19
連続投稿2話目です。前話読み飛ばしにご注意ください。
クラフトはテレサとともにシアの前――魔王と対峙する位置へと歩み出た。
「い、一体、何が起きたって言うのよ!?」
「そうだ、貴様……一体何をした……!? この街の魔力布置が……いや、これは……魔力がその剣へと集まっていくのか……!?」
ブカンフェラスが言ったのは、テレサの手に握られたタビュロだった。
「ま、教えたところで問題ないか。いいだろう、教えてやる」
クラフトはそう言うと、地面を指さした。
「この聖鎧都市キャラビニエールが公転していることは知ってるな?」
「……むろんだ。〈凍結された決戦場〉から溢れ出す我が魔力を減速し、使いやすくするための小細工だろう?」
「さすが、よくご存じだ。この公転は左回り、いわゆる反時計回りになっている。排魔路や公転ジャイロはそれを前提に設計されている。なぜかといえば、〈凍結された決戦場〉から溢れ出すあんたやテレサの魔力は、まっすぐにではなく、わずかに渦を巻くようにして溢れるからだ。その渦と逆になる方向に公転することで、魔力流を減速してるんだな」
「……何が言いたい?」
苛立ちの滲む魔王の質問には答えず、クラフトは話の矛先を転じた。
「ところで、あんたの時代には、発動機も発電機もなかったんだったな?」
「……知らん」
「電気を使って動力を得る発動機)と、動力を使って電気を得る発電機は、仕組みとしてはほとんど同じだ。ただ、エネルギーを変換する方向が逆なだけだ」
「……だから、それがどうしたと聞いている!」
「そう焦るなよ。ここからが面白いところなんだ。そうだな、やはり渦巻きで喩えてみよう。ここに〈凍結された決戦場〉を中心とする魔力の渦があるとする。その渦巻きはキャラビニエールという大きなバケツの中に入れられている。実際はもう少し複雑だが、ここではそこまで厳密に考える必要はない。とにかく、その少し急流すぎる渦巻きを利用しやすくするために、容れ物であるバケツの方を動かして、渦の勢いを相殺してるわけだな。キャラビニエールはせっせと公転することで、渦に反対向きの慣性力を与えてるってわけだ。そう……魔力を弱めるために」
「ま、まさか……貴様は……!」
「さすがは魔王様、もうわかったみたいだな。そう。魔王を倒すにはとにかくたくさんの魔力がほしい。が、手持ちの魔力では心許ない。せっかくの〈聖紋〉だが、あれでは魔力が足りてない。復活後の〈凍結された決戦場〉の変化から推定すると、〈聖紋〉で発揮しうる魔力は魔王ブカンフェラスの有する魔力の四割程度にしかならない。しかも、〈聖紋〉は何世紀も放置されてたから、実用的な装置というよりは古代の遺跡といったほうが近いような有様だ。じゃあ、どうするか。手持ちの魔力を強めるしかない。そこで――」
「逆転……させたのだな。この街の公転を――!」
「ご名答。現在キャラビニエールは逆回転している。さっきの衝撃は、なんてことはない、公転方向の逆転にともなって、急に慣性力が働いた結果だ。要はバスが急に止まったらつんのめるのと同じ原理さ」
クラフトの言葉に、遠巻きに見ていた人々があわてて空を見る。
雲、太陽……空にあるものを観察すれば、キャラビニエールの公転方向はすぐにわかる。しばらくすると人々の中から驚きの声が上がりはじめた。
「親方は失敗したらどうなるってヒヤヒヤしてたが、他の機匠たちを何とか説得してくれたよ。キャラビニエール全二十四区の公転ジャイロを、一斉に切り替えてもらったんだ」
「正気か――!? そんな真似をすれば、巨大な慣性力で都市が保つまい!」
「それが、保つんだな。キャラビニエールの公転は、最近でこそ安定してるが、昔は周期がズレたり、速度が不安定になったり、高度が乱高下したりすることが多かったんだ。それらの現象を空転だとか軸揺れだとか呼んでるが、そのためにキャラビニエールの建物や地盤構造は元々頑丈に作られてるんだ。重要な箇所は常時魔錠術で補強すらしている」
「だが、排魔路や公転ジャイロは左回りの公転を基準に設計されているのだろう!? 渦を加速するようにバケツを回せば、渦はやがてバケツから溢れ出すはず――!」
魔力が足りなければ、加速すればいい。加速した魔力を集めて魔王に叩きつければ、たとえ魔力の総量で魔王に負けていたとしても、魔力流によって与える打撃は魔王の防御を破れるかもしれない。
