第13話ー2 海の門
かれこれ数十分、いや、一時間以上は経ったかもしれない。荷物を置いたヤシの木の元に戻った頃には、二人はすっかり息が上がってしまうほど夢中になって遊んでいた。
こんなにも夢中になって、無邪気に遊んだのは久しぶりだった。
コウは、心の何か悪いものがすっかり無くなっていることに気が付いた。目には見えない、かと言って言葉では説明できない、胸に引っかかるような物。黒くて嫌な物。一体どうして無くなったのだろう? 海が洗い流してくれた? 風が吹き飛ばしてくれた? いや違う。この時間が、ミキと二人で遊んだ時間が癒してくれたのだ。
胸に引っかかる何かがすっかり癒えた今、表情筋が自然を笑顔を作り出し、なんだか体も軽い。
ミキとこうして海で遊んだ時間は、攻略者としては無駄な時間だったかもしれない。この時間の間に出口の門を見つけ、次の門へと進むことができたはずだ。だが、必要な時間だった。こうしてたまに攻略のことを忘れ、自分の心のまま遊ぶ時間は自身の心を癒し、この攻略の思い出の一つとなる。明日になればもう忘れてしまっているかもしれないが、いつか思い出すときが来る。そのとき、「楽しかった」と言えればそれでいいのだ。
懐中時計を見ると、太陽が傾き始める時間帯だった。
遊び疲れた分の体力を少し回復するために休憩をとったあと、二人はすぐ出口探しを始めた。
だが、出口の手がかりはない。
周囲を見渡しても、海水浴を楽しむカップルや、大きな箱と釣り竿を持って場所を探している釣り人がいる程度だ。あとは、潮風に揺れるヤシの木、波の鼓が幾度も重なり、ときおり陽光が反射してキラキラと輝く海。目に見える限りでは陽気な海の景色だけで、出口らしい物は見当たらない。
かといって、このままここで呆然と考えているわけにもいかない。それこそ時間の無駄だ。
コウは思考をグルグルと回転させるかのように、考えに考える。
海の門なのだから、海の中に出口があるのではないか? 滝の門の出口が滝つぼの中にあったように。
すると、ミキが「あ!」と、火灯し妖精が蝋燭に火を灯したかのように、何かを思い出した。
「そうだ、”クジラ”だよ」
コウは、クジラ? と首を傾げたが、門番の言っていたことだ、とすぐに気づいた。
「なるほど! クジラか! クジラを見つけろってことなのかな?」
「そこまではわからないけど……。でも唯一の手がかりじゃない?」
確かに……と、コウは納得する。門番の言っていることがヒントになるのかはわからないが、今はその唯一の手がかりから出口を探すしかないのだ。
二人は、遊んでいた浜から離れ、浜のすぐ傍にあった小道を道なりに歩き始めた。すると、道の先には磯辺があった。
茶色いゴツゴツとした岩が密集した場所で、かなり広範囲に広がっていた。岩の小さな穴に溜まった海水をよく覗いて見ると、小さなカニがじっと息を潜めている。海と言えば、砂浜と海をよく想像するが、こういった磯辺も確かに海だ。すると、少し大きな波の音が聞こえたかと思うと、押し寄せた波は岩に当たり、まるで吸収されるかのように打ち消されていった。自然の波消しブロックだな、とコウは思った。
そして、その磯辺の中にひと際目立つ何かがあった。
磯辺の茶色い岩とは違う、黒くてテカテカとした何か。その何かが岩の溝ようになった箇所で挟まってしまっているようだった。
コウとミキは、恐怖心はあったものの、その黒くてテカテカした何かに近づいた。
「目がある! コウ! 目があるよ!」
黒くてテカテカした何かをよく観察していると、ミキがそう叫んだ。
コウはミキの言った箇所まで近寄り、よく見た。
「ほんとだ……。目が動いているから生きてるみたいだ」
