【クソ旦那の悪口で前妻後妻がズッ友に】エルマンガルド・ダンジュー(1068/72?-1146)フィリッパ・ド・トゥールーズ(1073?-1117)
半年以上ぶりの更新ですみません…
例によって例のごとく、夜中にほげーとWikipediaをさすらっていたところ、なんじゃこりゃ??という謎エピソードをめっけたのでご紹介です。
アキテーヌ公ギヨーム9世の最初の妻エルマンガルド・ダンジューと、2番目の妻フィリッパ・ド・トゥールーズという人が同じ修道院に入って、クソ旦那の悪口でめっちゃ親友になったという事案なのですが──
時は11世紀末から12世紀頭のお話。
一応フランス王家はあるにはあったけど、各地で群雄割拠しておりまして、結婚やら戦争やらで領土をとったり取られたりしておりました。
日本で言ったら、朝廷やら室町幕府は一応あるけど、国全体を実効支配しているかと言えばそんなことはなかったりする戦国時代あたりのイメージなんですかね?
ま、そんな時代にアキテーヌ公ギヨーム9世(1071-1126)とかいう人がおりました。
ついでにポワティエ伯でもありガスコーニュ伯でもありました。
アキテーヌというのは、南西フランスにある地域なのですが、ほかに2つも伯がついてるだけあって、ギヨーム9世はフランスの1/3に相当するロワール川からピレネー山脈に至る大領地を治める実力者。
15歳で父の領地を継ぎ、最初の「トルバドゥール」と呼ばれる詩人であり、陽気で歌も上手。
一方、十字軍に参加したり、隣接するトゥルーズに侵攻するとか、レコンキスタに参加するとか、文武両道色々派手な人だったようです。
んがこのギヨーム9世、この時代基準でもめっちゃ女癖が悪かったのです……
17歳の時、母方の従姉妹に当たるエルマンガルドを娶ったのですが、エルマンガルドは「整った美貌、美しい肢体、艶々と輝く美しい金髪、そして素晴らしい話術の才能」とか言う、くっそ美人だったのに、ギヨーム9世の女遊びが酷すぎて精神的に不安定に。
大喧嘩しては教会に閉じこもり、城に戻ってはまた大喧嘩の無限ループに嵌り、子供もなかったことから、1088年、結婚3年で離婚となりました。
血縁が近すぎるからという理由で、ギヨーム9世が婚姻無効を訴えたとのことですが、いや、結婚する時そんなんわかってますやん??
とりま、エルマンガルドは父親のアンジュー伯フルク4世のところに戻るのですが、もう結婚なんてこりごりや!出家して静かに尼僧ライフを満喫したい!て言うとるのに、そんなんスルー。
唯一の娘だったっていうのもあるんでしょうが、フルク4世もたいがいな人で、死別やら離婚やらで5回も結婚してるちょっとヤバい感じなのです。
結婚して2、3年して子供が出来ないと、離婚してはい次!みたいなノリ。
Wikipedia先生曰く「フルク4世は妻とは死別あるいは離婚する度に代わりの女性と結婚することを繰り返し(略)権力を増加させることだけを目的に女性という弱者を消費しているともいえる」とのことです。
6人と結婚して、うち2人の妻&元妻を処刑してるヘンリー8世よりはマシ?と一瞬思いましたが、ヘンリー8世よりあかん殿方ってそうそういない気もします。
というわけで、4年後の1092年にエルマンガルドはブルターニュ公国のアラン4世と再婚するんですが、最初の結婚よりはだいぶマシだったのかな?
