エピローグ.
旧ソワルタ。そこに在る高級レストラン。
戦火を逃れ、ソレイユの士官らが良く贔屓にしているという――端的に言えば、ソワルタの没落貴族たちの元憩い場。
そこに、ジェリセはブラッドと共に訪れていた。
「ディータを置いてくる必要はどこにあったのですかね」
「ふふ。アレもまぁ、将来性は有りそうだが。秘密話はふたりきりに限るものだろう?」
心底愉しそうに、カーリーブラッドはジェリセの手を引いた。
「オレだ。個室は空いてるな?」
「は、はい。ブラッド様」
そんな風に、怯えられながらも案内されたテーブル。
それも仕方あるまいか。
下手をすれば、直接この少女の暴威を目にしているかもしれないのだ。
敗戦国。
巷で言われるほどに、悲惨な事にはなっていないこと、市民が生活出来ていること、そしてその復興への熱意を持つ貴族が居ること――シュミット老をはじめとした、厄介払いに出された非主流派のことだが――。
直接見てみて、ソレイユが言うほどに危険な国でないという予想が立てられる、その材料を得ることが出来た。
そして、シュミット老を介して行う復興支援。
支援とはいうものの、勿論互いに利益を得る商取引だ。
ある程度レートを最初は譲歩するとしても、徐々に正規の交易ルートへと育て上げる。
それはリュヌにとっても利益になり、そして商人たちが行き来し、折衝に貴族たちもやり取りを交わす。
正常な国交が結ばれ、それは安易な戦争を抑制する。
ジェリセが得た戦果は、多大なものだった。
そして。それだけではなく。
「さて、何から話そうか?」
どうやら気に入られたらしい、この眼の前の人物とのコネクションもまた、戦果の1つであると言えるかもしれない。
「話も良いですが、乾杯ぐらいはしておきませんか」
「ふむ。まぁ、そうだな」
ブドウ酒を互いに注ぐ。
薄暗い中、男女2人が少しだけ上等な酒の匂いに酔う。
そういえば、聞こえは良いものの。蛙と少女である。それも、少女の方も随分と変わり者だ。
「何に乾杯するべきかね」
「君にとっては、1つ大きなものがあるだろう?」
「それで良いと?」
「無論だ」
気まぐれに過ぎるように見えて、そして制御の効かぬ人間に見えるブラッド。
しかし、ジェリセの見立てではどうもそう理解不能の人物ではないように見えていた。
「リュヌとソレイユの交流に」
「交流に」
ちん、と。杯をぶつけあう音。
そのややもすれば上品な音の後、2人は酒を煽った。
「混ぜモノが必要ない葡萄酒は、うむ。良い」
ブラッドがそんなことを言った。
「……貴女は、貴族になる前は?」
「ふむ。それを聞いてどうするね?」
「どうにもしませんよ。この胸にしまいます。おっかない」
冗談めかして、肩をすくめる。
単なる、好奇心だ。
答えてくれるか半々だろうか。そんな風に考えていたが。やがて、ブラッドは話し始めた。
「孤児だった。王に拾われてな。オレが王に心酔する訳がわかるだろう?」
「しかし、それは男女の情ではない」
「無論だ。というか、オレみたいな汚れた女。化け物扱いされる女。誰だってお断りさ。
そもそも、オレからしてもお断りだ。ブラッドの家は、一代で終わらせる」
「話しすぎじゃありませんか?」
「上等な酒のせいかもな」
「なら、仕方ありませんね」
概ね、ジェリセの考える通り。彼女の内面は皆が想像するほど――単純ではない。
「お前は、どうだった。確か、騎士叙勲を受けているんだろう?」
「良くご存知で」
「シュミットに聞いた。……ま、それは良い。答えろ」
「商家に拾われたのが、今に至る切欠ですよ。その前は、私であって私ではない」
「……ふうん。オレと似たようなもんか」
「そうかもしれませんね。誰かに忠を誓う、という意味でも」
「お国に殉じるか?」
「えぇ。無論」
それは、ある意味で狂信者の会話。
忠実、といえば聞こえは良い。しかし、国に仕え。特定の人物に命すら賭す。
そんな人間が2人語り合うのは、傍から誰かが聞いていれば、どこか気持ち悪く聞こえるだろう。
ジェリセは自分たちのことながら、他人事のようにそう考える。
「……ディータには、後で話さなければいけないな」
「何をだ?」
「貴女のことですよ。実のところ我々は、命を狙われていて――貴女は恩人だった」
「…………あぁ。あの賊らか。貴様らが狙いだったんだな」
ブラッドと、初めて会った時。ソレイユ兵に護送してもらっていた時。
あの時、ディントはブラッドを刺客を放った油断ならない人物と見ていたようだが――事実は、多分違っていた。