コウは、黒くてテカテカした何かをぐるりと一周してよく観察する。
黒くてテカテカとした体、目から一番遠いお尻のあたりには尾ヒレ……。
「クジラだ! まだ子供みたいだけど、クジラだよ!」
岩に挟まっていた生物の正体は、クジラだった。
クジラは、世界で最大級の哺乳類だ。種類にもよるが、成体だと数十メートルにもなるという。
目の前にいるこのクジラはせいぜい4~5メートルほど。尾ひれの大きさなどから見て子供だとコウにもわかった。
クジラの体をよく見ると、岩に挟まった際に暴れたのか大小様々な傷がたくさんついていた。右目側にある大きな傷からは、血が出ており、岩や海水を赤く染めていた。
このまま岩から抜け出せず衰弱し、傷から細菌が入って重症化したり、食事などが取れず最悪の場合死に至る危険がある。
こういった場所から抜け出せなくなりいずれ死んでいくのも自然の摂理だ、と言われればそうなのだが、目の前で困っているのなら放っておけない。
コウとミキは、このクジラを助けることに決めた。
まずは、ミキが物を運ぶための魔法を使う。が、子供とは言えクジラの体重を持ち上げることはできず、岩にしっかりと挟まってしまっているせいかびくともしない。それに、岩の尖った箇所がよりクジラの体に食い込んで怪我をさせてしまう恐れもあり、この方法は断念することとなった。
岩から抜け出す方法を先に考え、それから海の方へ運ぶほうがいいだろう。
コウとミキは頭をグルグルと回転させる。
今は近くに頼れる大人もいない。自分たちの力だけでクジラを助けなければならない。本当に自分たちだけでできるのだろうか? これ以上クジラが怪我したり、それこそ弱らせてしまうのでは? 砂浜にいた魔法を使えそうな大人を呼びに行ったほうがいいのでは? だが、そうしているうちにクジラは弱っていく……。
何かいい手がないものか、とコウは周囲を見渡すが、役に立ちそうな物は見当たらない。
すると、ミキがクジラの傷の手当てをすると言い出した。右目側にある大きな傷からの出血が酷く、居ても立ってもいられなかったのだろう。
ミキは、自身のサコッシュから何やら本のような物を取り出した。
コウが横からそれを覗き込むと、”薬草学ポケット図鑑”と濃い緑色の表紙に金色の文字で書かれている。相当使い古されているのか、表紙に皺や染みがあり、小口は黄土色に日焼けしている。
ミキが”薬草学ポケット図鑑”をパラパラと捲り、「あ、あった」と独り言を言って真ん中より後方のページをしっかりと開く。ページの上部には”海藻”と書かれていた。
ミキはページを順番に指でなぞりながら見ていき、「これだ! ツルベーリ海藻」
「ツルベーリ海藻?」
コウは聞き返す。初めて聞く海藻の名前だったからだ。
「うん。キズ薬にも使われる海藻なんだ。すり潰してキズに――そうだ! これだよ! ツルベーリ海藻だよ!」
ミキは突然雷にでも打たれたかのように、目を大きくしてコウに言う。
「え、えっと、ツルベーリ海藻がどうしたの?」
「そうよ。なんで思いつかなかったんだろ。私ってほんとバカ」ミキはコウに向き直り、
「ツルベーリ海藻でクジラを助けてあげるの!」
「あ、うん。キズ薬になるなら助けてあげられるね……」
コウは、ミキの考えていることがさっぱり読み込めない。
「違うの! ツルベーリ海藻のヌメヌメを使うの!」
「ヌメヌメ?」
「そう! ツルベーリ海藻はね――2年生のときに薬草学の授業で習ったんだけど――すり潰すとヌメヌメになるの。それをクジラの体に塗れば――」
「クジラが磯辺から脱出できる?」コウが受け取る。
「そう!」