十字軍で5年も留守にして、その間はエルマンガルドが統治していたりしますが、なにはともあれ2男1女に恵まれました。
いうてアラン4世も、氏名不詳の愛妾に子供が一人いたりはしましたが、前の旦那よりは全然まともな信仰篤い人で、病気になったことから1112年に出家してサン=ソヴール修道院に隠居。
結婚したままでは僧籍に入れないので、離婚となりました。
それに伴い、エルマンガルドもようやっと出家してフォントヴロー修道院で隠棲することとなりました。
生年に異説があるので、この時、40歳もしくは44歳。
そして、1115年、前夫ギヨーム9世の後妻・トゥルーズ女伯フィリッパがフォントヴロー修道院やって来るのです。
フィリッパの方はどういう人かと言いますと……
トゥルーズ女伯と称号がついているように、トゥルーズ伯ギヨーム4世の一人娘。
父が亡くなった時に唯一生存していた子なので、伯位&遺産の相続人として指名されたのですが、祖父の方が、ギヨーム4世に男子相続人がいなかったら、ギヨーム4世の末弟・レーモン4世に継がせるよう指示していたので、叔父のレーモン4世に簒奪くらってしまいます。
直後の1094年、ギヨーム9世と結婚。
ギヨーム9世、トゥルーズに野心持ってましたから、レーモン4世の息子と適当に結婚させられてうやむやにされるよりも、ギヨーム9世と結婚してトゥルーズを取り返したる!ということですかね。
そんで1098年、レーモン4世が十字軍に行っちゃった隙に、さくっとトゥルーズを占領します。
なんでかギヨーム9世も十字軍に行っちゃったので、フィリッパが摂政として領地を治めるんですけど。
そして1100年、フィリッパにせっつかれたギヨーム9世が土地を寄進し、巡回説教師ロベール・ダルブリッセルがフォントヴロー修道院(僧侶も尼僧も暮らす二重修道院で、トップは女子修道院長)を設立。
さっき、「フォントヴロー修道院にフィリッパがやってきた」と書きましたが、この修道院を作ったのは実質フィリッパなのです。
Wikipediaに項目がありますが、セレブ修道院として長らく栄え、復元された写真を見ると、お城?ってなる立派な修道院。
フランス革命後は監獄に転用されて、なんでかジャン・ジュネが収監されたこともあったりします。
ギヨーム9世が十字軍遠征の資金作るために、トゥルーズ領を勝手に抵当に入れやがってフィリッパが追い出された!とかありつつも、とりあえず1102年、夫は無事帰還。
しばらく夫婦仲は円満で、二男五女に恵まれたまでは良かったのですが、ギヨーム9世はエルマンガルドを病ませたくらいの女好き。
知らんところで遊び散らかすくらいならまだしも、女性関係を歌にしたり、夫婦の会話中に自分のモテっぷりを自慢してくる夫から徐々に心が離れ、信仰に傾倒するように。
さらに、フィリッパが支援するフォントヴロー修道院に対抗して?、ギヨーム9世に「娼婦の大修道院を開く」とか斜め上なネタぶっこまれて、もうビキビキビキっと亀裂が走ります。
結局、勝手に抵当に入れられたトゥルーズは取り戻しきれなかったし、なんなんコイツ!?となっていたところ、1115年、ギヨーム9世は部下の妻「ダンジュルーズ」を誘拐して愛人にし、宮廷敷地内に住まわせるようになってしまいました。
この人、本名はアーモベルジュとかジェルベルジュだったんじゃないかと言われているのですが、ギヨーム9世が詩の中で「危険な女」(ダンジュルーズ)と呼んだことでこの名が通称となった人。
誘拐して愛人にするってどゆこと…となりますが、どうもこの頃、ガチの誘拐ではなく、当人との合意のもとに人妻を「誘拐」して愛人や妻にしてしまうというのがあったらしいのです。
いうて、やったら普通に破門くらいますが。
エルマンガルドのパパ・フルク4世も最後の妻ベルトラード・ド・モンフォールをフランス王フィリップ1世に「誘拐」されております。
ベルトラード、幼くして両親を失い、伯父に育てられたのですが、30歳ちかく年上のフルク4世と結婚させられてたんで……
そんで、フィリップ1世は当時の王妃を尼僧院に押し込めてベルトラードと再婚、破門やらなんやらでゴタゴタゴタゴタしたあげく政治的な求心力を失って死去し、ベルトラードは1114年にこれまたフォントヴロー修道院入りしています。
英語版項目を見ると、フォントヴロー修道院、盛時は3000人くらい僧侶がいた大修道院だったようなんですね。
ま、彼女は修道女生活が合わなかったのか、還俗しちゃってますけど。
ちなみに、ダンジュルーズ自身は晩年どうしていたのか記録がないのですが、彼女の孫であり、フィリッパの孫でもある*アリエノール・ダキテーヌ(1137-1204・ルイ7世王妃&ヘンリー2世王妃)も最晩年はここで過ごしています。
*フィリッパの息子ギヨーム10世はダンジュルーズ問題で父とめちゃくちゃ揉めたんですけど、結局関係修復のためにダンジュルーズが最初の結婚で産んだ娘を娶ったので、こんなわけわからんことになっております。ちなみに、結婚したからには普通に夫婦やってた模様で、良かった良かったでした。旦那がクズ、息子もクズじゃフィリッパが気の毒すぎる。
ともあれ、フィリッパは教会に訴えて、ギヨーム9世を破門させたのですが、破門されてもギヨーム9世はしれっとダンジュルーズと関係継続。
結局トゥールーズを取り戻すことはできず、ダンジュルーズを追い払うこともできないフィリッパは絶望。
宮廷を捨て、フォントヴロー修道院に引っ込みました。
娘のオーデアルドも母を慕って、同じ修道院に入ります。
というわけで、奇しくもギヨーム9世の先妻と後妻(+娘)が同じ修道院で暮らすことになったのですが、Wikipediaの記述そのまま貼りますと、
「修道院隠棲後、フィリッパはギヨーム9世の前妻で先にフォントヴロー修道院に隠棲していたエルマンガルド・ダンジューと親友になり、2人は交流を重ね、一緒にギヨーム9世への誹謗を言い合って過ごした」
だそうです。
日本語版Wikipediaにわざわざ書かれるとか、どんだけ元旦那の悪口で盛り上がったんですか。
ま、エルマンガルドが離婚してすぐにフィリッパと結婚したわけでもないし、双方ギヨーム9世にさんざん苦しめられた仲間!ですからね。
むしろ、盛り上がらない理由がない。
どんな悪口言うとったんかはわかりませんが、適宜妄想してみますと……
「モテるモテるいうてウッザい自慢しよるけど、ぶっちゃけ地位があるから媚びられてるだけやぞ! ええかげん気づけやアホ!」
「歌うまとか持て囃されてるけど、あのナルい歌い方きっしょ!マジきっしょ!」
「そもそもピー!がピー!なんや! ボケが!!」**
**なろうレーティングの兼ね合いにより自粛
とか、そんな感じでしょうか?
