三十五話 新菜さんと旅行に行く
自宅のマンションへ帰るとすでに霧谷さんがリビングに座ってスマホを見ていた。
僕とティに気がついた霧谷さんが顔を上げる。
「あ、お帰り。お腹空いた」
「ただいま。夕食はまだ?」
「まだ」
一言返事してまた顔を下げた。……手伝おうって気はないのかな。
スーツから部屋着に着替えて夕食に取りかかった。
ティも手伝ってくれるから最近は楽になったな。お皿を並べているティを見ると視線が合い、ニコッとされる。
オムレツを作って、サラダをティに任せる。
料理が出来たところで皆で食べた。後片付けは全員で。
落ち着いた頃にティにベタベタくっついて甘えている霧谷さんへ話しかける。
「今度の三連休に皆で温泉に行くことになったんだけど、どうする?」
「どこ?」
「場所はわからないなあ。八巻さんの提案なんだけど」
「じゃあ、無理。ちょうど休み前から教授と調査に出かけるから」
淡々と霧谷さんが言うけど出かけるなんて初耳だ。
「えっと、そういうことは前もって言って欲しいけど」
「今、言ってるじゃん」
膨れた霧谷さんが僕に目を向ける。
「はぁ。これからでいいから霧谷さんの予定も教えてね? 急に出かけられても困るし、心配するからさ」
「…わかった」
ため息をついて言うと、目を伏せた彼女が返事をした。まあ、大丈夫かな。
立ち上がってトイレに行こうとすると霧谷さんに声をかけられた。
「白滝」
「ん?」
「ごめん。ありがと」
目を合わせず、真っ赤になった霧谷さんが言ってすぐにスマホに顔を向けた。
ずいぶん恥ずかしそうにしている。無理しているのかな。
でも、素直な事は良いことだ。ティはニコニコとしていた。
◇ ◇ ◇
爽やかな秋晴れの下、道路の排水溝から水蒸気がモクモクと上がっている。
そういえば白滝たちは今日から温泉か……。
アタシも温泉地にいるけど、きっと同じ場所じゃないはず。
淡い期待が胸を突く。ダメダメ! 期待しちゃ。アタシは政府の人間だから。
「霧谷君。何か見えたかね?」
少し離れた所から大谷教授が話しかけてきた。
「…何も」
少し不貞腐れて背を向けた。こんな調査って意味があるの? せっかくティちゃんと一緒に温泉に行けたかもしれないのに。
ここは有名な箱根。といっても芦ノ湖に近い方、元箱根に私達はいる。
なんでも怪異が出たとの情報で大谷教授と調査に赴いている。
実際、この辺りは怪奇現象や霊の目撃談が後を絶たない有名なスポットだ。
以前にも調査したが何も無かったのだが、今回は違うらしい。妙に大谷教授が張り切っている。
「箱波君の情報だとこの辺りなんだけどな……」
大谷教授は頭をかいてアタシに近づいてくる。
「別の場所かもしれない」
「かもな。もう少し範囲を広げてみるか……。山の方かな? それとも湖か…」
人通りのない坂道を大谷教授は近くの茶色くなり始めた山を見上げた。
大谷教授の提案で近くの山へ登りながら辺りを伺う。
やはり何も見えないし怪異の気配を感じない。
段々面倒くさくなってきたアタシはもう帰りたいと思い始めていた。
──!
