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六十六話 新菜さんとイブを過ごす

 

 朝起きてランニングをした後、食事の用意をする。

 どうも霧谷(きりや)さんは、すっかり春奈(はるな)が苦手になったようで、彼女の前では僕にピッタリと寄り添っているようになった。

 朝食後リビングでくつろいでいると、ローテーブルの対面で春奈がふくれていた。

「兄さんはずるい! かわいいのを独り占めしてる!」

「えぇー!? 違うよね? 霧谷さんを怖がらせてるからだし、ティはいつもの場所だし」

 怯えた霧谷さんは僕の背中へ逃げ、ティを見ると嬉しそうに笑っていた。

 お茶を飲んだ春奈はフーとため息をついて顔を上げる。

「わたし出かけるから。昨日の続き! お昼には帰ってくるから」

「わかった。気をつけて」

 僕に告げるや出かける準備をパッパと済ませ、あっという間にマンションから出て行った。

 春奈がいなくなると安心したのか霧谷さんは安堵の息を吐き出して床に寝そべった。

「疲れた~~。怖かった~~」

「ごめんね、霧谷さん。春奈が迷惑をかけて」

 寝そべっている霧谷さんに謝ると顔を向けた。

「べ、別に白滝(しらたき)が謝ることはないけどさ」

「でも、能力を使わないようにしてたろ? 霧谷さんは優しいから」

「ば、バカ! 違うよ!」

 顔を反対に向けた霧谷さんの耳は真っ赤だった。相変わらずの恥ずかしがりだよね。

 ティは僕に寄りかかってお菓子をモグモグと食べていた。ほっとくとまた太りそうだな……。

 その後は新菜(にいな)さんに連絡をとって、午後に春奈の見送りに誘うと快諾(かいだく)してくれた。

 霧谷さんと正反対で、新菜さんの妹に対する評価は高いようだ。なんとなく不思議だ。


 ◇


 お昼過ぎに帰ってきた春奈を囲んで昼飯をとった後、駅まで見送る事にした。

 ちなみにお土産は春奈がいなくなった後で急いで買いに出かけた。

 霧谷さんはマンションの玄関で別れを告げた。春奈は不服そうだったけど、手がワキワキしていたから抱きつきたかったのかもしれない。

 荷物をまとめ、三人で駅に向かうと改札前には新菜さんが待っていた。

 春奈は嬉しそうに駆け寄る。

「来てくれたんですか! 嬉しいです!」

「はい。お見送りを」

 いきなり抱きつき新菜さんが言いかけて止まる。ギューっとした後に体を離すと満足そうに春奈が(うなず)く。

「最後に堪能できて良かったです。ありがとうございます!」

「そ、それは良かったですね……」

 苦笑いで新菜さんが答える。ついで春奈は僕を見る。

「兄さん、叔父さんたちが会いたがってたよ。たまには帰ってきてよね」

「ああ、わかった」

 荷物を差し出すと春奈は受け取り、改札へと入る。

 振り返ると手を振ってきた。

「今度は新菜さんとティちゃんも連れてきてね! じゃあね~!」

「ああ! 紹介するから!」

 手を振り返して言うと笑顔でホームの階段を駆け上がっていく。

 騒がしかったけど、久しぶりの妹は元気なようで安心した。叔父さん達とも上手くやっているようだ。


 新菜さんを見ると、なぜかテレテレしている。

恵利(えり)?」

「はっ! いいえ、大丈夫です。とっても良い妹さんですね!」

 すこぶるいい笑顔で言われる。まあ、嬉しいけど。

「これから予定はある? よければ家に来ない?」

「はいっ! 喜んで!」

 新菜さんの居酒屋っぽい活きのよい返事。思わず笑ってしまう。

 勘違いした新菜さんもつられて笑い、僕らはマンションへ向かって歩き出した。


 ◇


 冬も深まる寒い日、就業時間きっかりに退社した僕は新菜さんと待ち合わせて電車に乗り込んだ。

 向かう先は新宿。すっかり暗くなった空の下、キラキラとネオンの灯る街を車中の窓から眺める。

 駅に着き外に出ると平日でも人々が溢れていて、車道に並ぶ外灯やビルに輝くイルミネーションが目を楽しませる。