いやなんかもうちょっと高尚な、ラテン語など教養関連とか、信仰に関連したこととか、軍事的才能に欠けていることとか、トゥルーズを抵当に入れたのアホちゃう?とかかもしれませんが\(^o^)/
まあでも、女性関係がグズグズなせいで二人共苦しんだんだしなぁ……
とりま、すっかり大親友♡になった二人ですが、2年後の1117年、フィリッパは亡くなってしまいます。
死因は伝わっていないとのことですが、要は長年の心労が祟ったんでしょうか。
さすがに暗殺とかではないと思います。
せっかく出来た親友を失ったエルマンガルド、憤怒でございます。
40代なかばなので、当時としてはそこまで短命というわけでもないかもですが、どう考えてもフィリッパの人生、報われてない。
エルマンガルドにとっては自分の人生の初っ端にひどい仕打ちをしてきた前夫が最大の戦犯なだけに、おこおこでございます。
いうて、結婚生活20年、トゥルーズの継承権を持ち(異論はあるけど)、二男五女を産んで、夫が十字軍に出た留守もしっかり守ってアキテーヌにめっちゃ貢献していたフィリッパでさえ、どうにもできなかったのです。
別の男と再婚して、子供も産んでそっちの人間になってるし、すでに俗世を離れている自分に何ができるかいうたら、なんにもできないのです。
だがしかし。
亡くなった親友のためなら、嫌がらせくらいはやってやるぜ!
全力で!!
というわけで、エルマンガルド、まずはポワティエに赴いて「ギヨーム9世の破門」(フィリッパが亡くなったせいなんでしょうか?破門が解除されてましたんで)、「エルマンガルドへのアキテーヌ公妃の称号返却」(ダンジュルーズには渡さんぞ!)、そして「アキテーヌ公居城に住まう愛人の追放」(直球)を要求。
離婚してから四半世紀経ってるし、権利もなんにもない気もするけど、そんなん知らんがな!!!
ついでに1119年、ランス教議会に出席して、教皇カリクストゥス2世に支持を求めます。
教皇には「いや、ちょっとそれ無理……」言われたのですが、要求を主張し続けて騒動に。
あっちゃこっちゃで同じことを主張しまくり、ついでにギヨーム9世のクソ野郎っぷりも宣伝しまくったのでしょう。
さすがのギヨーム9世も大困惑し、翌1120年、エルマンガルドから逃げるようにスペインに行って、レコンキスタ(国土回復運動)に参加することになりました。
結局、ダンジュルーズと再婚しないまま、1126年に亡くなっています。
ちなみにWikipediaのギヨーム9世の項目の注には、この騒動、「目的はエルマンガルドがギヨーム9世の下へ戻りたかったのではないかとされている」と書かれています。
なわけあるかーい!!(魂の叫び)
この注、エルマンガルドはずっと情緒不安定で〜とか書かれているのですが、時代が時代ですから、女性が自分の権利とか主張したら、メンヘラ枠に押し込まれがちだったのを逆手にとって、ギヨーム9世の醜聞をガンギマリでまき散らしまくったんではないかという予感もします。
前にも書きましたが、エルマンガルド、再婚した夫が十字軍行ってる間、5年間もブルターニュ公国をしっかり統治してたりする人なんで。
その後のエルマンガルドはどうしたかと言いますと、50歳くらいのときに次男ジョフロワとパレスチナへ聖地巡礼をし、1146年に亡くなりました。
あんな騒動を起こして、子どもたちとの関係は大丈夫だったんだろうかとちょっと心配でしたが、大丈夫だったっぽいです。
生年が2説あるんですが、古い方なら78歳。
普通に大往生ですね。
というわけで、「前妻と後妻が修道院で一緒になって、元旦那の悪口で超盛り上がったあげく、ズッ友になった」という縁は異なもの味なもの?なお話でした。
それにしても、中世ってようわからんところがあり、とにかく政略結婚!女性の意志なんか無視無視!度が激しい一方、離婚&再婚が多いのが謎。
旦那が十字軍いっちゃったら、妻が普通に統治するとか当たり前にやっていたりするので、行動できる範囲はなにげに広かったのかも?
ちらっと出てきたアリエノール・ダキテーヌなんかも、十字軍に同行してますし。
なろう異世界恋愛は、なーんとなく18-19世紀ヨーロッパ風の社会をモデルとすることが多いですが、少し世界観をずらすと、新鮮な作品になるかも??です。