地獄の釜
1923年 9月 25日 バイエルン州 ニュルンベルク にて記す
今月1・2日は「ドイツの日」であり多くのイベントをこなした。
ニュルンベルクで反ベルリンの講演を行ったが、25000人を前の講演だった。
これに匹敵する集会を行ったのは元バイエルン州首相グスタフ・フォン・カールでありナチスと同じくベルリン政府の非難を行っていた。
一方でバイエルン州独立を目指すルーブレヒト王太子派はいま一つの状態で、ナチスとカールの大ドイツ主義によるベルリン右派改革は人々の間に浸透していった。
ナチス党員は30000人を数え突撃隊も1500人を越えるようになった。
本年2月。フランスのルール占領当初にバイエルンの義勇軍および右派政党は連携を保つため「祖国的闘争同盟協同団」を組織していた。
その中でも急進的な一派が「ドイツの日」直後に、クリーベルを議長としてドイツ闘争連盟を組織した。
多くの義勇兵団が集まり、クリーベルが軍事教練をしている突撃団も運動に賛同、ナチス党も参加することになった。
8月に弱腰のヴィルヘルム・クーノ内閣が辞職し、グスタフ・シュトレーゼマンが組閣した。
しかし一向にインフレも止まないし、フランスの占領もそのままだ。
貧困に向かう国民は我々のような急進右派と共産党の左派勢力にどんどん流れて行く。
バイエルン州では左派勢力の跋扈を防ぐために20日にクニリング州首相が非常事態宣言を行いカール元首相を州総督に任命し独裁的な権限を与えた。
カール総督はバイエルン州最大の武力第7師団の師団長ロッソウ少将と警察長官ザウサー大佐手を組み反ベルリンの姿勢を明らかにした。
ナチス党としてはバイエルン州が独立を目的としないことを条件にカール総督と協力体制を結んだ。一方でルーブレヒト王太子陣営に協力しない旨のメッセンジャーを送った。
10月10日 バイエルン州 ミュンヘンにて記す
9月27日付けのナチス機関紙でシュトレーゼマンとゼークト軍司令官を批判する記事を掲載したところゲスラー国防省がロッソウ少将に発禁処分を求めてきた。
批判は絶対に許さないということらしい。
ロッソウ少将はカール総督に意見を求め、カール総督はナチス党に配慮して発禁命令を拒否。
ロッソウ少将はカール総督と協調するようにと、ゼークト軍司令官から口頭で命令を受けていたためゲスラー国防省の命令を拒否。
10月1日にカール総督がナチス機関紙の内容は否定しながらも発禁はしない旨を記者会見で話し、ドイツ闘争連盟に助力を求めた。
これでバイエルン州は中央の命令を明確に拒否したことになり、一触即発の状態になった。
ドイツ連邦政府は民主党と共産党の連立政府ができていたテューリンゲン州、ザクセン州に軍を派遣して北部ドイツとバイエルン州の情報遮断と流通の分断を始めた。
その後10月4日にナチス機関紙が武装蜂起の切迫性を訴えたがこれについてはロッソウ少将より10日間の発禁命令が下った。
しかし、それにもかかわらず9日付けでロッソウ少将はゼークト司令官から解任要求が出された。
板ばさみで理不尽な目にあっているロッソウ少将はかなり衰弱しているようだ。
「とゆうわけで、ゲリが社交界デビューをするのはもう少しかかりそうなんだ。」
夕飯の後、最近の日記を見直しながら、政治状況を説明して、ゲリに社交界デビューを遅らせてもらう説得をしていた。
それにしても相変わらずアパルトメントの1室で暮しているが、ゲリももう15才だ。
そろそろ悪い噂が立たないように住み込みの女中を置くのも考えてもいいだろう。
「そうですね。今王太子さまと縁深い社交場に出るわけにも行きませんし、もう少し待ちましょう。心配はヘレーネ様に作ってもらったドレスが流行遅れにならないかだけですわ」
私が聞いた限りでは危険な状況に聞こえる。
そんな大きな国の流れに叔父さんが巻き込まれないかと不安であったが、うまく隠して返答できたであろうか?
それを見抜いたのだろう叔父さんは続けた。
「今のところ私は主役じゃない。今度の主役はカール総督になるだろう。」
叔父さまがいうにはカール総督は、あまりに急激に勢力拡大したナチス党を潜在的な将来の敵と判断しているようで、今回はナチス党のヒトラー総統には枠外から協力してもらい表に出ないように工作するだろうとのことだった。
もっとも今回はおとなしく見送っても近い将来にはナチス党を大きくして、最終的にカール総督にも勝つつもりだと言っていた。
私もそう思う。叔父さまには人々を引き寄せる魔法のような演説があるのだから。




