八十一話 魔法使いの女性と出会う
一時間ぐらい歩いただろうか、依然、森の中だ。
ずいぶんと広い。ひょっとして迷っているだけなのかもしれないけど。
僕の気持ちが焦らないのはジャケットの下に大佐からもらったパーカーとレギンスを着ているからだ。何かあっても大丈夫そうなので気持ちに余裕が生まれる。それにレーザーが出る武器も携帯しているし。
だけど何があるかわからないし、気をつけないといけないから、パーカーのフードを頭にかぶって安全を確保して再び歩き始めた。
◇ ◇ ◇
白滝がこつ然と消えた──
瞬時に消えた白滝を追って、新菜とティは驚いて部屋へと入る。
そこは誰もいないガランとした空間があった。
「栄一さん!」
叫んだ新菜が扉付近の床を調べ始めた。
「ニーナ様ぁあ、どうしよう…ボク、どうしよう…」
おろおろと取り乱すティが床を調べる新菜の背に抱きついた。
付近を調べていたアンナが戻って来る。
「ニーナ様、近くには誰もおりませんでした。魔法感知にもありません」
「……そうですか。この床にわずかに魔力を感じます。たぶん転移の魔法陣を仕掛けてあったのでしょう。標的は私だったのかもしれません」
両手を床につけて言った新菜が立ち上がる。
「ごめんなさいニーナ様ーーー! ボクが守るって言っていたのにっ!」
背中で泣きじゃくるティの頭を優しくなでながら新菜はしゃがんで視線を合わせた。
「あなたの責任ではありませんよ。誰かが意図を持った行為です。栄一さんはきっと無事です。あの人は幸運の持ち主ですから」
ティを抱きしめると新菜も静かに泣いた。
しばらくして新菜は立ち上がるとアンナに向き直る。
「アンナ、今、魔法院にいる主席魔導士全員の動向を探ってください。あと、転移呪文が使える者もです。私は転移先がどこか調べてみます」
「かしこまりましたニーナ様」
深々とお辞儀をすると踵を返して足早にアンナが廊下を進んでいく。
その背中を見送ってティの手を取ると新菜が微笑む。
「さ、私たちのできる事をしましょう」
「うん!」
涙を腕で拭ってティが頷く。
二人は再び床を調べて魔法陣の痕跡から術式の範囲を調べ始めた。
しばらくして青い顔をしたネイサが新菜の部屋へと飛び込んでくる。
「大丈夫か! 誰かケガしてないか!?」
部屋のソファーにはティを膝枕させた新菜が座っており、顔を上げた。
あまりの落ち着き様にネイサは慌てて近づいた。
「ど、どうしたんだ? シラタキがいなくなったんだろ? 何か成果があったのか?」
すると新菜が唇に人差し指をつけて静かにの合図を送る。
後頭部をかいたネイサが対面のソファーに座ると新菜は小声で話し始めた。
「ちょうどティが泣きつかれて眠ったところだったんです。誰かに転移魔法陣の攻撃を受けました。だたし、かかったのは栄一さんでしたけど。私の魔法感知にも気づかれないようにするのは相当な手練れです」
「そうか…。アンナから話を聞いて飛んできたよ。わたしに何か手伝えるか?」
ネイサの問いにしばし考えてから新菜が口を開いた。
「そうですね…賢者様には連絡されました?」
「いや、まだだ。先に書記官へ伝えたから、彼から連絡した可能性もあるが」
「わかりました。私たちは残留魔力から魔法陣を調べた結果、転移先については決まっていないようでした。つまり、すぐ隣町かもしれませんし、隣の大陸かもしれません」
「そんな……」
ネイサは絶句した。この世界のどこかにいるかもしれないが、探す当てもないのにどうやって見つけるというのか。
そんなネイサの顔を見て新菜は微笑む。
「大丈夫です。魔法陣に使われた魔力から飛翔する距離は割り出せます。そんなに悲観しないで、彼は生きてますから」
「すまなかった。こんな事態は初めてで。ただでさえ、“真理の輪”の収集に人員を割いているのに、今、魔法院が攻撃されたらひとたまりもない…」
「これはたぶん、私に向けたものですから魔法院は大丈夫です」
「そうか。だとしても友人が困っているのに手を差し伸べない愚か者にはなりたくない。いつでも頼ってくれ」
「ありがとうネイサ。そう言ってくれるあなたが好きですよ」
「ば、ばか…」
新菜が感謝して言うと照れたネイサが軽口を叩いた。
二人は今後の計画を練り、終わると立ち上がったネイサが新菜を抱きしめて部屋を出て行った。
膝で寝ているティの髪を優しくすきながら新菜は呟く。
「栄一さん……」
◇ ◇ ◇
──疲れた。
あれから森の中を歩き回っていたが、同じような場所をぐるぐるしている気がしてきた。
まさに遭難しているのがわかってしまい、気分がヘコむ。
ちょうど横倒しになっている木が腰かけるのに良さそうなので、そこで休憩することにした。
「はぁ~~。ついてないなぁーー」
ガックリと首を垂らして愚痴を言うと幾分、気が楽になってきた。
再び顔を上げ周りを見るが、相も変わらず木々が立ち並ぶ森ばかり。
しばらくボケーっとしていると何かの足音が遠くから聞こえて来た。
な、なんだ? く、クマかな?