 新菜さんと手をつないで大きな歩道を歩いていく。あちこちのお店の前ではクリスマスケーキを売り込む声が踊っていた。

 周りの賑やかさに圧倒されていた新菜さんが感想を漏らす。

「すごい…ですね。こんなに活気があるなんて。想像以上です!」

「そうだね、今日はイブだから」

「ふふ、平日なのが少し残念ですね」

 そう言いながらも嬉しそうな新菜さんに微笑む。


 僕らはとあるビルの五階にある店へと入る。

 シックな内装に僕らと同じような会社帰りの男女がちらほらとテーブルを囲んでいる。

 事前に予約しておいたので窓際の席へ案内され、テーブルを挟んで座った。

 ウエイターは白いワインを持ってくるとグラスに注ぎ、きめ細かな泡がシュワシュワと立った。

 心配そうにウエイターの挙動を見つめていた新菜さんに説明する。

「大丈夫。このスパークリングワインはノンアルコールのやつ。雰囲気だけだよ」

「ちょっとビックリしました」

 新菜さんはエヘヘと誤魔化してグラスを手に取った。

 二人で乾杯をした後、スープが運ばれてくる。ちなみにスペイン料理のお店だ。

「ありがとうございます! こんなに素敵なお店!」

 嬉しそうにグラスを傾ける新菜さん。喜んでもらえてホッとした。

「そんなに高級な所じゃないけど、前に来て気に入ったんだ」

「ふふっ、私はどこでもいいですよ。栄一(えいいち)さんがいれば…」

 頬を少し赤らめた新菜さんが照れながら言う。なんともかわいい。

 そうしているうちにメインのスパニッシュオムレツが運ばれ、僕たちは楽しく会話しながらディナーを堪能した。


 食後はデパートの宝石売り場へと移動する。

 サプライズでプレゼントをと思っていたけど、新菜さんが二人で選んだ物がいいと言うので優先した。

 けど、事前に調べていたようで新菜さんが僕を売り場へ案内している。僕の意見は無いよね?

 なんとなく知っているブランドショップに入るとアクセサリーが並んでいるショーケースの前に立つ。

「あ! これです! どうですか?」

 興奮気味に新菜さんが目的のアクセサリーを見つけて聞いてくる。

 それはリングに小さな宝石の入ったペアのネックレスだった。リングにはシンプルなデザインが施されているようだ。

 すかさずスーツを着た女性の店員がやって来た。

「何かお探しですかー?」

 スマイルで新菜さんに尋ねてくる。僕をスルーした辺りに店員のしたたかさを感じた。

 新菜さんがおずおずと商品を指さして聞く。

「あの、このネックレスを見たいのですが…」

「少々お待ち下さい。今、出しますから」

 前もって知っていたかのように店員がネックレスをショーケースから取り出し、浅い化粧箱の上に乗せる。

 間近で見ると一層高級感が漂っている。埋め込まれている小さな宝石がキラキラと輝いて、リングを引き立てていた。

「きっとお似合いですよ。ご試着なさっては?」

 相変わらずスマイルの店員が僕を見て勧めてきた。言われるがまま、ネックレスを受け取り新菜さんの首へ回す。

 新菜さんの匂いとうなじの色っぽさでクラクラしながらもネックレスを着けた。

「ど、どうですか?」

「綺麗だよ…。とても……よく…似合ってる……」

 はにかみながら聞いてくる新菜さんに見とれながら答える。彼女は頬を染めて嬉しいと呟いた。


 ──パシャ、パシャ。カシャ。

 突然何の音かと見回すと、先ほどの店員がスマホで新菜さんを撮っていた。

「ちょ、ちょっと! 何してるんですか!」

 慌てて新菜さんの前に立ち店員のスマホから隠す。ハッと気がついた店員が愛想笑いする。

「ごめんなさい。あまりにもキレイで…。私だけの宝物にしますから!」

「いや、意味がわからないけど?」

 驚いて聞き直すと新菜さんが止めに入った。

「まあ、まあ、栄一さん。この方も悪気があったわけじゃないですから」

「マジ天使!」

 店員が目を輝かせて新菜さんに手を合わす。ノリが良すぎじゃないのか? あと、ブランド店員だよね?

