第30章 毒臭
「海堂警部!!」呼ばれて振り向いた。鑑識課の鬼束が慎太郎に声をかけたのだ。
「鳩の胃の中に入っていたものは、本来鳩が餌としている穀物でした。その穀物に青酸カリが含まれていてそれを食べた鳩が集団毒死した可能性があります。」
「つまり犯人は、わざわざ鳩の餌に青酸カリを含ませて鳩を殺したって言うのですか!?
犯人の狙いは鳩を殺すためにK大学の青酸カリを盗んだという事!?」丹波が言った。
「・・・・鳩をわざわざ殺すために青酸カリを盗んだというのは、違うと思う。」と、慎太郎。
「そ、そうですか・・・?」と、丹波。
「これは俺の勘に過ぎないが、犯人はもっと別の誰かを殺すために青酸カリを盗んだ。
鳩は、青酸カリの威力を試すために殺したのかもしれんよ。とりあえず明日、鳩が死んでいたあの公園に行ってみようか。」慎太郎が言うと、丹波も千田も答えた。
犯人は、何を考えているのか。慎太郎が言った通り、誰かを殺すために青酸カリを盗んだというのなら、鳩はその誰かを殺す前の予行練習などにさせられたと言うのだろうか。もしそれが本当なら、鳩だって生き物だ。簡単に奪っていい命ではない、器物損壊罪となる。
慎太郎、丹波、千田は明日、鳩が大量死した横浜の公園に聞き込み捜査をすることになった。
たかが、鳩・・・という風に捉えるかと思うが、その鳩を殺したことによって、人間に牙が向く可能性もあるのだ。
慎太郎はこの鳩殺しは殺人事件の序の口だと思っている。
そして、次の日の六月十四日。慎太郎たちは車を走らせ、鳩の大量死骸があった公園へとやってきた。
人がそこまでいるわけではなかった。鳩の大量死骸が出てきたから無理もないのかもしれないが。
今日は日曜日だ。小学生ぐらいの男の子三人組がサッカーをしていた。慎太郎はその少年たちに話を聞こうとした。
「君たち、ちょっといいかな?おじさんたち、警察なんだけどね。」慎太郎が少年たちに声をかける。
少年たちは怪訝そうな顔をして、慎太郎たちを見た。多分、怪しんでいるのだろう。
きっと、親たちに知らない人間と話すなとか言われているのだろう。
「警察って証拠は?」少年の一人が言った。
「あぁ?」丹波が訊き返す。
「こらこら、丹波君。これでいいかな?」慎太郎がさりげなく警察手帳を見せる。
「すげぇ!!本物だ!!」二人目の少年が警察手帳に触ろうとすると、慎太郎は間一髪上に手を挙げて、警察手帳を子供に触られない高さにあげた。
「ごめんね、むやみやたらに出せるものじゃないんだ。」慎太郎がやんわりと言った。
「この公園にいた鳩が死んでいた件だが、怪しい人間とかいなかったか?」すぐに丹波が訊いた。
「知らねぇ。」不貞腐れたように少年が答える。
「おおい、いい加減にしろよ?」少年の態度にカチンときたのか、丹波がドスの利いた声で言う。
「ちょ、ちょっちょっちょ!!丹波さん!!」千田がすかさず止める。
「鳩を殺した毒は人間も殺せるんだ。鳩を殺したのが序の口だとしたら、君たちにも危害を加えられるかもしれない。君たちに危害が来ないようにするから、分かる範囲でもいい。教えてくれないか?」慎太郎が言った。
少年たちはお互い顔を見合わせる。
「・・・そういえば・・・鳩おばさん最近見てないよね?」少年の一人が言った。
「鳩おばさん?」慎太郎が聞き返す。
「毎日鳩に餌をあげてるおばさんだよ。
母ちゃんがホームレスって言ってたな。最近、鳩が死んでからそのおばさんも見てない・・・。」
「そのおばさん・・・いつもどこにいるか分かる?」
公園は結構広い。公園に入ると北へ進む。その場所には何人かのホームレスが段ボールで家を作って暮らしているようだ。
どうやら、その鳩おばさんはホームレスの一人だという。
何人かホームレスの男性がいたため、鳩おばさんの事を聞いてみた。ホームレス仲間からは“ハトコさん”と呼ばれているようだ。
「ハトコさん・・・そういえば見ねぇな最近・・・。」
「ハトコさんの家・・・と言いますか・・・住まわれている場所はありますか?」慎太郎が訊いた。
