第十六話 風を断つ
空の島では、同じ道を二度通れなかった。
風向きが絶えず変わり、浮島そのものも少しずつ動いている。さっきまでつながっていた橋が離れ、遠かった島が近づく。
「地図は?」
「随時更新しています」
ウトリの示す光の矢印が、途中で何度も向きを変えた。
「迷ってないか?」
「領域側が経路を変更しています」
「つまり迷ってる」
「追跡中です」
中央島へ近づくにつれ、飛行守衛の数が増えた。二本の剣で全部は相手にできない。俺は戦うより、風を使うことを覚えた。
上昇気流へ長剣を入れ、円を描かせる。風の輪ができる。その中心へ身体を投げると、一瞬だけ空へ持ち上げられる。短剣を進行方向へ飛ばし、引かれる感覚で次の島へ渡る。
飛んでいるとは言い難い。落ちる場所を選んでいるだけだ。
それでも三度目には、着地で転ばなくなった。
「適応速度が上昇しています」
「死んで覚えたことだけじゃない。今も強くなってるってことだろ」
「はい」
「俺、才能あるかもな」
「最初から申し上げています」
少し得意になった。
自分だけが特別だという感覚は――怖いくらい、心地よかった。
中央島に着くと、風が止んだ。
そして最初の一撃で、俺の長剣は島の外まで吹き飛ばされた。
風精霊王の指が、わずかに動いただけだった。剣は見えない壁に弾かれ、雲の下へ落ちていく。
「回収できますか!」
「やってる!」
魂のつながりをたどる。遠い。刃はまだ落下している。
短剣一本で、精霊王の風刃を避ける。
地面の白い草が先に切れ、その一拍後に空気が頬を裂く。草の動きだけが予告だ。
右。左。しゃがむ。
見えない刃が通るたび、背後の透明な柱に傷が増えていく。
「長剣を諦めて退避を!」
「二本で勝てない相手に、一本で逃げられるか!」
短剣を頭上で高速に廻し、風を巻き込んで小さな渦を作る。精霊王の刃とぶつけると、軌道が一瞬だけ見えた。
その線を避けながら、落下する長剣へ命令を送り続ける。
戻れ。俺の周りを廻れ。
見えないほど下にある刃が、少しずつ上昇に転じる。
『――落ちたものまで、呼び戻す』
風精霊王の声。
「俺の武器だからな」
『死者も、同じように呼ぶ』
「……女神のことか?」
『地の輪。白い輪。戻るたび、空の道が一つ消える』
視界の隅で、空の島が遠く沈んでいくのが見えた。
俺が倒した守衛のせいじゃない。精霊王の力が戦闘に集中して、浮島を支える風が弱まっているのだ。
「戦いを止めれば、島を守れるのか」
『お前が、帰れば』
「人類への風害も止めるか?」
『地に立つ者が、空へ杭を打たなければ』
――また、杭だ。
水精霊王の核に刺さっていた、人類の装置を思い出す。
「人類が、何をした」
ウトリが遮った。
「会話中も攻撃反応が継続しています!」
風精霊王の姿が消えた。
背後。
短剣を回す。人影ではなく、風の塊が刃にぶつかった。腕ごと持っていかれそうな衝撃。足が地面から浮く。
俺は短剣の円を小さくし、自分の身体に風を巻きつけた。
吹き飛ばされるんじゃない。相手の流れに、乗る。
視界が回る。空と島が入れ替わる。
精霊王の背後へ出た。
短剣を振り下ろす。透明な膜に止められる。
――その瞬間、雲の下から長剣が戻ってきた。
俺の背後を通り、膜へ反対側から突き刺さる。
二方向。風の防壁がたわむ。
「今だ!」
短剣を逆回転させる。膜の表面を流れる風と、長剣が押す風が打ち消し合い、中央に細い亀裂ができた。
俺はそこへ、拳を入れた。
刃じゃない。身体ごと、中へ踏み込む。
精霊王の目が、初めて驚きに開いた。
「近づけば、風は切らなくていい」
『人の身体で、空へ触れるか』
精霊王の手が俺の胸に当たる。
風が、身体の内側へ入った。
肺が膨らみすぎる。血管の中を空気が走り、全身が裂けそうになる。
それでも、長剣の軌道は止めない。
膜の内側から一周。
――見えた。
精霊王と柱をつなぐ、細い線。
線は一つじゃない。浮島、集落、守衛、風の通路。すべてに、つながっている。
これを切れば精霊王は倒れる。
同時に、島も落ちる。
「ウトリ。ほかの方法は?」
