数字の洪水
王都は、噂以上だった。
白亜の城壁が、地平の先まで、続いている。門をくぐる隊商や旅人の列は、途切れることがない。
「大きい」
アイリスが、ぽつりと、言った。
「うちの街が、10個、入りそう」
「もっと、入るだろ」
俺たちは、荷馬車の上から、口を開けて、城壁を見上げていた。完全に、お上りさんだった。
◆
だが、門をくぐった瞬間。
俺は、後悔した。
「……うっ」
数字が、押し寄せてきた。
大通りの両側に、びっしりと並ぶ、店、店、店。積まれた商品の、一つ一つに、真価が浮かぶ。行き交う人の波、その全員に、数字と感情の色がつく。
〈パン:12クル〉〈真価:40クル〉〈焦り〉〈絹布:3,000クル〉〈退屈〉〈壺:800クル〉〈真価:95クル〉〈怒り〉〈疲労〉〈指輪:──〉
視界が、数字で、埋まった。
故郷の大市場の、10倍。いや、それ以上の、情報の洪水。
「ノア?」
「……ちょっと、待って、くれ」
俺は、荷馬車の縁を、掴んだ。頭の芯が、ぐらぐらした。
生まれて初めて、この眼で、酔った。
「顔、真っ青」
アイリスが、覗き込んでくる。
「王都、着いた途端に、船酔いみたいになる人、初めて見た」
「船じゃない……数字に、酔ったんだ……」
「やっぱり、変な人」
俺は、しばらく、目を閉じて、深呼吸を繰り返した。
分かったことが、一つ。この眼は、便利だが、王都では、見たいものだけを見るように、意識して絞らないと、身が持たない。
◆
隊商と別れる時、頭が、一枚の木札を、くれた。
「バルト商会、王都支店の紹介札だ。困ったら、頼れ。……樽の借りだ」
「ありがとうございます」
「達者でな、化け物道具屋」
頭は、笑って、隊列に、戻っていった。
◆
まずは、宿探しだった。
これが、難航した。
「一泊、二人で、素泊まり400クル」
「400!?」
思わず、聞き返した。故郷なら、飯付きで、120クルだ。
次の宿は、350クル。その次は、500クル。どこも、強気の値段だった。
「王都の物価、おかしいだろ……」
「ノア、さっきから、宿の人を見る目が、完全に、敵を見る目になってる」
「敵だよ。俺の路銀を、脅かす敵だ」
20,000クルの持ち金は、大金に思えたが、この物価では、油断すると、あっという間に、溶ける。
結局、大通りから、3本裏に入った、古い宿に、落ち着いた。一泊、二人で180クル。
「裏通りに入った途端、半額以下。……立地代って、怖いな」
「でも、この宿、ちょっと、傾いてない?」
「傾いてる分が、安いんだ」
〈宿:一泊180クル・真価170クル〉。ほぼ、適正価格だった。王都で初めて見た、良心だった。
◆
荷を置いて、俺たちは、街の様子を、見に出た。
王都の中央市場は、故郷の大市場が、遊びに見えるほどの、規模だった。
俺は、教訓を活かし、眼を、絞りながら、歩いた。全部を見ない。気になった物だけを、見る。
それでも、目に、飛び込んでくるものが、あった。
市場の一角。立派な構えの、貴金属店が、並ぶ通り。
その、飾り窓の品々に、眼を、向けた瞬間。
「……おい、嘘だろ」
〈黄金の杯:市場45,000クル・真価2,100クル〉
〈宝石の首飾り:市場80,000クル・真価3,800クル〉
〈銀の彫像:市場30,000クル・真価1,500クル〉
軒並み、真価が、市場価格の、20分の1。
一つや二つじゃない。この通りの品の、ほとんどが、そうだった。
精巧な、まがい物が、堂々と、本物の値段で、並んでいる。
そして、店先の品の、いくつかには、あの、見覚えのある気配があった。
偽装箱と、同じ。俺の眼にすら、時々、正しい数字を、出させない、揺らぎ。
「化粧師……」
俺は、呟いた。
故郷の街では、たった一つの箱だった。
ここでは、通りごと、丸ごとだ。
王都の市場には、化粧師の手が、深く、深く、食い込んでいる。
「ノア」と、アイリスが、袖を、引いた。「顔が、怖い」
「ああ……悪い」
俺は、息を、吐いた。
敵の縄張りの、ど真ん中に、俺たちは、立っている。
それを、これ以上ないほど、はっきりと、理解した。




