悪魔の学習
1921年 7月29日 ミュンヘン ヒトラー家のアパルトメント
4月にロンドンで賠償額1320億(金)マルクが決まってから破滅的なインフレが続いている。
一日に二倍以上も値上がりする日もあるほどだ。
これが1ヶ月も続くと10億倍を越える物価上昇になるとは誰も想像していなかった。
新たな紙幣の刷りなおしはすぐに諦められ、ゴム版で0を増やしたり、額面を捺印するしかなかった。
硬貨にいたっては金属の高騰のあまり、ザクセン州で陶貨が作られた。額面20マルクまで作られ、上塗りすらかかっていない素焼きのような素材が採用されている。
金属でも鉄ならばいい方で亜鉛が硬貨に用いられている。混合して真鍮にすべき銅が入手できないのだ。
一方で世の中は不思議な活況を示している。
古くからの商店が、貯金価値の下落と共に没落する一方で、人々の購買意欲は異常なほど活況を示した。なにしろ金を使うのが1時間遅れれば、その分だけ価値が下がるのだ。
少しでも保存が利くような缶詰、燻製、小麦粉等は格好の投資対象になった。
現金を入手すれば、寝る前には物に換えるのがドイツ国民の習慣になった。
朝になれば値段は上がっている。それが朝食用のパンだとしても……
今朝、パンが一斤250万マルクを越えたせいで半分しか買えなかった。
予想以上の値上がりだ。
昨日は100万マルクだったので200万マルクを用意していったのだが……
パンは小麦粉の値上がりもあるのだが薪の高騰が激しいらしい。
周辺では薪になりそうな木はあらかた切られているし、木の乾燥に半年以上かかることからビジネスチャンスと見て、売り渋りと値段の吊り上げが日常化しているようだ。
叔父さんに相談したら、どこからかパンそのものが配達されてきた。
ベヒシュタイン家では自宅で工員の分のパンも焼くので、そちらからヒトラー家の二人分を捻出するのは容易いことらしい。
高い評価のピアノの代金で食料と原材料を輸入してくるのでまったく問題ないとのこと。
午前中にヘレーネ夫人に感謝の手紙を書いて持っていった。
ところが昼過ぎに叔父さんがプリプリ怒りながら帰ってきた。
ドレクスラーさんと喧嘩してナチス党を追放されたらしい。
大丈夫なのかしら?
1921年7月29日 午前 ミュンヘン ナチス党本部
「ユダヤ人排斥を強めて社会保障の充実を主題に訴えて欲しいのだが?」
ドレクスラー党首が相談してきた。
2月のクローネサーカス講演を成功させて以来、講演はビアホールならどこでもほぼ満席になる。
それというのもフランスの賠償金要求があまりに下種いので、国民全員がこれに反対ということに尽きる。
この流れから外れれば勢いが落ちるのがわかっているだけに「尚早です」と答えたら、ナチスの根本理念に関わるとして激しい討論になった。
社会保障云々よりも党の拡大が優先される時期に力を削ぐようなことはやめたいと主張したがドレクスラーは政党の25条の綱領をないがしろにするものだとして強く批判してきた。
呆れながら(何しろ綱領を整備したのはこっちである)生返事で反論していると、党を追放すると宣言された。
……スケジュールの決まっている講演をどうするつもりなのか不安に思いつつも、ある種どうでもいい諦めが混じって、気がついたら党本部を飛び出していた。
歩きながら帰る最中に気分は落ち着くどころか徐々に怒りが湧いてきた。
誰のおかげで、ナチス党はここまで拡大して基盤が安定したのか。
どの方針を優先するかで、その功労を無視されてしまったことは納得できるものではなかった。
同日夕方、親友ルドルフ・ヘスが自宅にやってきた。
彼の話によると党幹部会議でドレクスラーが名誉議長へ退き、変わって広報部第一係長が第一議長に指名されたとの話であった。
「で、アドルフ、呼び名をどうする?」
「お前さんらが、時々呼んでいた総統(フュ―ラー)というのが気分一新にはいいかもな」
「わかった、ヒットラー総統、今後はたのむ」
党幹部がドレクスラーを押し込めたのはやはり、経済面での不安だったらしい。
またドレクスラーが追放してきたのも、党運営の権威不足による不安らしい。
どちらも不安が基になって動いている。
希望よりも不安のほうが人に強く働きかける力があるとわかった一日になった。