「核を直接破壊すれば、残留風が数時間維持されます。その間に避難可能です」
「避難を、誰が伝える」
「人類軍では困難です」
『選べ』
精霊王が言った。
『地の者を救うため、空の者を落とすか』
「両方は?」
『既に、杭が深い』
また人類の影がちらつく。けれど北部の村では、現実に嵐で人が死んでいる。
俺は、核を狙った。
「残留風で避難時間が残る」という説明を、信じることにした。
長剣が透明な胸を貫く。
精霊王の身体が光にほどけていく。最後に、風が俺の耳元へ言葉を残した。
『伝えよ』
「誰に」
『――落ちる』
柱が割れた。
中央島が、大きく傾いた。
「避難警告を出せ! 敵味方関係なく、全部の島へ!」
「通信帯域が――」
「俺の帰還を遅らせていい! 全部使え!」
数秒後、空全体に白い光が走った。人類語と精霊語、二つの警告が響く。浮島から小さな影が次々に飛び立つ。
最初に沈み始めたのは、中央島の南に連なる小島だった。
――あの、巣型の集落がある島だ。
警告を聞いた個体たちが飛び立とうとしている。だが、幼い者や負傷者は自力で風に乗れない。島を支える流れが消え、岩ごとゆっくり傾いていく。
「帰還座標を開きます!」
「まだだ!」
「中央島は三十秒以内に崩壊します!」
俺は長剣を南の小島へ飛ばした。
遠い。魂のつながりが細くなり、刃の位置が指先ほどしか分からない。
短剣を中央島へ突き立て、長剣との間に廻転の輪を作る。
二つの島を、武器の軌道で一時的につなぐ。
「構造体を支えられる出力ではありません!」
「島全部じゃない。避難路だけでいい!」
長剣を集落の縁へ刺す。短剣を高速で廻し、二点の間に細い風の橋を作る。
最初の個体が渡る。次。
羽根のない子どもは、籠に入れられている。折れた翼の守衛が籠を背負い、風の橋へ踏み出した。
空の途中で、島がさらに傾く。長剣が岩から抜けかける。
「右脚」
自分に言う。
足元の中央島も崩れている。地面を信じられないなら、短剣の振動を基準にする。
ここに俺がいる。向こうに守衛がいる。その間に、一本の道がある。
長剣の軌道を固定する。
守衛が半分まで来た。籠の中の子どもが、前に助けた二体かは分からない。仮面の亀裂だけが、同じに見えた。
「あと十秒です!」
「数えるな、見ろ!」
ウトリが黙る。
守衛の足が、風から外れた。
籠が傾く。
俺は短剣を引き抜き、自分の身体ごと風の橋へ飛び込んだ。
中央島を支える点が消え、背後が崩れる。長剣だけを中心に一周。俺の身体が守衛のそばへ回り込む。籠の底を肩で受け、二人分の重さを風に乗せる。
「押せ!」
言葉は通じない。それでも守衛は翼を広げた。
俺は廻転で引き、守衛は残った風で押す。
二人と籠が、別の島の縁へ転がり落ちた。
その瞬間――中央島が、砕けた。
白い柱と草原が、雲の下へ消えていく。
逃げ遅れた影も、あった。
手を伸ばしても、届かなかった。
助けた籠の中では子どもが泣いている。落ちていった者の声も、風の中に混じっている。
「帰還してください」
ウトリの声が、今度は命令ではなく、懇願に聞こえた。
守衛が俺の腕を掴んだ。島の奥を指す。そこには、人類用の転送標識に似た風の門が開いていた。
「ここから逃げろって?」
守衛は一度、仮面を下げた。
俺は長剣を呼び戻した。刃は途中で岩に当たり、さらに大きく欠けた。
全部は、救えなかった。
それでも、助けられたものを数えることまで、諦めたくなかった。
「この集落の避難を記録しろ」
「記録しています」
「落ちた数も」
「はい」
「――勝利数に、混ぜるな」
ウトリは数秒黙り、それから答えた。
「別記録として保存します」
俺は風の門へ踏み込んだ。
背後で、守衛が槍を地面へ二度、打った。
礼なのか。別れなのか。
音だけが、落ちた島の上に長く残った。
視界の端には、勝利の表示が出ていた。
>風精霊王:討伐。
>領域制圧:完了。
――完了。
勝った感覚は、どこにもなかった。
この「完了」を積み上げた先に魔王がいるのだとしたら。
そこに着いたとき、俺には何が残っているんだろう。




