三十六話 新菜さんと黒猫
霧谷さんと別れた後、僕たちはホテルへ戻り八巻さんをつかまえて事情を話した。
一応、この黒猫についてホテルの従業員に断りを入れている。
その頃には、すでに連絡が入ったようで、ニヤリとした八巻さんが部屋の手配は済んでいると答えた。
夕食までには時間があるので、ロビーにいた大佐たちに猫を見せる。
どうも本物の猫を初めて見るようで、だらしない顔をした大佐が赤ちゃん言葉で猫を撫でていた。
魚沼さん以外の全員はその姿を見て笑いを必死にこらえ、肩を震わせている。
中でもソールとライノスは絶対に顔を見せまいと背中を向けていた。
皆に可愛がってもらった黒猫は大人しくしていて、とても野良猫には見えなかった。
夕食前にはホテルの入り口で猫を降ろし、外に帰す。
猫はしばらく立ち止まって僕たちを見ていたが、トトトと茂みの方へと駆けて行き見えなくなった。
「うむ、残念だ。工場で猫は飼えるのか聞かないとな」
腕を組んだ大佐が渋い顔で去っていく猫の背中を見ながら呟いていた。
ちょうど夕食時に霧谷さんと四十代ぐらいのおじさんが到着した。前に川沿いの土手でタブレットを手にしていた人と同一人物だった。やはり彼が大谷教授だったようだ。
皆、それぞれ自己紹介をしてから夕食のバイキング料理を楽しんだ。
僕はティと新菜さん、霧谷さんらと共に自分の好きな物を皿に盛りつけ、美味しい現地の料理に舌鼓を打った。
しかし、霧谷さんはここでも肉ばっかりだ。栄養のバランスが崩れそうで心配だ。
反対に新菜さんは配分良く、いろいろな種類を盛っていて、ティは好きなカレーやスパゲティを山盛りにしていた。
ナインとさきやん、南さんに八巻さんとネマは飲み屋のつまみチョイスで、ビールやワイン片手に楽しんでいる。
大佐と魚沼さん、大谷教授は囲んで食べながら話している。
仲林君とソール、ライノスはステーキをかぶりつきながら何やら相談をしているようだ。
夕食が終わるとそれぞれ自分の部屋へと帰っていった。
◇
ティと少し部屋でくつろいでからホテルの温泉へと向かう。
前に別々で温泉に入ったのが気に入らないようで、ティが僕と同じ男湯に行こうとしたけど、なんとかなだめて思いとどまらせた。相変わらず事案一歩前だ。ティの好意は嬉しいけど少し自重してほしい。
さっそく浴場へと入ると、メディアで紹介されていることもあり、品のある造りで広々としていてサウナ室や泡風呂などが飽きさせないようになっている。露天風呂へは奥の扉から行けるようだ。
先に身体を洗い室内の大浴場に少し浸かってから露天風呂へと外に出る。
広い露天風呂に少し感動する。おお! すごい!
湯気のただよう温泉に入ると「はぁあ~」声が出た。
おや? 露天風呂の隅でソールや仲林君たちがいるのを発見した。なんだろうか? 近づいていく。
「集まって何しているんですか?」
「おお!? ああ、白滝か。ビックリさせるなよ。今、重要な相談をしていたんだ」
驚いたソールが僕を確認するとヒソヒソ声で言ってきた。
「先輩! ちょうど良いときに!」
仲林君が笑顔になる。そう言えばライノスの姿が見当たらないな……。
「先輩はホテルの見取り図を見ました? 男湯の隣が女湯じゃないみたいで」
「え!? なに? まさか、のぞ…ぷっ……」
ビックリした僕が声を上げると慌てた仲林君に口をふさがれた。
「しーっ! 先輩、静かに!」
回りをキョロキョロ見渡して仲林君が耳元で囁いてくる。
無理矢理手を離して小声で返す。
「わかったから。でも欲望に忠実な仲林君って怖いね」
「いや~、ち、違いますからね?」
愛想笑いで誤魔化す彼を半目で見つめる。まったく、しょうがないな。
「おっ、戻って来たぞ!」
露天風呂の奥にある木々を見つめていたソールが小さく声を上げる。
僕と仲林君が目を向けると腰にタオル一丁の顔を真っ赤に腫らしたライノスが痛々しそうに木々の間から出てきた。
「おい!? 大丈夫か?」
慌てたソールが温泉に入ってきたライノスに声をかける。
ライノスは温泉で顔を洗うと薄暗くなりつつある夜空を見上げた。僕と仲林君はその様子を黙って見守っていた。
「……途中までは順調だったが、女湯に近づくとどこからか八巻とナインが出てきて『あんたの行動なんてお見通しだから! 監視カメラにバッチリ映ってんの!』と指をさされた」
「で?」ソールが先をうながす。
