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「二十四人、ソニアがそのうちの一人なのか……?」
「そうだ、私が一番手を掛けていたナンバーの一つ、Sは手元に残して置くことにした。正しく機能するか確認をする為に、偽りの記憶を埋め込んで私の孫として近くにおいた。それがお前なのだ、ソニア」
「そんな……私は人間です! 父と母と一緒に写る、あの青い空だって……!」
「空? 世界崩壊の後に誕生させたお前が、どうすれば青い空を見れると言うのだ。お前の記憶など、全て私の意の中にある。お前の中のデータベースには私の情報も入れてある。辿ってみよ、私が本当にお前の祖父かどうかをな」
「そ……んな……私は、一体……」
戸惑うソニアだったが、プロフェッサーの言葉にニネットが反応を見せた。
「アーヴィン・フォスター。1960年、アメリカ生まれ。マーキュリー計画に参加した技術者、トム・フォスターを父に持つ、月鉱物と遺伝子研究を主とする研究者。1987年に遺伝子培養の研究に成功。2000年に新人類計画を打ち出すが、それが罪となり2005年の裁判により100年の懲役が課せらた。五年後刑務所内の暴動により行方不明……以降の消息は不明」
ニネットは記憶を辿るようにプロフェッサーについての情報を淡々と述べた。まるで手に持った本の内容を説明するような口調だった。ソニアにも同じ記憶があるのか、ニネットの言葉を否定出来ず、困惑の表情を浮かべている。
「フハハハ、あらゆるデータベースを取り込めるよう記憶域を操作してはいたが、正しく機能しているようだな。素晴らしいぞNよ!」
ソニアは落胆した様子で体を小刻みに震えさせ、定まらぬ視線でプロフェッサーを見上げていた。
「刑務所から逃れた私は、月を地球に落す計画を立てた。月から持ち返った石は精度の高い月のコアだった。小さな石であったが大きさなどは関係ない、一つの存在として扱えば、斥力を無視し月を地球に隣接させる事も容易ではないのだ」
月を地球に隣接させるだって? あの石はそんなにも強力な力を持っているのか。
「しかし私の計画は失敗を迎えてしまう。月のコアを使い月を地球に落す筈だったが、政府は核によって月を半分に砕いてしまった。半壊した月は私の持つコアの力によってその片方を引き寄せてしまった。なんと嘆かわしい事か……世界は中途半端に崩れ落ち、地球は私の理想とする環境には至らなかったのだ」
こいつ完全に狂ってやがる。月の落下でたくさんの人が死んだっていうのに、何の悲しみも持っていない。
「お前のせいで多くの人が死んだんだぞ! じじぃは家族を失って……集落にいた奴等だって家族がいたはずなんだ! そんな大それたこと……簡単に人を殺しやがって……!」
「フン、小さな秤で計算などするからだ。宇宙は広く未知に包まれている、星の力は人の考えを優に超える。だからこそ人は進化しなければならない、人には無限の可能性があるのだ! フハハハハハ!」
「お前、自分が死んでしまうってことは考えなかったのか」
「自身の死など関係ない、世界の大きな変革には犠牲がつきものであろう? なに、心配など不要だ。いくつかは数を失ったが、生き残ったアルファナンバーたちが、新世界で進化を迎えるであろう! 人は無限だ! 新人類よ、星を超え新たな世界の道を進むのだ!」
プロフェッサーは手に持った機械を作動させた。突如、トレーラーに設置された装置が大きな音を立てて光を発し始めた。
「お祖父様、やめてください! その装置は世界を再生させるものではないのですか!? 我々の行動は何の為に……多くの犠牲を強いてここまでしてきたのですか!」
ソニアは悲痛なまでにプロフェッサーに訴えた。
「私は世界の再生など望んでおらぬ。三本の柱は月の道標となり、地球を新たな世界へと導くのだ」
「そんなことをすれば、二十五年前のように多くの人が死にます!」
「死ねばよい、刻は悠々だ。新しい人類が、また歴史を紡げばいいだけのこと」
「やめて下さいお祖父様!」
「何度言わせる、お前は私の孫ではない! しかし私がお前にどれ程の期待をしていたことか……リナもまたRの名を持つナンバーだったが、リナは感情の欠落が激しく、月に対する反応値も持っていなかった。ソニアよ……お前は完璧だったのだ。だが前番のNに倒されるとはな。失望した」
「世界の再生は……この星の運命は……生きることを望んだ私たちは!」
「出来損ないめ。ソニアよ、新たな時代にお前は不要のようだ。この場で死ね」
フィクサーがソニアに対して銃を向けた。
「そんな、お祖父様……」
ソニアは涙を浮かべ左右に頭を振った。銃口を向けられているにも関わらず、ソニアは動こうともしない、このままだと殺される!
