夕暮れの図書館で
「はぁ……」
とある休日の午後、俺は学園の図書館で溜息をついていた。
学園の図書館は王城のそれよりずっと小さい。
けれど向こうとは違って、まばらに見知った人がいて、少し落ち着く場所だ。
最近は城での気苦労が絶えない。どうも国王の周りでもめごとが起きているらしく、ぎすぎすした雰囲気なのだ。
それに共同試験が二週間後に迫っている。
だから休日を返上してでも、試験に備えなくちゃいけない。
実技の他に筆記もあるが、それが問題だった。
週のほとんどはスノウベルと実技の練習をしているが、筆記の方は科ごとに異なるので、一人で勉強するしかない。
俺は自分の使わないような武器について、頭に叩き込まなくちゃならないのだ。
まあ実際に使う機会も訪れるかもしれないから、無駄にはならないけど。
それにしても、王子のことを考えると頭が痛い。
彼は最近、父親のことで頭を悩ませているのだ。国王が今までと違う方針を打ち出したことで、協会が反発しているらしい。
難しいことには深入りしたくないけど、俺もそのうち関わることになるかもしれない。
悩みながらもなんとか勉強を終わらせると、日が暮れていた。
「ああ、もうこんな時間か……」
周りを見ると、人がいなくなっている。いつの間にかみんな帰ってしまったようだ。
窓の外では日が沈み、オレンジ色の空に灰色が混じっている。
「あー……」
俺は机に突っ伏すと、目を閉じた。
はっきり言って、疲れているのだ。
俺はよく王子をいたわっているけど、俺も誰かに労わってほしい。
だって俺、ふざけているように見えて、結構皆に気を使っていると思う。
これでもそれなりに、真面目にやっているのだ。
こつこつ、と誰かの足音がした。
また誰か面倒な奴が来たのかもしれない。
俺が疲れて目をつぶったままでいると、聞きなれた少女の声がした。
「……カイン、今日はあなたも来ていたのね」
スノウベルだ。俺も彼女が来ていたなんて知らなかった。
知っていたら隣で勉強したのに。いやそれだと、頭にうまく入らないかもしれない。
「ふうん、武術科の……わたしじゃ教えられないわね。こんな時間まで残っているなんて、物好きだわ」
それは君もだろう、と俺は内心で思う。
彼女は共闘している時以外、ちょっとよそよそしいところがある。
たぶんこのまま先に帰ってしまうのだろう。寂しい限りだ。
俺がぼうっと声を聴いていると、彼女は勝手に喋り続けた。
「寝てるの? ……ふふ、変な顔」
なんだかさっきより声が近い。ちょっとどきどきしてきた。
「カイン……頑張り屋さんなのね」
頭に何かが触れた。
彼女の手だ。
スノウベルの手が、俺の髪をゆっくりと撫でている。
嘘みたいにやさしい手つきに、背筋がぞわぞわした。
「っ」
思わず声を上げそうになって、咄嗟に息を抑えた。
何してるんだスノウベル? なんだデレ期が来たのか? ちょっと頭が追い付かない。寝ている間だけとかずるくないか。
彼女の顔が見たい。俺が顔を上げたら、やめてしまうだろうか。
いたわるような触れ方に、全身がむずがゆくなる。
必死に耐えていると、頭上から深くため息を吐き出す声が聞こえた。
俺はなぜか、心臓が締め付けられるような感覚を覚える。
彼女は今、どんな顔をしてるんだろう。
ていうかこれ、寝たふりしている必要ないんじゃないか?