「刺客がね。一度こう言った。『ブラッド様に報告だな』。最初は、まんまと騙されました」
「へぇ」
主犯は違っていたのだ。
ブラッドは面白そうに笑った。
「それで、続きは?」
「しかし、貴女と出会い、考えてみる。どうも態度がおかしい。
いや、認めてくれて態度を転換したようにも見えるが――それにしても、奇妙だ。
貴女という内面は、そこまで振り切れたものではない」
「褒め言葉として受取っておく」
「えぇ。そうして頂けると」
「で、だ。考えてみる。貴女はこう言いました。『毛色の違う賊を追い払ってた』と」
そう。あの時の追い払った賊。今さっき、ブラッドが『あの賊らか』と言った、連中。
彼らこそ、ジェリセたちを狙った刺客であり。そしてその所属は恐らく――
「馬に乗った、統率された刺客。そんな相手を放ち、メリットがあるのは――」
「「エクリプス」」
2人の声が、重なった。
草原と駿馬の国エクリプス。平地に成り立つ国であり、紛うことなき大国の1つ。
リュヌを圧迫する、もう1つの国。
「この外交で要となったのはアルバとソレイユの仲立ちだった。しかし、エクリプスにとっては――」
「大国2つが仲良くするというのは、あまり気分のいいものではないだろうな。
仮にそうでないとしても、リュヌがソレイユと巧くやるというのが、不利益になる。
そういうことだろ、蛙?」
多分、ブラッドは何となくの。王の受け売りかもしれない、そんな単純な国際感覚をもとにそう言っている。
しかし、その勘と理屈を組み立てた筋道は間違っていない。
「えぇ。元々、エクリプスにとってリュヌは何となく目障りというところもある存在。
何故ならば騎馬兵を中心とする故に、険しい地理条件に適応しづらく、リュヌのような国を相手に戦争は絶対に避けたい。
或いは、戦争するならば、三つ巴になるように介入したい」
「故にオレの名を使ったんだな。
何をしてもおかしくない存在であり、あわよくば、国際問題を引き起こさせて。
ソレイユとリュヌが、最悪戦争をしてお互いに損をするようにする。
……そこからどういう利益を得るかは、わからんが」
「やりようは幾らでも。
商売でもいいし、小競り合いで何か資源を掠め取っても良いし、何食わぬ顔で仲介を買って出て、恩を押し売りするも良し、だ」
「悪辣だな」
「全くだ」
自分たちのことを棚に置いて2人頷く。
ジェリセはまぁ、自身もやろうと思えばそう立ち回るだろうと自覚はあるし。
ブラッドも多分、そういう悪辣さは自分にはないという自虐の意味合いもあるのだろう。
「もしもだが。私がこの交渉を担当しておらず、或いは怪我で引いてしまったとかの場合なら。
迂闊な外交担当者が、カーリー・ブラッドに過剰に怯えて、或いは証拠もないのに弾劾するなど悪手を打っていた可能性もある。
そういう意味で、全く杜撰な策だと評価することも出来ない。
……悪辣、という表現がピッタリだろうな」
「なるほどな。……あのディントとかいう男、随分素直そうだったが」
「彼だけだったなら、どうだろう。先走っていた可能性はゼロじゃないか」
ジェリセは、あくまで客観的にそう評した。同時に、
「だが、彼が居なければ今回の事は成らなかったろう。
私の命を救ったのもそうだし、要所要所でしっかりと抑えてくれていた」
「おや。存外高く評価するんだな」
「私は誰にでも適当な評価を下すさ。ちゃんと、妥当にね」
「ふうん……」
興味深そうに、目を細めるブラッド。
唇を舐めるその様子は、ディントへの新たな興味が呼び起こされたといったところか。
「……貴様らとは、付き合いを深めたいものだな」
「それは光栄」
芝居がかったように肩を竦めるジェリセ。
「貴女がこの場に誘ってくれた目的は、シュミットだけに傾倒せず、少しずつこちらの方とも繋がってくれという。王の派閥の人間としての、接近ですね?」
「うん。それだけじゃないがね。エクリプスへの警戒を促そうと思っていた。
見抜いていたのは少し予想外だったが」
「いえ。忠告有り難く。予想でしかなかったので、確信を得られたのは大きい」
意外と、うまくやっていけそうだ。
互いにシンパシーを感じているのは、ジェリセだけの勘違いでもないだろう。
「…………今後は、うまくやってきたいものですな」
「国として?」
「えぇ――」
「――国として、個人として。どちらもですよ」
ちん、と。戯れにまた杯を鳴らした。
これにて完結。
2ヶ月の間でしたが、お付き合い、有難うございました。