ビクビクと辺りを見回す。
すると近くの茂みがカサカサと音を立てた。
何? と思って向くと木の葉をまき散らしながら小柄な女性が飛び出してきた!
驚いた僕の前を駆けて通りすぎる。
「ち、ちょっと…」
声をかけたが遅かったようだ。
彼女が出て来た茂みの方を向くとドスン! ドスン! と重たいモノが近づく音がする。ちょっと地面も揺れてないか…?
と、腕を誰かにつかまれた!
「あんたなにボケーっとしてるの!? 早く逃げないと!」
「ええ!?」
ビックリして相手を見ると、先ほど横を通りすぎた女性だ。
赤茶けた髪を後ろで束ねて幼さを残したような綺麗な顔立ちをしている。
そのまま彼女は僕の腕を引いて走り出した。つられて僕も後を追う。
「ゴフゥ!」
後ろから大きな吠える声が聞こえる。
森の中を走りながら振り返ると大きなクマが茂みの中から飛び出してきた! ひ、ヒグマかな?
巨体を揺らしながら迫って来る。慌てて前を見て全力疾走に移った。
ドシドシと地面を蹴る音が近づいてくる。
た、確かテレビでクマは時速六十キロで走るとか言ってったような…。
気がつくと女性を追い抜いていたようで振り返ると、必死の形相な彼女が僕を追いかけていた。
しかも、すぐ後ろにはデカいクマが見える。
足を緩めて彼女が追いつくのを待って、近づくと彼女の手を取り引っ張って走り出す。
「ち、ちょっと! 早い! 足がもつれそう!」
「頑張れ! でかいのがすぐそこに来てる!」
女性が声を上げるが叫んで鼓舞する。
が、女性が転んで僕の手から離れてしまった。
慌てて振り返って彼女の元まで走って戻る。
しかも巨大なクマが目の前まできている!
「ひっ!?」
短い悲鳴が女性から漏れる。
追いついたがもう間に合わない!
「グァアアアアアアアアア!!!」
クマが目の前で大口を開けて迫っている! 彼女をかばいながら左ひじを上げて防御する! だ、大丈夫か!?
とっさに目を閉じて自分の腕が犠牲になるのを耐える。
ボガギッ!!
ひじに軽く当たった感覚が伝わり、大きなモノが地面に倒れる音が聞こえ、地面が震えた。
薄目を開けて見るとクマが地面を転がり両手で口を押えていた。手の間から赤い血が流れている。
左腕を見ると上着には穴が空いているが、下に着ていたパーカーは無傷だ。凄い!
そして僕の足元には巨大な折れた牙が、血に染まって転がっていた。
急いでかばった女性を確認すると、無事なようだ。ホッとする。
「大丈夫? 今のうちに…」
「へ、平気。あなた何者なの?」
「それは後で。とりあえずアイツを何とかしないと」
立ち上がりながら彼女に手を貸す。女性も立ち上がりながら僕の前に出た。
「ありがと。ここからはあたしに任せて!」
そう言うと女性はブツブツと呟きながら両手を前へ出した。
「風の矢よ! 貫きなさい!」
そう叫ぶと光の矢が数本現れ、口元を押さえて転がりながら悶絶しているクマへと打ち込まれる!
