2-D100-13 愛の神10 タカマツ
ヘルザーツに潜入した『愛の神』マリヴェラは、汀と言う不思議な女に出会う。
彼女は内海から仕事でこちらまで来たのだと言う。
少々強引な汀に「泊っていけ」と言われ、彼女について行ったマリヴェラだったが……。
「ここだ。おうい、タカマツ! 汀だ!」
そう叫びながら、汀はある二階建ての家のドアを叩いた。
周囲は既にとっぷりと日が暮れて真っ暗だ。
その家の窓から、微かにあかりが漏れて揺れた。
ドアが開き、三十前後の人間種の男が顔を出した。
首輪もしていないし身なりも整っている。
それに美女である汀に釣り合うと言ってもいい、顔の整った男でもある。
「なんだ、汀。散歩にしては遅かったじゃないか……ん?」
「タカマツ、客人だ。さ、ナカムラ殿。大したもてなしはできないが、ワインと寝床くらいはあるぞ」
「おいおい、急に……」
と言いかけるタカマツの唇に、汀の人差し指が伸びた。
「いいから」
「う、むむ」
汀に腕を掴まれたまま中へ引っ張りこまれ、椅子に座らされた。
特に代わり映えの無い家である。
「ナカムラ殿、食事は?」
「いえ、大丈夫です。ここに来る手前の村で済ませました」
「なんだ。そうか。タカマツの料理の腕はかなりな物なのだがな。では明日の朝に楽しんでもらおう」
ナンだよ。
汀さんの手料理じゃあないのかよ。
その汀は、タカマツと台所に入っていった。
程なく、タカマツはワインと人数分のグラスを、汀は切った薫製肉を皿に乗せて戻ってきた。
「一応、ここらでは一番上等なマグヘイレン西部産のワインだよ。ナカムラさんも多少は飲めるんだろう?」
とタカマツが訊いた。
勿論俺は頷いたが、この身体のモデルであるユキだったら微妙な所だ。
直ぐ酔っぱらうし、酒乱だからな。
グラスが配られ、ワインが注がれた。
「乾杯」
「乾杯」
「ん、確かにおいしいですね」
タカマツがにっこり笑った。
「お替りならあるから、遠慮なくどうぞ」
「有難うございます」
汀がグラスを置いて座りなおした。
「さて、早速本題と行こうか。ナカムラ殿。もう一度聞こう。お主、何者だ?」
俺は動きを止め、黙った。
もしこの二人がヘルザーツの警察や公安関係者だったりするのなら、今頃既にヤバい事になってたはずだ。
汀が質問を続けた。
「お主は何処から来た? なぜ、祥州王の孫の姿をしている?」
俺は頭をトンカチで叩かれたかのような衝撃を受けた。
もうバレた。
この世界ってのは、写真とか余り出回っていないので、ある個人の顔がみんなに知られていると言う事など、そうそうないのだ。
「……お二人は内海からいらしてたのでしたっけ」
「そうだ。ユキと言う名であったよな。彼女は二年近く前にこの西の大陸で誘拐された。今でも行方が知れぬ。お主がユキで無いのは分かっている。何故、お主がそのようなユキの姿でこのような所に居るのだ、と聞いている」
「お答えせねばなりませんか?」
「いや、いやならよい」
アレ?
あっさり引いたな?
