サーカスの悪魔
1921年 2月 3日 ミュンヘン クローネサーカス
今日はナチス党創設以来の一大イベントである。
老舗サーカス団の会場を一日借り切っての講演会「未来か滅亡か」を執り行う。
サーカスの会場がミュンヘンでは一番収容人数のある施設だったが、その分借り賃もお高かった。
3000人以上が入れるとなるとビアホールでは手狭である。
それは前年9月5日のキンドルケラーで実感させられた。
ナチス党はビアホールを卒業したのだと。
キンドルケラーは3000人だったが全ての聴衆に対して声を届かせるのが難しくなっていた。
その点、ここなら天井にぶら下げられたスピーカーが すべての人に声を届かせるのが可能であり、声を張り上げなくてすむ分長時間演説ができる。
本年1月にフランスが賠償金額を2260億マルク(参考値262兆円)を42年間で支払うこと1年当たり20~60憶マルク)を決議し、ドイツ国民は憤激し、抗議をしていた。
その中で昨年7月にはフランスの態度を予測していたナチス党には関心が集中。
一気に賛同者が増え始めていた。
その中で行われた今う回のクローネサーカスでの講演は今までとは異なる階級への浸透を図るための戦略的転進でもある。
サーカスを楽しめるような市民は言うまでも無く、経済的に余裕がある中・上流階級である。
会場の借り賃からしてサーカスの売り上げ一日分の補填なのである。
入場料も値上げせざるを得なかった。
今までの支持者に関してはビアホールで講演を行って維持するとして、今日来る客は新しい層の開拓に繋がるのだ。
開演前には若干の不安があったが、行列を作る人々を見て成功を確信した。
そして、列の整理や揉め事の調停に駆け回ってルドルフ・ヘスを見て、彼らをいつまでもボランティアで参加させるのは悪いと思えてきた。
正式に党で雇う形に変更できないだろうか?
今度エルンスト・レームに相談してみよう。
1921年 2月 14日 ミュンヘン ベヒシュタイン邸
叔父さんのクローネサーカスでの講演の反響がすごいです。
あの講演は聴衆6500人をあつめた伝説の講演と噂されています。
へレーネ夫人も鼻高々で社交界にでるのに叔父さまにエスコートさせています。
夫人にしてみれば当然の権利で、叔父さまも人脈が作れることから積極的に参加していますが、
本来夫人の場所は私が占める場所だと思うとちょっとイライラします。
もっとも夫人の年齢と関係が周囲に知られているため、虫除けには最適なので理性では理解できているだけましです。
早く社交界デビューしたいのですが早くて来年になりそうです。
一層、レッスンに身を入れなくてはなりません。
あの講演以来、私の周囲にも若干の変化が起きました。
水曜日のレッスンですが、金曜日のレッスンから移ってくる人が出たようです。
今日も8名の淑女見習いが一緒に訓練しています。
休憩の雑談の主題は叔父さんです。
叔父さんの日常・趣味趣向・女性関係…ありとあらゆる質問が飛び交います。
彼女らも家に持ち帰って親に話すのでしょう。
時には、彼女らの自宅への招待もあります。
その場合は、叔父さんに聞いてから返事しますと伝えると彼女らは喜びます。
今までは弱小野党の政治家の娘みたいなところから、一気に将来有望な政治家の親族に格上げになったようです。
叔父さんの判断を聞きながら、有力者の家を訪問・歓談・判断するのは、私にしかできない助力だと思うと気合も入ります。
訪問の後、叔父さんに今日の家は叔父さんも今度一緒にとか、行かなくても私だけで大丈夫とか報告すると、叔父さんは非常に嬉しそうに微笑みます。
その微笑が今の私への最大の報酬です。