だが問題は、それだけの魔力をいかにして制御するかだ。
クラフトの背後で、シアが突然叫んだ。
「そうか! これはタビュロなのね! クラフトは、キャラビニエール全体を逆加速型の聖鎧回炉に創り替えたんだわ! 魔力を取り込み、減速するのではなくむしろ加速して増幅する、逆加速増幅式聖鎧回炉内蔵対魔王用聖鎧都市――タビュロ=キャラビニエール……!」
テレサが、クラフトの前へと進み出る。
テレサが手にしたタビュロには、キャラビニエール中の錠という錠が繋がれ、タビュロ=キャラビニエールが増幅した膨大な魔力が集束しつつあった。
錠の接続限界距離は、通常五十メリアに制限されているが、その制限は今都市中を駆け回っている機匠たちの手によって解除されつつある。公転の逆転によって魔力流が大幅に勢いを増しているせいもあり、この広場を中心に北舷のⅠ区Ⅱ区の錠ならば問題なくタビュロに接続できる。それより遠くにある錠は、錠から錠へと魔力をリレーすることで広場へと流入させるよう、親方を通して手配してあった。
テレサの手の内に集まりつつある膨大な魔力に、クラフトはほとんど本能的に冷や汗をかいていた。万一制御を誤れば、この広場が――いや、北舷の大部分が消し飛びかねないほどの魔力が、今目の前に集束しているのだ。
「で、でも……タビュロの材料の問題はどうなったのよ!? こんな膨大な魔力に耐えうる素材なんてなかったんじゃ――」
「そこで、わたしの出番なのです。わたしには類い希な魔力許容量と魔力制御の才能がある。わたしになら、タビュロに集まった膨大な魔力を捌くことができます」
千年前に手放したかつての愛剣とは似ても似つかない、機械仕掛けの剣。
百人の乙女と百人の高僧が百日以上に及ぶ祈祷を続けるなか、大陸中から選りすぐられた刀鍛冶たちが休む間も惜しんで鎚を振るって鍛え上げたかつての聖剣と比べれば、ごつごつと不格好で、愛着を持つには苦労しそうな剣だった。
しかし、千年前の常識からすれば、ほとんど冗談のような剣でもあった。
膨大な魔力を扱うための極小の魔法陣を可能な限り詰め込んだこの剣は、どんな魔術師にも作ることのできない万能の杖であり、魔王の魔力すら撥ねのける最強の盾でもある。
これこそ、〈犠牲の聖女〉テレーシア・ケリュケインが千年の時を賭けて求めたものだった。
「覚悟なさい――魔王、ブカンフェラス――! 千年に及ぶこの因縁――今度こそ……断ち切りますッ!」
凄まじい魔力の圧力を感じさせるタビュロの切っ先を、ブカンフェラスへと突きつける。
「正気か――!? 私を倒せば、この街は確実に滅ぶのだぞ!? 単に墜ちるなどという問題ではない……たとえ不時着なり脱出なりができたとしても、我が魔力に依存しきったこの街の経済は遠からず破綻する! 貴様はこの街に住む三〇〇万の市民を破滅させるつもりか!? ……ドルーア、貴様はそれを認めるというのか! この街の民を庇護する者としての責務を抛り出し、街ごと私と心中するつもりなのか!」
ブカンフェラスが、群衆の奥から事態を見守るドルーアに鋭い視線を投げつける。
片腕を失ったドルーアは、秘書であるブレンダに支えられながらその場に立ち上がり、市民にはよく知られた朗々たる声で宣言した。
「……私が間違っていたのだ、魔王ブカンフェラス。貴様は危険すぎる。この街を墜としてでも、我々は貴様を倒さねばならんのだ。我らの……人類の未来のために!」
「愚かな……! 後悔するぞ……!」
信じがたいという顔で罵るブカンフェラスを見て、ドルーアは苦笑したようだった。
市長であるドルーアがキャラビニエールを破滅させようとし、魔王であるブカンフェラスがキャラビニエールを救おうとしている――そのことに皮肉を感じたのだろう。
魔王の言葉に応えたのはシアだった。
「……全く、情けないわね」
「何だと?」
「あんたじゃない……あたしのことよ。あたし、あんたが今言ったのと全く同じことを考えてた。みんなを救うにはあんたの力が必要で、あんたは必要悪なんだって。でも……」
シアは回炉刀を握り直し、魔王に向かって決然と言い放つ。
「――あたしたちはやり直せる。千年前の、それから今回のテレサの悲壮な覚悟を、もう無駄になんかしない。あたしたちはあんたを倒す。倒して、あんたの屍の上に、新しいあたしたちのキャラビニエールを築いてみせる――!」
シアの言葉に、居合わせた人々が一斉に鬨の声を上げた。