「ソニア!」
俺の体は無意識に反応し、気付けばソニアの前に飛び出していた。
「ぐぁっ!」
プロフェッサーの放った銃弾が俺の脇腹に命中した。とてつもない痛みだったが、ソニアの心はもっと痛いに違いない。
「ツ……バメ?」
俺はソニアの前に立ち、拳を握ってプロフェッサーを睨み付けた。
「まだ抗うか小僧」
「例え……血は繋がっていなくとも、ソニアはお前の家族なんじゃないのかよ……お前が生み出した人間なんだろう! どうしてそんな冷たい目を向けれるんだ、どうして家族を大切にしないんだ! どうして……守ってやらないんだよ……お前は絶対に間違っている!」
「間違っているのは世界だ」
「このやろう……」
頭に血が昇り血管が膨れ上がるのを感じた。怒りで身は震え、握った拳に血が滲む。
こいつが全部壊したんだ。ソニアもホレスもお前を信じて付いて来たんじゃないのかよ。世界を滅茶苦茶にして、それでも足りずに世界を壊そうとしている。許せない。こいつは絶対に許すことは出来ない!
プロフェッサーが銃口を俺に向け、引き金に指を添えた。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
怒りで体中の痛みは感じなかった。
こんなにどうしようもない世界だって、俺たちは必死で生き抜いて来たんだ。全然知らない者同士が兄弟になり家族になった。大人にとっては辛い世界だろうと、お前にとって許せない世界だろうと、俺たちにとっては掛け替えの無い大切な世界なんだ。
壊れた世界でも、俺たちは生きている!
「貴様が先に死――」
奴が引き金を引こうとした瞬間、ニネットの投げた石がプロフェッサーの銃に命中した。銃口が僅かに逸れ、弾丸は俺の頬を掠めた。
「ここは俺たちの世界なんだぁぁぁぁ!」
怒りと憎しみを込めた拳を、目一杯の力でプロフェッサーの顔面に打ち込んだ。空が緑色に染まり、雷が海に落ちた。プロフェッサーの体は宙へ飛び、ゆっくりと地面へ落ちて行く。
「はぁはぁ……ソニア、お前の変わりに思いっきり殴ってやったぜ」
「ツバメ! 大丈夫!」
「あぁ、ニネット。お前も無事か?」
「うん、あたし大丈夫。でもあの人かわいそう」
ソニアは視線を落としたまま動こうとしない。涙の雫が何度も地を濡らしている。
「ソニア……大丈夫か、しっかりしろよ」
「……私は一体なんの為に生きていたのだ……世界の再生はただの妄想だったのか? 私の存在の意義は……同志たちはどうして死んだ……なんの為に……なんの為に多くの犠牲を強いてきたのだ……一体何の為に!」
顔をあげたソニアは悲痛に満ちていた。いつもの冷静さは消え、何かを否定するように頭を抱え髪を掻き毟っている。
「ツバメ! あれ!」
ニネットが指差す方向を見ると、世界高速の遠く向こうに緑色の光の柱が見えた。続いて世界高速の反対側にも光の柱が現れ、最後には装置からも光の柱が天へと伸び出した。
三本の光の柱が雲を突き抜け、空は緑色に染まった。上空で発せられる光の輪は、三本が鼓動するように雲を貫いた。衝撃波が雲を散らし、上空には半分に割れた巨大な月が姿を現した。
それは初めて見る月だった。半壊した大きな塊は太陽の光を反射させ煌煌と緑に輝いている。
「おいおい、一体どうなっちまうんだ……」
「フハ、フハハ、ガハッ……新たな、新たな進化だ、なんと美しきっ、コアの輝き!」
プロフェッサーは覚束ない足取りで立ち上がると、膝を震わせたまま、トレーラーに向かって歩き始めた。
「てめぇ! あの装置を止めやがれ!」
俺はプロフェッサーの胸元を掴み強く揺すった。プロフェッサーは苦しそうに表情を歪めるが、視線は月だけに向けられていた。
