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第27話 出現

 日本国民の7割以上がテレビを見ていた。

 これを嘘だ、作り物だと疑う者はもはやいなかった。

 一つの例。ある地方都市のある一家族。

 50代の夫婦と二人の娘たち。姉は東京の大学に進学してそのまま向こうで就職し、妹は同じく在学中だ。姉は5年、妹は2年実家に帰ってきていなかったが、二人とも今日の夕方8時間掛けて帰ってきた。そこまで不便な土地でもないが、石油湧出の影響で運行停止の路線が全国各地に広がっている。二人とも文句たらたらだったが、それでもこうして帰ってきてくれたのだから両親はひどく喜んだ。

 家族4人でテレビを見た。紅倉美姫が死んだ。思わず目を背ける悲惨な死に方で。その映像がテレビに流れているのが驚きだ。そして更にとんでもないものが流れてしまった。ドロドロ。4人ともすっかり無言になった。

「どうなってしまうのかねえ・・」

 ようやく父親がため息まじりに言った。

「どうにもなんないよ。あーあ、悪い時代に生まれちゃったなあー」

「ほーんと、貧乏くじだよねー」

「おいおいおまえたち、すっかりあきらめて達観してるんじゃないよ。もっと若者らしくだなあ」

「若者はみんなクールなの。だいたいもともと夢も希望もない社会じゃない?」

「そうそう。ジタバタしたってなるようにしかならないもんねー」

 はあー・・、と父親はため息をついた。

「なんでこんなことになってしまったのかねえ・・」

「ねえ、ちょっと」

 母親が慌てて言った。

「ねえ、臭くない?」

「俺はやってないぞ」

「オヤジギャグ〜」

「つまんないこと言ってんじゃないわよ。ほら、臭うでしょ?」

「おかしいな、この辺りに石油は涌いていないはずだが・・・」

 わっ、きゃあっ、と4人とも飛び上がった。畳からじわじわ茶色く、黒い、液体が染み出してきた。

「ああ、おしまいだあ・・」

 テレビではかわいらしく憎々しい幼い魔女姉妹が手を振っている。

『バイバーイ』

 バチッとブラウン管が火を噴いた。

「ギャアアッ!・・」

 感電して頭から煙を噴きながら4人ともベチャリと畳の上に倒れた。染み出す石油が4人の体を浸していく。

 変化が起きた。

「・・キュル・・、

 キュルキュルキュルキュルキュルキュルキュル・・」

 4人とも眼球が雲って破裂し、中から赤い襞襞がはみ出してきた。頭から背中にかけてツーッと赤い線が走り、皮膚がめくれた。中から触覚のように神経が伸びてきて・・・

 4人は魔界の住人に変身して外へさまよい出た。その姿は紅倉の説明に依れば魔物の幼生であるらしい。外には各戸から出てきた近所の人々がやはり魔物の幼生の姿でさまよい歩いていた。家々は、石油が染み渡って真っ黒になり、ぬめぬめ溶けだし、太古のジャングルの姿へ変貌していった。

 魔界が、出現した。

 フラフラさまよい歩いていた幼生たちは、やがて全員が一つの方向を定めて歩き出した。その先に何があるのか?・・・・




「死んじゃった・・・・・?」

 馬木たちは思わず互いに顔を見つめ合い、それが事実であることを確認し合った。

「紅倉美姫さんが・・・・死んだ?・・」

 何故だ? 信じられない! あの人は無敵のスーパー霊能力者ではなかったのか?!

「そんな・・、じゃあ俺たちはどうしたらいいんだ!?」

 何事が起きるのかと緊張し、じっと息を詰めてテレビを凝視し続けていた。それなのに、何も起きないまま紅倉さんは・・死んでしまった・・。それもあまりにひどい死に様だった。かすみは硬く目を閉じ、耳を両手で押さえ、馬木にすがりついていた。馬木も心臓をドクドク脈打たせながら必死に震えを堪えてかすみの肩を抱きしめていた。

 葉子が出現した。

 体は葉子だ。いや体は知らないが、顔は葉子自身に間違いない。しかし中身は葉子ではない、断じて!

