02(7/25.24時削除)
# 第二話 今度は私が見る
「それで、結局なんなんでしょうね、これ?」
翌朝八時十分。
篠宮が自分の端末を指差すと、業務支援部の面々は、昨日から何度も開いた人事通知をもう一度覗き込んだ。
玉月。期間限定配置。配属先、CEO室特別補佐。期間、三か月。
「……検品的な?」
「つまり、社員の抜取り検査?」
「いつもながらに、社員のことを部品か何かだと考えていらっしゃる……」
「人間のことをもうちょっと信じてほしい」
本人を前に、好きなことを言っている。
ツキの異動は正式には月曜からだが、今日は元の部署の引き継ぎ準備そのものをCEO室で行うよう命じられている。次にここで一日仕事をするのは、三か月後かもしれない。
「玉さん、昨日は何を聞かれたの?」
「朝から行った業務を、すべてです。わたしが省いていたものも、社長の方で把握されていました」
「怖っ」
「弁当箱のこともご存じでした」
「なんで!?」
篠宮が声を上げる。
「社内チャットはすべて監査対象とのことです」
「それは知ってるけど、あれまで社長に上がるの?」
「新品のようになって返ってきて怖い、と書いたので、異常として抽出されたのではないでしょうか」
「鏡面仕上げに近づけた玉さんが悪くない?」
「鏡面仕上げにはしていません」
「そうだけどそうじゃないんだよな」
「はい?」
「うーん……がんばれ?」
疑問形で送り出されてしまった。
ツキは机の中身を確かめた。私物はほとんどない。文房具は会社の備品で、引き継ぐ資料はすべて共有フォルダへ移してある。誰かへ渡すものといえば、篠宮から借りていた充電ケーブルくらいだった。
「でも、三か月も社長のそばって嫌じゃない? 息が詰まりそう」
「わたしからしたら雲の上の人なので、お側に行けるだけでも結構感動してしまいます……」
声に出してから、少し素直に言いすぎたかもしれないと思った。
部署内に短い沈黙が落ちる。
「……玉さん」
「はい」
「ちょっとだけ、社長が検品したくなった理由がわかった」
「なぜでしょうか」
「それがわからないところ」
篠宮が、昨日磨き上げられた弁当箱を鞄へ仕舞った。
「困ったら連絡してね。組織図はちょっと変な会社だけど、CEO室を通さないコンプラの窓口もあるから」
「はい。ありがとうございます」
「社長の声がいい、とかで全部許したら駄目だよ」
「……なぜ、それを」
「顔に書いてある」
書いた覚えはなかった。
ツキは頬へ触れてみたが、文字らしいものは当然見つからない。ますます心配そうな顔をされたので、八時二十四分、早めに元の部署を出た。
代表執務室へ入ると、社長は電話中だった。
改めて見ると、モニターの多い部屋だ。中央上の数値とグラフは生産状況についてだろうか? 右の画面には国内外の株価が絶えず流れ、中央には今朝届いたらしい新しい資料、左にはメールが開かれている。彼は電話の相手へ淀みなく返答しながら、資料を送り、二通のメールへ短い指示を返し、上がったばかりの報告書へ修正箇所を入れていた。手元にはノートがある。万年筆で書かれているそれはとても文字には見えなかったが、おそらくそういうセキュリティなのではないかとツキは思った。正式な書類で見る筆跡は美麗だったからだ。
社長は多分、いつも通りの仕事をしている。ツキには一度も向かないまま、空いた方の手が窓際を示した。
昨日まではなかった机が一台増えている。椅子、外部モニター、社用端末、内線電話。小さな引き出しには、未開封の文房具まで収められていた。
ツキが机の前まで行く頃、最初の電話が終わった。
「三分早いな。座れ」
「遅刻ではないと思いますが」
「咎めてはいない」
すぐに次の着信が入る。
社長は表示された相手を一瞥して応答し、別の言語で話し始めた。
ツキは新しい机についた。端末へ社員証をかざすと、普段使用している業務環境の横に、見慣れない入力画面が開く。