「ガァアッ!?」
次々にクマの体に吸い込まれていく光の矢だが、致命傷には至っていなさそうだ。
自身の危機を感じたクマが体制を整え僕らに向き直った。口元からはまだ血がダラダラと流れ、地面へと赤いしずくがたれている。
「う、嘘……。貫いてない」
女性がショックを受けているようだ。このままだと二人ともクマの餌食になりそう。
僕はとっさにポケットに手を入れ大佐からもらったボールペン型の武器を取り出すと、ペンの尻にあるメモリを少し上げてクマを狙う。
実験を思い返して発射時間は短くしないと。向けている手が震えているのがわかる。
「そんな棒でなにしてるの?」
女性が話しかけてくるが集中しすぎて答える暇がない。喉がカラカラだ。
警戒しているクマがゆらりと血を流しながら近寄って来る。
狙いを定めて短くボタンをスライドさせて戻すと、次の瞬間、クマの首から下にある右半身が円を描いてゴッソリとくり抜かれていた。射出された光線すら見えなかった。
空中に残った腕の一部が地面に落ち、クマがそのまま崩れ落ちた。
……思った以上に強力な武器だ。僕はクマの先を見て他に被害が無いかを確認した。
ちょうど光線が通った直線状にある木々が丸く欠けている。……見なかったことにしよう。被害を知ったら驚きそうだ。
「これで大丈夫かな?」
安心して女性を見ると口をあんぐり開けて放心していた。
ハッと気がついた彼女が僕に詰め寄って来る。
「何したの!? こんな魔法見たことない! あんた魔法使いだったの!?」
「い、いや、違うよ。これは武器を使った攻撃で、なんというか説明しにくいんだけど」
「……」
困惑した表情で僕を見る女性。どうしたらいいのか? とりあえず挨拶をしよう。人と知り合うための基本だからね。
頭にかぶっていたパーカのフードを取って、僕が右手を差し出す。
「僕は白滝栄一。君は?」
彼女は僕の手を見てから視線を上げて、フッと観念したように笑った。
「シラタキ…。あたしはリディ・ターバン。リディでいいよ」
リナが僕の右手を握り返した。
クマの死体を処理したリディとその場を離れ、見通しのいい場所で休む事にした。クマの肉は切り分け処置した後、袋に入れて二人で手分けして背負った。それでも大量の肉が余っていたけど。
見晴らしの良い草原に出てくると、最初にこの世界に降り立ったときを思い出す。
僕らは切り立った大きな岩場のそばで足を広げて座っていた。
リディには手短に僕がなぜこの場所に現れたのかを説明した。それとこの世界の人間ではない事も。
最初は半信半疑に聞いてくれていたが、魔石や武器を見せて納得してもらった。まだ疑っているかもしれないけど。
大佐に作ってもらった武器は、やはり僕しか扱えないようで、リディが何をやっても反応がなかった。
僕の話が終わってしばらくして、リディは腰につけた水筒を取り出し何口か飲むと僕に差し出した。
「お礼が遅くなったけど、さっきはありがとう。命の恩人だよ」
「僕の方こそ君に会えて助かったよ。ははは」
笑いながら水筒を受け取るとリディも笑顔を見せた。
こうしてリディの顔を見ると若い印象だ。霧谷さんと同じぐらいかな? でも、彼女は童顔だからもっと若く見えるし。うーん、女性に歳の事は聞きづらいな。たぶん十代だろう。
大人びて見えるのはこの森で暮らしてきたからだろうか。厳しい環境かもしれない。
僕がリディについて聞くと教えてくれた。
彼女は近くにある村で暮らしていて、毎日狩りをして生計を立てていたそうだ。だけど、普段は滅多に現れないクマの魔物に追われて僕と出会ったみたいだ。
新菜さんのいる魔法院がどこにあるかも彼女は知らなかった。ただ、魔法使いなら誰でも一度は魔法院の名前は聞いているようで、リディも噂の魔法院について憧れを僕に話してくれた。
彼女の魔法の師匠は村にいた老魔法使いで、幼い頃に手ほどきをしてもらったようだ。魔法は誰でも扱えるものではなく、才能を持った者だけが使えるみたい。だけど、老魔法使いは程なく亡くなり、それからは独学でやってきたようだ。