 魔物・・。裸の全身をドロドロに赤くぬめらせて、バケモノの姿をしていなくても十分に魔界の悪魔だ。

 悪魔の出現をテレビが映してしまったという事実、それを全世界が目撃したという事実、それは人間の敗北と言うより、神の敗北ではないか?

 世界中の人間がそれぞれ自分の神に祈っていることだろう。しかし、過去どんな悲惨な状態に人間が陥っても、その願いを聞いて神が救済に現れたことは一度もない。

 うわあ、きゃあ、と悲鳴が聞こえた気がする・・。

「体育館かな?」

「外のような気もするけど・・」

「みんなこのテレビを見ているのよ」

「そりゃそうだろうけれど・・、なんかおかしくないか?」

「ちょっと見てこようか?」

 角谷が椅子を引いて立ち上がろうとしたとき、突然すごい勢いで戸が閉まった。前の出入り口も。

「おいっ、誰だ!?」

 角谷は戸に飛びついて引き手に手を掛けた。しかしいくら力を込めてもビクともしない。

「ちくしょう・・、窓だ、急げ!」

 ここは2階だが、飛び降りても死にはしないだろう。だが、全開だった窓もひとりでに全部ピシャン!と閉じてしまった。

「閉じ込められた!」

 馬木たちも立ち上がっている。馬木はすがりつくかすみを抱きしめている。由利先生は椅子を振り上げ猛然と窓に投げつけた。ビシッとひび割れ、角谷の第2撃で派手な音を立ててガラスは外に砕け散った。

「逃げよう!」

 駆け寄った窓際で、4人は固まった。

 いつの間にか中庭の地面は真っ赤なハマナスの花畑に覆われていた。

「におい!・・」

 ツーンとガソリンの臭いが強烈に立ち上ってきた。赤い花が真っ黒になって溶けだした。蛍光灯が明滅した。ビシッとすごい音がして閃光が走った。テレビだ。画面が真っ白になって中央が黒く焦げている。ブラウン管が破裂したのだ。スピーカーからブー・・ン・・・、と電子音が漏れている。