発見時刻。事象。判断。判断根拠。確認した権限。移管先。受領時刻。完了確認。所要時間。中断した本来業務。
一件について、十項目ある。
昨日、ツキが拾った社員証の記録が見本として添えられていた。
発見時刻、九時七分。六階東廊下。表面へ記載された所属から本人へ直接連絡せず、情報管理規程に従って総務へ移管。九時九分、総務担当者が受領。九時三十四分、本人への返却を確認。
電話を終えた社長がモニターから目を離さずに言った。
「読んだか」
「はい。返却まで、わたしが確認するのでしょうか」
「途中で手を離したなら、どこから先を誰が引き受けたかを記録しろ。最後まで自分で行えという意味ではない。むしろ、お前がやるな。適切な担当者へ渡せ。渡した事実を消すな」
「気づいたものは、すべて入力しますか」
「お前のすべてに興味があるわけではない。会社に関係するものだけだ。今のところは」
今のところ。
いずれ範囲が広がる可能性があるような言い方だった。
「何か?」
「入力対象の範囲を検討していました」
「なら、結論も言え」
「会社の設備、人員、契約、情報、安全、時間または費用に影響し、現在の担当が明確でないものを対象とします。担当者が存在する場合は、緊急性があるか、担当者が状況を認識していない場合のみ記録します」
「仮の基準としてはいい。始めろ」
また電話が鳴る。
社長はツキへ向けていた視線を外し、通話と同時に新しい資料を開いた。
忙しい、という言葉では少し足りない気がした。最近は大きな発表の予定はなく、前期までの課題を処理することを中心とする整理期間のような方針だったはずだが、今このような状況だと前期はどうなっていたのだろう。電話は三分と途切れず、話している間も株価と資料とメールの処理は止まらない。株価は本当に見ているんだろうか? 昨日、ツキ一人の一日を聞き取る時間をどこから作ったのか、不思議になる。そもそもこんな下っ端の監視は社長の仕事だろうか、と一瞬考えたが、弊社の組織図は特殊だから、こんなことに割く中間職が足りていないのかもしれない。改善すべきはわたしの業務ではなく人員配置なのでは無いかと思った。
それに、ほとんど見られていない。
三か月の検品として、これに意味はあるのだろうか。
ツキは今日行うはずだった引き継ぎ準備を開いた。
共有窓口へ届いた依頼を分類する。明確な担当があるものは振り分け、過去の対応履歴と締切を添える。ここまでは昨日と同じだった。
八時四十一分。
件名に部署名のない依頼が一通あった。
地下二階の荷受室から、返却品の受け入れについて。本文には、外部の研究機関から試験使用を終えた冷却板三枚が届いたが、添付された返却指示書と外箱の資産番号が一致しない、とある。輸送業者の次の集荷は正午。開封して内容を確認すべきか、指示がほしいらしい。
ツキは記録画面へ時刻を入れ、開封せず現状を保持するよう返信した。添付写真では、封印と配送票の重なり方がよく見えない。
現物を確認した方が早い。
そう判断して席を立つと、社長も立った。
電話の向こうへ数字を読み上げながら、片手で薄い端末を取り、ツキより先に扉へ向かう。
「あの、社長もいらっしゃるんですか」
彼は答えない。まだ通話中だ。今の会話内容はあまり推測がつかないものだった。カブトムシはどのような文脈で出てくる単語なのだろう……。社長の口から出るカブトムシはどこかシュールな響きがあった。
社長は廊下を歩きながら先方の質問へ答え、端末を操作している。ツキがエレベーターの前で止まると、その横で同じように止まった。
通話が切れる。
「地下二階です」
「知っている」
「監視とは、端末上の記録を確認することではないのでしょうか」
「お前は今、端末を置いて消えただろう」
「行き先は記録しました」
「記録を正確に行うかを見るために、記録だけを信じてどうする?」