「あの奥・・・大きな木があるだろう?あの近くにいつもいるよ。噴水が見えるのがいいんだって。」
指を指された場所を見た。大きな木が一本あり、その後ろに雑木林のような木が何本も生えていた。その場所にハトコさんの住んでいる場所はあるらしい。
慎太郎たちは言われた通り、木のある方へと向かった。目印の木に近づいてくるたびに、慎太郎は顔をしかめる。
アーモンド臭がするのだ。
「・・・・まさか・・・。」慎太郎は走った。そして、雑木林の方へと向かって行く。この雑木林は、鳩を始めとする鳥が沢山住んでいるようだ。ハトコさんはここで鳥と戯れて暮らしているようだ。
走って臭いがきつい場所へと向かうと、一人の老婆が倒れているのを発見した。
老婆の周りには鳩やカラスなどの死骸も散らばっていた。そして、鳩の餌となる穀物も散乱していた。
慎太郎は走ってハトコさんの元へ向かい、脈を図ったが、もう手遅れだ。
「・・・・丹波君、鬼束君たちを呼んでくれ・・・。」
「分かりました・・・。」
ハトコさんの死は、青酸カリを大量摂取したことによる中毒死だ。
*
日曜日も翔二と蛍の間では、気まずい空気なのは続いている。
寮生がリビングに集まってはいるが、蛍と翔二の間だけ不穏な空気が流れている。
「・・・翔、いい加減仲直りしてよ!!」拓也が翔二に言った。
「・・・俺悪くねぇもん・・・。」そう言って翔二はそっぽを向く。
「そういえばさ、昨日の結婚式に来ていた新婦さんもそのお友達も綺麗な人たちだったね。」連司が話題を変えて話し始めた。それにはいち早く翔二が反応して口を開いた。
「何か、新婦の友達だか知らねぇけど・・・一人の女の人が来て一回不穏な空気になったけど・・・あのコーヒー飲んでいた女性は会社の人?」翔二はあの時鈴木と不穏な空気になった“木村理紗子”という女性の事を聞いた。
「あぁ・・・あの人はお父さんの会社の人じゃないよ・・・。
会社の人は、新郎新婦の内田正平さんと、桜田彩さん、鈴木真帆さん・・・あとはその他いるけど・・・木村さんは桜田さんと鈴木さんの高校の同級生らしいよ。」優奈が説明した。
「まぁ、結婚式に来るのが会社の人間ばかりとは限らないもんね。」和也が言った。
確かにそうだ、と翔二は思った。そして、翔二はこういう時刑事ドラマだったらという体で話し始めた。
「刑事ドラマだと、ああいうつっけんどんな人が殺人犯に殺されちゃうよね。」
「翔二・・・縁起でもない事言わないでよ・・・。」と、優奈が言った。
「ごめんごめん、もしも刑事ドラマだったらっていう話だよ。」
「まぁ、確かに・・・みんなに嫌われてそうな人って基本刑事ドラマでは殺される役だよね。」と、連司。
そんな会話をしていると、リビングに担任教師、中島がズカズカと入ってきた。
「はぁ!?何でなかじー来るの!?」拓也が驚いた顔をして言った。
「お前ら、七月の六日から期末だぞ!!今からテスト対策に来た。」
「はぁあ~~~~!??」寮生全員が嫌な顔をした。
「ちょっと・・・まだ三週間あるじゃん!!いらなくない!?」連司が抗議した。
「問答無用だ!!おら、これやれ!!」
机に投げつけられたのは、中島作成の数学の問題集だった。
「いらねぇ~~~~!!」
ぶぅぶぅ文句言いながらも、寮生たちは誰も中島に逆らう事はしない。みっちり日曜日一日中、数学の問題集をやらされたのだった・・・。
翔二は問題集をやりながら、ちらりと蛍を見た。いつもより元気がないのは、自分と喧嘩中だからと気づいていた。
翔二は頭を掻き、大きくため息をつきながらも、問題集に取り組んだ。
それから中島は夜の二十一時半まで寮に居座り、この日曜日は中島監視の元、一日中勉強をさせられることになったのだ。
そして、次の日の朝になる。寮生たちは一日中、中島に勉強を見て貰っていて疲れ切った表情をしていた。
無論、翔二もだ。
「おい、カズ。まさか今日も中島の奴、来るとか言わねぇよな?」翔二が和也に聞いた。
「・・・僕に聞かないで。知るわけないでしょう。」和也が答える。和也も疲れているようだ。
「潤兄と旬兄になかじー撃退方法聞いてみるよ。」と、拓也。