「きゃっ!」

 かすみが悲鳴を上げて馬木の背に隠れた。

 真っ白になった画面から白い煙が涌いてきたかと思ったら蛇のようにスルスルッと前方に伸びた。そこに、机がある。

 煙はそこにガラスの容器があるように丸く対流し、濃くなっていき、形を作っていった。

 ギョロッと眼を剥いた。

「!・・・・葉子!・・・・・」

 葉子だった。葉子の生首。かすみが怯える。白一色から髪の毛、唇、肌に色が付いていき、生々しい姿となった。

 葉子は馬木の背に隠れるかすみを恐ろしい目で睨むとビュンと天井まで舞い上がった。長い首がテレビの画面につながっている。ろくろ首だ。

「先輩。ダーリンと何してんのよー?」

 シャーッと蛇みたいに口を開いてかすみ目がけて襲いかかってきた。

「きゃあっ!」

「あぶない!」

 馬木はかすみをかばって身をかがめた。葉子がガチンと歯を鳴らして元の位置に返っていった。

「ダ〜リン〜・・」

 恨めしそうな目で今度は馬木を睨む。

「ひどいわ。あたしが死んじゃったからって沖浦先輩に乗り換えるなんて〜」

 馬木は歯をガチガチ言わせてなんとか言い返した。

「む・・無茶言うなよ。おまえ、自分が死んでるって知ってるんだろう?」

「だったらなによ〜?」

「冷静に考えろ、おまえ、死んでるんだぞお?」

「些細なことよ。二人の愛に変わりはないわ」

 葉子はニッと笑うと「ん〜」と唇を突き出して迫ってきた。馬木はヒッとよけた。

「ダーリ〜ン。照れないでよー」

 ん〜、と再びキスを迫ってくる。

「やめろおっ!」

 避けざま思わず手でパチンと払いのけた。べちゃっとぬめりが感じられた。

「・・・・・・・・」

 葉子はじっと恨めしそうに馬木を見つめた。

「・・・・なあ、おまえにはかわいそうだけどさ、ふつうに成仏してくれよ? 葉子には生きていてほしいって俺もずっと思ってたけどさ、残念だけどさ、おまえはもう死んでいたんだ、最初から・・。頼むから、かわいいままのおまえでいてくれよ? 俺はおまえが本当に好きだった。本気だった。だから、俺におまえを好きなままでいさせてくれよ?」

「・・なによそれ・・。じゃあわたしが行方不明の間どうして沖浦先輩といちゃいちゃしてたのよ?」

「いちゃいちゃなんてしてないよ」

「してたじゃない! 二人で仲良く楽しそうに話して! わたしの悪口言ってたじゃない!?」

「な、何言ってんだよ? そんなこと言ってないよ」

 妄想だ。

「言ってた! わたし知ってるんだから、沖浦先輩はずっとダーリンのことが好きで、わたしをずうっと恨んでたんだから。わたし先輩とも仲良くしたかったのに、先輩わたしのことずっと無視してたじゃない!? わたし・・、みんな知ってんだから!」

 馬木は困惑した。かすみが葉子にそんな態度を取ったことなんて、自分が知る限りでは、ない。が、ギュッと背中を掴んでいたかすみの手から力が抜けた。

「かすみ?・・」

 かすみはうつむいていた顔を上げるとキッと葉子を睨んだ。

「そうよ! わたしはあなたなんか大嫌いだった! なによかわいこぶりっこして! わたしの馬木君を取って! あんたなんて、とんでもないド淫乱娘じゃない!? 馬木君の叔父さんと、あんなことして!!!」

 馬木はギョッとした。なぜかすみが叔父さんのことを知っているのか? かすみは葉子に負けじと睨み合っている。この目も異常だ。馬木の知っているかすみではない。

 ふと、かすみの髪の毛が静電気を帯びたように数本フラフラ立っているのに気付いた。その先がごく細い蜘蛛の糸のような物につながっている。つながっている、葉子の生首と!

 馬木は慌ててとっさにかすみの髪の毛を払った。かすみはハッと夢から醒めたような顔になって、ヒイッと震え上がった。

 葉子は、般若のような顔で激怒をたぎらせている。

「よくもよくもよくも・・・・・・・」

 かすみの発した言葉は葉子の生首と連結された葉子の脳波が伝わったものだろう。叔父さんとの関係は・・、葉子の最も触れられたくない、最も忌まわしい記憶だったのだろう。

 全身の皮膚がチクチク痛んだ。葉子の激怒が針になって突き刺さってくるようだ。

「おまえ!殺すっ!!!!!」

 カッと開いた口に針のように細く尖った歯がぎっしり生えていた。目玉がジョーズの様にクルッと真っ黒にひっくり返った。

「ガアーッ!」

「きゃあああっ!」

「ひやあっ!」

 襲い来る葉子から馬木とかすみは必死となって逃げ回った。角谷が叫んだ。

「オット! リーチだ! 葉子ちゃんの首は部屋の隅までは届かないぞ!」

 そういう角谷は窓際の隅で由利先生を守っている。馬木もかすみをかばいながら廊下側の隅へ逃げた。ガチンと葉子の顎が鳴って、2度3度繰り返したが、なるほど、テレビから伸びた葉子の白い首はギリギリ部屋の隅までは届かないようだ。葉子は人間の目に戻ると恨めしそうに角谷を睨んだ。

「カク先輩〜、よくも邪魔したわね〜?」

 葉子は首を伸ばすと窓枠にかじり付き、ズルズル頑丈なテレビ台を引きずった。

「ひい、やばい!」

 角谷は慌てて由利先生を連れて馬木たちのいる側の隅に走ろうとしたが葉子が先回りして逃さなかった。馬木は叫んだ。

「葉子!やめろ! そいつに何かしたら、絶対に許さないぞ!」

 葉子が真っ赤に充血した目を向けた。泣いている?

