第15話ー3 銀の門
毎日、朝から夕方まで掃除をしては、魔法の練習をして寝る。そんな日々の繰り返しだったが、掃除は一度やりだしたらとことんまでやってしまおうとするのが人間の性なのか、ここまで来たら、とコウは夢中でデッキブラシで鱗を磨いた。
銀竜さんの下半身から胴体に差し掛かった頃、長さや大きさに途方に暮れそうになることもあったが、一心不乱に手を動かした。ふと、今まで磨き上げた銀竜さんの下半身を見ると、日光を浴びてキラキラと輝く銀竜さんの鱗が見える。これまでやってきたことは無駄ではない。そう思わせてくれるようで見る度に嬉しくなった。
魔法の練習も、コウの努力に応えるようにみるみるうちに上達していく。盗人隠しの魔法は得意な魔法の一つになった。
ある日の晩。ミキと森の動物たちがテントで固まって寝ているのを見て、コウが次の魔法の練習を始めた。
「ポー!」
コウがそう唱えると、コウの杖先から小さな火の玉が出現し、目の前の大きな木に向かって真っすぐ飛んで行ったが、途中で失速し、先ほどまでの勢いが嘘のように、火の玉は地面へと落ちて白い煙をあげて消えてしまった。
シングルバーナーや焚火を灯すときはうまくいくのだが、攻撃をしようとするとどうしてもうまくいかないことがある。
何かが足りないのだろうか? コウ自身が持っている魔力の問題? それともミキのような魔法の才能がないのだろうか?
コウはもう一度杖を構え、先ほどよりも集中し、目の前の木を見据えて呪文を唱える。
「ポー!」
こぶし大の火の玉が杖先に出現したかと思うと、火の玉は勢いよく木に飛んで行く。今度こそやった! と思ったのも束の間、火の玉は狙っていた木から右へ逸れて、その逸れた先のあった木へ当たった。
確かに木に当たりはしたが、狙っていた木に当たっていないのなら成功ではない。これから先、何度も何度も強敵と出会うことになる。攻撃のための魔法なのだから、その敵に当たらなければ意味がないのだ。
それからコウは何度も火の魔法を木に向かって唱え続けた。
火の玉はまた木を逸れたり、大きさが安定しなかったり、途中で失速して地面に落ちたり、何度繰り返しても失敗ばかりだった。それでも諦めず、コウは火の魔法を唱え続けた。
「また魔法の練習か?」
コウがその声を聞いて杖を構えるのをやめ、視線を声の主へ向ける。大きなオレンジ色の瞳を開いてコウを見据える銀竜さんは、また口を開く。
「ほう。今度は火の魔法か? 一度もうまくはいっていないようだが」
「……まだ練習中です」
コウは不貞腐れたように答える。そしてまた杖を構え、木に狙いを定め、呪文を唱えた。
コウの杖先から出現したこぶし大の火の玉は、やはり狙いを定めた木を逸れ、どこかへ消えてしまった。
やはり僕には魔法の才能がないのだろうか? ミキなんて百発百中でどの魔法も成功させているのに。
ネガティブな感情に支配されているコウに、銀竜さんはまた口を開く。
「仕方がない」銀竜さんは鼻を鳴らしてそう言ったあと、
「コウは、その杖のことを信じているか?」
「杖をですか?」
コウはすぐに聞き返す。
杖を信じる? 果たしてどういうことだろうか?
