1980年での勝負は
ウィーン防衛戦の計画が済んだ。
といっても周辺の敗残兵をウィーンに集結させる手順を決めただけだが。
これからは実戦になる。
我々上層部の戦いは戦闘が始まるまでの間に始まるのだ。
ウィーン周辺に移動する部隊の現時点での駐屯地を含む地域及び配置地点で会談を望む正副の町長・市長を含む政治家や大きな不動産を持つような地方名士に現状の説明とその納得をしてもらわなくてはいけない。
おまけにソ連軍が近づいた時の脱出路を各自で検討してもらわうとなれば尚更だ。
思い出してみるとソ連領に攻め込んでいるときはまだましだった。
よほど重要な案件以外は軍事機密と参謀本部管轄で省略できた。
しかし敵が迫ってくる今では事前に西方への退避が必要な地域の人々に通達事項が増えすぎている。
かといって情報を出し過ぎれば、敵にまで配置がばれてしまう。
そして会議の中で面倒なのがヨーマンを含む上流階級の連中だ。
生命だけでなく資産をどう安全に退避させるのかまで求めてくる。
ヨーマンは兵士・将校の生家でもあるので勝手にしろとは言えない。
愚痴と不満・要求の並ぶ会議を一日中連続で開かされる身になってほしい。
それ以外の決済事項でも、防諜部隊から容疑者への対処の迅速化の要求が来ていた。容疑者は増える一方で部隊単位の受け持ち地域は拡大する一方なのだ。
部隊の大きさは増やせないとなると多少冤罪が発生しても仕方あるまい。
冤罪を恐れて部隊への損害を許すわけにはいかない。
ともあれ一日中精神をすり減らす会議をしていたのだ、
それを終えた後マンシュタインからの手紙を見たのだ。
手紙の内容は必要なら現役復帰する意志の表明と大戦後の ウィーン陥落時点でドイツが無条件降伏したプランA。ベルリンまで戦い続けるプランBに分かれていた。
プランAの場合ドイツ軍兵士の損耗は現時点で止まる。
あとは武力と総統の命をチップとした外交を行うことになるがうまくいく可能性はほとんど無い。
その結果ソビエトの領有した地域はドイツ全域まで広がるが、終戦協定ができる前にソ連がヴィシーフランス軍と交戦開始、イタリア・フランスへ侵攻・占領。ヨーロッパ半島はイベリア半島を除き共産主義国家で埋め尽くされた。
イギリス海軍もドーバー海峡を維持できずアメリカに亡命政府を作り王家から大学・博物館まで含めて英国民大脱出が行われるだろう。
これにかろうじて成功すると推定されるロイヤルネイビーは残存艦艇を作戦中に消耗しつくし、アメリカ合衆国とソ連が世界中の海上でにらみ合う状態になる。
どちらも海軍の急速な拡大を行った結果人材が払底してしまうのだが、日ソ不可侵条約を持っていたソ連が大日本帝国と軍事顧問団の受け入れ並びに資源のバーター取引を行うに至ってアメリカ合衆国は二方面作戦で泥沼に巻き込まれた。
プランAの描く世界というのはそれこそ悪夢だった。
世界中が共産主義に染まった世界というのは正常な感覚の人間には耐えられない。もうナチス党を生み出す前にレーテでミュンヘンで共産党に徹底的に嫌な目にあってきたじゃないか。
こんな未來だけは作ってはならない。
そう決めた後はソ連軍との交戦を焦土作戦を含めた時間稼ぎに徹底することにした
ウィーン攻防戦は4月に始まり、その月の半分で終了した。赤軍は65万人、自軍は7万人と圧倒的兵力差だったが
ウィーン周辺では死守命令を含め徹底抗戦の指令の結果、4個軍団相手に崩壊直前の1個軍団が双方2万人の戦死者を出した。民間人の保護に関しては放置せざるを得なかったが、 戦後はソ連の衛生国になる地域の国力を下げていると思えばある程度の許容は許せた。感情ではなく理性を強いた結果ではあるが、
ウィーンは欧州の歴史ある都市だったがブルジョアの住まう地としてソ連により徹底的な略奪・破壊がもたらされた原因と思うと多少罪悪感が薄まった。
そしてなによりソ連占領後の戦時下での治安回復方法が流血を伴う恐怖政治だったことで戦後は住民が半分以下になってしまい、統治を考えてもと自分では方法が思いつかないほど荒れ果ててしまった。
その直前のブタペスト攻防では赤軍30万人自軍12万人の戦死者に民間人被害が7万人に上ったが、独軍の死者とされ民間人による戦果の水増しが行われ、モスクワへの報告は、ほぼ同数の戦死者とソ連では広報されていたらしい。
今回のウィーンでほぼ同数の戦死者だが、どのように報道されるのかゲッペルスにも聞いておくとしよう。
ソ連との比較になるだろう。
間違いなくソ連は赤軍大勝利と報道されるだろうが、民間人の被害は無視されるか独軍死者に加えられるのだろう。
ベルリンに秘密でマンシュタインを呼び出した。
大規模な東武線戦の後退と遅延に加え西部連合軍の誘引も破綻無しで指揮するにはマンシュタインの頭脳と経験が必要だった。
参謀本部でいないことになっている元帥をトップに激務が繰り広げられた。
