10
市で食料を撒いた後、すぐにじじぃの家の周りには人だかりが出来ていた。
知らない顔も多く、この集落にこれだけの人がいるという事に、俺は心底驚いてしまった。
目先の食料を前に、りんご屋のおっさんと、りんごを盗んだ泥棒の二人が、互いに気付く様子も無く肩を並べている光景には、呆れてものも言えない。
「いいかよく聞け! 今からお前たちには、この場所から世界高速までを繋ぐ道を作って貰う、瓦礫は全て取り除き、出来るだけ平らにするのだ。完了した暁には、じじぃが長年蓄えてきた食糧を全てくれてやる! わかったかゴミクズ共! さぁ作業に掛かれ、猶予はないぞ!」
ハチクマは妙な命令口調でその場にいた者たちに指示を出した。右手にはじじぃから渡された猟銃を持ち、左手にはどこの国かも分からない国旗が結ばれた棒を握り締めていた。
いつもは大人しいハチクマが今日に限っては厳しい口調だ。昔じじぃに貰った本の影響なのだろうか。そういえば『ハウツー指導者』は役に立つ本だと言っていたが、まさかこれの事だろうか?
「さっさと動け、これが欲しくないのか!」
ハチクマはいくつかの缶詰を空へと投げた。集まった人々は我先にと奪い合うように腕を伸ばしている。
「おい、これは焼き鳥の缶詰じゃねぇか! しかも炭火焼って書いてあるぞ!」
「うおっ、こっちはうずら卵の缶詰だ、珍しい!」
大人たちは子供のように歓喜の声を上げていた。
「良き働きを見せた者にはボーナスを出そう! さぁ作業を進めろ!」
「うぉぉぉぉっ!」
食料に釣られた集落の大人たちが一斉に動き始めた。普段は協力などするそぶりも見せないが、今では同時に声を掛け合って瓦礫を除き、倒れた電柱を大勢で押し退けていた。
「すげぇ勢い……なぁハチクマ、ところでボウナスってなんだ? そんなにうまい野菜なのか?」
「ボーナスはボーナスだよ、一年に二回貰える素敵な物だって本に書いてたんだ。大人たちはそれが楽しみでしょうがないらしい」
「じゃあお前、ボウナスが何かわかってないのか?」
「知らん」
「んだよそれ……」
勢いだけであいつ等を動かすなんてたいしたもんだぜ……しかしこれで世界高速への道は開かれる。
ニネットを助ける為に俺も準備をしなくてはいけない。考えてみれば怒りに任せて飛び出そうとはしたが、何の準備も無く奴等に挑むのは無謀だ。今は心を落ち着かせて集中するとしよう。
「ツバメ、こっちに来い」
「あ、ああ」
「いいかツバメ、このヴェイロニアは二人乗りじゃ、この車は速度は出るが非常に燃料を食う。車内の隙間には燃料を積めるだけ積み、使えそうな道具や武器の類はトランクに入れておく。いいか、向こう側に逃げられる前に、奴等に追いつけなければそこで終わりじゃ。覚悟しておけ」
「わかった」
「よし、じゃあ今のうちに運転を教える。座席に座れ」
「おう!」
「ちなみに隣にはワシが乗る、年寄りじゃ、安全運転で頼むぞ」
「え、じじぃ一緒にくるのか!?」
「当たり前じゃ、無免許のお前が無事にたどり着くとは到底思えん!」
「ムメンキョ? よくわかんねぇけど大丈夫だ、操縦だけ教えてくれ」
「何が『大丈夫だ』じゃ、整備は行っておるが、この車は二十年以上も動かしておらん。途中で止まっては元も子もないじゃろうが。それに速度を出す為のコンピューターの制御、車高やタイヤ
の調整、動き始めてからの挙動も確認もせにゃいかん。お前にそれが出来るのか?」
「うっ、出来ません……」
「じゃろうて」
じじぃが付いてくるのには驚いたが、言っていることは当然だ。もし途中で車が動かなくなってしまったら、俺にはどうすることも出来無い。
俺は外での作業が進む間に車の運転を教わった。燃料を節約するためにエンジンは掛けないでいたので、実際に車がどう動くのかは未だに分からない。だが、ハンドルと足元のペダル操作が主になるようで、他は特に必要ないとも言っていたので、運転とやらは思ったよりも簡単そうだ。
「もう少しの辛抱だ、待ってろよニネット」
一通りの作業を終えた後、俺はイッカクの部屋へ行った。ニネットを助けに行く事を伝えると、イッカクは何も言わずに許してくれた。
イッカクは自分が動けない事を理解していたし、力になれない事も分かっていたが、ニネットを救えなかった悔しさは、誰よりも大きいものだったと思う。しかし、イッカクの回復を待つ時間は無い。俺はイッカクの分まで力を尽くし、必ずニネットを助け出すと約束をした。