 ネックレスを外して化粧箱に戻しながらニコリとした新菜さんが聞く。

「こちらって、もう少しなんとかなりませんか?」

「えっと…」

 店員が言葉を詰まらせて振り返る。僕もつられてその視線を追うと奥のカウンターに店員が二人、スマホをかまえて立っていた。

 二人は愛想笑いをして、そっとスマホをしまいながら(うなず)く。

「もちろん! お客様には特別に!」

 新菜さんに向き直った店員が笑顔で答える。普通、ブランドショップで値切りしないよね?

 店員は丁寧に化粧箱に入れ直されたネックレスを包み、袋に入れる。

 会計時に気がついたが、値引きをしてもなかなかの一品だった。おかげで懐が寒い。

 商品を受け取り上機嫌な新菜さんと店を出る時、店員総出でお見送りをされた。いいのか? それで。

「栄一さん! ありがとうございます! 私の宝物です!」

「はは、よかった」

 デパート内を移動中に笑顔の新菜さんからお礼を言われた。彼女の気に入った品で僕も嬉しい。

「それじゃ、明日の買い物をすませようか?」

「はい!」

 二人で地下の総菜コーナーへと向かった。


 楽しかった時間はあっという間に過ぎ、地元の駅に着いた。

 名残惜しそうな顔をした新菜さんに思い切って提案してみる。

「き、今日はうちに泊まらない? あ、明日は休みだし、へ、変な意味じゃなくて、なんていうか、君と一緒にいたいんだけど…」

「いいんですか!? ち、ちょっと待ってください!」

 慌てた新菜さんがスマホを取り出して電話をかける。相手が出て短いやり取りをした後に僕に向き合う。

「ナインに連絡したので大丈夫です! ホントにいいんですか?」

「もちろん! そうしてくれると僕も嬉しいけど」

「はいっ! 喜んで!」

 再び居酒屋みたいに元気な返事をした新菜さんと荷物を持ってマンションへと歩き出した。


 ◇


 マンションの部屋に着くと、いぶかし気な霧谷さんが出迎えた。

「さっきナインが荷物持ってきたよ。なんなの?」

「あ、それは私が頼んだので……」

 顔を赤くしながら新菜さんが答える。霧谷さんは呆れたのか口が開いている。というか、せっかく来たんだからナインも泊まればよかったのに。

「今日は恵利が泊まるから」

「あー、そういうこと」

 僕が言うと納得した霧谷さんはリビングへと戻っていった。

 照れながら新菜さんも後に続く。緊張しているのかもしれないけど、なんとも可愛い。

 ついでティを人形から元に戻すと、いきなり抱きついてきた。

「遅いよ~! もう寝るだけだよー!」

「ははは、ごめんね。明日は一日中一緒だから」

 お詫びにティの頭をなでてから僕らもリビングへ向かった。


 荷物を置いて着替えた新菜さんが、霧谷さんたちの寝室から出てきた。

 冬用の厚手でふわふわなパジャマを着た彼女を見て息を飲む。か、かわいい。

 新菜さんはモジモジして頬を染めた。

「あの…。そんなに注目されると恥ずかしいです……」

 ハッとして見渡すと全員が新菜さんに視線を向けていた。

「ご、ごめん! あまりにもかわいいから。えっと、お茶! お茶を用意するから!」

 慌てて立ち上がってキッチンへと向かう。

 今日はなんだかドキドキしてしまう。気を落ち着けようとお茶を作るのに集中する。と、声をかけられた。

「栄一さん、手伝いますよ?」

 いつの間にか新菜さんが来ていた。

「い、いや、大丈夫だから」

「ふふっ、そう言わないで…」

 さりげなく新菜さんが寄り添ってきた。パジャマのふわふわが僕の体に当たる。もう、だめだ。

 我慢できずに抱きしめる。普段より着る物が薄いせいか、身体のラインがよく分かるし、ふわふわが気持ちいい。