「どの道、お主は姿を偽装してまでしなければならない事がある。そうだろう?」
全然引いてなかった。
聞き方を変えただけでやんの。
次いでタカマツがワインのグラスを両手で包み込んだまま少し身を乗り出した。
「君は僕が人探しが得意だと、汀に聞いたそうだね。人探しは本当かい? 確かに僕にはこの街のあちこちに伝手があるのだけど」
汀が歯を見せて、タカマツを指さした。
「なんせ、こやつは帝国の大使館付き武官だからな。武官と言っても弱っちいがな。それでも顔が利くのは本当だぞ」
……oh。
こいつら、帝国の手先か。
成程、道理で人間種であってもこんな所で普通の生活を送れるわけだ。
ナカムラの名前で活動しておいてよかったわ。
マリヴェラだってバレたら何されるか分かんないもんな。
俺の方からこの二人に何か依頼することは有るかもしれないが……。
いや、無いな。これ以上関わりたくない。
「いえ、お心遣いは有り難いのですが……」
「そうですか。まあ、もし必要になったら遠慮なく言っておくれ」
「ふん、つまらんのう」
うーん、汀さん、何か起こった方が面白いというクチなのか。
何処かの誰かさんによく似てる。
ひとまず俺は一夜の宿を借り、二人の寝室から聞こえてくる声に苛まされながら朝を迎えましたとさ。
――――
ダニエル船団は、午後になってからヘルザーツに到着した。
勇壮なガレオンの入港はヘルザーツの人たちにも見モノであるらしく、港湾労働者に立ち紛れて見物人が岸壁まで出ている。
勿論、船団はその岸壁に横付けするわけではなく、少し離れた場所で錨を下し、人と物資はボートで船と陸とを往復するのだ。
ダニエルの乗ったボートが桟橋についた。
俺は少し離れた場所でそれを見守っているのだが、姿を変えているのでダニエルにはわからない。
今の所、彼らにしてもらうことは無い。
補給をして、乗組員は束の間、羽を伸ばしておけばいいだろう。
全てが上手くいけば、彼らに出番も危険もない。
ダニエル船団に出番が回る時は、プランB……いや、プランCを採用しなければいけなくなる時だ。
それは――――この国の制圧。
神族様が一人で暴れるだけではなく、強力な大砲を海から同時にぶっ放した方が、敵の心理からして参りやすいだろうからな。それに、攻略に失敗したら海に逃げてしまえばいい。
それより、あちこちでの聞き込みの結果、次のような事がわかった。
この街の港と反対側に王城がある。
王城の中に、ある一つの建物がある。
人魚族はそこに集められている。
と言う情報だ。
国民も皆、あの村の獣人たちと同じように、国の上層部、すなわち王族が率先して人魚輸出の旗を振っていることに不満らしい。
特にこの街には、強引な鉱山開発で住処を追われ、不慣れな単純労働を強いられている住民が少なからずいる。
そしてその鉱山開発も人魚ビジネスも、元はと言えばフォルカーサ帝国が取引先なのだ。
やれやれ、酷いもんだ。
やはり、ロンドールの為にもホーブロの為にも、帝国はいつかどうにかしないといけないらしい。
汀が歩いてきた。
「おう、ナカムラ殿。お主、よっぽど港が好きなのだな」
「ええ。船が好きなんです。風にも負けず波にも負けず、健気に進むのが好きなんです」
「ふうん。男の子みたいな事を言うな。所でお主、噂になっているぞ。人魚の事を訊きまわっているそうではないか」
その真意を測りがたいので、俺は汀の顔をじっと見つめた。
彼女は正面から受け止めず、俺の横に並んだ。
「余り焦って動かない方が良い。それとも、己の力を信じての事か?」
「私は……不器用ですので。それに、人死にを出したくが無い故に己の力を振るうのです」
汀は何故か悲しそうな顔をした。
その美しい顔を見て、俺の心は騒いだ。俺はこの人を知っている?