だが、かなりの量がないとクジラを脱出させるのは難しいのは明らかだ。
二人は作戦会議を開き、ミキはクジラのキズの治療を引き続き行い、コウはツルベーリ海藻を探しに行くこととなった。
ツルベーリ海藻の特徴は、他の海藻より黒く、小さな木のような見た目をしている。そして、影になっている場所に生えているだろう、とミキが教えてくれた。
コウは、ミキとクジラのもとを離れ、磯辺を散策する。
他の海藻より黒い……。小さな木みたい……。影になっている場所……。
ツルベーリ海藻の特徴を頭の中で復唱しながら、それらしい場所を探す。
ゴツゴツとした岩をなんとか進み、日陰になっている場所を覗く。何度か海藻には巡り会えたが、どれもツルベーリ海藻の特徴とは一致しなかった。
やはりミキに探してもらったほうがよかっただろうか? でも、キズの手当てができるのはミキだけだ。
コウは自身の無力さを思い知る。
ミキは学校でこれまで学んだ知識を活かし、攻略の役に立っているが、自分はどうだ。特にこれと言って役に立っていないように思う。
日はいつしかオレンジ色を帯びはじめ、コウの影を長くする。
ネガティブな感情はいけない。日が落ちないうちにツルベーリ海藻を見つけないと。役に立たないなら立たないなりに努力すればいいんだ。
コウは、自身に言い聞かせ、ツルベーリ海藻の捜索を再開した。
コウは先ほどと探し方を変えてみた。なりふり構わず、海水があっても頭を突っ込み、穴の中を覗いたりした。
日が落ち始めているからか焦りが出てくる。そのためか、やはりツルベーリ海藻がなかなか見つからない。ミキに物探しの魔法でも聞いておけばよかった、と少し後悔するが、今後悔したところでツルベーリ海藻は見つからないのだ。
ふと気が付くと、ミキとクジラがいる場所からかなり遠くまで来てしまった。この辺りはどうも日当たりの悪い場所が多い。
この場所でも見つからなければ、一度ミキとクジラのもとへ戻って仕切り直そう。
コウはそう思いながら大きく息を吸いこんだあと、一つの大きな海水に満たされた穴に頭を突っ込んだ。
頭を突っ込んだ目の前に、小さな木のような黒い海藻が海水の動きに合わせて揺れ動いていた。
(これだ!)
一目見てすぐツルベーリ海藻だと分かるほど、ミキから聞いた特徴そのままだった。
一つ見つかれば、まるで芋づる式とでも言うようにツルベーリ海藻が次々に見つかり、コウ一人で抱えるには精一杯な数を採取することができた。
コウは、一つとして落とさないようツルベーリ海藻を両手いっぱいに抱え、ミキとクジラのもとへ戻った。
コウが持ち帰ったツルベーリ海藻の数を見て、ミキは最初こそ驚いていたが、「すぐにすり潰すね!」と携帯用薬研を取り出し、そして、自身の杖で薬研をポンと軽く叩いたかと思うと、薬研は自動でツルベーリ海藻をすり潰し始めた。
自動でツルベーリ海藻をすり潰す薬研をコウは覗き込む。
ゴリゴリと音を立て、最初こそ形のあったツルベーリ海藻は、どんどんその形を失っていき、みるみるうちに粘り気のある液状へと姿を変えた。
ツルベーリ海藻一房でかなり量が取れることもわかり、コウが持ちかえった分でなんとかクジラを逃がしてあげられそうだ。
コウは、ふと思い出したように、クジラの右目側にある大きな傷を見に行った。
ミキの治癒呪文のおかげか、出血は収まっていた。だが、大きな切り傷のような傷口は腫れ、その間から赤い肉のようなものが少し見える。少しでも触れたりしたら痛そうだ。このような野ざらしの場所では応急処置が精一杯だったようだ。
ミキはクジラの傷口を恨めしい表情で見つめる。不甲斐ないといった感情がひしひしと伝わってくるようだ。
