王都に向かいました
荷馬車に揺られていく。段々と離れていくフォーレイン領を見つめていると、突然大きな揺れが馬車に襲いかかった。思わず舌を噛みかけてしまった。
危なかった、と胸を撫で下ろすと、向かい側に座るヤトラはケタケタと笑った。
「舌を噛んで、万が一にも私がここで死んでしまったらどうしますの」
「その時は俺はどっかに行くだけだな」
「薄情者!」
また大きな揺れに襲い掛かられる。荷馬車が大きく跳ね、中の荷物が一瞬だけ宙に浮いた。
そして、笑い続けるヤトラに降り注ぐ。思わず私はおほほほほ、と笑ってしまった。
「俺が圧死したらどうするんだ」
「その時は惜しい人を亡くしましたわ、と埋葬しますわ」
「薄情者め」
「悪いねぇ」と御者が謝る声が聞こえた。たっぷりと髭を蓄えた白髪の老人らしい老人がそう申し訳なさそうに謝るが、悪いのはこの道だ。もっと言うなら、互いの不幸を見て悦に浸る我々だ。老人には何の非もなかった。
エリウスは寂しがってくれるかしら、とふと考える。アレックスはともかくとして、エリウスは毎晩寝所を共にする仲だ。今日からしばらくは一人で寝てもらう羽目になる。
私自身は、旅程の間は眠れそうだと感じている。毎日愛の言葉を恥ずかしげもなく真っ直ぐにぶつけられることがないのだから、どぎまぎして寝入ることができない、なんて目には遭わないはずだ。少々の寂しさはあるが、でもやはりすんなりと眠れてしまえそうではある。
眠れるのはありがたいのだが、やはり毎日顔を合わせて、そして毎日決まったように愛情を表現してくることがないと考えると寂しいと思えてしまう。だから、彼も同じように、何かしらに寂しさを感じてくれればいいのだが。
「あんたがいない間はギィリを抱きしめて寝てるだろうよ」
「そんなことしてたら、あの寝所のベッドも壁も何もかも、総交換ですわ」
「そんな金あんのかよ」
「……ありませんわ」
むすっと頬を膨らませて怒ったのだと見せつけてやる。が、そんなのがヤトラに聞くぐらいなら、このような会話はしていない。
エリウスは、未だにあの怪魚に「マグ」と私の名前をつけていた。私に似ていて愛らしいだの何だのと色々と言っていたような気もするが、エリウスの美的感覚は最早病気を疑うほどだと感じた。仮にあのギョロ目の魚を私だとしているのなら、人間の私がいなくなっても魚の私がいる、ということになってしまう。
つまり、仮にもしも魚の私に満足してしまっていたら、彼は寂しいと思うことすらないのでは……?
「何か、無性にむしゃくしゃしてきましたわ」
淑女らしからぬ仕草をしている自覚はあった。が、己の左の掌に右の拳をぶつける動作がやめられない。ギィリに触れるか、それとも死ぬか、の選択肢を突きつけられたら迷わずに己の胸に短剣を突き刺すぐらいにはギィリが嫌いで嫌いで仕方がないのだが、もしも私に力があるのなら、ギィリというギィリを全てこの世から抹殺してしまいたかった。
その願いを込めて、何度もごつん、ごつんと拳を掌に打ちつける。苦しめ、そして出来れば死ね、という思いを込めて。
「ピギッ!? ピギギギッ!? ピギャッ!」
「どうした、マグ!? どこか痛むのか!?」
「ピギョッ! ピギギッ! ピギィ……」
「俺の寂しさが伝播してしまったのだろうか……すまないマグ……」
「……なあ、エリウス。本当にそれ、寝室に持ち込むのか?」
苦しむギィリと、そのギィリが入った桶を心配そうに抱えてフォーレイン邸に帰ろうとするエリウス。そんな異常な光景に頭を抱えるアレックスが見えた気がするが、目の前にいるのはヤトラだけで、あとは荷物の山だ。あのギョロ目の気持ち悪い魚に対する生理的嫌悪が極まりすぎたせいで幻覚が見えてしまっていたようだ。
「どうした?」
「……遠隔で対象を殺せる呪術とかご存知でなくて?」
「知ってても教えないぞ、そんな恐ろしいもの」
やはり、私が王都から戻ったら、いの一番にあのギィリを元の場所に戻してもらおう。ヤトラに。
フォーレイン領を発ってから何日経っただろうか。荷台から見える景色が段々と鮮やかな「都市」に変化していくのが、純粋に楽しかった。思わず目を輝かせてしまったが、ヤトラはえも言われぬ顔で立派な街並みを睨みつけていた。あまり中心部には良い思い出がないのだろう。
サトナ商会の御者に礼を言い、老人が荷馬車と共に消えていくのを見送った。
「……ここからが勝負よ」
「わかってる。まずはサーシャを探すところからだな」
エリウスやヤトラの話から察するに、サーシャ=ワークトという令嬢はよく王都の街並みを観光しに自領を抜け出していたのだという。それが本当で、かつ今もそうしてくれているのならばありがたいのだが。
さて、いつそのご令嬢に出会えるのやら、と私が呟こうとしたその瞬間、勢いよく走ってくる誰かにヤトラがぶつかった。流石に往来で派手に倒れるようなことにはならなかったが、明るい街路を逃げるようにして走るだけでも目立っていたというのに、さらに人にぶつかったのだから余計に人目を引いてしまった。
「きゃっ! っ、ご、ごめんなさいっ……」
「いや、こっちこそ……って」
ぶつかった少女を何とか受け止めたヤトラは、優しく──その優しさを私にも向けて欲しかった──少女の肩を掴み、声をかける。少女は瞬時にボンッと派手な音を立てて赤くなり、ヤトラは唖然とした顔をしていた。
何があったのか、まるでわからなかった。恐らく周囲の人間も理解できていない。
ヤトラが、パクパクと口を動かす。
「サーシャ=ワークト……!?」
まさか、王都入りして早速目当ての人間に遭遇してしまうとは思ってもいなかった。
次回更新は7月7日20時となります。