コウは銀竜さんの言ったことを考えながら、右手に持った自身の杖を見つめる。
「前に言った、俺と戦いたいと言って何日もここに居座った女攻略者の話をしただろう?」
コウは銀竜さんの問いに、はい、と答えた。
「その女から聞いた話なんだが、魔法の杖という物は――持ち主の生まれ持った物も大事らしいが――杖との信頼関係が最も重要なのだそうだ」
コウは、銀竜さんの大きな瞳を見つめ、その話をしっかりと聞く。
銀竜さんは続ける。
「お前の魔法を見る限り、材質などは問題ないはずだ。だが、信頼関係が築けていないように俺には見える。
あのときの女攻略者の話じゃ、杖とは友達のような相棒のような存在なんだと。だから、持ち主が杖を信じなくてはならず、杖が持ち主を信じた以上持ち主は杖を裏切ってはならない。杖はそれに応えてくれる。――と、その女は言っていた」
銀竜さんはそう言い終えると、オレンジ色の大きな瞳の中央にある縦に長い瞳孔を少し大きく広げたかと思うと、まるでコウの心の中を読み取っているかのように見つめる。
コウは一瞬ドキッとしたが、怯まなかった。
「まあ、そういうことだ。杖を信じ、己を信じる。それが近道だろう」
銀竜さんは少し焦ったようにして、話を終わらせようとしたが、コウはずっと聞きたかったことをここで聞くことにした。
「あの、銀竜さん。あなたはどうしてここでずっと長い間じっとしているのですか? 体を掃除してみて気が付いたけど、怪我や病気というわけではなさそうですし……」
今度はコウが銀竜さんの目を見つめる。
銀竜さんはコウの真っ直ぐ見つめる目に少しだけ気圧されたかのように、瞳を逸らし、一度ため息をついたあと口を開いた。
「……俺は、諦めてしまっただけだ。昔はこの門に入った攻略者の行く手を阻んでいた。それがこの俺に与えられた使命だった。それが楽しかった時期ももちろんあったのだ。だが、いつからか戦いに挑んでくる攻略者は減っていき、森の魔法生物を狙う不届き者ばかり訪れるようになった。何度も、何度も追い払ったがキリがなかった。それからだ。この門の中で生きていくのは無駄に思えたのは。だが、俺はこの門の外へは出られない。だからこうして俺の魔力が尽きるのを、この門が消えるのをこうして待っているのだ」
コウは、銀竜さんの言葉を聞き、怪我や病気が原因でああなってしまったのではなかったのか、と少し安堵するも、もっと思いもよらない理由だったのだとわかりとても驚いた。
銀竜さんはこの門が消えるのを待っている? 魔力が尽きるまで? そして、銀竜さんに与えられた使命? その使命を与えた人は誰なのだろう?
コウの頭の中は疑問で埋め尽くされた。
「そうだったんですね……」
コウは呟くようにそう言う。
「ああ……」
銀竜さんはどこか寂しそうに、そして少し恥ずかしそうにそう答える。
もしかしたら、銀竜さんは深く傷ついているのかもしれない。それは外側の怪我ではなく、内側の、心のほうだ。そして、本当はとても優しい竜なのだろうと。森の魔法生物たちのことを誰よりも思っているからこそ、こんなにも深く傷ついてしまったのだ。
でも、銀の門の主が銀竜さんだからとはいえ、太古の森――この名前はコウとミキが勝手に名づけたのだが――に住む魔法生物たちは、銀の門が消えてしまったときどうなるのだろう。銀の門がなくなったときに銀竜さんも消えてしまうのなら、森の魔法生物だって同じように消えてしまうはず。そのことを森の魔法生物たちも望んでいるのだろうか?
コウはこのとき、どうしてギザギザ角の鹿がコウたちを銀竜さんの元へ連れて来たのか、やっと理解した。ただ銀竜さんに元気になってもらいたいだけではない。自分たちやこの太古の森、そして銀竜さんと共にまだ生きていたいのかもしれない。
コウはそのことに気が付いたとたん、すぐに口が開いた。
「あの、僕はこの森にも森の魔法生物たちにも消えてほしくないです」コウはもう一度銀竜さんの大きなオレンジ色の瞳を見つめる。「あと銀竜さんにも」
「俺にも?」
銀竜さんは豆鉄砲をくらった鳩のような表情をしてそう答える。
「こんなにも素敵な門があるんだってこの門の中に長くいてそう思いました。太古の森は自然豊かで静かで居心地がいいし、森の魔法生物たちはとっても優しいし。だから、諦めないでください」