「フハハハ、もう、止められぬ、三つのコアは、共鳴を、始めた。道標はもう完成しているのだ、ああ、なんと美しき月だ。私の望んだ世界が、もう、すぐそこに……ヒヒヒハハハハッ」
それは人の見せる表情ではなかった。月に囚われた心の無い塊。同じ人間とは思えない形相だ。
俺はプロフェッサーの持つ機械を無理矢理奪い取ると、手当たり次第にボタンを押した。しかし装置には何の反応も無い。
「フフフ、コアよ輝け、地球と月を交差させ、二つのウロボロスの光りが無限を形成させるのだ。フハハ! フハハハハ!」
「くそっ!」
俺は機械を地面に投げ踏み潰した。
プロフェッサーはおもむろに足を進め、装置へと向かっていく。
「神々しき光の柱よ、人類進化の光よ!」
プロフェッサーは歩く度に何度も倒れたが、その度に這い上がり装置に近付こうとした。
やっとの思いで到達したプロフェッサーは、両手を掲げ光の柱を見上げた。不気味な笑みをうかべながら装置に手を伸ばすと、指が軽く触れただけにも関わらず、プロフェッサーの体は音も無く塵と化し消えてしまった。
「ちくしょう、打つ手無しか!? ソニア、何か方法は! そうだ爆弾とか、装置を破壊出来そうな物は無いのか!」
「……一度輝きを始めたコアは活動を止められない。例え装置を壊しても、エネルギーが失われることは無いだろう……」
「なんだよ、それじゃあ世界が壊れるのを黙って見ていろって言うのか!」
ソニアの目は虚ろで、全てを諦めたような表情を浮かべていた。もうどうする事も出来ないのか? 本当に世界は、これで終わってしまうのか?
「ツバメ! あたしが止める!」
「ニネット? おい、どういうことだ!」
「あたし、あの石に触れたとき光が消えた、だったらあれも消えるかもしれない!」
「やめろニネット! プロフェッサーは軽く触れただけで消えちまったんだぞ、危険すぎる!」
「でも、このままだと全部がダメになっちゃうよ?」
ニネットは俺の返事も待たずに装置へと向かって走り出した。
俺はニネットへと腕を伸ばしたが、ニネットの手を掴む事は出来なかった。どこにいてもすぐに分かるニネットの黄金の髪が、緑の光に染まって消えてしまう。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
光の柱に触れたニネットが叫び声を上げた。
「やめろニネット!」
だが、驚く事に緑の光が一瞬弱まったように感じた。上空の光の線は細くなり、歪んだようにも見えた。
光の輪は不規則に波打ち、遠い二本の柱もその姿を霞ませていた。
「光が弱まって……ニネット、止められるのか!?」
「くぅぅぅぅぅぅっ!」
ニネットは光の柱を押さえ込むように両手を広げた。弾けた光軸が勢いを失い、火花のように光が振りまかれる。
「ニネット……がんばれ! 頑張るんだ!」
「ううううぅぅぅぅ、こんなものぉ、こんなものぉ!」
「ニネット!」
より一層光が弱まった。そう思った瞬間、突然ニネットの腕が緑に変色を始めた。まるで光に侵食されたように、徐々に腕の色が変わっていく。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
「ニネット! くそっ、だめだ! 死んじまうっ…………はっ、そうだ、ソニア! ニネットを助けてやってくれ! 頼む! このままだとあいつ死んじまう!」
「たす……ける……?」
「ああ、そうだ。詳しい事は知らないが、お前とニネットは本当の姉妹なんだろ? ニネットと同じで石の光を消せるんじゃないか!? 姉妹ってのは助け合うもんなんだ、頼むソニア! 世界を救うって、お前も言ってたじゃないか!」
