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第5話:一ノ瀬直也

 小町通りから歩いて程なく、門をくぐると緑の木々の奥に巨大な姿が現れた。

 鎌倉大仏――高徳院の本尊だ。

 静かに座すその姿は、夏の夕陽を受けて柔らかに輝いていた。


 「わぁ……」

 莉子が小さく息をのむ。

 人混みのざわめきが一瞬遠のいて、彼女の声だけが澄んで聞こえた。


 石段を上り、献花台の前で並んで立つ。

 莉子は真剣な表情で手を合わせ、長いこと祈りを捧げていた。

 その横顔を見つめながら、オレは不思議な感覚に囚われた。

 いつもの幼馴染としての彼女じゃない。

 ――まるで誰かの幸福そのものを背負って願っているような、そんな厳粛さをまとっていた。


 祈りを終えて顔を上げた莉子が、ふっと笑みを浮かべる。

 「直也くん……さっきね、直也くんのお父様と、義理のお母様のことも思い出してたの」

 思わぬ莉子の言葉に、オレは驚いた。


 「直也くんも海外に出張することが多いでしょう? だから……事故に遭ったり、危ないことが起きたりしないようにって。神様……というか、仏様にお願いしてたの」

 声は穏やかだったけれど、その奥には切実な想いがあった。


 「またアメリカに行くんでしょ? その時もずっと心配なの。ううん……その時に限らず、直也くんが出張すると聞いている時は全部心配なの。だから絶対に無事でいてほしい。直也くんのことを絶対に仏様が守ってくれますようにって、お願いして祈っていたの」


 莉子の瞳が真っ直ぐで、まるで嘘ひとつなく透明だった。

 オレは返す言葉を探せなかった。ただ、胸の奥が熱くなっていく。


 総合商社マンと言えば聞こえが良いが、世界各国に飛んで仕事をするというのは、ものすごくリスクが高いのは事実だ。


 オレの五井物産の先輩はアフリカのケニアで仕事をしている。

 ケニアといえば今日ではもうIT大国と見なされている。

 しかし同時にテロや強盗が多い地域でもある。ソマリア国境付近は特に危険と言われているが、大都市周辺も、実のところ大差ないらしい。

 先輩が一緒に仕事していた現地スタッフが、テロに巻き込まれて死亡したという話しを、この春先に一時帰国している彼自身から聞いた事がある。

 

 「家族には日本に残しているだろ。……心配かけるだけだから、こういう話しも出来ないんだよな。でもある日突然、オレ自身がその被害を受ける可能性だって0じゃない」

 冗談めかして言っていた先輩だが、目の奥は笑っていなかった。


 ウチは資源セクターの稼ぎが大きいから経営基盤は盤石だが、それは何世代にもわたって、そうした危険なエリアに入り込んで、現地の実権者との関係性を構築し、後輩に託していった先人達の遺産の恩恵なのだ。


 オレは今のところはITセクターで、結果的には日米メインの領域で仕事をしているが、異動する事になれば、否応なくそうしたエリアに行くことになるだろう。そういう意味ではアメリカへの出張など総合商社マンからすれば気楽なものなのだが、……莉子からすれば、それだって心配なのだと言いたいのだろう。


 ――この子は、本当にいい子だな。


 子どもの頃からの思い出が一気に蘇る。

 特に高校時代にオレの母親が亡くなってからは、オレが風邪を引いたとき、お惣菜を持ってきてくれたり、台所で実際に料理を作ってくれたりした。

 父と二人きりになった家で、莉子が来ると、いつも明るく振る舞ってくれていた。

 あの頃からずっと変わらない。莉子はいつも、オレのことを案じてくれる存在だった。


 「……ありがとう」

 気づけば、自然にその言葉が口をついていた。

 莉子は嬉しそうに微笑み、小さくうなずいた。


 大仏の静かなまなざしの下、夕暮れの風が吹き抜ける。

 胸の奥に残ったのは、感謝と、そして――言葉にできないほどの温かさだった。

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