コウの言葉を聞き、銀竜さんは少し思い悩んだような表情をしながらも、大きなため息をまたついたと思えば口を開いた。
「ふん。もういい加減寝る時間だ。そろそろ寝ろ」
銀竜さんはそう捨て台詞を言ったかと思うと、目を閉じて寝息を立て始めた。
コウは銀竜さんの言う通りにし、「おやすみなさい」と小声で言ったあとテントにある自身の寝袋へと入った。
紺色の空に幾千の星が瞬く夜。その星空の中央には白く輝く半月があり、優美に太古の森を見下ろす。
銀竜さんは一瞬だけ右目を開けたかと思うと、「せがれもよく似た性格をしているようだな。マルサ」とボソリと呟き、目を閉じた。
それから銀竜さんの体の掃除は順調に進み、背中全体から大きな翼、肩や腕や手、長い首がまるで新品の金属製の甲冑のように綺麗になった。そして最後はとうとう、銀竜さんの頭だ。銀竜さんの体と頭を見比べると、まるで頭と体だけ別の生物のようにも見える。そう見えるくらい体は綺麗になったのだ。
結局銀の門の中には3週間も居座ることとなってしまったのだが、毎日の掃除や森での野宿生活、山菜や川魚を使った料理のレパートリーが増えたことなど、この生活を通して二人はとても逞しくなった。ミキは顔や腕が少しだけ日焼けし、見た目までも逞しくなり、コウは腕や足に筋肉がついたのか、いつも着ていたシャツに袖を通すと腕がきつくなっていたり、少々の距離を歩くのも苦にならなくなった。
「銀竜さん! 目を瞑っていてください!」
ミキが銀竜さんに向かって大声で合図する。泡を銀竜さんの顔に目一杯かけるためだ。
銀竜さんは最初こそ顔はやらなくてもいいと拒んでいたが、ミキの押しに負けてか、仕方ないといったため息をついたあと目を閉じた。
ミキとコウが杖を構え、泡の呪文を唱えると、銀竜さんの顔は瞬く間に泡で覆われていく。そして二人はデッキブラシを片手に、銀竜さんの顔を磨き始めた。
大木よりも太い左右に生えた角、巨岩よりも固い嘴、瞼や髭、口元など、森の魔法生物たちや魔法で動くデッキブラシの協力もあり、銀竜さんの顔は本来の輝きを取り戻していった。
最後にミキが箒に乗って上空から大量の水を銀竜さんの顔へかけ、磨き残した箇所がないか確認したあと、とうとう銀竜さんの体の掃除が終わった。
ミキが魔法で動かしていたデッキブラシは、昼夜問わず掃除し続けていたからか、毛の部分が摩耗し、まるで坊主頭のように毛が短くなっていた。
ミキは魔法で動かしていたデッキブラシを杖でポンと叩くと、「お疲れ様」と小さく声をかけたあと自身のトンガリ帽子へ戻した。
二人は改めて銀竜さんを見る。3週間かけて磨き上げた銀竜さんの体は、空からの陽光を浴びて白く輝き、神々しさが体からにじみ出ている。この門の中の主らしい、竜の姿とはこうだ、と納得させられる姿となった。
「もう目を開けてもいいか?」
ミキに閉じろと言われてずっと律儀に目を閉じたままだった銀竜さんは、二人にそう聞く。
「あ、もう大丈夫です! 開けてください」
コウは焦って返事をすると、銀竜さんはゆっくりと目を開けた。
銀竜さんのオレンジ色の瞳がよりそう思わせるのだろうか、神々しさが先ほどの何倍も増したような気がした。
そして、銀竜さんは大きな翼を広げると、一回、二回とその翼を羽ばたかせる。コウたちの周辺の太い木々は一瞬にしてなぎ倒されるのではというほどその風に煽られる。コウたちも吹き飛ばされてしまうのではというほどだった。
銀竜さんは、もう一度翼を羽ばたかせたかと思うと、大きな後ろ足で地面を目一杯蹴る。二人が立っていられなくなるほどの強風と地響きが起こったかと思うと、銀竜さんは快晴の空へ向かって飛びあがっていった。
銀竜さんの大きな体は太陽を一瞬で隠し、空を掌握する。コウはその光景を見て、恐怖心よりも気分が高揚した。そして、”銀の門の主である銀竜が再び目を覚ました”と思った。
銀竜さんの姿は、一瞬にして大空を左右に動き回り、ときおり地面を揺らすような咆哮が聴こえてくる。その咆哮は、誰かを威嚇するものではない。飛んでいて気分が良い、と心からの喜びを叫んでいるように思えた。
少しすると、銀竜さんはコウとミキがいる場所へと戻って来た。
銀竜さんは四つん這いになり、「コウとミキ、俺の手に乗れ」