 背中から腰にかけて撫でながらパジャマの感触を楽しんでいると新菜さんから小さな吐息が漏れた。

「このパジャマ、肌触りがいいね」

「もう! そっちなんですか!」

 顔を上げた新菜さんが恥ずかしげに怒ったふりをする。

 お互いの心臓の音がうるさいぐらいに聞こえる。

 ここでキスをしたかったが、視界の隅に霧谷さんとティの顔が映っていた。……見られてるし。

 そっと身体を離し、お茶をリビングへ持っていく。状況を理解した新菜さんは真っ赤な顔で後をついてきた。


 それから少し気まずい中、一息つけると、ティが新菜さんを誘って二人はお風呂へと向かって行った。

 ポツンと霧谷さんと僕はローテーブルを挟んで座っている。

 ムスッとした霧谷さんの眼鏡が光った。

「アタシもいるんだからね? 少なくても見えないところでやってくんない?」

「いや、わざわざ見に来てるよね!?」

 反論すると睨まれた。

「もー、彼女できたらスグこれだ。中坊じゃないんだから少しは我慢しなよ~」

「あのさ、霧谷さんとずっと一緒にいたわけじゃないよね? なんで訳知り顔なの?」

「はぁ、何年住んでると思ってんの?」

「半年もたってないよね!?」

 なぜかニシシと笑う霧谷さんの眼鏡が光った。誤魔化されないからね?

 僕と霧谷さんが言い合いをしている間に新菜さんとティがお風呂から上がってきた。

 なぜか新菜さんが怒気をはらんだプリプリ顔で僕の前に立つ。

「な、なにか?」

「聞きましたよ。む、胸の大きさで彼女にしたって! ひどい!」

「ええ!? ティ?」

 驚いてティを見ると舌を出してる。

 ティの仕草に気がついていない新菜さんが目の前で座って半目を向ける。

「い、いつも女性のむ、胸を見て確認してるんですか!?」

「違うから! 聞いて! ちゃんと説明するから聞いて!」

 やたらと風呂上りのいい匂いをさせながら怒っている新菜さんに必死に説明する。

 テーブルの反対側では霧谷さんとティが口に手を当てて肩を震わせていた。二人にやられた……。


 なんとか新菜さんに納得してもらって就寝することになった。

 まだ少し怒っていた気もするけど目が覚めたら忘れてほしい。

 今日はいろいろありすぎて疲れた……。

 新菜さんたちにお休みを言ってベッドに倒れ込む。

 明日はクリスマスか……。よく考えたら新菜さんとゆっくり過ごせなかったな。

 まあ、でも、プレゼントできたから良しとするか。

 とりとめもなく考えていると、人の気配がしたような感覚がして目を開ける。

 ふと、ベッドの横に新菜さんが立っているのに気がついた。

「えり…!」「シー!」

 新菜さんが口に指を当て静かにするように合図した。

 な、なんだ?

 ゆっくりと腰を降ろして、新菜さんがバツの悪そうな顔を近づけヒソヒソと話す。

「さっきのはティの冗談だったようです。ごめんなさい」

「そう。誤解が解けたなら安心したよ」

 僕も小声で返して笑いかける。良かった、怒ってなかった。

 新菜さんも笑みを浮かべる。

「ふふ。なんだか今日は嬉しかったり、悔しかったり、いろいろですね。でも、良い思い出になる一日でした」

「本当だよ。悔しくはなかったけどね」

 暗がりでよく見えなかったが、新菜さんは何か呟いて僕の頬に口づけをすると立ち上がった。

「おやすみなさい、栄一さん」

「おやすみ、恵利」

 言葉を交わすと新菜さんは僕の寝室から音もなく出て行った。

 頬には、やわらかい唇の感触が熱を持って残っていた。


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