しかしどうしても思い出せない。
「余りここの力を過小評価してはいけない。それに、我らはお主の味方だ」
汀がそう言った。
「味方って……。汀さん。私は帝国は余り好きでは……」
「それでもいい。そうかもしれないが、お主、この国に居る人魚族を全員助け出したいのであろう?」
「そんなこと、誰に聞きました?」
「ふん、お主の動きを見れば馬鹿でもわかる」
「偶々ですよ。私は知り合いの行方を知りたいだけで……」
「よい。今日もウチに来るがいい。いい話を聞かせてやる。それまではもう余り動かないようにな」
汀は言うだけ言うと、踵を返して行ってしまった。
――――
この日、タカマツの家を訪れると、タカマツが汀に褒められた腕を振るって晩の食事を用意してくれた。
確かにそこらの酒場のマスターなんか目じゃない程の料理が出てきた。
しかも懐かしの内海風味だ。
食材はこっちのものだが、調味料は内海産。
出張してくる際に、調味料を持参してきたのだろう。
食事の最中から本題の会話となった。
「君は、ロンドール侯爵では無いのか?」
タカマツのいきなりの指摘に、俺は食べ物を吹き出しそうになった。
「な、何を根拠に?」
「まあ、色々あるのだけどね。今僕が言えることは、理由1・ユキ王女の事を知っている。また、その姿に変身できる能力を持つ。理由2・ロンドール候は転生者、つまり乙者の一人であるが、元の世界の名がナカムラと知られている。その2点だね」
俺は内心頭を抱えた。
何だかんだ、自分の情報については大事な部分、属性の数値などに関する話に関してはかなり厳重に外に漏れないようにやって来た。
反面、本名や普段よく使う能力については「どうせわかるんだ」と考えて余り気にしてこなかった。
その結果がこれだ。
帝国の大使館の人間ともなれば、その程度の情報共有はもう当たり前なのだ。
「ええ、ええ、降参です。そうですよ。先日復活しました。ロンドール候マリヴェラちゃんです。お見知りおきを」
それを聞いた汀が、タカマツにドヤ顔を見せた。
「ほら、当たった。私の言ったとおりだ」
「はいはい、汀は頭が良いですね」
タカマツは受け流した。
「お主なあ。たまには真面目に褒めよ」
「分かったよ。後でね」
「うむ」
「ごほん」
俺が咳ばらいをすると、2人は2人の世界から戻ってきた。
タカマツが居住まいを正した。
「ああ、申し訳ありません、閣下」
「閣下はいりません」
「左様ですか。改めて、僕はフォルカーサ帝国在ヘルザーツ大使館付きの情報武官、タカマツシノブと申します。こちらはパートナーの汀」
「汀です」
「それで? 俺をまたここに呼んだって事は、他にも話があるんでしょ?」
もう猫をかぶるのは止めだ。少なくとも2人に対しては。
特に表情を変えることも無く、タカマツが頷いた。
「はい。もし宜しければ、厳重な結界で守られている王城の中へ入れるように手配して差し上げます」
俺は何も言わない。
全く持って意味が分からない。
タカマツが続けた。
「マリヴェラ様が先日ご復活なされたのであれば、ご存知ないかもしれません。今の帝国は一枚岩では無いのです」
「ほう?」
「皇帝陛下とそのご連枝、有力貴族が作る一派と、丞相殿と若い貴族・技術者や商人などが作るもう一派が相争い、すでに内戦の様相を呈しているのです」
余りの事に俺は固まったまま何も言えなかった。
しかし、それを確かめる手段は今は無い。
やはり、一度はイルトゥリルに帰っておけば良かったかと臍をかんだ。
タカマツが語勢を強めた。
「我々は、後者に属しております。そして、この国の主な産業である鉱業の利権は、前者が握っているのです。人魚族の輸出も同様です」
「……それを潰せ、と?」
「いえ、そこまでは。マリヴェラ様はこの国の事は良くご存知ではいらっしゃいません。しかしそうで無い場合、軽々しく動く方ではない事も承知しております」
「良くご存知で」
半分お世辞だろ。
結構適当なんだけれどね。
「しかし、人魚族に関することは、その目でご覧いただければお分かりになると思うのです。あれは、犯罪です。その後の事は、マリヴェラ様にお任せします」
俺は椅子の背もたれに体重を預けて、腕を組んだ。
つまり、敵対組織の利益を削るために俺を利用するってか。
とは言え、噂で聞いた王城内での人魚族の待遇は確かにまともに聞けたモノじゃなかった。
黙ってはいられない。
俺は応えた。
「分かった。じゃあ、話を聞こうか」
豊島練馬板橋シリーズ。




