天使と悪魔の陣取合戦
1920年 1月31日
1月ももう終わりだが、この日はドレクスラー党首と一日中話し合いをした。
その結果、初期の党員の中には共産主義の影響を受けているものが少なくないとの判断にいたった。
カール・ハラーでしれたこと、共産党はいつの間にか忍び込んでくる黒い虫と一緒である。
一匹見たら30匹いると思え!の感覚で踏み潰していかないと、たちまち増殖して組織が食い潰されてしまう。
これから躍進する政党としては早い段階で除去しておきたい。
相談の結果、明確に共産主義を排除するため、党の名前を変えて社会主義を強調することにした。
「国民社会主義ドイツ労働者党」 Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 略してナチス (Nazis)党の誕生である。
ドレクスラー党首も改称に肯定的だった。
その上で党綱領を定めることになり、草稿は党首が作り、その草稿を基にフューダー経済博士と二人で調整することになった。
これで共産党員が紛れ込む可能性はなくなるだろう。
それにしても博士号をもつ上流階級と一緒の仕事である。
博士は仕事のパートナーとして何の疑問もなく承諾してくれたようだ。
ベヒシュタイン夫人指導の上流階級的な振る舞いも板についたと思っていいだろう。
ここで一気に党を拡大して、モテまくる!
たまに女性と出かけるのが姪っ子頼みというのは31才としてちょっと悲しい……
当面の目標はそれで行こう。
1920年 2月24日 ミュンヘン ホーフブロイハウス
「国家社会主義ドイツ労働者党」第1回公開政治集会を開催。
叔父さんが勤める政党の決起集会……それにしても大変なことになった。
王冠の下にHBで有名なこの店が人で溢れかえっている。
劇場並みの大きさを誇る大広間も2階席も全て人・人・人で埋め尽くされている。
参加者は2000人近いと周りの人が話していた。
ルドルフ・ヘスさん達がスリや置き引きに注意と声を枯らしながら巡回している。
一度近くを通ったときは挨拶してくれた。
とにかく立見もぎゅうぎゅう詰めになるほどで、二月だというのにホーフブロイハウスの中は真夏のような熱気であった。
やがて大きな歓声が大広間の方から聞こえてきた。
叔父さんが登壇したらしい。
いつもよりは抑え気味の声が響くと、歓声はすぐ止み、皆耳を澄まして聞き入るモードになった。
今回は党綱領25条の紹介と承認である。そんな議題でも時折大きな歓声を上げさせながら聴衆を魅了し続けている。
一条ごとにどうしてそれが必要なのかを聴衆に説明し、承認を求めるスタイルは党の決起集会としてはひどく斬新で型破りなものだったろう。
事実、伯父さん以外の人物がやれば、眠気をさそうほどにつまらなく退屈なものになったであろう議題だった。
しかし承認の合間合間に聞こえてくる叔父さんの強弱をつけた演説は一時たりとも退屈を感じさせなかった。
舞台上ではなにやらポーズを決めたり時折金時計を取り出したりしながら覗き込んでいたが、そのたびに女性の黄色い歓声がとんでいた。
やっぱり、叔父さんはモテルようになってしまった。
ただこれだけ大規模になれば反って他の女性との相互関係から手を出しにくくなるものだと私は知っていた。
そういう意味では予定通りだ。
党綱領25条全てが終わるのに2時間30分かかった。
その間2000人の観衆は、熱狂し、沈静し、納得させられ、憧がれさせられ、希望を持たされた。
そして最後を飾るのは私である。ベヒシュタイン夫人お墨付きのドレスで大きな花束を持って舞台の上に登り叔父さんに花束を手渡した。
私の登場に女性陣がざわめいたが、正体が姪と伝わっていくとざわめきは安堵の拍手に変わっていった。
まだ安心させておかないといけない……12才では叔父さんの障壁になるのは無理だから、もう少し時間が必要。
でもこれで叔父さんの横の席は当面私が埋めることになる。他の女性が埋めようとすればそれを知った他の女性から私に連絡が来て、埋めさせないように動くはず。
なんとか18になるまではこの状態を維持させないと……