う空気が黒い気がした。それは夜だからというだけではない。
ただ、コーデリアがかけられる言葉など何もないのだと悟ってしまった。
「……三年」
「三年?」
「社交界に出たばかりの娘を、少なくとも三年は誰にも嫁がせるつもりはありません」
誰にも、というのはもちろんシルヴェスターを含めての言葉なのだろう。コーデリアに取っても初耳であることを告げるエルヴィスの声は地を這うようにも感じた。だが、シルヴェスターはまったく怯んでいなかった。
「それなら、安心です。その間に好意を持ってもらえるよう、努力をさせていただきます。私もあまり悠長にしていると、両親に何を言われるかわかりませんから」
「……」
エルヴィスがシルヴェスターに拒否を伝えないのは一定以上認めているからなのだろうが、受け入れる言葉も告げていない。むしろ、機嫌はどんどん降下しているような気もしている。
「……娘は幼少のころから大人びています。失礼ながら、たとえ殿下でも果たして満足できるかわかりませんが」
「あの、お父様……!」
「知っています。だからこそ、私もディリィには負けないように努力をしてきましたから」
「ちょっと、ジル様まで……!!」
だが、言葉を止めようとして発した自分の言葉にコーデリアははっとした。
うっかりシルヴェスターの言葉に釣られたが、隣から強い視線を感じて仕方がない。どういうことだと言わんばかりの圧がかかってくるのをコーデリアは引きつった笑みで受け止めた。
だが、コーデリアの様子でさえ、シルヴェスターには面白く映ったようだった。
「だから言ったでしょう。覚悟しておいてね、って」
その時シルヴェスターが浮かべた笑みは今までよりも少しだけ意地悪なものが混じっているような気がしたが、それは姿が違っていてもまったく変わらないと思わせる、優しく、そして穏やかな笑顔だった。