「ダーリン・・。わたしのこと本気で愛してくれていると思ったのに・・、わたし、本気だったのに・・」

「俺だって本気だったってば」

 かすみがギュッと馬木の背中を掴んだ。一瞬背中を気にして、葉子の顔が怒りを噴き出した。

「もういい・・、ダーリン殺してわたしも死ぬ!」

「おまえは既に死んでいるだろう?!」

「ダーリンのバカあ〜っ!」

 葉子は泣きながらまたバケモノの顔に変身して馬木目がけて飛んできた。首がピーンと伸びきり、ガッシャーン!と派手な音を立ててテレビ台が転倒した。引きずられて葉子は顔面を机の角にしたたかに打ち付けた。お化けでもこれは痛い。顔を上げた葉子は血こそ流していないけれど額が割れて白い繊維のような物が覗いていた。

「許さない・・」

 ガタンガタンと固定したテレビ台ごとテレビを引きずって迫ってくる。机に引っかかって、葉子は歯を食いしばって首を引っ張る。力を込めるたびバケモノの顔が浮き上がってくる。だんだんあのビデオのお化けの顔に近づいてくる。

「葉子! 頼むから、もうやめてくれ!」

「ぐぐグググ・・、キュル・・」

 一瞬だが完全にバケモノ化した。

「やめろ・・」

 ガコンガコン。机を盛り上げながら迫ってくる。

「もう、やめろ・・」

 だんだん哀れになってきた。そこまでしなくてもいいだろう?

「あっ・・」

 何を思ったか由利先生が部屋の前方に走った。?と葉子も振り返る。

 先生は、テレビのコンセントを抜いた。

「あ・・・・・」

 まるで電気が切れるように葉子の目が白くなり、がっくりとうなだれた。

「うっそー」

 当の由利先生が驚いている。

「まさか本当に上手く行くとは思わなかったなあ」

「もう、先生、無茶しないでください!」

 と言いつつ角谷も葉子のつながったテレビ台をよいしょよいしょと前方に引っ張った。

「おーい、戸はどうだ? 開くか?」

「あ、ああ」

 呆気にとられていた馬木は戸を引いた。動かない。

「駄目・・」

 その戸がドンッ!と叩かれて馬木は飛び上がった。

「おーい、どいてろ、蹴破るぞ!」

 と言いながら戸を突き倒して丸い筋肉質の体が肩から転がり込んできた。

「あら、あなた?」

「や、これは先生、どうも!」

「この人テレビのディレクターさん」

「ども、等々力です!」

 ひげモジャの熊みたいな男だ。

「なんだかよく分からんですが、逃げましょう!」

 馬木たちはとにかく廊下に出た。階段に向かって走る。下に向かおうとすると、

「そっちは駄目です。上へ」

 と言うので上へ向かった。

「下が駄目ってなんで?」

「下は、全滅です。やられました」

「やられた?」

 3階に上がり、屋上に出た。外に出た途端ガソリンの刺激臭が強烈にまとわりついてきた。

「どうなってるんだ?」

 金網から外を見ると、世界の様相は一変していた。

 真っ黒だ。通りの建物が真っ黒に染まって、形を変えていく。お化けのように巨大なソテツや椰子の木に。地面にはわさわさ濃いグリーンのシダ類が。そしてドロドロにぬめった道には、ゾンビのように手を突きだしゆらゆら歩く人々が。

「キュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュル」

「キュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュル」

 テープの早回しのような声を立てて何かと交信している。

「始まっちゃったんだ、魔界化が・・・・」

 かすみが顔を押さえて泣いた。彼女の家はすぐ近所だ。その辺りも、景色が変わっている。

「いずれこの建物も・・」

「ええ。体育館の方は既に」

 あきらめが一同を支配した。

 馬木はかすみの肩を抱き、頭を胸に抱いた。

「せめて、最期までいっしょにいような」

 かすみは頷いた。馬木は葉子にわびた。やっぱり生きている女の方がいい・・。

「先生・・」

 角谷も由利先生と見つめ合っている。由利先生はため息をついて、微笑んだ。

「しょうがないわね、こうなっちゃ。万事休す。かわいい男の子といっしょだからよしとするか」

 角谷は不満そうに先生を睨んだ。

「俺、本気で由利先生が大好きなんですよ」

 かすみが泣くのも忘れてまあ!と顔を上げた。

「まいったなあ・・」

 由利先生は照れ隠しに頭を掻いた。

「ハアッ・・・、じゃ正直に白状するけどね・・」

 うわっと等々力が悲鳴を上げてかすみが睨んだ。ムードぶちこわしだと。

「ここも来た!」

 金網が黒く染まってドロドロに溶けだした。

「馬木君!」

 かすみが抱きついた。

「イテ」

 胸に何か硬い物が・・

「あ、すっかり忘れてた」

 紅倉さんからもらった銀の女神像だ。

「効果あるのかな?」

 本人が死んじゃったので望み薄な気がするが?

「とにかくやってみるしかないわね。えーい、この女神像が目に入らぬか!」

 黄門様の印籠よろしく由利先生は今や金網を溶かしコンクリートの床を這ってくる黒いしみに向かって女神像を突き出した。

「あらあー、やっぱり駄目みたい」

 やはり全てが終わってしまったのか?

 角谷が先生に詰め寄った。

「先生、さっき言いかけたの、なんです?」

「えっとー、あのねえ・・、ああ、もう駄目・・」

 じわじわしみが迫ってくる。

「先生〜、教えてくださいよお〜!」

 死んでも死に切れまい。

「実はね」

 真剣に向き合ったその時、

「おい! こっち!」

「もう!またっ!」

 またも等々力が邪魔をした。

「こっち! 見ろ、あそこだけ白いぞ!」

 皆、金網のドロドロに触れないように背伸びして下を見た。さっきまでいた視聴覚室、C塔の屋上だ。C塔は2階までで、その上はここA棟とB棟を結ぶ渡り廊下になっている。

「なんでだろう? 紅倉さんが何か仕掛けておいたのかな?」

「もう!なによお! じゃああそこから動かない方がよかったんじゃない!?」

 もう階段からはガソリンの臭いが濃厚に立ちこめている。

「ううむ、めんぼくない。・・で、どうします?」

「どうするってったって・・、ここにいたんじゃあ・・」

「行くしかないか」

「でも・・、行けるかなあ?・・」

 こちらからあちらまで段差は3メートルくらいか? しかしへりの方は石油の浸食が進んで足場には出来ない。ギリギリまで助走をつけて一気に飛び降りるしかない。そうするとかなりの衝撃が予想される・・。