「頼むわ。」寮生全員が拓也に言った。
多分・・・潤も旬もその方法を逆に知りたいという返答が来るだろう。
RPGゲームなら攻略をインターネットか本で探せば見れるのだが・・・中島という大魔王には攻略本というものが存在しない。
寮生たちと並んでトボトボと歩いていると、急に左腕に何かが絡んできた。
「翔二!!」
呼ばれて振り向くと、吉澤茜が翔二にくっついてきたのだ。
「おはよう♩」そう言って吉澤は翔二の腕に顔を摺り寄せる。
「な、なんだよ・・・。くっつくなよ!!」翔二はくっつかれた左腕を払いのけた。
(うわ・・・出た。)優奈がいかにも嫌そうな顔をした。
するとそれを見た蛍は、足早に去ろうとした。
「土方さん、おはよぉ。」
わざとなのか、吉澤は蛍にも挨拶をする。
「・・・・。」
蛍は一度吉澤を見たが、返事をせずに行ってしまった。
「何?無視?」
「・・・当たり前でしょ?」美由が吉澤に吐き捨てるように言った後、美由と優奈が蛍を追いかけて走った。
優奈は翔二に一言、ジェスチャーで先に行ってると合図を送った。翔二は右手を挙げて返事をした。
(クソ・・・・。悪いな、優奈・・・。)
一瞬、吉澤に対して怒ろうか翔二は考えた事がある。だが、そうしても蛍と仲直りが出来るきっかけになるとは到底思えなかった。翔二は大きなため息をつきながら、拓也たちも含めて吉澤やその友人たちと登校することになった。
*
株式会社チェリー・ブロッサムは、化粧品を作っている会社である。全国都道府県に百以上の支店を持っている大手メーカーなのだ。
優奈の父は神奈川県横浜市にある支店の所長である。そこで事務員として働いているのが、桜田彩、鈴木真帆、営業として働いているのが、山田龍、内田正平などである。
チェリー・ブロッサムの化粧品は、商品のビンや箱、容器などそれぞれに桜の木の影がロゴとして載っている。
事務所の隣には工場もあり、優奈の父は、事務所、工場を行き来しながらそこの責任者として働いているのだ。
「それでは、営業に行ってきます!!」内田が鞄を持って、ホワイトボードの所まで行き、ボードには“外出 NR”と記入した。
「行ってらっしゃい!!」桜田が内田に言った。
「あぁ、終わったらラインする!!」そう言って内田は出て行った。
「ふふ、相変わらずラブラブね♡」鈴木が茶化すように言った。
「も、もう・・・真帆ったら・・・茶化さないでよ・・・。」桜田は顔を赤らめる。
「お疲れ様です。」
出入り口から工場の従業員の一人、渡辺健太が入ってきて、所長である優奈の父の方へ真っ直ぐ向かう。
優奈の父に書類を見せて、一通り話すなどを行って、押印を貰ってすぐに渡辺は事務所を出て、工場へと戻っていった。
その時、彼はちらりと桜田と鈴木の方へと目をやった。
定時は18時だ。事務員はすぐに帰れる。桜田と鈴木は一緒に事務所を出て、駅で別れた。桜田は内田との新居へと帰って行った。
結婚式を挙げて、二日。帰るまで二人は新婚でもあるから、幸せの絶頂だったのだ。
ウキウキで新居へ帰ろうとすると、携帯が鳴った。
「あら?誰かしら?」そう言ってラインを開く。
「あ・・・・。」嬉しそうな顔をしてラインのメッセージを読んだ。内田に帰りは遅くなると伝えたラインを送り、彼女は回れ右をして、目的地へと歩き始めた。
*
さて、時間は遡り、学校は昼休み。相変わらず空気が重い。
翔二と蛍が喧嘩していようが、寮生はお構いなし。入学式からずっと一緒に弁当を食べているのだ。たかが二人の人間が喧嘩していようが一緒に食べるのが習慣になっている。
翔二は事件がないかニュースなどで調べていたが、今のところ神奈川県ではない。その変わり、東京都港区の宝石店で強盗事件が発生したようだ。
続いて他のニュースを開いてみると、同じく東京都、今度は葛飾区ではアポ電強盗が起こったらしい。だが、東京都は父の管轄ではない。神奈川県なのだ。
その他神奈川県では事件発生していないのか調べているが、これと言った事件は発生していない。
あえて言うなら、小田急線で人身事故が起こったらしい。