丸一日掛けた作業がようやく終わろうとしていた。
「お前たちよくやってくれた! これが最後の作業だ。車を世界高速へ移動させた後は、この地下室にある食料を全てくれてやる。これがお前たちに残したじじぃの遺言だ!」
「おいおいハチクマ、年寄りを勝手に殺すもんじゃあない」
「さぁ、運び出せ!」
ハチクマはじじぃの言葉を無視し旗を振り続けていた。斑陽からの光が薄らぎ始め、雲の色が刻一刻と変化する。昨夜から丘の端に並べられていた松明の火は燻り、辺りは暗くなろうとしていた。
俺たちは丘から世界高速まで続く景色に圧倒されていた。
全ての瓦礫が取り除かれ、穴が開いていた場所には土が埋められていた。元々道路があった部分も土砂が全て取り除かれ、海水が流れ込んでいた水溜りには布が撒かれている。その上からは丁寧にブルーシートが掛けられ『まるでレッドカーペットだな』と呟いた大人がいたが、ブルーの道がなぜレッドなのかは俺には理解出来なかった。
瓦礫に埋もれた街に突如現れた一本の道。人は協力すればなんでも出来るのだと関心したが、所詮は目的の為、自分の為に動いただけであり、大きな力も空虚な物なのだと感じてしまう。
現に車を運ぶ最中、抜け駆けをして地下室に戻ろうとした男を、別の男が殴り飛ばすということがあった。意識を失ってしまったあの男が目を覚ます頃には、もう食料は無くなっていることだろう。
車は五分程で世界高速へと到達した。集落の男たちは、その場に着くや否や一斉に口を開き始めた。
「おいじじい、これでいいだろ? もう俺たちの作業は終わったんだ」
「向こう側でもどこでも早くいっちまえ、食料は貰っていくからな」
「へへっ、今日の食事は豪勢になりそうだ。たまんねぇなぁ!」
じじぃは車を点検しながら、男たちの声に面倒そうに頷いた。
「ああ、助かったわい。食料は持っていって構わん」
その言葉を聞いた瞬間、大人たちは一斉にじじぃの家へと走り出した。
前を走る者の服を掴んだり、罵声を浴びせて蹴り飛ばす者もいる。自分が第一と考える奴ばかりだった。
人の欲はどこまで深いのか。傲慢で勝手な大人たち。そんな喧騒を掻き消すように、俺はヴェイロニアのエンジンを掛けた。
静かに火を入れられたヴェイロニアは、ゆっくりと音を響かせ、振動は鼓動と同期した。ハンドルを握る手は汗で滲み、光輝くパネルは見たことの無い色を散りばめている。
「すげぇ音だ……これが車ってやつなのか」
「いいかツバメ! 今から奴等に追いつくには、ワシの計算だと最低時速二百キロ以上を保たねばならん。燃料の関係もあるが、それ以下だと奴等に追いつくことは難しいじゃろう!」
「わかった!」
「まずは内部コンピューターの調整を行いながら様子を見る。初期のコントロールと外部のシステムはこれでばっちりの筈じゃ」
じじぃは何十個もボタンが並ぶ薄い画面の付いた機械を取り出すと、車のパネルに線を繋げた。電気の通った画面には五つのランプが緑色に点滅し、たくさんの数字が上下する。
「うぅむ、まさかこれを動かす日が来るとはな」
ヴェイロニアの周りには家族だけが残っていた。俺は全員と順に顔を合わせると、一度頷いてドアを閉めた。
扉を閉めた車内は驚くほど静かだった。僅かな振動が腰元に伝わるだけで、じじぃのボタンを叩く音がうるさく感じる程だった。
「よし、行くぞツバメ」
「おう!」
俺は強くハンドルを握り締めると、力いっぱいに足元のアクセルを踏んだ。
薄い画面に映った緑色の点滅は青へと変わり、すぐに黄、赤へと変化した。車のパネルに並んだ二つのメーターの針は頂点を刺し、震えながらゆっくりと右へ落ちていく。静かな車内に轟音が響き渡り、ミラーに移った背中の羽が斜めに稼動した。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
俺は初めて乗る車に高揚し、腹の奥から歓喜の叫び声を上げた。海の上を照らす斑陽は鰯の大群が通り過ぎるような水玉模様となって流れていく。白線で区切られた世界高速の道は、一本の線へと繋がり、向こう側を示す矢印のようにも見えてきた。あれほど広かった八車線の道路も、今は狭く感じてしまう。
これならすぐに追いつける。そう思えた瞬間、隣に座ったじじぃは俺とは違う雰囲気の悲鳴をあげた