そこから二人は、すり潰し終えたツルベーリ海藻をクジラの体に塗って回った。岩に挟まってしまった箇所を中心に、できるだけ簡単に脱出できることを想像しながら、手分けして塗った。
日の色はどんどん濃いオレンジから朱色へと変わっていく。空を見ると、太陽の向かい側はすでに紫色へと変わり、一等星が輝きを灯し始めていた。
すり潰したツルベーリ海藻を一通り塗り終わり、余った分はミキがクジラの傷にたっぷりと塗り込んだ。
「海水がしみそうだから……。これで少しはマシだといいんだけど……」
ミキはそう言って、悔しい表情を浮かべる。
大丈夫だよ、と励ましの言葉をかけようかと思ったが、コウは「うん」と頷くだけにした。
ミキがトンガリ帽子から出した箒の後ろにコウは跨った。初めて乗る箒に少し緊張するが、同時に高揚感のようなものもあった。
そして、コウの前にミキが跨ると、「二人乗り、ほんとは4年生になってからなんだけど……内緒ね!」
そう言ったあと、二人を乗せた箒はゆっくりと上昇し始めた。
「二人乗り初めてだから……! コウ! 落ちないでね!」
そう言うミキの肩をしっかりと掴み、コウは落ちないようなんとかバランスを取る。
十メートルほどの高さまでやったきたところで箒の上昇は止まり、ミキは杖を掲げ、一呼吸おくと呪文を唱えた。
「ルーウダルス!」
ミキの呪文に呼応するかのように、磯辺の向こう側で先ほどまでゆっくりと小さな波を打っていた海水がまるで生き物のように動き出し、巨濤となってクジラがいる磯辺へと襲い掛かった。
濤声が響く中、二人はその様子を見守る。大量の海水を使ってクジラを岩から抜け出させる。一か八かの賭けであったが、これが一番安全な方法だった。
クジラはどうなっただろう。ちゃんと逃げ出せれたらいいが……。
十数分ほど経つと、大きな波は引き、次第に磯辺が顔を出し始めた。
コウとミキは、クジラがどうなったか目を凝らしてその姿を探す。
クジラが挟まっていた岩には、姿はなく、磯辺の向こう側の海をよく見ると、何か黒い影があった。その影は、まるで深呼吸をするかのように、一度だけ潮を吹いた。
「クジラだ! あのクジラだよ!」
ミキは嬉しそうにそう声を上げる。
クジラを海に逃がしてあげる作戦は成功した。
二人を乗せた箒はゆっくりと陸のある場所まで降下し、その地面に足をつけたかと思うと、二人はハイタッチをした。
辺りはすでに薄暗くなっており、朱色になった太陽は海の向こうの水平線へと沈みかけていた。
クジラを助けることに無我夢中だった二人は、出口のことなどすっかり忘れていた。夜になると探すのは難しくなるだろうということになり、今夜は海の門の中で一泊し、翌朝探すこととなった。
野宿する場所は午前中に遊んでいたあの浜辺に決まり、二人は来た道を戻る。
歩いているうちに辺りはもうすでに暗くなり、杖で明かりを照らしながらでないと道がわからなくなるほどだった。幸い浜辺までは一本道なので迷うことはないが、何が潜んでいるかわからないので注意して進む。
「あのクジラのキズ……大丈夫かな?」
ミキはポツリと言う。その表情から気に病んでいることが窺える。
「きっと大丈夫だよ。ツルベーリ海藻を塗ったし、出血も止まってたじゃないか」
コウは、できるだけ明るい声色で励ますようにそう答える。
あのクジラがああして海へ逃げ帰れたのも、ほとんどミキのおかげだ。ツルベーリ海藻なんてコウは知らなかったし、水の極大魔法を使ったのもミキだ。そして何より、クジラの傍について怪我の治療をしたのもミキだ。
ほとんどミキの功績だ。僕なんて……。ダメだ。ネガティブになってはいけない。これから役に立てるよう頑張ればいい。