自分たちは電車を使わないから大丈夫だが、使う学生は最悪だと思っているだろうなと翔二は思った。電車運転再開見込み未定と来たもんだ。ご愁傷様です。
(それにしても東京は事件が多いな、さすが警視庁だ。右京さんご苦労様です。)などと、ドラマの主人公に敬意を払ってみる。
「小田急線、人身事故だってよ。」寮生は使わないが一応言ってみる。すると・・・。
「え~困る!!何時に再開するの!?」
いきなり耳元で声がした。
「うわっ!?」翔二は驚き、思わず避ける。すぐ後ろにはまたもや吉澤がいた。
すぐに寮生たちを見ると、拓也たちは気づいていたようで、“ごめん”と右手で謝罪をする仕草を見せてきた。
「びびった・・・。運転再開見込みは未定だって。ラインとか見れば分かるだろ。自分で調べろよ。」翔二は軽く突き放すような言い方をした。
「なんだかんだ言って翔二は教えてくれるじゃん。優しいねぇ♩」
と言って、吉澤は翔二の腕にそっと左手を添える。翔二はその反射に少し腕を吉澤から放した。が、翔二にそういう態度を取られても吉澤は怯むことなどはしない。
(軽くストーカーの粋よね・・・。)
優奈も美由も春那も呆れた顔をして吉澤を見た。
「てゆうかさぁ、何で海堂ってそんなに茜から逃げるの!?
茜、可哀想じゃん!!」吉澤の友人、小松が意味の分からない言いがかりをつけてきた。
「はぁ!?」翔二は驚いた口調で言った。
(いや、可哀想なのは翔二と蛍なんですけど。)優奈が心の中で突っ込む。
これぞ、ユーチュー〇などの動画でショートムービーのアニメ動画を配信されているのに有名なキャラクター、ドキュン人間というのだろうかと優奈たちは思った。
もはや翔二も寮生たちに助けを求めるような顔をする。
「ご馳走様・・・。」蛍が立ち上がり、屋上を出て行った。
「蛍!!」美由と優奈と春那も立ち上がり、蛍を追いかける。
「何か最近土方さん変じゃない?」小松が言った。
(・・・お前らのせいだろうが・・・。)翔二は軽く吉澤たちを睨んだ。
*
亡くなったハトコさんの身元は確認できなかった。その為、“行旅死亡人”という連絡になる。
ハトコさんが使用していた鳩の餌を見ると、小さな穴が開いていた。どうやら、ここから青酸カリの毒物を混入して、鳩やハトコさんを殺害したのだろう。
だが・・・何のために?
かといって、今までホームレスの人間を殺害する殺人鬼はいなかったわけではない。
非常識で、残酷な人間が“ホームレスは排除だ”などと言って、ホームレスを意味なく襲撃し、殺害するような事件は今まで沢山起こっている。
だが、今回はハトコさん一人だけだ。ハトコさんだけを狙った犯行なのか、それとも、鳩を単純に狙っただけで、その鳩の餌をハトコさんが食べてしまっただけに過ぎないのか。今回の事件は、殺人事件として扱うべきなのか分からない案件だ。
どちらにしろ、人が一人亡くなっているのだ。慎太郎達捜査一課が動くのは間違いない。
犯人は、鳩でもハトコさんでも誰でも構わないと考えて殺した無差別殺人鬼という考えもある。
「刑事部長。」慎太郎は、上司の伊佐美に話しかけた。
「この事件はハトコさんを狙った犯行ではない気がします。もしかしたら、第二の殺人が起きるかもしれません。」慎太郎が言った。
「その根拠は!?」管理官の上村が訊いてきた。
「いえ・・・私の勘にすぎません・・・。」
「なんだそれ!!」上村が鼻で笑う。
「でも、上村君。海堂君の勘が外れる事は滅多にないんだ。
犯人の目的が分からない以上、もしかしたら事件が起こってからこちらも動くことになるかもしれないね。」と、伊佐美。
「・・・はい。なるべく目を光らせておきます。」と、慎太郎。
まずはあの大学で青酸カリを盗んだ人間をすぐに見つければ万事休すなのだが、絶対に難しい。必ず次の犠牲者が出てしまうだろう。
とりあえず、他の班にはハトコさんが殺された横浜市の公園を見張ってもらい、自分たちはもう一度大学の防犯カメラを見させてもらうことになった。最初に見せて貰った時は何も映っていなかったのだが、何か見落としているのかもしれないと思った。