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「え?」
「ぎゃぁぁぁぁぁ! バカもん、止めろ! 早く!」
俺は思わずアクセルを離したが、一度走り出した車は速度を維持したまま、世界高速を滑走する。
「は、早くブレーキを踏めバカもん! ひぃぃぃぃぃぃぃ!」
「ぶ、ブレーキだな! わかった!」
俺はアクセルを踏んだ時と同じように、ブレーキを力一杯に踏み込んだ。
背中の羽が垂直に立ち上がり、車体が大きく揺れた。ヴェイロニアはエンジン音とはまた違う甲高い音を発すると、白線に沿うように、黒い線を引きながらあっというまに道の中央で停止した。四本のタイヤからは薄い白煙が漂っていた。
「はぁはぁ……いきなりフルスロットルとはバカかお前は! ちゃんと教えた通りに走らんか!」
「なんだよじじぃ! 進むがアクセルで止まるがブレーキだろ? なにも間違ってないじゃないか」
「間違えとりゃせんが、正しくもありゃあせん! いいかツバメ、二百キロ巡航と言ったが、最初は様子を見るためゆっくり動かすと昨日確認したじゃろうが、いきなり全開で行くやつがあるか! ほれ見ろ、今の最高速度は三百四十二キロじゃ。こんな速度でぶつかれば車ごと木っ端微塵じゃぞ」
「そ、そうか……今のは危なかったのか……」
「まずはゆっくり滑らせるように運転しろ、四百キロも出せば十五分で燃料は底を尽くぞ」
「りょ、了解」
どうやら思いっきりペダルを踏んだのが間違いだったようだ。でも怒ることは無いじゃないか、俺は車を運転することなんて始めてなんだから。そんなことを思いつつも、俺はゆっくりとアクセルを踏んだ。
「そうじゃ、それでいい。まずは八十キロ程度を維持しろ」
「おう、でもこんなにゆっくりじゃ追いつけないぞ?」
「わかっとる、まずは辺りを見ろ。お前は車の運転も世界高速も始めてじゃろう。説明してやるからよう聞いとれ」
俺は渋々頷くしかなかった。ニネットが連れ去られてから、もう一日以上が過ぎるというのに、こんなにゆっくりでいいのだろうか。
そんな事を考えながら運転していると、アクセルを踏む足に思わず力が入るが、その度に膝に置いた画面と同じように、じじぃの目の色が変わる。
「いいかツバメ、世界高速と言うのは全世界が一丸となって作り出した船の事じゃ。超大型舗装路輸送船と言い、長い物だと数十キロもの長さがあると言われておる。
これは各国どこへでも繋げる世界への道。その名の通り世界高速と呼ばれておる。太陽光、波力、風力、振動発電や次世代エネルギーの使用など様々なエネルギーを利用しており、無人でも動く事が可能な世界でも有数の巨大装置じゃ。世界崩壊の日、一般には公開されてはおらんかったが、最後に世界高速が繋がれておったのは恐らくアメリカじゃろう。その年、G10が集まる主要国首脳会議が行われる地が日本じゃったし、世界高速の試験的運用も含めて、世界と世界を繋ぐシンボルにもなっておった。という事はじゃ、アメリカまでおよそ一万キロ以上、一定の速度を維持しながら奴等に追いつくと言う事は、時間的に見て恐らくこれぐらいの予定になる計算じゃ」
じじぃの持った画面には、世界地図の上に一本の線が引かれていた。赤い点がニネット達を示すのだろうか、俺たちを示す青い点はまだ大陸に近い線の端にあった。
その二つが重なる点、それは世界高速の丁度中央に位置している。
「心配するな、向こうは大型のトレーラーを連れている。それほど速度は出せんじゃろう。それに追っ手がおるとは思うてもおらん筈じゃ」
「それもそうだな」
「しかしワシが心配しているのはそれまでの行程じゃ。世界高速はあらゆる災害に備え設計されておるが、世界崩壊のような危機に耐えうる構造をしているかは謎じゃ。奴等がこちら側へ辿り着いたという事ならばある程度の安全は見込めるが、ワシらはかなりの速度で奴等を追わねばならん。道路の僅かな亀裂や遮蔽物があれば命の危険にも繋がる。見たところ電力は通っておるようじゃし、自動航行や走行維持システムは生きていると思うんじゃが……」
「走行維持システム?」
「道路に何らかの問題がある場合、世界高速を入れ替えるシステムじゃ。ほれ、海の上に世界高速の一部が浮かんでおるじゃろう。もし船になんらかの問題があった場合、あれが入れ替わりで道を繋ぐようになっておるんじゃ」
「昔の技術ってかなり進んでいたんだな」