扉が開く。社長が先に乗り、開くのボタンを押した。
「乗れ。次の電話が来る」
「はい」
扉が閉じると、本当に電話が鳴った。
地下二階へ着くまでの間に、社長は別会社の役員らしい相手へ今月中の再提出を命じ、同時にツキの記録画面を一度だけ確認した。目が合った時間は、おそらく一秒もない。
それでも、ツキは彼の視界から一度も外れていなかった。
監視とは、そういう意味らしい。
荷受室へ入った途端、室内の空気が固まった。
CEOが電話をしながら現れれば、そうなるのも仕方がない。
「お、お疲れさまです」
「お疲れさまです。返却品を確認させてください。社長は、わたしの業務確認で同行されていますので、通常通りで大丈夫です」
通常通りで大丈夫だと言われて通常通りにできる人は、あまりいないようだった。
ツキは三つの外箱を確認した。封印に破損はない。返却指示書にある番号は三つとも連番だが、外箱だけが別の試験先へ貸し出した番号になっている。配送票は、封印の上から後で貼られていた。
写真を撮り直し、返却指示書にある契約番号を検索する。
契約元はグループのリース会社。使用者は外部の研究機関。製造番号上の所有者は、堰司グループの試験設備管理部になっている。ただし、受領確認が終わるまでは使用者側の管理下とする条項があった。
ツキはリース会社の契約管理へ照会し、返答を待つ間に、試験設備管理部へ到着だけを知らせた。
先に電話を返してきたのは、試験設備管理部だった。
『中を見れば、うちの物かどうかわかると思うんですけど』
「開封の権限は、現段階ではリース会社の契約管理にあると考えています。照会中ですので、少々お待ちください」
『でも、今日中に確認しないと困るんですよね』
「正午までに一次回答をいただけるよう依頼しています。十時半までに返答がなければ、契約管理の責任者へ上げます」
通話を終える。
社長はまだ別の電話を続けていた。ツキを見もしないまま、端末を持った手の人差し指だけを上げる。目が何かを訴えている。
一つ。
不足していることが一つあるらしい。
「わたしに、開封を禁止する権限はありません。ですので、確認が終わるまで現状を保存してほしいと依頼しました。強制はしていませんが、ご理解いただけると幸いです」
上げられていた指が下がった。
電話の内容を聞きながら、こちらも聞いていたらしい。
九時十二分、契約管理から回答が届いた。
出荷元で配送票を貼り違えていたことが判明し、未開封のまま正しい再生センターへ転送する指示が出た。輸送業者の再集荷も、リース会社側で手配される。
九時二十六分。荷受室が転送指示を受領。
九時三十八分。輸送業者から集荷時刻の連絡。
代表執務室へ戻る間にも、社長は二本の電話へ出た。部屋へ着くとすぐ自席へ戻り、株価と資料とメールの往復を再開する。
十時四分。試験設備管理部にも処理結果を共有。
ツキは最後の欄へ「対応完了」と入力した。
「終わっていない」
社長は小さな文字で埋まった画面を見ていた。あれだけ画面を常から見ているのに、どうやら視力はとてもいいらしい。
「転送されたことを確認していない。現時点では、転送の予定が決まっただけだ」
「集荷完了後に追記します」
「それから、この一件で見つかった不具合は?」
ツキは、並んだ記録を見直した。
「返却指示書に問い合わせ先の記載がありません。荷受室が共有窓口を知っていたので届きましたが、外部の拠点では、製造元へ直接連絡する可能性があります」
「もう一つ」
「……資産番号の照合が、発送時と受領時にしかありません。配送票を発行した時点で自動照合できれば、今回の貼り違いは出荷前に検知できます」
「それを別の案件として起票しろ」
「承知しました」
彼はツキをほとんど見ていない。
それでも、入力内容も、通話も、立ち上がる気配さえ取りこぼさなかった。