二人は一瞬躊躇するも、すぐ銀竜さんの元へ駆け寄り、大きな右手の手のひらへ乗った。
銀竜さんは二人が乗った右手を左手で優しく覆うと、大きな両足でまた地面を蹴り飛び上がった。そして、大きな翼を広げ、一気に上空へと舞い上がる。ほんの一瞬で太陽がすぐ手に届きそうな高さまでやってきた。
自分たちがさっきまでいた、太古の森の開けた場所がまるで小さな米粒ほどの大きさになっている。広大な太古の森を見渡すと、その広さや緑の深さに感動する。自分たちが見ていた太古の森はほんの狭い範囲の一部だったとわかると、この森がどれだけの時間をかけてここまで大きくなったのかと、想像するだけでも自然の強さや凄さにまた驚かされた。
「遊覧飛行といこうか」
銀竜さんはそう言うと、二人がいる手を大事に抱えながら遠くに見える崖に向かって飛び始める。その崖には縦に大きな割れ目があり、そこから大量の水が白い水しぶきをあげながら下へと落ちていく様が見える。
銀竜さんはその崖の割れ目に近づくと、
「これは俺の翼が当たって出来た割れ目でな、いつからか滝になっていたのだ」
銀竜さんの翼は大きいだけではない。一度羽ばたくだけで竜巻すら起こすような屈強な翼だ。その翼が少し当たっただけで崖が割れてしまう。その威力の凄まじさをコウはその割れ目から感じ取った。
そして、その崖から離れた場所に太古の森から顔を出した大きな木が見える。だが、周囲の木と違い、葉を茂らせておらず、焦げてしまっている。
銀竜さんはその焦げた大木に近づくと、口を開く。
「これは俺が燃やしてしまった木だ。ガルモスという攻略者と戦ったときに火加減を間違えて燃やしてしまってな」
まさかここでかの有名な”ガルモス・ウルロー”の名を聞くとは思っておらず、コウもミキも驚愕した。そして、この銀の門や、銀竜さんや太古の森がどれだけの時間を見てきたのか、すぐに理解したのだった。そしてコウは、この話をマッキ先生が聞いたらとても喜ぶだろうなと思った。
銀竜さんは太古の森上空を飛び回ってくれ、二人はとても楽しいひと時を過ごした。
太陽はあんなにてっぺんにあったのに、気が付けば崖の傍まで降りてきている。そろそろ別れの時間だ。
銀竜さんは二人を優しく抱えたまま、太古の森の開けた場所へ降り立った。
「いつぶりだろう。こんなに飛んだのは」
二人を手から降ろすと、とても懐かしそうにそう言い「やはり空はいいな。楽しかった」
「銀竜さんが元気を取り戻してくれてよかったです」
コウは銀竜さんにそう言う。
「ああ。本当にありがとう」
「あの、お礼ならあの鹿の子や他の動物たちにもお願いします。私たちを手伝ってくれたり、ここで連れてきたのはあの子たちなので」
ミキがそう言うと、森の奥からあのギザギザ角の鹿や他の動物たちがゆっくりと出てくる。
「そうだな。みんなありがとう。俺はすっかり忘れていた。この門にいる意味。この森がある意味を」
銀竜さんはコウとミキに視線をやり、「さあ、出口へ迎え。次会うときは火炎をお見舞いすることになるからな」
「望むところです!」
コウは意気揚々とそう答えた。
コウとミキは、ギザギザ角の鹿に案内され、最初に出口を見つけた場所へと向かう。
この森で過ごした日々、仲良くなった森の魔法生物たち、そして銀竜さん。何もかもがかけがえのない旅の一ページとなることに嬉しくも思いつつ、過去になってしまうことが寂しくも感じる。ただ、これも旅の醍醐味である。そのときの出会いを大事に、次の旅の糧にしていくものだ。
しんと静かな太古の森に茜色の陽光が差し込む。木々の影が横に長く伸び、その時刻をコウたちに知らせる。
いよいよ、あの看板が見えてきたかと思うと、矢印の示す道の先にはあの出口の門が佇んでいた。
「それじゃあね。元気でね」
ミキはそう言うと、ギザギザ角の鹿の頭を撫でて優しく抱きしめる。ギザギザ角の鹿も表情こそはないものの、どこか寂し気にも見える。
コウもギザギザ角の鹿の頭を優しく撫でると、
「元気でね」
ギザギザ角の鹿はゆっくりと二人から離れ、その凛とした目で二人を見たかと思うと、すぐに森の奥へと消え去って行った。
コウは出口の門の錆びた取っ手を手に取り、開く。中はあの松明が壁に灯された通路だ。
すると、遠くから地面を揺らすような咆哮が聞こえてきた。たぶん銀竜さんのものだ。その咆哮は「旅の安全を祈る」と二人を祝福してくれているかのように聞こえた。