ハッと気がつき、“その場所”を注視する。
残留思念? 違う。これは禍々しい気配だ。まるで化け物が通った跡のよう。
背中に冷たい汗が流れた。前に土手で感じたモノとは違うが、凶暴な感じがする。
「どうした? 何かあったのか?」
大谷教授が心配して聞いてきた。
「いた。怪異かわからないけど、普通の動物じゃないモノがいる」
「ホントか!? 最近一体どうなってんだ? 前まであんなに探しても何もなかったのに!」
驚いた大谷教授が厳しい目で辺りを見回す。
傾いた太陽は柔らかな光を投げかけ、薄い木の影がアタシたちを覆っているが特に何もいない。
山に残っている気配をたどりながら進むと、やがて湖の方へと向かう。
海賊船を模した遊覧船が水面に見えたところで、たどっていた気配が消えてしまった。
アタシの後ろを追っていた大谷教授を振り返る。
「ここまでみたい、教授」
「そうか。どうしたものか……。疲れたので少しここで休むよ。霧谷君はどうする?」
「もうちょっと先を見てみる」
湖に方へと足を踏み出すと大谷教授が声をかけてきた。
「気をつけてな~! 何かあれば連絡してくれ」
相手を見ず、肩越しに手を振ってその場を離れて行った。
ぶらぶらと道なりに歩いて行く。
さすが観光地だけあって、グループで行動している人達と何組かすれ違った。
つい知っている顔を探してしまう。頭を振って、そんな考えを捨てる。こんなに未練がましい自分が嫌だ。
とにかく仕事をしよう。帰ったらティちゃんに甘える事を考えながら道を歩いていく。
ふと目の前に茶髪で紺色のバーカーを着た男が、アタシをニヤついた顔で見ている事に気がついた。
近寄らないで通りすぎようとすると声をかけられた。
「霧谷さんだよね?」
「誰?」
少し後ずさり警戒しながら相手と対面する。アタシよりも背が高いし、年上みたいだ。
男はだらりと楽な態度で立っている。
「鈴木。噂を聞いてたんで一目見たかったんだ。相手に触れるとリーディングできるんだろ?」
「…あんた何者?」
「そんな怖い顔しないでくれ。同業だよ、管轄は違うけどね。少し君に興味があっただけだ」
「興味?」
「しょぼい下っ端組織が金のガチョウを手に入れたって、聞いてね」
ニコリと鈴木は笑う。そこは金の卵でしょ? まあいいか。それに鈴木って名前もウソっぽい。
コイツの雰囲気から同じサイキックだと思う。さっきの言動からリーディングはアタシの方が上ってことね。
「で? 見た感想は?」
「ははは。聞いていたよりも背が低いね」
「余計なお世話」
「おっと、怒ったかな?」
ミエミエの挑発に乗らず様子をうかがっていると場の雰囲気が変化する。
辺りの空気が押しつぶされてアタシを囲むように迫って来る感覚。
フン! くだらない。
風を起こして空気の流れを変え、空間の圧迫を逃がす。
鈴木は片眉を上げ面白そうに口元をゆがめた。
「これはなかなか! 驚いたな、小手調べのつもりだったけど全然効いてないな!」
「……」
反撃しようと思ったけどやめた。同じ政府の人間同士が争ってもロクなことはない。
それに、ティちゃんたちの魔法の方が凄い事を知ってるし。
周りの人たちに気づかれたかと視線を動かすと、見慣れた顔を発見した。
──白滝! ドキリとする。
何人かで歩いているようだ。まだ離れているから向こうはアタシに気がついていない。
ハッと鈴木に視線を動かすと、いつの間にか姿が消えていた。だいたいアイツは何しにこの場所に来たんだ?
あんな奴は放っておこう。なるべく嬉しそうにしないように白滝たちの元へと走って行った。
近づくと白滝やティちゃん、新菜と南が一緒に歩いている。
声をかけようとしたが、異様な気配を感じ立ち止まった。
白滝が黒猫を両腕で抱えているのが見えた。あれだ。
「あれ!? 霧谷さん! なんでここに?」
気がついた白滝が声をかけてきた。
一緒にいるティちゃんたちは笑顔を向けている。どうやら先に気がついていたみたいだけど白滝に気をつかっているようだ。
でも何でそんな猫を抱いてるわけ?
「どうしたの霧谷さん? 顔色が白いよ」
何も知らない白滝が近づいて来る。こ、こないで! 後ずさり手を上げストップさせる。
「と、止まって! その猫どうしたの!?」
「どうって、散歩してたら出会って懐いてきたんだけど」
戸惑っている白滝の返事を同意するようかのように黒猫がニャーと鳴いた。
マジマジと黒猫を観察する。……思った通り禍々しいモノが猫の体内に渦巻いている。
ジッとアタシを見つめる黒猫。何かわかっているような感じがする。
ふと新菜が近づいてきてアタシの手を取ってきた。なに?
「霧谷さん、少し話しがあります。白滝さんたちは少し待っててください」
ニコリと新菜はアタシと皆に笑みをくれて少し離れた場所へと移動した。
いろいろな出来事が重なって少し混乱気味に新菜に聞いた。
「な、なに? どうなってんの?」
「私も聞きたい事がありますが、あの猫の事ですよね?」
「そうだけど…」
何かを知っていそうな新菜が確認してきた。なんだか困惑する。
安心させるようにアタシの手を握ってくる。
「大丈夫ですよ。確かに内側に何か別のモノを秘めているようですけど、今は大人しくしています」
「わ、わかるの!?」
「うーん。わかるというか、感覚です。あなたが怖がると猫にも伝染して暴れるかもしれません。だから落ち着いて」
「……そうなの」
新菜の説明になんとなくわかった。きっとあの猫は依り代で何かが取り付いているのか。
調べないとわからないけど、化け猫のたぐいではないはずだ。
アタシの思考を読んだのかニコリとした新菜が手を離す。
「さすがですね、霧谷さんは。理解が早いです。誰かさんも同じぐらい察しがいいと嬉しいのですけど」
白滝の方をチラリと見て新菜が話す。そんな事、アタシに言われても困る。
「直接本人に言えばいいじゃん」
「な、ナインにも同じことを言われました。む、無理なんです!」
「まーいいけどさ、白滝にはハッキリ言わないと通じないよ?」
「そ、それも言われました……」
恥ずかしそうに顔を伏せる新菜。追い込みすぎかな?