なるほど、平和な日本で暮らしていた僕にしてみると、リディはとてもたくましく生きている。きっと新菜さんもこの世界では僕の想像できない環境で生活していたのかもしれない。
リディは立ち上がると僕を見下ろす。
「ねえ。よかったら村に来ない? 何かわかるまで居なよ。命の恩人をそのままほっぽり出せないし」
「ははは、ありがとう。そうしてもらえると助かるよ」
僕が言うと彼女が右手を差し出してきた。言葉に甘えるように僕も手を伸ばして彼女の助けをかりて立ち上がった。
草原を越えた先にある川のほとりにリディの住む村があった。
村といっても僕が想像していたような日本の田舎の風景ではなく、高さが一メートルほどの木製の柵が藪の間を通って張り巡らされており、どうやら村をぐるりと囲んでいて、その先に居住する場所があるようだ。
もっとのどかな世界かと思っていたけど、クマの魔物がいるし。けっこう危険な場所かもしれない。
柵を越えて進むと田畑らしき野菜や麦などを育てている場所が見えて来た。狩りだけでなく農耕もしているようだ。
リディの案内で畑の間を通っていくと居住している家が現れた。木製の家は点在している。家の造りはどこかで見た事のあるようなモノで、基本的には僕のいた世界と似ている。
僕らがひらけた場所に来ると、周りから気がついた住人がポツポツと集まって来た。
皆の視線が僕に向けられているのを感じる。外から来た人間だから珍しいのかもしれない。
何かリディに質問しようとすると彼女に静かにしろとゼスチャーで制された。どうやらリディが口利きをしてくれるようだ。
すると五人の男性の集団がリディの前に出て来た。リディの服装と比べると良さそうなものを着て、短剣などを腰に差し武装している。
彼らは僕らを囲むと、やや小柄で横幅の広い四十代らしき、いかつい顔をした男性がリディに向けて口を開いた。
「一体、どうしたんだ? その男は誰だ?」
「村の近くにジャイアントベアーが出たんだ。この人があたしを助けてくれて、ベアーも倒してくれた。お礼に村に招待していたところ」
何も問題無いように振る舞うリディに対峙している男の眉間のしわが深くなる。
「この村はよそ者を歓迎しない。リディ…わかるだろ? 年寄りの魔法使いが来てどうなったかを」
「それとは関係ないよ! この人は恩人なんだよ!」
押し殺した声で諭す男にリディが声を上げた。何かあったかわからないが、リディの師匠であった魔法使いと村人の間にいざこざがあったようだ。
僕のことで村にいさかいが起きるのはマズい。こういう小さなコミュニティでは遺恨が深いと、後々問題が大きくなりそうだし。
リディの肩を叩いて僕が村を出ていくことを伝えようとすると、後頭部に刺激が走る!
──ゴスッ!!
音を感じたと思ったら記憶がパタリと無くなった……
◇
ハッと気がつくと生草が腐ったような匂いが鼻につく。
目の前には藁のようなものが積まれているのが土越しに見えた。どうやら地面に横たわっているようだ。
体を動かそうとするが、手が背中で縛ってあるようで自由がきかない。縛られていない足をバタバタして体制を変える。
痛い! 仰向けになろうとしたけど、縛られている手が自分の体重で縄に食い込んで痛い! 慌てて横に戻る。
どうも村人たちに捕らえられたようだ。思考が働くようになってみると後頭部がズキズキと痛みを訴え始めた。
心臓がついてるんじゃないかってぐらいドクンドクンと後頭部が脈打つ。
しばらく痛みに耐えていると少し引いてきた。もちろん僕は涙目だ。
しかし、この世界に来てから一日とたっていないのに、いろいろな事が起こりすぎる。
新菜さんたちは無事だろうか?
彼女の顔を思い出すと今すぐ会いたくなる。
せめて最後にあの笑顔を見たかった……叶わぬ想いが僕の胸を締めつけていた。