コウはネガティブな感情を抑えつつ、ミキをずっと励まし続けた。
道も半分ほどまで来た頃、さざ波の音が心地よい中進んでいると、何やら歌声のようなものが聞こえてきた。
最初こそ、自分にだけ聞こえているのか? と、コウは思ったが、ミキにも聞こえていたのか、その場で立ち止まり、杖で照らされた明かりを頼りに、二人は周囲を調べ始めた。
もしかして、夜に出る魔物か? この暗い中戦闘は明らかに不利だ。相手の居場所を把握しつつ、浜辺まで急ごうか? などとコウが思考を巡らせていると、ミキが突然「あ!」と大きな声をあげた。
そして、ミキが指をさした海のほうへ視線をやると、そこには黒くて丸っぽい影があった。
コウが何だろう? と思った心の声に答えるかのように、その影は一度だけビューッと水しぶきをあげる。二人が助けたあのクジラだった。
「あのクジラだ!」
コウはその姿を確認した瞬間、そう声をあげていた。
「でも、どうしてここに?」
ミキが首をかしげる。
二人がクジラを見ると、クジラはまた潮を吹く。
何か言いたげな雰囲気を感じつつも、クジラ語がわかるはずもなく、超能力者でもないので心も読めない。
二人が困っていると、クジラはまた潮を吹いたかと思えば、くるりと尾ひれをコウたちに向けるようにして反対を向く。そのままじっと微動だにしなくなった。
「もしかして、乗ってほしいってことかな?」
ミキが言う。
確かにこの動きは、二人が背中へ乗るのに不自由ないようにしてくれているようにも見える。
ミキがゆっくりと右足をクジラの背中へ差し出し、バランスを崩して海に落ちないよう、クジラの背中に乗り移った。クジラは暴れる様子もなく、むしろコウのことを待っているかのように微動だにしない。
「やっぱり私たちに乗ってほしいんだよ! コウも来て!」
ミキの言葉を聞き、コウも恐る恐るクジラの背中へ乗る。すると、クジラは二人が乗ったこと察知したのか、ゆっくりと海を進み始めた。
二人はクジラの体から落ちないように、胴体のあたりに跨るようにして腰かける。そのときコウは、クジラの右目側にあったあの深いキズを確認した。ツルベーリ海藻を塗ったおかげか、炎症は治まっており、傷口も時間が経てば閉じていくであろうことが見た目ですぐにわかった。
コウはそれを見て安堵した。
二人を乗せたクジラは、二人が乗っている部分に海水がかからなよう、ゆっくりと進む。この夜中の海をどこへ進んでいくのだろうか。何も知らぬまま二人はクジラに身をゆだねた。
群青色となった真っ暗な空には、数千数億という大小様々な星が輝きを放つ。夜空をまるで鏡のように映す海にも、同じような光景が広がる。周囲全てを星空に覆い包まれてしまったような、いや、まるで宇宙にやってきたかのような、とてつもない景色を二人は感嘆の声をあげながら眺める。
世界はこんなにも美しい。コウはその光景を見てはっきりとそう思った。
波の小さな音、周囲が星空に包まれたかのような世界。
心にもしも体力という概念があるとすれば、今まさにこの光景を見て体力を回復している。嫌な記憶や物事は、全てちっぽけな塵となって消えて行くような不思議な感覚。ネガティブな感情なんてこの世にない、と言わんばかりにコウの心から消え去っていた。
今は、どんな物事も素直に受け止めることができる。今まさに、この光景を見てそのままの感情を言うことが出来る。
もしも門の塔へ来ていなければこの景色を見ることはできなかった。本当に来てよかった。
コウは心からそう思った。
少しすると、前方に青白い三日月が現れた。
クジラはどこまで泳いでどこへ連れて行くつもりなのだろう?