慎太郎たちは早速K大学へと足を運んだ。だが、大学に着いた後、教授の久保義文から驚くべき事を知らされた。
なんと、盗まれた分の量の青酸カリが戻ってきたと言うのだ。
「本当ですか?」慎太郎が驚いて訊ねてみた。
「正確に言うと・・・“あった”です。」久保が言った。
「・・・・はい?あった?」慎太郎たちはきょとんとした。
「は、はい・・・。」久保も戸惑っている様子だ。
詳しく訊くと、朝、久保が出勤したときに教室に段ボールがひと箱置いてあることに気づいた。中を開けると、盗まれた分の青酸カリが入っていたという。
「その段ボールは?」慎太郎が訊くと、久保は段ボールを持ってきて、慎太郎たちに見せた。
「気味が悪くて、薬には指一本振れておりません。」
「こちら、お預かりしても?」
「構いません。滅多に青酸カリなんて使わないから、盗まれたとき心臓が停止しそうになりましたけど。本当にしばらく使わないので、大丈夫です。どうぞ持っていってください。」
「それでは、預からせて頂きます。あぁ、一つ、宜しいですか?」慎太郎が言った。
「はい?」
「もう一度、防犯カメラの映像を見せて貰いたいのですが。我々が見落としている可能性がありますので。」慎太郎が言った。今日、大学に来たのはそれが目的だからだ。
「あぁ、構いませんよ。それでは、助教授の三谷に案内させましょう。三谷君。」そう言って、久保は助教授の三谷を呼んだ。
助教授の三谷聖也は三十代中間と言おうか。若い男性だ。
しまった顔をしていて、白衣が似合うイケメンだった。
「三谷と申します。ご案内いたします。」三谷が頭を下げて挨拶をした。なかなか礼儀正しい男性だ。
「神奈川県警捜査一課の海堂と申します。お忙しい中、申し訳ございませんが宜しくお願い致します。」慎太郎も挨拶をして、名刺を渡した。
「あぁ、そうだ。一つだけ久保さんにお聞きしたい事が。」慎太郎が三谷に名刺を渡した後、久保の方に振り向く。
「何でしょう?」
「ぜひご一緒に三谷さんにも見て貰いたいのですが、この女性・・・見覚えございますか?」慎太郎が見せた女性の写真は、今回盗まれた青酸カリが入った鳩の餌を食べて亡くなった“ハトコさん”だ。
「いえ・・・。」二人は首を横にする。
「この方は?」久保が質問する。
「今回、こちらで盗まれた可能性のある青酸カリで亡くなった女性なんですがね・・・横浜のとある公園でホームレスをされていた女性なんですけど。」慎太郎が回答する。
「横浜の公園で鳩が大量に死んだニュースを観ていませんか?その鳩の死骸発見後、その公園に捜査しに行ったら、この女性が公園から少し離れた雑木林で同じ毒を飲んで亡くなっていたんです。」続いて、丹波が説明した。
「・・・そんな・・・!!」久保も三谷も驚いた。そして、まじまじとハトコさんの写真を見る。
お互い見合った後、首を横に振り写真を慎太郎に返した。
「見覚えはありませんね・・・。この方が、うちの薬を盗んだとでも?」久保が訊いた。
「それは、まだ分かりません。捜査中ですので。ありがとうございました。それでは、三谷さん・・・お願いできますか?」慎太郎がそう言って、写真をしまった。
「あ、はい。こちらです。」
慎太郎、丹波、千田は一回久保の方に向かって頭を下げてから、三谷の後を追い、研究室を出て行き、監視カメラの画像を確認できる部屋へと移動していった。
「あの・・・うちの監視カメラですが・・・一か月過ぎると撮影されたカメラの映像が自動に消えてしまう仕組みになっているんです。だから、こちらの映像はもってあと二週間しか観る事が出来ませんが・・・。」
「そうでしたか。いえ、構いません。今日観て必要であればうちで映像を押収させて頂きますが、必要なければこのままで大丈夫ですよ。」と、慎太郎は答えた。
三谷が安心した顔をして、出入り口付近の監視カメラ、その他、大学内が映し出されている監視カメラを見せてくれた。
「ちなみにですが・・・カメラが作動していない場所もありますよね?」慎太郎が訊いた。