二人はその咆哮を聞き届けると、出口の門へ入り、扉を閉じた。
通路の左側の壁に赤い火を携えた松明が、その道を案内する。奥まで続く火が、その道しるべだ。
「銀の門も、太古の森もずっと残ってくれたらいいね」
ミキはコウにそう言う。
「きっとこれからも残り続けるよ。銀竜さんがいる限り」
コウはそう自信満々に答えた。
◆
ここは銀の門の中。夜も更けた太古の森。
とある二人の男が暗い道、明かりもない中森を進む。この森には、もう何十年も人が来ていないのか、すぐに見つかった出口の門のあったあたりと比べ、獣道が続き、二人の行く手を阻む。
門の塔に観光者として入ったジョアンとブルは、この道十数年。二人三脚で密猟者として生計を立てている。あるときは、火の国バーオボの麓にある禁忌の森に住まうという妖精を捕まえてマニアに売り、あるときは、東の国ジャプニーナの北陸の地にいるという獰猛な魔物を殺してその毛皮や肉を売りさばいた。
「さっきそこにいたはずなんだけどな……」
リーダーのジョアンは周囲を見ながらそう呟く。先ほど見かけた不思議な角を持った鹿みたいな魔法生物を追って森の奥深く来たのだが、見失ってしまったらしい。
「アニキ、どうします?」
ジョアンの子分のブルは、大きな腹を揺らして、ジョアンの後にぴったりついて離れない。
「見失っちまったみたいだし、夜が明けてからもう一回探すしかないな」
ジョアンは、ブルの問いにそう答える。
「おいらもうお腹ペコペコですよ。門の塔へ戻りやせんか?」
ブルはジョアンに聞く。
「うーん。しかしなあ……。かなり奥まで来ちまったし、ここで野宿して朝早くにもう一度」
「――そんなあ! 今夜は絶食ですかい? おいらもう限界ですよ~」
「お前はいつでも限界だろうが。もう決めた。今夜はここで野宿だ。腹が減ったならそこら辺の草でも食っとけ」
ブルはジョアンにそう言われ「ええ~」と抗議したが、ジョアンの意思は固く、その場で野宿することを渋々受け入れた。
それにしてもこのあたりの草は外の世界では見ない草ばかりだ、とジョアンは近くに生えている雑草を観察する。何か外の世界とは違う法則があり、その法則に則ってこの銀の門の世界は成立している。魔法でできている世界とはいえ、ジョアンにはとても異様に見えた。
すぐ近くでブルは、そこらに生えた雑草を摘んでは口へ運んでいる。せめて水で洗おうという気は起こらないのかこの食いしん坊め、とジョアンは思いながら、ブルの行動を見守る。
それにしても、この森は静かだ。魔法生物が多数いると聞きつけてやってきたのだが、その気配や鳴き声すらしない。夜だからという理由だけではない。わざと音を立てないよう魔法生物側が過ごしているのではないか? とすら思える。
ジョアンは、門の塔の噴水を入れた水筒を一度口に運ぶと、一口水を含んでそれを喉の奥へ流し込んだ。
すると、ジョアンの背後でガサガサと草が揺れる音がした。二人が一斉にその音がした方向へ振り向く。そこにはあの不思議な角を持った鹿みたいな魔法生物がいた。さっき出口の門の近くで見た個体と同じようだ。
「ブル! 追うぞ!」
ジョアンはそう言うと、すぐさま鹿のような魔法生物の後を追いかける。
「待ってくださいよ! アニキ!」
ブルは、手に持っていた雑草を腰に携えた小さなポシェットへ仕舞うと、先に行ってしまったジョアンの後を追いかけた。
不思議な角を持った鹿のような魔法生物は、ジョアンとブルとの距離を突かず離れずといった絶妙な感覚で逃げて行く。
ジョアンは、今度こそ逃がすもんか、と血眼で追いかける。魔法生物から目を離さず、生い茂った雑草をかき分け、ただ目の前の生物がどんな値段で売れるのかを想像しながら。
今ここで焦ればここまで来た道のりや入塔料が水の泡だ。慎重に、慎重に。でも見失わないように……。
ジョアンは、これまでの狩りで一番と言っていいほど、慎重に目の前の魔法生物の後を追いかけた。
すると、先ほどまで大きな太い木や雑草が生い茂った森の中にいたはずが、気が付けば開けた場所に出てきた。
「あれ? さっきの魔法生物……」
ついさっきまで目の前にいたはずの魔法生物は、幻だったかのように姿を消している。どこで見失ったのだろう?