「ああ、人の技術と言うモンは底が知れん。それに加えて各船には落下した積載物を除去するというシステムもある。電力が供給されている以上は心配は無いのじゃが、念の為、ハンドルはしっかり握っておけよ。一応練習も兼ねて蛇行もして見るのもいいかもしれんな」
「こうか?」
ハンドルをゆっくりと回すと、車体は左右に動き始めた。僅かな手の動きでこれだけ大きな力を発揮すると、自分で動かしているにも関わらず恐怖を感じてしまう。
銃もそうだが、人間の造る物は恐ろしい物ばかりだ。いや、そもそもそれを生み出す人間自体が恐ろしいのだろうか。
「よし慣れてきたようだな、コンピューターの調整も完了じゃ。速度をあげろ、奴等を追うぞ」
「よし、行くぜ!」
今度は先程とは違い、緩やかにアクセルへと力を込めた。速度を示す針は斜めに傾き、画面の数字は二百でぴたりと止まる。八十キロの時とは違い、流れる景色も圧倒的に早い。確かに障害物に気をつけなければ、あっという間に道路から弾き出されてしまう。
「レストエリアがあれば食料や燃料を調達出来るかもしれんな……いや、全てが都合よく行くとは思わん方が良いか。車の挙動は……問題は無し。ニネットを見つけた時の為に準備もいるが、よし……これで何とかなるじゃろう」
じじぃはぶつぶつと一人言を呟きながらボタンを叩いていた。これだけ一生懸命に俺たちを助けようとしているじじぃに、俺は感謝の言葉も見つからない。
「じじぃ……本当にありがとう。じじぃがいなきゃ、俺一人じゃ何も出来なかった」
「お前はまだそんな事を言うとるのか、もう気にするな」
「うん……でもさ、その……家とか」
「くよくよするなんざお前らしくなかろう。そんなナヨナヨした気持ちじゃ助けられるもんも助けられんぞ! がっはっは!」
じじぃがあまりにも豪快に笑ったので、俺も思わず笑ってしまった。そうだ、じじぃの言う通りだ。俺はニネットを助け出す、必ず連れ戻してみせる!
「しかし奴等の狙いは一体何なんじゃ? 月の石が目的ならばニネットは必要ないじゃろうに」
「そうなんだ、俺もそこがよくわからない。じじぃ、そういえば昨日、プロフェッサーを見た事があるって言ってたよな?」
「ああ、奴等が帰るときに車椅子の年寄りが見えたんじゃが、昔どこかで見たような気がしてな。色々と新聞を漁っておったら男の記事を見つけたんじゃ。『失墜した遺伝子化学の権威』などと書かれておってな、当時はかなりの話題になった研究者じゃ。お前の言うアルファナンバーも月のコアもワシにはさっぱりわからんが、あの施設では密かに遺伝子研究が行われていたのではないかという噂も書かれておる。これはワシの推測じゃが、ニネットはクローン人間の可能性があるように思えてならん。ロリンズソニアと容姿が似ているのも、あやつがニネットと同じDNAを持っている可能性があるからかもしれん……人並みはずれた身体能力や頭脳は遺伝子研究によって造られた人間と考えるのが妥当じゃ。アルファベットは二十六文字、それをアルファナンバーと過程すると二十六のクローンがいるという事になる。お前が研究所で初めてニネットを見つけた時、他にも同じようなカプセルがあったそうじゃな?」
「ああ、他は水の中に沈んでいたから、無事だったのはニネットだけだと思う。ということはあの施設は元々プロフェッサーの研究所で、ニネットは私の物だって言ったのも、そういう理由があるからなのか?」
「恐らくそう言う事じゃろう。月のコアも、その遺伝子とやらに深い関係があるのやもしれん」
「あいつ等は月の石を集めて、月を元の位置に戻すって言っていた。それにニネットを使おうとしているって事だよな」
「そうだとすると、ニネットに危害が与えられる事はないと思うんじゃが……しかし世界を救う為とはいえ強行が過ぎる、自分の事しか考えんような奴はろくなもんじゃないぞ」
じじぃがボタンを押すと、パネル横の板が反転し突如小さな画面が現れた。そこにはじじぃの持った画面と同じ地図が現れ、俺たちとニネットを表す点の間に、減少していく数字が映し出された。
「それはカーナビじゃ、だいぶ改造はしとるがな。休む時間も計算に入れて表示させた、早くとも追いつけるのは明日の昼以降じゃ。慌てるなよツバメ、時には冷静な判断も必要じゃ、イッカクの言葉じゃろうて」
「ああ、もう大丈夫だ。俺はニネットを必ず助ける。イッカクと約束したんだ」
「よし。立派な大人の返事じゃ」