「えぇ、そうですね・・・。更衣室とか・・・、あと屋上もないですね。それから・・・・。あ。」思い出したような顔をして三谷が言った。
「何か?」丹波が訊く。
「あ、いえ・・・。私が学生の頃、よく遅刻をしている友達がいまして・・・。その子がバレないように裏の塀をよじ登って教授たちにバレないように登校していた人がいたんですよ。そこは今も監視カメラがない場所でして・・・。
まぁ・・・その頃は私とその友達しか知らない秘密の通り道でしたから・・・今の学生たちなら知っている子はいるかもしれませんけれども・・・。」
「・・・その秘密の通り道・・・、教えて頂けませんか?」慎太郎が訊いた。
そして、三谷に案内され秘密の通り道に慎太郎たちは来た。
地面は雑草が伸びていて、確かに誰も通らなそうな場所だった。だが、塀は今どきの学生なら女子でも男子でも通り抜けられるような低い塀だった。
ゲソ痕は取れなさそうな場所だ。確かにここなら青酸カリを盗んだ犯人が出入りできてもおかしくはない。
慎太郎は塀周りを歩いてみた。すると、一度足を止める。
「丹波君、千田君!!」慎太郎は、足を止めた後、丹波と千田を呼んだ。
「はい!!」二人はすぐに駆けつけてみる。
「・・・これ・・・ゲソ痕かな?」
慎太郎が指を指した場所を丹波と千田は見る。そこには不自然に土がついていた。なおかつ、土には靴の跡のようなものもかすかに見えていた。
「鬼さんに連絡します。」丹波がそう言って携帯を取り出した。
「宜しく。」慎太郎がそう言って、足跡の下から大学構内に入る道のりを歩いてみる。その中に同じような土は見つからなかった。
慎太郎は何故、この塀にだけ土がついているのか、不自然に感じた。
六月十五日、昼の十三時過ぎの事だった。
*
小田急線の人身事故の影響で、小田急線全線は運転見合わせになっていたが、十九時くらいには、運転が再開された。かなり大きな事故だったらしい。折り返し運転で何とか帰れる人もいた。
「はぁ・・・やっと帰れた!!」桜田が疲れ果てた顔をして帰宅した。
「お帰り!!もう少しお茶してればよかったのに!!」内田がそう言って、みそ汁を温め始めた。
「うん・・・でも向こうも明日仕事だし、引き止めちゃ悪いしさ。彼女の所は何とか電車動き始めたみたいだから早く帰りたいだろうし。
でも、電車止まってくれたおかげで、この間の結婚式にあまり話せなかったからいっぱい話せて良かった!!」桜田は嬉しそうな顔をした。
「それは?」内田が桜田の持っている紙袋を見た。
「お祝いだって。結婚式の日に渡せなかったからって、わざわざ連絡くれたの。」
「何貰ったの?」
「香水だって。しかも私、この香水好きなの・・・。嬉しい!!」桜田は本当に嬉しそうな顔をした。
「良かったじゃん!!あ、ご飯もう少しで出来るから、早く着替えて来いよ!!」
「うん、分かった!!ありがとうね!!」そう言って、桜田は着替える為に部屋へ一度入った。
この後の二時間しか彼らは生きる事が出来なかったのだ・・・。
“変な臭いがする”と、朝の七時くらいに警察へ通報が入った。
「何だろう・・・本当に変な臭いがするんですよ・・・。早めに来てくれませんか?なんか・・・怖いんで・・・。」
通報を受けた後は、先に近くの交番の巡査が駆けつけてくれたのだ。
「内田さん?いらっしゃいますか?」呼び鈴を鳴らし、ノックもした。だが、内田夫妻のどちらかが反応してドアを開けてくれることはなかった。
ドアに手をかけてみると、鍵はかけられていなかったので、巡査はドアを開けてみた。
「お邪魔します・・・。」巡査が入ると、すぐ先のドアも閉まりきっていた。
ここから変な臭いがする・・・。変な臭いがするドアを巡査は思い切って開けた。
中に入り、リビングへと駆け寄るとテーブルの上で頭を伏せた状態でぐったりしている夫妻を発見した。アーモンド臭がひどく、カップから紅茶がこぼれ、それがテーブルからしたたり落ちて、床が紅茶でびしょびしょに濡れていた。
巡査はすぐに、二人の脈を確認した。残念ながら、二人はすでに息絶えていた。
「至急、県警本部に連絡をお願いします!!
