第三話 仇の息子
真秀と別れた後、伊月は何とか薬を吐き出そうと試みた。だが、3日前から女御に食事を抜かれていたせいか、いくらやっても少量の胃液しか出てこなかった。呪術系の、何か危ない薬だったらどうしよう。もしや洗脳されて陰陽師の眷属にされてしまうかもしれない。伊月はそんなことばかり考えていたが杞憂だったようで、朝になると真秀の言った通り、本当に肩の腫れは治っていた。それどころか、全身にあった無数の痣たちも昨日までよりずっと薄くなっている。そのせいで伊月は真秀が何を考えているのかますます分からなくなってしまった。
身体の調子が良くなると、思考がはっきりして、伊月は昨日言われたことを自分でも驚くほど冷静に受け止めることができた。半年後の討鬼の日(つまりは殺気童子が封印されて8年を祝う日)に伊月は真秀に角を折られて命を落とす。残された時間は半年。
伊月は元来、自分自身の生への執着が異様なほど薄かった。父・殺気童子の生前には散々一族の極悪非道な行いに加担してきた自覚がある。だからいくら女御に殴られても蹴られても、身体的な痛みは感じてもある種自分の過去の行いへの報いとして謹んで享受してきた。だからと言って、罪の自覚と両親を奪った陰陽師への憎しみは別物と捉えていたが、一族の罪を背負って罰を受け、その末に死ぬことができたなら、価値のない自分の人生にも少しは意味を見いだせるのではないかと思ったのだ。
一方で、自分の命にはとことん無頓着な伊月にも唯一この世に思い残すことがある。それは実の弟の朔太郎と、血霞家に仕える妖たちのことだ。彼らは都の片隅で幾重にもなる頑丈な結界の内側に閉じ込められて暮らしている。二年前、宮中に出仕するようになるまでは伊月もそこで暮らしていた。伊月は父に言われるまま悪さを沢山してきたが、朔太郎は違う。朔太郎は父が封印された当時まだ生まれたばかりの赤ん坊だったのだ。朔太郎と共に結界内にいる妖たちも、悪さをしていたのは彼らの父や兄・夫であって、今残っているのは当時自宅で帰りを待っていた女子供どもばかりなのである。伊月の角で再度封印できなかったら、今度は弟たちが儀式に駆り出されるかもしれない。それだけは、何としても阻止しなければ。
伊月はひとまず、血霞邸に張られた結界を解く方法を探ろうと決めた。いつかは、結界を破って皆を連れてどこか遠くの帝の手の届かないところでひっそりと暮らしたいと考えていたが、“いつか”なんて悠長なことは言っていられなくなった。半年以内に結界を解き、皆を逃がす、そして自分は角折の儀に参加し、時間を稼ぐのだ。伊月の目には覚悟が滲んでいた。
「キャーッ!!」
伊月が一人で女御の衣類の手入れをしていると突然他の女房たちの黄色い歓声が聞こえる。どうせどこぞの高位貴族の来客だとかそんなところだろう。
「・・・暇なら少しは手伝ってくれればいいのに」
と伊月は誰も聴き取れないような声量でぼやく。
「見てあれ!日比谷真秀様よ!」
「私初めてみたわ!なんて端正なお顔立ちなんでしょう!」
「まさに“陰陽寮の光る君”ね!」
日比谷?!昨日きいたばかりのその名前に驚くあまり伊月は手に持っていた唐衣を落としそうになってしまう。
なぜ急に高明殿に?女御様に面会?陰陽師が女御や官僚たちに呼ばれて祈祷や占いを施すのはよくあることだ。伊月はまさか自分への用事ではないだろうと思いつつも障子の影にそっと身を寄せて作業を続ける。
「日比谷様!こちらにいらっしゃるなんて珍しいですわね!女御様ならあちらに・・・」
女房の中でも古株の右近が普段より数段高い声で真秀に話しかける。
「今日は女御様への謁見ではない。伊月という女房はどこにいる?」
「伊月・・・でございますか?」
右近は面食らったように目をぱちくりと見開いて聞き返す。
「そうだ。伊月に用がある」
自分の名前を呼ばれて驚いた伊月が障子の外の様子を伺うと、あたりを見回していた真秀と目があってしまう。伊月は慌てて隠れるも時すでに遅し。真秀はこちらに向かっていた。
伊月は警戒して後ずさりした。何を言われるのだろう。まさか、儀式の時期が早まったとか?今日にでも角を折ると言われたらどうしよう。伊月の頭には様々な憶測が浮かぶ。
「肩の怪我は治ったようですね。昨日より顔色もいい。その後身体は大事ないですか」
これは、心配されている?
「・・・はい」
伊月は困惑気味に答える。
「そうですか」
二人の間にしばし沈黙が流れた。本当に体調を診る為だけにここまで来たというのだろうか。
「この量の着物を、あなたが一人で整理しているのですか?」
重い沈黙の後、真秀がようやく口を開く。
「はい、それが仕事ですので」
「他の女房たちはどうしました。先ほどは楽し気に談笑しているだけのようでしたが」
そういって真秀が物陰に目をやると、隠れて(ばれてないつもりで)こちらの様子を伺っていた女房たちが一斉に逃げていく。その様子がおかしくて伊月は「ふふっ」と笑ってしまった。
「何がおかしいのです?」
「姉さま方は談笑と殿方に媚を売るので忙しいのです。いつものことですので、どうかお気になさらず」
「今日はやけにしおらしいですね」
「どうにもならないことには気を揉まないと決めていますので」
「この仕事量は、どうにもならないことなのですか?」
「ええ。ですから、一つ一つ自分にできることからこなしていくしかないのです」
生憎、雑談をしている暇なんてないのだ。着物の整理が終わっても、次から次へと仕事はまた舞い込んでくるのだから。伊月は手元あった唐衣を拾い上げ作業を再開する。
「昨日の薬のことは感謝しています。ですが、もう二度とここには来ないでください。この通り、私は儀式の日まで逃げも隠れもしませんから」
そう言って睨みつけると、真秀は案外あっさりと帰っていった。本当に怪我の様子を見に来ただけだったのかと伊月は拍子抜けしてしまうと同時に、目の前に重なる着物の山をみて改めて気が滅入ってしまう。真秀が帰った後、伊月は右近たちに真秀との関係を問いただされることを恐れ、必死に言い訳を考えていたのだが、夕暮れどきに舞い込んだ知らせのせいで右近も伊月もそれどころではなくなってしまった。
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