近くで声を聞けるのは嬉しいと思っていたが、想定していたよりもずっと近く、そして逃げ場がない。
でも業務上、何の問題もないはずだった。
十時十七分。
ツキは返却指示書の様式改定と、配送票発行時の番号照合について、それぞれ担当部署を調べて改善案件を起票した。片方は物流管理、もう片方はリース会社のシステム部門が受領した。
十時四十一分。
引き継ぎ資料へ戻る。
宛先不明の請求書を、発注番号から担当部署へ割り振る作業。毎週金曜、ツキが行っていたものだった。正式な手順書はない。
引き継ぎ先の欄へ誰の名を書くか考え、手が止まる。
「何を隠そうとしている」
「隠していません」
「止まった」
「引き継ぎ先が存在しない業務を見つけました」
「なら、なぜ記録しない」
「今、誰へ渡すべきか考えていました」
「順番が逆だ。担当不在という不具合を記録し、その後に考えろ。お前に決める権限が付いているのか? 請求書については経理から差し戻すのが通常のフローのはずだ。そうして溜まった記録が全体の最適化につながる。いつから抜き取って処理していた? お前の頭の中で解決してから出せば、検討過程がまた消える」
昨日と同じことをしていたらしい。
ツキは新しい記録を開いた。
「過去三か月分を確認します」
「なぜ」
「件数と発生原因に偏りがあるか調べます。単発なら都度、経理へ確認する手順で足ります。繰り返しなら、請求書の受領時点で自動的に振り分ける方が適切です。今まで処理していた分を突然経理の方々に流すと、向こうの業務の目安が崩れてしまうので、やれることはやりたいからです」
「私の話を聞いた上での行動というわけか。勝手なことをするなと言いたいところだが、お前一人で抱えずに記録に残るならいい。やれ」
十九件。
うち十五件は、発注申請者と請求書の送付先が異なる取引だった。残り四件は、発注番号そのものがない。
ツキは経理の支払管理へ記録ごと渡し、発注番号から申請者へ自動通知する案を添えた。番号のない請求書については、取引先へ記載を求める運用も必要になる。
「これまで、支払遅延は?」
「ありません」
「お前が毎週拾っていたからだな」
「はい」
「なぜ、今まで改善を提案しなかった」
「わたしが確認すれば、十分に間に合っていましたので」
「お前がいなくなる可能性は計算に入れなかったのか?」
「休暇の場合は、前日に確認していました」
「退職、異動、傷病、事故」
「……そこまでは」
「お前は自分を恒久設備だと思っているらしいな。随分と保守性の低い設備だ」
人間に対しての言い方ではない。
しかし、会社の工程へ自分を組み込んでいたことは事実だった。
「申し訳ありません。今後、担当の定まっていない定期作業は、発見時点で記録します」
「よし」
褒められた。
今のは、たぶん褒められたと思う。犬っぽいけど。
ツキは少し嬉しくなった。
社長の顔を見るのは明らかすぎる気がして、画面を見たまま次の資料を開いた。
「十二時だ」
開いたばかりの資料を閉じる。
「休憩へ入ります」
「ここで食べろ」
「はい?」
「昨日のお前は、昼食を七分で処理した。監視対象だ」
机の端へ、いつの間にか二つの盆が置かれていた。
秘書が運び入れたはずだが、ツキは作業に集中していて気づかなかった。
焼き魚。煮物。青菜。味噌汁。白米。
食堂の定食より、少し品数が多い。
「社長も、こちらで召し上がるんですか」
「食事が用意されている人間の行動として、他に何がある?」
「お忙しいので、お仕事をされながらかと」
「脳は適切に休ませる必要がある。先に言っておくが食後私は十五分ほど睡眠を取るが、静かにさえしていればお前の休憩時間はここにいてもいなくてもいい。好きにしろ」
「はい」
社長は三つの画面を閉じ、端末を伏せた。朝から途切れなかった電話も鳴らない。昼食のための時間だけ、初めから予定を空けていたらしい。