「代わりに言っておこうか?」
「だ、ダメです! こういうことは本人同士で行うことが大切なんです!」
アタシの両肩をつかんだ新菜が焦って答える。もーなんだよ、面倒だなー。
「わかった、頑張って。猫の事も了解!」
優しく新菜のつかんだ手を離して白滝の方へと歩き始める。その後をアタフタと新菜がついてきた。
白滝たちの元へ戻って話を聞くと、どうやら八巻の親が経営しているホテルが近くにあって、そこに格安で泊まっているとのことだった。
アタシも頼んだら泊まれるかな? 後で聞こう。
ついでにこちらの事情も話しておいた。
大谷教授とアタシは、箱波の指示でこの辺りに調査をしに来たこと。
黒い化け物の目撃情報があり、実在している可能性が高い事などだ。
で、その気配を発見したので追跡していたら偶然、白滝たちと出会った。そして目的のモノも。
とりあえず白滝たちの宿泊するホテルの名前を聞いて別れた。
大谷教授の所へ戻って説明しよう。
どうせ泊まるならティちゃんと同じホテルがいい。教授には適当に言って誤魔化せば大丈夫だと思う。
あとは鈴木がまた現れない事を祈るのみ。でも、アタシの心が再会の時は近いと囁いていた。
◇ ◇ ◇
──芦ノ湖に来て霧谷さんに出会うなんてビックリした。
朝、前に海に行ったメンツが再び集合して八巻さんが手配したバスに乗り、僕たちは目的地もわからないまま出発した。
バスの中では、僕の心配をよそに新菜さんや大佐たちは楽しそうにしていたのが意外だった。
やがて目的地に着くと、そこは芦ノ湖が見渡せる立派なホテル前。
じゃじゃ~~ん! と八巻さんが両手を広げドヤ顔で話してくれた。
なんでも親のやっているグループ会社の一つで、全国展開している「銀河リゾート」ホテル。僕もテレビで紹介されているのを何度が見たことがある。
しかもここは天然温泉付きの有名な所だった。八巻さんの家族がお金持ち過ぎてクラクラしてきた。
さっそく部屋へ案内され、各自荷物を置いたり、ひと休みしていた。だけど、丸々一階分の部屋を押さえていたらしく、僕たち以外に廊下を通る人はいない。
ちなみに僕はティと同室。二人だけになるといつもの生活と変わらない感じ。ただ、部屋が違うのが新鮮な気分。
夕食まで時間があるのでホテルのロビーに出ると、そこで新菜さんと南さんに会った。
そこでホテル付近を散歩すると伝えると二人は一緒に行くとついてきた。
まだまだ紅葉には遠いけど、枯れ始めた葉や深くなる緑の山を見ながら歩いて行く。
新菜さんと南さんは仲良くなったようで、ときおり言葉を交わしている。
しばらく歩いたところで一匹の黒い猫が僕の前に立ちふさがる様に立っていた。
「ナーゴ」
僕を見つめて一鳴きする。こんな経験がないので驚いて猫と見つめ合ってしまう。
なぜか隣にいたティや新菜さんたちが緊張している。
すると黒猫が近づいてきて僕の足に頭と背中をすり寄せてきた。
なんとなく可愛いので腰を落として猫を抱きかかえると大人しくそのままでいた。
心配顔のティが聞いてくる。
「シラ兄、大丈夫? 変なとこない?」
「何が? というか、そんなに猫に警戒するものなの?」
黒猫の頭をなでると目を細める。少し戸惑い気味な新菜さんが、おずおずと抱いた猫の頭を撫でるとニャンと鳴いた。
「そうですね。ネットなどで見たモノと違ってましたから。こういう個体もいるんですね。でも、大丈夫みたいです」
ティに代わって猫を撫でながら新菜さんが答える。
「なんか不思議ね」
横で見たいた南さんも感想を漏らしている。でも僕にはさっぱりだ。きっと彼女達には何かが見ているのかもしれない。
抱いた猫は一向に逃げだす気配すらないので、そのまま散歩に連れ立っていった。
しかし、湖沿いの道に出た時、思わぬ同居人の登場によって中断してしまった。
まさか霧谷さんが同じ場所にいるなんて思わなかったから。