東部戦線の後退遅延と同時に西部戦線の敵前線突破を同時にかつ不自然な感じ無しで行うのは名人芸が必要になる。単純に突破させるだけでは包囲背面展開されて損害が許容できないほど大きくなってしまう。
それでは戦後の再編に影響がでてしまう。
敵が前線で微妙な緩みを付いて突破され敗残兵力は左右戦線に吸収後退させるようにして突破部隊はそのまま前進する形が望ましい。
そんな前線の雰囲気から地形・移動方法の選択まで誘導できるような将校はマンシュタインしかいないだろう。
彼を戦死させるのが惜しくなってきた。ゆえにすべての作戦立案者は私と参謀本部で通すことにした。
マンシュタインには戦後のことを依託し、自分は可能な限りの罪悪を背負うことにした。
東部戦線でジューコフ装甲師団が突出してきたときはひやりとしたがルーデル大佐所属の103地上攻撃航空団の大活躍(あれは予想外すぎるほどの戦果だった。)のおかげで終戦へのスケジュールの破綻は免れた。
さすがダイヤモンド剣柏付騎士十字勲章の受勲者としかいいようのない実力だ。
おかげで国防軍には貧乏くじを引いてもらうことになったが民間人には脱出経路を指示することができた。
連合軍に降伏し赤軍からは逃げろが合い言葉になってはいたが赤軍がどこに進むかわからなかった。
ようやくエルベ川で米軍と赤軍が合流したのを確認したので私の役割は終わった。
1945年4月29日 ベルリン総統地下濠
ここ2・3日総統さんの口癖が止まりました。
「オーバーザルツブルグへ戻れ!」
この言葉と態度で先月から徐々に口調を強めてきたのですが、共に死にたいという口癖と決意で退けてきました。
その口調がこの二三日、止まりました。
すでに総統さんは疲れはて、防空壕にいる主な幹部たちも強がりからか妙なテンションになっています。
普段通りなのは私と衛兵のみになっていました。
指導陣の重責を考えると責任をもたない人間しか人間として振る舞えなくなったのだろう。
総統さんは昨日28日に遺言をハンナさんと記しています。その遺産の宛先に私の名はありません。
そのかわり今日の結婚式を記していました。
13年かかりましたがちょび髭の小父さんが帰ってきてくれたのです。
私にとってはすべての願望が実現された一日でした。
夕方には自室に青色のウェディングドレスが送られてきました。
青いシルクの結婚衣装はドイツの科学力の青い染料を用いたもので鮮やかな空の青です。
そして同封のメッセージには「リンツの空をここに」とあり申し訳なさそうな彼が思い浮かびました。
そう言えば以前私がリンツの教会で式を挙げたがっていたことを思い出しましたが些細なことです。
「もうこれだけで充分です。」
青いドレスを抱きしめながら心からこぼれるままに呟きました。
1945年4月30日 総統防空濠
朝、目を開けるとエヴァの顔が見えた。
付き合って13年同じベットで目が覚めたのは初めてだ。しかし目がさますなりベットに近寄ってくるブロンディはいない。青酸カリのカプセルであの世に旅立った後だ。 我々も今日旅立つ予定だ。
イタリアのベネト・ムッソリーニ閣下が逆吊しの上で殺されたことの確認がとれたのが昨日だ。
我々も同じような境遇になるのだろうがドイツ国民にそれは許せても赤軍には指一本ふれられたくない。
ベルリンは赤軍の包囲で蟻一匹抜け出す隙間がない。
自分の肉体を処分するなら今日が最後だ。
昼食の後で自裁する事に決めた。
エヴァが先に私があとにいくと彼女が決めた。
最後まで書類仕事があったが、最後まで付き従ってくれた親衛隊少佐を呼ぶと手にしていた万年筆を手渡し長年の感謝と幸運を祈る旨の挨拶をすると、ぽっかりと胸に穴があいた感じになってしまった。
自分の寝室に戻ると誰が気を利かせたのかエヴァがベットに横たわっていた。
私は青酸カリのカプセルを噛み砕くとその苦みが残っているうちに愛用のワルサーの引き金を絞りこんだ。
口の中が苦いままに衝撃が発生したらしい。
そのことを理解したのは目の前で二人の女性が言い争っているのを認識してからだった。
「叔父さん私の方が第一夫人よね。」
「アドルフ、死んだら彼女がいて正妻の座を要求してくるんだけど?」
思わず顔がゆるむ。
エヴァはともかくゲリまでいるというのは完全に予想外だ。
ともあれ浮気のばれた旦那のように二人の女性をなだめつつこれまでの長い道のりを話しつづけた。その間にも連合国による正統化のプロパガンダはユダヤ人の独立国家を巻き込み奇想天外なものになっていた。
さらに続く3人の話の途中でベルリンの壁が作られ、ペレストロイカのもとソ連と壁が崩壊した。
そのころには三つの魂は混ざりあって一つの魂となり光となってこの地を離れた。
新たに生まれる肉体は3人分の魂を内包するだろう。
永遠に結びついたままに