向かい合って食事を始める。
代表執務室でCEOと二人きりの昼食という状況は、よく考えるとかなり特殊だった。だが、よく考えなければ、単に職場の人と昼食を取っているだけとも言える。
ツキは、よく考えないことにした。
「遅くしすぎだ」
「まだ一口目です」
「箸を動かす前に十五秒止まっていた」
「考え事をしていました」
「食事中に仕事を考えるな」
「仕事ではありません」
「なら、何を考えていた」
社長と二人で食事をしていることについてです、とは言いにくい。
「食べる速度について、考えていました」
「今作った答えだな」
「……はい」
「確かにこれ以上踏み込む関係でも無いか。食べろ」
社長は、食事の速度まで一定だった。
一口の量も、噛む時間も、次へ箸を伸ばす間隔も、おそらく毎回ほとんど変わらない。しかしツキが半分ほど食べたところで、彼も同じ程度まで進んでいる。
合わせられている、と気づいた。どういうテクニックだろう。
「わたしが食べ終わるまで、お付き合いいただかなくても大丈夫です」
「お前は一人にすると短縮するだろう」
「努力します」
「信用がない。詳細に触れると支障のある事柄なため理由は割愛するが、私はお前の食事は支援が必要だと判断した」
「はい……お手数をおかけします……」
二十三分かけて食べ終えた。
これほど長く昼食へ時間を使ったのは、いつ以来かわからない。
「午前が終わったな。これは雑談だが、何か言いたいことは?」
「これは社長の業務なのでしょうか? 社長に何か強いご心配をおかけしているようで心苦しくはありますが、部長や課長を飛び越えているような気がします……」
「先日は二つ返事だったのに今更なんだ? 想像より息苦しさでも感じたか。私の会社で私がやることに文句をつけられる奴はそういないから、他人は気にする必要がない」
「……」
それはそうなのでしょうけれども。
なにからなにまで業務報告のようだった。
けれど不思議と、取り調べを受けている気はしなかった。
昼食を含めて一時間の休憩が終わり、業務を再開した。
午後、ツキは十二件を記録した。
その間も、社長の仕事は途切れなかった。画面越しの会議を三件、電話を十一本。資料とメールの処理数は、途中で数えるのを諦めた。ツキへ声をかけるのは、そのどれかが切り替わる数秒の間だけだった。それでもツキが席を立てば、彼の視線だけは必ず上がった。
備品の発注先が旧社名のままになっていたもの。退職者へ通知が送られ続けていた共有フォルダ。来客用資料と社内用資料で異なっていた緊急連絡先。
そのうち三件は、何もしなかった。
担当者がすでに把握し、期限内の修正予定を立てていたからだ。ツキは状況を確認し、担当者と完了予定日だけを記録した。
「手を出さない判断もできるんだな」
「必要がありませんでしたので」
「何にでも飛びつくと思っていた」
「社長は、わたしをどのように評価していたんですか」
「評価するためにここへ置いた。現時点では、不審な働き者だ。水槽に自然発生したタニシといったところだな。水質は保つが、私の水質管理には組み込まれていなかったものだ」
「不審なタニシ……」
「安心しろ。無能とは思っていない」
「安心していい評価でしょうか」
「私の査定に注文をつけるには早いな」
午後五時四十八分。
午前中の返却品が、転送先へ到着したと連絡が入った。
ツキは最後の欄へ受領時刻を追記し、今度こそ「完了」とした。
社長が自席から立ち、ツキの机まで来る。
一日の記録を上から下まで眺め、いくつかの欄を開いた。
「十八件。うち、既存の担当がいないものが七件。運用上の変更が必要なものが四件。お前が直接処理すべきだったものは二件」
「多いでしょうか」
「異常だな」
「すみません」
「なぜ謝る。お前が発生させたのか?」
「見つけました」
「見つけたことを謝罪する必要はない」