ジョアンは、狐に化かされたかのような気分のままその場に立ち尽くしていた。
「アニキ……いた……」ぜぇぜぇと息を切らしながら、ブルがジョアンの元へ駆け寄る。
「先に行かないでくださいよ……もう……。アニキを……見失うところ……でしたぜ……」
「ああ……。すまん。それとまた見失っちまったみたいだ」
ジョアンは呆然としながらも、ブルにそう言う。
「え……ええ!? またですかい? もう勘弁してくださいよぉ」
「すまん。一度戻ろう」
ジョアンがそう言って踵を返すと、開けた場所の中央にある巨岩のような何かが音を立てて動いたような気がした。
「ん?」
ジョアンはもう一度振り向き、巨岩を見やる。
さすがに気のせいか――。
「密猟者か。この門へ入ったことを後悔するがいい」
その声は怒りに満ちていた。
巨岩だと思っていた物は、目を開き、ジョアンとブルを見つけると、頭を上げて巨体を起こす。
「え、アニキ! うわああああああ!」
ブルはジョアンへ助けを求めようとしたが、目の前の竜に足を掴まれ、天高く持ち上げらえてしまった。
「ブル! 今たすけ――」
ジョアンがそう言おうとした瞬間、ブルは竜が吹いた火炎に飲み込まれ、一瞬で黒焦げの固体へと変わってしまった。
「おい……嘘だろ……。ブル! ブル! 返事をしてくれ!」
黒い塊となり、炎を上げたままブルだった物は、地面へと落ちていく。もうブルが助からないことは一目瞭然だった。
今日という日まで二人助け合って生きてきた、相棒であり弟のように思っていたブルの最期があまりにも呆気なく終わってしまったことに、ジョアンは信じられなかった。もしもあのとき、ブルの言う通りに門の塔へ戻っていれば……。ジョアンは後悔の念に苛まれる。
そしてジョアンは、目の前の魔物と化した巨竜を見据える。
絶対にブルの敵を……!
そう誓って、腰元の短剣を右手に持ち、巨竜へ向かって突っ込もうとしたその瞬間。
「あ――」
ジョアンの言葉にすらなっていない声がその場に木霊したかと思うと、ジョアンの身はすでに巨竜の吐いた火炎に包まれていた。
何を言おうとしたのか、ジョアン自身にももうわからない。だって、ジョアンの体は脳は、すでに燃えてしまい思考することすらできないのだから。
二つの燃えた人間だったものを見据え、銀竜は口を開く。
「俺は守ると決めたのだ。この森を、動物たちを、門を。そのためなら鬼にも魔物にもなってやる」
青白く輝く満月の月光を浴びて、銀竜の白銀の鱗は怪しく輝く。大きく翼を広げ、地を蹴って夜空へ飛び上がったかと思うと、白銀の巨竜はこの世界を震え上がらせるほどの咆哮をあげた。
その咆哮は怒りに満ちており、この世界に存在するであろう神ですら恐怖に身を震わせるほどだろう。
前回お伝えした通り、次回から不定期投稿とさせていただきます。
5月中旬ごろには定期投稿に戻す予定です。
それまではお待たせすることとなってしまうこと、お詫び申し上げます。
新しく投稿しましたときはX(ID:@udk_hiro)にてお知らせいたします。
是非ともフォローしていただけますと幸いです。
そして、いつも読んでくださる読者の皆様には心より感謝しております。
これからも「門の塔」をよろしくお願いします。