場所は神奈川県座間市のマンションで、男女の遺体発見しました!!ガイ者は、部屋の住人の模様です!!至急、本部に連絡お願いします!!
尚、ガイ者は毒殺されている模様で、アーモンド臭が部屋中でしております!!来られる際は、防護マスクをお願いします!!」
そして、巡査が通報してから約十分後に、まずは管轄である座間東署の所轄が現場へ到着した。
所轄の刑事が現場に入ると、顔を歪めた。アーモンド臭の臭いがきついのだ。
「殺人かもな・・・。本部に連絡は?」
「しております。まもなくこちらに向かうとのことです。」
所轄でそんな話をしている間に、神奈川県警本部、捜査一課のお出ましだ。
「お疲れ様です!!」神奈川県警本部の鑑識職員、鬼束がそう言って、現場に慎太郎、丹波、千田を通す。
「あ、警部方、こちらの防護マスクを着用ください。」
「あぁ、ありがとう鬼束君。」慎太郎たちは鬼束から防護マスクを受け取り、ビニール靴と防護マスクをつける。
所轄が来た頃にはアーモンド臭の臭いが相当ひどかったので、遺体はすでに法医学の方へ送られている。
「海堂警部、ガイ者ですが、こちらに住んでいる夫婦のようでして、男性がこの部屋の主人である内田正平さん、女性がその妻である内田彩さん。旧姓、桜田彩さんです。」鬼束が慎太郎に報告する。
「死亡推定時刻は六月十五日、午後十時から十一時半の間です。
紅茶がこぼれている限り、客でも来たのでしょうか?その紅茶から青酸カリの毒物が検出されております。」鬼束が一通り説明する。
慎太郎は辺りを見渡し、別の鑑識が持っているものに気づく。
「あれは?」
「あぁ・・・城田さん!!そちら、宜しいでしょうか?」鬼束は慎太郎が気にしたものを持ってくるように城田という鑑識員に要求する。
「香水のようですね・・・。」
渡されたものを慎太郎はまじまじと見た。確かに香水だ。
少しビンがひび割れていて、中の香水が漏れていた。
「アーモンド臭とは別の甘い匂いがすると思ったが・・・それはこれかな。」慎太郎がそう言って袋を少し開け、香水が入っている袋の匂いを嗅ぐ。その後、“うん、これだ”と言った。
部屋に入った途端、青酸カリの毒の臭いと、香水の匂いが入り混じった臭いがした。香水の匂いはこれだろう。
周りを確認すると、台所の紙袋にこの香水を入れていたと思われる小箱がしっかり潰されて他の紙類のゴミと一緒にまとめられていた。
とりあえず、香水のビンとこの小箱は押収する事にした。よく見ると新しいものだ。昨日買って開けたのだろうと思ったが、レシートは見当たらなかった。
すると、携帯が鳴った。被害者、内田正平の携帯だ。会社からの電話だろう。
時間を見ると、いつの間にか九時を回っていた。
「はい。」慎太郎が電話に出る。
『あぁ、内田君かい?どうしたんだい?桜田君もまだ家にいるのかい?』
聞き覚えのある声だと思った。慎太郎は慎重に現状を伝える。
「内田正平さんの上司の方ですか?私、神奈川県警捜査一課の海堂と申します。」
すると、相手の上司は驚いた声を出した。
『あれ?翔君のお父さん?優奈の父です。』
「え!?優奈ちゃんのお父さんですか!?それでは、内田正平さんと桜田彩さんの上司は優奈ちゃんのお父さんでしたか!?」慎太郎は驚いた様子で電話相手と話している。
『あ、あぁ・・・彼らは僕の部下だよ・・・。な、なにがあったんだい・・・?
君が内田君たちの家にいるなんて・・・まるで・・・。』
優奈の父の声が震えているのが分かった。娘の友達の父親だ。何の職業なのか知っている。
慎太郎は、ひと呼吸おいた。
「そうです・・・この家の住人である、内田正平さん、そして妻の彩さんが遺体となって発見されました・・・。」慎重に慎太郎は答えた。
『・・・・嘘だろ・・・?』優奈の父は、電話越しで言葉を失っていた。
六月十六日、午前九時十分の出来事だった。
第31章に続く