「はい」
社長の指が、所要時間の合計欄を示した。
「二時間十三分。本来業務の遅延は、今日もほぼない」
「引き継ぎ資料は予定分まで終わっています」
「それも確認した。お前は処理が速い。だが、速いから余った時間を無償で配っていいことにはならない」
無償で配ったつもりはなかった。
仕事中に見つけ、必要だから行った。それだけだ。
おそらく、その考え方自体を問題にされている。
「仕事というのは、勤務時間内で社のためにやれることを見つけ次第処理すべきものなのでは……」
「いいや。この会社はそうじゃ無い。お前の教育係はもう辞めているのでどのようなものか把握出来ていないが、私の組み上げたフローを、私の監視できる範囲で行うことだ。私の想定内にいることを求めている」
「はい……」
「だが」
社長は画面からツキへ視線を移した。
「お前は今まで通り、会社を見ろ」
淡い金色の目が、まっすぐツキへ向けられる。
「今度は私がお前の挙動を想定内に組み込む」
監視を宣言されている。
本来なら、もう少し嫌がった方がいいのかもしれない。
けれど、ツキの胸にあるものは嫌悪とは程遠いものだった。
「承知しました」
「……随分と素直だな」
「業務命令ですので」
「今のは命令ではない。私の方針決定だ」
「では……よろしくお願いいたします」
社長は少し黙った。
その沈黙の意味はわからなかったが、断られはしなかった。
「十八時だ。帰れ」
「あと五分ほどで、明日の――」
「帰れ。残りは明日、最初にやれ。今日の業務は終了した」
「承知しました」
ツキは端末を閉じた。
今朝と同じように一礼し、今度は一度も呼び止められずに部屋を出た。
*
扉が閉じる。
ナザリは、ツキの残した記録をもう一度開いた。
最初の返却品は実在の案件であり、ツキのいる共有窓口へ意図的に回したものだった。試験のためだけに不具合を作るほど暇ではない。担当が複数社へ跨がり、所有と技術判断が分離している。権限を持たない人間ほど、中を見ればわかると開けたがる。
ツキは開けなかった。
内容を知らずに放置もしなかった。判断に必要な契約だけを調べ、権限者へ渡し、輸送の終了まで確認した。
試験としては十分だ。
問題は、残り十七件だった。
ナザリが用意したものではない。
彼女は、ただ机に座っていただけで、それだけの継ぎ目を見つけた。
特別なことは何もしていない。必要な規程を読む。過去の履歴を調べる。相手へ聞く。答えがなければ、答えられる者まで上げる。渡した後も結果を見る。
誰にでもできる。
誰も、毎回はやらない。
さらに不思議なのは、あの女が監視を嫌がらないことだった。
権力者から目をつけられれば、普通は警戒する。能力を正当に評価されることを喜ぶにしても、帰宅を命じられ、食事を見張られてまで嬉しそうにする理由はない。タニシと言われて反感を持つような顔もしなかった。
本人は、業務命令だからと説明した。
命令ではないと訂正すると、よろしくお願いします、ときた。
「不審だな」
口にすると、妙に正確な評価に思えた。
ナザリは記録画面の設定を開いた。
所要時間、本来業務、完了確認。現状でも業務の査定には十分だ。
新しく五つの項目を加える。
休憩開始。食事内容。水分摂取。体調。退勤時刻。
近くで見ると、あの女の栄養状態には強い疑いが持たれる。服が大きいのか、中身が細いのか。手首の内側は青白く、あれでよく荷物を支障なく運べるものだと感心すらした。しかし、身体について直接指摘することは躊躇われるため、手を出すにしても通常業務より慎重にする必要がある。
人材を正確に評価し、継続的に働ける状態へ保つためには必要な情報だ。
観察を続ける価値はある。
私情ではない。
ナザリはその結論を確認し、明日の昼食を二人分手配した。
電話が鳴る。時差を考えると、ここからがナザリの業務の本番と言えた。