だって今、ここには俺と彼女以外誰もいない。
起きたって、なんにも問題ないはずだ。
そっと離れて行く彼女の手。
俺はおもむろに身を起こし、それを掴んだ。
はっと彼女がこちらを見る。
紫の瞳が大きく見開かれた。
「……スノウベル」
「え、あっ。カイン、起こしちゃった?」
彼女は視線を泳がせ、慌てたように告げた。
「わたしちょうどここを通りかかったのよ。ずいぶんよく寝てたわね」
早口で誤魔化そうとしているが、俺はずっと起きていたのだ。
「――俺に触れたいなら、そう言えばいいのに」
俺がそう言うと、彼女は分かりやすく動揺した。
「な、なに急に」
「いいや違うな。俺が君に触れたいんだ」
「っ、」
「駄目か?」
「わ、わたしは、」
スノウベルはぱっと俺の手から逃げると、本棚の合間を縫って逃げようとする。
いつもなら見逃すけれど、今日は別だ。
問答無用で、さっさと後を追いかける。彼女は慌てるあまり、壁際に逃げ込んでしまった。
俺が歩いて来るのを見て、必死に逃げ道を探しているが、そう簡単には逃がさない。
俺は彼女に近づき、そのまま壁際に追い詰めた。
でも怖がらせないよう、手はつかずにちゃんと退路だけは残しておいてやる。
本当は抱きしめてしまいたいけど、嫌われたらおしまいだ。俺はこういうところがヘタレなんだと思う。
いやなら逃げればいいものを、彼女は頬を染め、懸命にこちらを見据えている。
どうやら正面から向き合う覚悟を決めたようだ。
俺はその瞳を見るだけでどきどきしたけれど、今日は本気だ。なんとなく、今の俺なら勝てる気がする。
「スノウベル、さっき俺を労わってくれたよな」
「……わたしはただ、」
「君もたくさん練習して疲れてるだろう」
「…………」
俺の言いたいことを、彼女は理解したらしい。
視線を逸らす彼女に、俺はちゃんと確認をとってやる。
「……撫でてもいいか?」
固い声が出た。大丈夫、俺はまだいつもの表情を保ったままだ。スノウベルは目を合わせず、少しの後に口を開いた。
「……………好きにしたら」
俺が一つ息を吐き、銀の髪に手を置くと、彼女はぴくりと震えた。
なんだ、触っただけだぞ。
怯えてないか確認したが、どうやら照れているだけみたいだ。
ほっとしながら、さっき彼女がしてくれたみたいに、やさしく髪を撫でる。
そう、この髪にずっと触れてみたかったのだ。
小さい頃何度か触れたことはあったが、こんな風に思い切り触ったことはなかったと思う。
丁寧にゆっくり撫でていると、彼女の顔がだんだん赤くなった。
かわいい。でも今のところ拒絶はされていない。
こんな機会滅多にないので、俺はつい、指を差し入れてその触り心地を堪能してしまう。
スノウベルはそれ以上何も言わず、黙って俯いてしまった。
俯く彼女にこっちを見て欲しくて、顎を持ち上げる。
俺は内心で緊張しているが、顔には出さないよう努めた。
こちらを見上げたスノウベルの瞳は、大きく潤んでいる。ぐっと喉が鳴りそうになった。
「あ、あの」
彼女の声は震えていた。でも表情や仕草から、嫌がっている訳じゃないと分かる。
「なに?」
「わたし、そろそろ、帰らなくちゃ」
彼女は目を逸らし、もう一度ちらりと眺めてくる。俺はもう少しだけ、その瞳を眺めていたかった。
「もうちょっとだけ。……駄目か?」
「……ん」
少女は長い睫毛を伏せてしまうが、その場から動こうとしない。
俺はそれを了承と受け取って、そのまま彼女を見つめた。
やっぱり目を合わせてくれないけど、多くを求めるのは酷だ。
それに俺も平気なふりをしているが、割といっぱいいっぱいである。
とりあえず、垂れ下がった銀髪を耳にかけてやる。
そのままするりと白い頬を撫でれば、彼女は唇をわななかせ、そのままきゅっと引き結んだ。
「スノウベル」
答えない彼女の頬に、手を添える。
そう、この頬も触りたかった。まっしろで柔らかそうな頬。
今なら分かるが、リナリアが触っていたことに俺は嫉妬していたのだ。
雪みたいに白い肌は、初めて会った日に見た薔薇みたいに、紅に染まっている。
俺はリナリアがやっていたよりも、もっとやさしく、まろい頬を撫でてみる。
想像した通り、すべすべだけど柔らかい。
「ふふ」
心臓はどきどきしているのに、俺の口からは笑みがこぼれてしまう。
「思った通り、柔らかいな」
「っ」
彼女が身じろぎする。
「触りたかったんだ。ずっと」
「…………」
「かわいいよ。かわいい。俺のスノウベ……痛っ」
突然俺の腕がはたかれる。そう言えばこの前も似たようなことがあった。
俺は困ったように彼女を見る。
「いやならそう言ってくれ。はたくことないだろ」
「ご、ごめんなさい……嫌なわけではなくて、」
うろうろと紫の瞳が揺れている。
彼女も彼女で、戸惑っているらしい。
潤んだ瞳は、妙に破壊力がある。
「とにかく、もうおしまい。わたし帰るわ」
早口で言う彼女に、俺は慌てて続けた。
「……ちょっと待って、もう遅いし、送ってくよ」
「必要ない」
スノウベルは慌てて荷物を取りに戻ると、いつものごとく急いで去ってしまった。
俺は後を追いたくなったけれど、どうにか抑えた。
これ以上は駄目だ。
手に触れた頬の感触が残っている。
きゅっと引き結ばれた唇が、脳裏に焼き付いている。
俺達は長いこと一緒にいるのに、未だ触れ合うだけで緊張してしまう。
俺と彼女は幼馴染で、友達で、それ以上の関係になれていない。
ちょっと進展したと思っても、こんなままごとみたいな、些細なものでしかないのだ。
でもだからこそ、俺と彼女にとって、一つ一つが特別で大きな事件だった。
俺はそのたびに一喜一憂し、彼女との時間を、愛おしく思うのだ。