そう考えていると、突然クジラの進みが止まった。
三日月の月光が群青色の海面に反射し、波が揺れ動くのに合わせて、三日月の月光もまた揺れ伸びる。
星空の中に浮かぶ三日月に、それを反射する海。また幻想的な光景を目の当たりにし、クジラはこれを見せたかったのかな? とコウが思った瞬間、海面に反射した三日月の月光がゆっくりとこちらへ伸びてきた。
すると、海面に反射した月光の中から何かが姿を現した。
「門だ!」
コウはその姿を確認してそう声をあげた。
月光から現れたそれは出口の門だった。
木製の扉には海の中の様子の絵が描かれており、入り口の扉にはなかったクジラの絵が追加されている。
「まさか……! 連れてきてくれたの?」
ミキがクジラに話しかけるようにそう言ってクラジの体を撫でると、クジラは軽く一度だけ潮を吹く。まるで「そうだよ」と答えるように。
「ありがとう……」
ミキが涙ぐみながらそう言ってクジラの体を撫でると、クジラはまた潮を吹いた。照れていたのだろうか、先ほどより強く水しぶきがあがり、コウの体は海水まみれになってしまった。
出口の門の扉を開き、クジラの体から門の中へ飛び移った二人は、クジラに別れを告げ、ゆっくりと扉を閉めた。
中はまたあの松明が灯された長い通路だった。左側の壁にオレンジ色の炎を揺らした松明が掲げられ、ずっと奥まで点々と続く。
コツコツと二人の靴音が反響する。
海の門の中では遊んだり、クジラを助けたり、一日で体験できうるだけのことをしたので体は疲れ切っていた。
でも、意外と胸のあたりが軽く、まるで晴れ渡った青空のようにスッキリとしている。
その理由はコウにはすでにわかっていた。
海でミキと思う存分遊んだこと、クジラが見せてくれた美しい光景のこと。この二つがコウの心を癒してくれたのだ。
門の塔に入るまでは、バーオボに住んでいた頃は働きづめで、聖地テルパーノに来てからも宿を探したり七日間講義があったり、と余暇などなかった。
自分では気が付かないものだが、人という生き物はどこかで遊んだり休息を取ったりしないと、いつしか心が荒んでいく。その結果他人にイライラしたり、物事がうまくいかなくなったりするのだ。
だが、コウは一つだけ引っかかる事があった。
クジラを逃がすとき、ほとんどミキの力を頼ってしまったことだ。
「コウ、さっきからどうしたの?」
ミキの声にはっとなり、コウは我に返った。
「あ、うん。ずっと考え事してて……」
「考え事?」
ミキはすぐに聞き返す。
いや、考え事ではないこれは”悩み事”なのだ。今なら素直に、この悩み事を話せる。
コウはそう思い、”悩み事”をミキへぶつけた。
「正確に言うと悩み事なんだけど……。ミキばかりに頼って、僕は何の役にも立ってないなって」
最後の方はほとんどコウ自身にしか聞こえないほどの声量だったが、心の内を晒したことで、恥ずかしさよりも言えたという安堵した気持ちのほうが大きかった。
「え! コウはとっても役に立ってるよ!」
まるで、悩み事と書かれた木の板を片手で叩き割るかのように、ミキはコウの言葉を否定した。
「だって、ツルベーリ海藻をあんなにたくさん見つけてきてくれたじゃない! 私一人だったら無理だよ! 絶対!」
ミキのその言葉は、お世辞などではなく、ミキの心からの言葉だとコウは素直に受け取った。
そうだ。ミキの言う通りかもしれない。でも、クジラを助けた件は、ツルベーリ海藻を見つけたコウと、クジラのキズを治療し魔法で逃がしたミキと、二人の功績なのだ。どちらか一人が欠けていれば助けられなかったのだ。
そのことに気づいたコウの悩み事は、もうすでに木っ端みじんとなって消え去っていた。
今はまだ小さなことでしか役にたてないかもしれない。でも、攻略を通して成長し、ミキと共に進めばいいのだ。
コウは自信に満ちた顔をあげ、目の前に現れた門の取っ手を持ち、勢いよく開いた。
門の塔の一階は、コウたちを受け入れるように、明るく、そして少しだけ騒がしい。
コウはサコッシュからマップを取り出し、海の門と記された部分を確認する。星マークがついている――つまりクリアの証だ。
こんな夜中まで攻略したのは初めてだったので。二人の胃袋の虫は今にも大暴れしそうだった。
二人は二手にわかれ、ミキは噴水へ場所取りに、コウは食料棚へ向かう。
次の門はどんな門なのだろう?
コウは食料棚からジャガイモとひき肉などを取り、次の門のことを楽しく考えながら、噴水近くで場所取りをしているミキのもとへ向かった。
次回は、2月13日に投稿します。