「無視して先に行こうとしたらボコボコに殴られ、こちらへ逃げてきた……。なんで私にはきついんだ? あの女」
顔を上げ曇ったメガネを直しているライノスの肩をソールがねぎらうようにバシバシと叩いた。まあ、自業自得だよね。
どうやら予定していた計画がダメになったようで三人は頭を抱えている。
あほらしくなった僕は先に上がると告げて露天風呂を後にした。
◇
浴場を出ると休憩室にティの姿は見えなかった。そういえば約束をしてなかった事を思い出した。
久しぶりの一人。
湯冷ましにホテルの庭園をぶらつく。散歩するには少し狭い感じのする大きさだ。
全体の広さを誤魔化すために迷路のように木々が配置されている。
きちんと手入れされている庭園には噴水が配置されており、LEDで上品にライトアップされていた。
循環している水の配管を考えながら近くのベンチへ腰かける。
装置類は地下に集中してるのかなと想像で導線を巡らす。はっと気がつき仕事じゃないのに気にしている自分に苦笑いしていた。
「白滝さん?」
呼ばれた方を向くとそこには浴衣姿の新菜さんがいた。
「新菜さん!? どうしてここに?」
「長湯をしたので涼みに来たのですけど奇遇ですね」
嬉しそうな新菜さんが僕の座っているベンチの空いている方へと座る。
なにかこういう場面になると照れくさくなる。なにか話題をと考えている内に新菜さんが先に口を開いた。
「久しぶりですね、こういうのも」
「あー確かに。ちょうど新菜さんと出会った頃を思い出すね」
「ふふっ、そうですね。初めて会った時は驚きました。私のことがバレ……」
言いかけてハタと気がついた新菜さんが慌てて下を向く。何があったの?
「バレ?」
「ち、違うんです! 私のことがバレリーナって思われたらどうしようって!」
「ええぇ!? いや、思わないけども」
「で、ですよね!」
アハハと愛想笑いで新菜さんが顔を向けた。でも耳が赤くなっているから恥ずかしいのかな。
その時、近くの茂みから何かが出てきた。
「ニャー」
昼間会った黒猫が僕たちの前へと現れる。驚いて声をかけようとすると素早く僕の膝の上に乗って来た。
「…こんばんは。どうしたのかな?」
少しドキドキしながら聞くと頭を傾ける黒猫。わかってないっぽいな。
ニャンと鳴いて膝の上に座った黒猫はくつろぎはじめた。意外そうな顔で新菜さんは猫を見つめている。
「不思議ですね」
「ホントだね。どうしてだろう?」
新菜さんの言葉に相づちを打つ。すると新菜さんは困った顔で僕を覗き込んだ。
「違いますよ、白滝さんの事ですからね。体質なんですか?」
「何を言っているのかわからないんですけど……」
「霧谷さんの件といい、この猫の事といい、何か隠してませんか?」
新菜さんが真剣な表情で迫って来る。僕自身の事とは思わなかったし、まったく心当たりがないんですけど。
「い、いや、全然、何も! 新菜さんに隠し事なんてないよ!」
慌てて取り繕うが疑いの眼差しで僕をジッと見ている。
やがてため息をつくと新菜さんは微笑んだ。
「まったく、白滝さんは甘々ちゃんですね」
「そうかな。全然褒められている気がしないけど」
僕がそう言うと新菜さんは苦笑していた。
くつろいでいる猫をなでながら、新菜さんとたわいもない話題を取りとめもなくしていく。
まるで出会った頃、頻繁に会ってコーヒーショップで話しをしていた事を思い出しながら。
会話の途中で不意に新菜さんは口を閉じると、外灯の明かりが届かない暗がりに注意を向けている。
どうしたのかと聞く前に彼女が暗がりに声をかけた。
「誰です? 出てきなさい」
すると明かりの下に紺色のバーカーを着た若い男がスッと出てきた。
「驚いたな俺を認識できるなんてさ。ちょっとそこの彼に用があるんだけどさ」
「僕に!?」
男が近づいて来る。初めて見る相手だし、全然面識もないのに……。
新菜さんが警戒しているのか座る位置を変えた。膝の上に猫がいるため僕は動けないし、黒猫は頭を上げて男を見ていた。
「鈴木!!」
どこからか知っている声が聞こえてきた。
鈴木と呼ばれた若い男は声のする方へと向き、僕たちも視線を注ぐ。
ちょうどそこには霧谷さんが走ってきた所だった。チッと鈴木が舌打ちをする音が聞こえた。
「何でここにいるの!?」
問い質すように霧谷さんが鈴木に近寄る。
「全くついてないなぁ。目撃者が多すぎ。これ以上、仕事の邪魔をしないでくれるかな?」
「目的は何?」