「今更私に存在意義など……」
「しっかりしろソニア! このまま世界が壊れるのを黙って見ているつもりか? 壊れた世界の子供だっていいじゃないか! 造られた人間だっていいじゃないか! だってお前はもう生きてこの世界にいるんだ! 青い空が見たいって言っただろ、世界を救ってから空を見ればいいじゃないか、希望を捨てるなよ! まだ終わってなんかいないんだ!」
「生きて……この世界で青い空を? そうか、私は……まだ生きている……装置を止めて、世界を救える可能性を……私にもまだ力があるんだな……」
「そうだ、頼む、ソニア!」
「ああ!」
ソニアの足は誰よりも速かった。ニネットと同じ金色の髪を揺らし、装置のある荷台へと飛び乗った。
ソニアはニネットの手を掴むと装置を囲むように腕を回した。
「ニネット! 私が付いている、耐えろ! 光を掻き消すぞ!」
「は、はいっ!」
ニネットとソニアに反発するように装置の中のコアが輝きを増した。空に昇る光の中で巨大な月が動いたような気がした。
嵐のように波はうねり、激しいさざなみが音を刻む。空で奔る雷が何度も世界高速へ落ち、並んだ照明を次々と割っていった。
突然の雨は湯のように熱かった。強い風に煽られ、俺はその場で立っていられないほどだったが、最後まで二人を見届けなければならない。
緑の光が勢いを緩めた。それを感じたニネットが装置の中に手を入れると、それに合わせてソニアも装置内のコアへ腕を伸ばした。互いの指がもうすこしで触れそうだった。
二人は同時に声を揃え更に指を伸ばす。
『世界は!』
語り合うように叫び、そして二人の指先が同時に石に触れた。
『終わらせない!』
繋いだ手のひらの中で月のコアが音を放ち砕け散った。
光の柱が空で弾け、続いて遠く二つの柱も小さな薄い線となって消えていく。
ニネットとソニアは地面に崩れ落ちたが、手を繋いだまま小さく笑っていた。
「やった! 痛っつ! くぅぅぅぅぅっ、やったぞ!!」
俺は両手を上げて拳を握り締めたが、片方の腕が折れているのを忘れ、思わず声をあげてしまった。
一通り叫んだ後、急に痛みが襲ってきた。落ち着いて自分の体をみると、撃たれた腹からは血が滲んでいたが、弾は貫通していたので、傷は思ったより小さかったようだ。でもかなり痛い。いや、ほんとに死ぬほど痛ぇ。
「ツバメ、大丈夫?」
俺の叫び声を聞いてニネットが駆け寄って手を差し伸べた。
「あぁ、なんとかな。ニネットも大丈夫か?」
左手でニネットの腕を掴むと、ニネットに追い付いたソニアが肩を貸してくれた。
「痛そうだな」
「相当いてーよ、お前が腕折るからだろぅ」
「そうだな、悪かった」
ソニアは悪気なんて微塵も感じていないように悪戯に笑ったが、俺は不思議と嫌な感じはしなかった。
「ほら、見てみろよ」
俺は二人に言った。
「わぁ!」
「これは……」
空を覆っていた雲は晴れ、そこには青く澄んだ大空が一面に広がっていた。斑陽なんてない、本当の太陽の光。いつも見ていた本の写真よりも、それはとても青く輝いていた。
これが世界の本来の美しさなのだろうか。俺たちは、ただただ空を眺めるだけだった。
「すげぇな……これが空なんだな、本当の……青い世界だ」
海は太陽の光を吸収し、空に負けない青色を浮かべた。海に写った小さな白い雲の先に、微かに残った緑の光が風に流されて重なった。その線はいくつもの虹を生み、空へと昇って広がって行く。
「世界とは、これ程までに美しいものなのか……」
「すごいすごい! あの雲おいしそう!」
もうヤマモトのおっさんの本はいらない。本の中の世界を眺めるのはもうやめだ。
俺たちの目の前には、新しい世界が広がっている。




