第9話 ありきたりな魔物のよくある触手
「近くない?」
驚いた愛依さんの声だった。綺麗なソプラノに、微かな震え。
夕陽映える川べりに、市の警報が低く鳴っていた。
それが、だんだん近くなって、最寄りのスピーカーで大音量で鳴り出した。
同時に、何か地響きみたいなものが両足を揺らす。
「おかしいよ。今までは『封印のほこら』から出て、西か東側だったのに」
そうなんだ。今までの魔物は、魔物を封印した洞窟から、魔素が高い郊外ばかりへ移動していたハズなんだ。それが、いきなりこんな町中を目指すなんて。
「僕が行く」
「でも!」
愛依さんに止められた。
まだ僕が正式に魔物討伐を命じられたわけじゃない。けど。
公園の向こう、白い建物に目を向ける。「‥‥あ」。
彼女は僕の意図に気がついた。
愛依さんの家が近い。このままだとこの辺で家屋の被害で出てしまうかもしれなかった。
自衛隊がその都度設定する「防衛ライン」。そこから外の区域は、魔物との戦場になる。
こんなに町の内部に魔物が来てるってことは、愛依さんの家が戦場になってしまう可能性が高かった。
僕は基本郊外で戦ってきたけど、戦場、その区域においては魔物滅殺が最優先。残念だけど「そこにあった家とかに被害が出るのは止む無し、家に構わず魔物を叩け。それがトータルで家の被害も減らす」と言い含められている。
「でもそれはしょうがないわ。自衛隊さんが住民避難をさせながらだもん。防衛ラインが決まらないのに、わたし達が野放図に戦うのは禁止されてる」
愛依さんだって我が家とか、この辺一帯が戦闘区域になるのを望んでいるワケはない。
ただ、ちゃんと国とのルールは守ろうとしてるんだ。こんな時に真面目ないい子だ。
でも。
彼女の目を見つめる。
「僕が速攻で何とかすれば、何とかなるかも」
ああ、語彙力。でも僕の気持ちは伝わった。
「うん、わかった‥‥。お願い。‥‥でも無理はしないで」
足下を見る愛依さんが、頭を下げて見送ってくれた。
地響きの方向、魔物のほうへと走りだす、けど。
僕は、足が地についていない感覚を自覚する。歩くたびに、脳も気持ちも揺れる感覚。
愛依さん。
もう本家に嫁ぐんだ。
そういう前提のもの言いをしていた。
そっか。
せめて彼女の前で恰好つけようとして、独断で魔物と戦う選択をしてしまった。
意気込んでしまった。ああ。
あとでムチャクチャ怒られるんだろう、なあ。でもまあいっか。少しでも彼女の前で、僕という男子がいたことを、その爪あとを残せれば。
今はそれでいいや。
土手を走る。だんだん地響きが大きくなる。
しばらくして魔物はすぐ見えた。だって当然だ。
ふわふわと空を飛ぶタイプだったから。
鷹かトンビみたいな見た目。大きさはバスくらい。そしてたまに起こる地響きは、コイツが地面に降りた時の衝撃音だった。
どうする?
上からゴツン、と叩くなら、天の御柱(命名:咲見暖斗)だ。
逆に、全方位攻撃でチクチク削るなら、血の切雨(命名:咲見暖斗)かな。
空に浮かぶ魔物なんて初見だし、もしか動きが早くて避けられるリスクを考えたら、切雨だ。うん。それで行こう。
僕は両手を前にかざして意識を集中する。魔物の周囲に、鋭い円錐形のトゲをいくつも出現させた。それで360度、魔物をぐるっと取り囲む。
「くらえ!」
光の円錐が一斉に鳥型魔物に襲いかかった。‥‥が。
「あっ。あれっ!?」
円錐が魔物の表面で弾かれる。もしくは突き刺さらずに砕けていく。
「しまった。法力ケチった! 弱いか?」
副作用で寝込むのを気にしてか、法力を使い切らないように戦闘するクセがついてしまっていた。初見の魔物なのに、これは悪手だった。
「くそっ」
慌てて二射目を生成。だけど一回技を見せてるから、鳥型魔物は派手に動いて逃げようとしてきた。‥‥結果、こちらの攻撃が上手く当たらず、躱されてしまった。
猛禽類っぽい巨大な顔が、僕を捉える。‥‥マズイ。
魔物に攻撃される気配だ。警戒しながら羽根を羽ばたかせ、ゆっくりと間合いを詰めてきた。急いで三射目を用意しなくちゃ。
そこへ。
「暖斗くん!」
ここから避難する人たちの中に、あのセーラー服を見つけた。
愛依さんだ。
刹那。
「ギャギャギャアァ!!」
魔物が回れ右。
変な声を上げて、彼女がいる人混み目がけて突進した。僕に完全に背を向けている。
「え!?」
「あっ! きゃああああ!!」
真っ青になって逃げ惑う人たち。愛依さんだけは僕のほうを向いていたから、逃げる群衆から突き倒されてしまった。
ひとり残され尻もちをつく愛依さん。その目前で魔物は急停止をすると地面に舞い降り、急に身体を光らせだした。
何する気だ? でも!
「御柱ァ!!」
動きを止めたのなら狙いがつく。上空に作った巨大な光柱を、魔物の脊椎に叩き落とした。
やった。何とか倒せた。
「ありがとう。暖斗くん!」
愛依さんが駆け寄ってくる。‥‥けど、あれ?
愛依さんと抱擁できそうな瞬間、視界が一瞬で夕焼け空になった。慌てて首をすくめる。
そうだよ。後遺症だ。僕は今仰向けにひっくり反ってるんだ。
「‥‥大丈夫? 頭は無事?」
地面に大の字の僕を、彼女が心配そうにのぞき込んできて。
「あはは。たんこぶは回避したよ。‥‥何とか‥‥!!」
軽口を叩こうとして絶句。
彼女の後ろは夕焼けの空のハズだ。なのに。その空に。
さっきの魔物が浮いていた。
「愛依さ‥‥!!」
「きゃああぁ」
光柱は効いていた。魔物はその身体の大半を焼かれながら、残りはまだ発光していて。
胴体から光の触手を出して、愛依さんの身体を絡めとり、僕から引き剝がした。
「ひぁ!? は、暖斗くん!?」
触手が彼女のウエストとふとももに食い込む。肩から首まわりにも回り込んでいる。
「‥‥‥‥いやっ!? 助けて!」
白いソックスとローファーが地面から浮いた時、愛依さんは短く声を上げた。
だけど。
MPゼロ。攻撃手段は無く、僕の身体の首から下は。
‥‥‥‥‥‥‥‥1ミリも動かない。