「……君には関係ないことだ」
鈴木は両手をだらりと降ろして僕たちを睨みつけてくる。場の雰囲気が寒々しく変わってきた。
な、何かが起きているのかわからないが口を真一文字につぐんだ霧谷さんが頬に汗を流している。
すると黒猫が立ち上がり、尻尾をピンと伸ばし毛を逆立てて低く唸ってきた。立てた爪が太ももに食い込んで地味に痛い。
「大丈夫ですよ。大人しくしててください」
隣の新菜さんが語りながら優しく黒猫の背中をなでると尻尾が下がって爪が引っ込んだ。
目の前にいる霧谷さんと鈴木はお互い対峙したまま動かない。
何か見えない戦いが行われているようだが空気が冷たくなったような感じしかわからない。
僕の表情で何か感じたのか新菜さんが手を重ねてくる。
「大丈夫ですよ」
見ると微笑んでいる。というか、黒猫と同じ扱いなのが気になった。
対峙している二人を見るとニヤリと霧谷さんが口元をゆがめている。
フッと場の空気が軽くなると同時に鈴木がヨロヨロと数歩下がった。
「……まったく驚きっぱなしだ。今日は引き下がるとしよう。またな!」
背後の木々に隠れるように鈴木は姿を消した。
完全に消えた所で霧谷さんが大きく息を吐き新菜さんに近づく。
「ありがと」
「いいえ。大丈夫ですか?」
「平気」
笑顔で霧谷さんが新菜さんと言葉を交わす。二人の間で何かがあったのかな。
どうやら僕のポカンとした顔に気がついたようで新菜さんがクスリと笑って説明してくれた。
「私が少し霧谷さんに加勢したんです。彼には気づかれないようにして」
「あー、なるほ…」
「シラ兄!」
言い終わらないうちに突然後ろからティに抱きつかれた。
「お風呂から出たらいないんだもん! ひどいよ!」
「ティ!? ごめん。でもすぐに見つけたんだろ?」
「へへへ~」
愛想笑いで誤魔化している。当たってたんだな。
霧谷さんを見ると片手で汗を拭っていた。ハンカチを渡したかったけど、あいにく浴衣だった。
「ところで彼は誰なんだ?」
「うーん、アタシもよくわからない。たぶん政府の者ね。今日会ったばっかだし」
「えぇ!? 大丈夫なの?」
「たぶん、ね」
両肩を上げて仕方なしに霧谷さんが答える。いいのか?
「きっと後で大谷教授に連絡がくるでしょ」
「そんなものなのかな?」
心配して聞くとフフフと笑みで返された。はぁ~、何か問題が増えた気がする。
とりあえず黒猫を降ろしてお休みをして別れた後、皆でホテルへと戻った。
「ところで原因はあの猫なのかな?」
「たぶんね」
「何故この国の政府が関わるのかが不思議ですね」
霧谷さん、新菜さんと話しながらホテルの廊下を歩く。
結局のところ、霧谷さんも情報がないのでわからないみたいだ。
組織の上官の人に聞けばわかりそうだと言っていた。
パーカーの彼、鈴木という名前は偽名で霧谷さんと同じ超能力者らしい。だから特別な組織に属しているはずと霧谷さんは断言していた。
なんというか、新菜さんたちの魔法ですら現実離れしているのに、さらに超能力も加わったらますます混沌としそうだ。
僕の周りには凄い人だらけで、何もない自分の立ち位置を考えてしまう。
今度、大佐に掛け合って専用の防具を作ってもらったほうがいいのかもしれない。
少なくとも自分の身を守れればティや新菜さんたちの負担が減るだろうから。
部屋までティが僕にベッタリだったのを見た新菜さんが何故か膨れている。
その様子を霧谷さんは苦笑いで見ていた。
思わぬ騒動に冷や汗をかいたので部屋のバスルームを使って軽くシャワーを浴びる。
せっかく温泉を上がったばっかりなのに再び戻るのも面倒だし、明日入ろう。
部屋のベッドに座ってくつろいでいるとティが隣に来て腰を降ろした。
何か言いたそうな顔をしている。まだ僕が先に浴場を出たのを根に持っているようだ。
ティの肩を抱いて謝る。
「ごめんね。次は僕が先に上がったら待ってるから」
「もー、謝んないで! ご主人なんだから…」
そう言いながらもティが嬉しそうに身体をあずけてくる。彼女の暖かな体温がじわじわと伝わってきた。
少しは機嫌が直ったようでホッとする。
しかし、よく考えると使い魔って何者なのだろうか。
見た目は僕たち人間と変わらないのに力持ちだし魔法も使える。
それでいて小さな人形にもなってしまう。
不思議だ……。
ティにまつわるアレコレを考えている内にいつの間にか横になって寝てしまった。