「じゃ、わたしが先に行きますか」

 等々力が助走体勢に入った。

「体力には自信あるんですがね、体格的には不利だな。ま、上手くいったらおなぐさみ。じゃ!」

 おりゃあ!とかけ声勇ましく等々力はドスドス走ってへりの2メートルほど手前から60センチほどの塀を飛び越えた。

「うわあああ・・・」

「等々力さん!」

 等々力はむっくり起き上がった。

「いててて。おーい、やったぞお! さあ、来い!」

 受け止めてやる!と言った具合に両手を開いて身構えた。

「誰が行く?」

「馬木君、沖浦さんといっしょに飛びなさい」

 由利先生に指示されて馬木はかすみと強く手を握り合うと頷き合った。

「行くぞ!」

「うん!」

 それっ!と走って、思いっきりジャンプした。

「うわあっ」

「きゃあっ」

 塀を飛び越えると真っ逆さまに落下する感覚がした。

「どすこい!」

 等々力が二人を受け止めると後ろに倒れてクッションになってくれた。

「さあ次!」

 角谷はしっかり由利先生の手を握った。すごく気力が充実して、正直すごく嬉しい。

「先生、行くよ」

「ええ」

 二人も揃って走った。

「それっ!」

 ジャンプ。が、

「あっ!・・」

 突然由利先生の足元のコンクリートがドロッと溶け落ちた。

「きゃあっ」

「先生っ!!!」

 角谷は塀を蹴って舞い戻った。

「ああ・・・」

 由利先生は脚を這い上る異様な感覚に声を上げた。

「先生、しっかりして!」

 角谷は急いで先生をコンクリートの黒い裂け目から引き戻した。先生の脚にねっとりしたタールがまとわりついている。

「くそおっ」

 角谷は狼狽してそのタールを振り払おうとした。

「ダメ! 触っちゃ・・駄目よ」

「俺が先生を担いで飛びます」

「無理よ。ご覧なさい、どんどん足場がもろくなっているわ」

 たしかに黒い裂け目が広がっていっている。下を通る鉄骨が先に浸食されたらしい。

「行きなさい」

 由利先生は優しく角谷の頬に触れて言った。

「君たちは最期の最期まであきらめないで、生きて」

「いやだよ、先生、なんでそんなこと言うんだよ?」

「大人が子どもを守るのは当たり前のことじゃない」

「俺はもう子どもじゃない! 先生が、好きなんだ!」

「困った子ね」

 由利先生は体を起こすとメガネを取って角谷の首を抱き寄せて唇を重ねた。舌がねっとりと角谷の口の内部を舐めた。唇が離れると角谷は真っ赤になっていた。

「行って」

「イヤだ!」

「ファーストキス?」

「うん・・・」

「初恋ってね、実らないものなのよ」

「知るかそんなこと」

「実はね、あたしもう25なの」

「だからなんだよ?」

「あのねえ、あなたが22歳で大学を卒業したら、あたしはもう30歳よ? もうわたしはそういう歳なの」

「知らないよ、そんなこと。俺は先生がいいんだ!」

「お願い、もう行って」

「やだ」

「お願い、もう、駄目なの・・」

 先生は苦しそうに言った。角谷も分かっている。先生の腰までもう真っ黒になっている。先生は角谷を突き飛ばした。実際そんな力はもうないが、角谷は拒絶されたようによろめいた。

「ちくしょう・・、なあ神様、女神さま! たすけてくれよ?!」

 角谷は女神像を握りしめて祈った。

「カク君・・」

 しかし、神が人間を助けることはない。

「カク君・・」

「ちっくしょおっ!」

「カク君。わたしもあなたが好きだから、ね? 憧れの素敵なお姉さんのままでいさせて、お願い」

 角谷はゆらりと後ろに下がった。先生の首筋まで黒い筋が這い上ってきている。先生は微笑んで、頷いた。角谷は走って、飛んだ。

「先生! 好きだあーっ!!!!!!!・・・・」

 降り立った角谷はボロボロ涙を流していた。かすみも口を覆って泣いていた。馬木は、怒りに身をブルブル震わせていた。

「なんでだ、なんでこんなことになった・・。ちくしょう、誰のせいだあっっっ!!!!!!」

 うわっと等々力が声を上げた。

 葉子の生首が金網の向こうに伸び上がってきた。すっかり顔がグロテスクに変形している。真っ黒な目玉のバケモノの顔でニタッと笑った。

「ダあ〜リい〜〜ンん」

「・・・・・・・」

 馬木は睨み付け、どうしようもない怒りを込めて銀の女神像を葉子の顔目がけて思い切り投げつけた。

 カッ!、と天から閃光が走った。

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