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第17話 黒い柱

 1時間以上が過ぎた。何事が起きるのかと見守っていたマスコミスタッフにも疲れと飽きが見え始めた。この砂浜に一般人の姿はまばらとなった。海に入ろうとする者もいない。

 呑気にお茶を飲んでいた由宇が嬉しそうにニタリとした。

「時来たり」

 突然、猛烈な勢いで上空を舞っていたカモメたちがいっせいに海面向かって突っ込んでいった。狂ったように貝をついばみ、殻を砕き、はみ出た肉を食らった。カモメたちは繰り返し繰り返し海に突っ込み、貝を食いまくった。やがて、バタバタと落ちだした。痙攣を起こし、血を吐いて動かなくなった。それでも生きているカモメたちは貝を食い続け、同じ運命を辿っていく。何かが、彼らの野生の勘を狂わせている。

「あははは」

 哄笑して由宇は立ち上がった。

「見なさい、鳥たちも自ら死を望んでいる。この世の終わりを知ったのよ!」

 鋭い目つきで丘の上を仰ぎ見た。

「行くわよ。永遠に語り継がれる瞬間を見たかったらついてきなさい!」

 口調はいつもの由宇に戻っている。しかしまとうオーラは圧倒的だ。もはや何人も逆らうことを許されない。等々力もゾロゾロ連なる一行に混じって歩き出した。三津木ディレクターにすまんと謝りつつ、もはやどうすることも出来ず、自棄だ、全部この目で見てやろう、カメラに収めてやろうと思っている。

 背後の砂浜には腐った貝を食って中毒死したカモメたちが山となっている。今度はそのカモメをカラスたちが寄ってきてむさぼり食っている。いずれ彼らも食らっているものと同じ運命を辿ることだろう。白く焼けた砂浜が汚れ、悪臭の湯気を立てている。地獄だ。

 林の中は蝉たちが狂ったように鳴き立てている。ボトリと地面に落ちた。なおジージー鳴いてクルクル回り、ようやく動かなくなった。いかに短い生を燃焼させているにしてもこの耳を圧する声量は異常だ。

「なにやってんのよ」

 先頭を歩く由宇が振り返って叱った。

「あんたらが先に行かないで誰がわたしを撮るのよ?」

 等々力は慌ててスタッフを引き連れて由宇の先に走った。坂道だ、等々力は振り返り振り返りして上った。木枝をくぐり抜けた強い陽光がまるでスポットライトのように由宇の顔を照らし出した。目の力が異様に強い。等々力は初めて由宇を美しいと思った。鬼神の如き。

 林を抜けようというところであっとカメラマンがこけた。

「何やってんのよ、馬鹿!」

 由宇はかまわず追い越していく。あおりの画になる。逆光が神々しくもある。カメラマンをこけさせたのは赤いハマナスだった。こんなところまで侵攻している。見ればアパートの駐車場のアスファルト、土台のコンクリートまで、張りだした根に押し上げられてひび割れ、めくれ上がっている。わずか1時間ほどで、凄まじい繁殖力だ。

 由宇が歩くと割れ目から芽が息吹き、あっという間にトゲトゲの茎を伸ばし、緑の葉を茂らせ、つぼみを膨らませてパッと音を立てて真っ赤な花を咲かせた。次々血の花を咲かせながら由宇は歩いていく。

「何してる、追うぞ!」

 呆然たる面持ちのスタッフをせき立てて等々力は由宇を追った。再び前に回って正面から捕らえる。力強く自信に満ちた顔はもはや別人だ。ついに家の敷地に着いた。あの世の景色だと等々力は思った。燃えている、真っ赤に。その紅蓮の炎になぶられて家を取り囲む青いシートがバサバサ揺れている。その上空に立ち上る陽炎はますます濃く黒くなっている。

 さあ、神の憑いた岳戸由宇は何をするか?

 しかし由宇は家を見てじっと沈黙した。沈黙が長く続く。等々力が不審に思ってよくよく見ると、脚が震えている。

「先生・・」

 顔が、唇が真っ青になって、歪んでいる。土壇場で元の由宇に戻ってしまったらしい。チャンスだ!と等々力は思った。今を逃して由宇をこの場から引き離す期はない!

「先生、離れましょう」

 カメラを無視して由宇の腕を掴んだ。力ずくでも連れ出そうと思った。ドスン!、と、腕に重い物が落ちて等々力はショックで頭がしびれた。自分の腕が切り落とされた幻覚を見た。それは幻覚であったが、腕は固まって動かない。裸の腕が見る見る青く鬱血していく。ゆらゆら、黒い武者の亡霊が見える気がした。刀を構えている。等々力の腕を噴き出した血がぬらぬら滑らかな刃を流れ落ちていく。

「せ、せんせえ〜・・・」

 ボタボタ汗を滴らせて苦しい声で言った。由宇は泣きそうな顔をしている。さっきまでの自信満々の顔とは対照的だ。この顔は等々力はよく知っている。美崎優であった頃の顔だ。よく心霊スポットでいじめてこんな顔をさせたっけ・・・・。

「優ちゃん、逃げるんだ・・」

 ドスッと武者の刀が等々力の胸を突き刺した。

「優ちゃん・・・、に・・、逃げろおお〜・・・」

 等々力は崩れ落ちた。流れていく視界の中で美崎優の涙を見た。

「ごめんよ・・・・」

 視界が暗くなって、等々力は意識を失った。


「等々力さん?・・・」

 由宇はしゃがんで手を伸ばそうとした。その手を真っ白な女の手が取った。由宇は戦慄した。黒の絹地に豪華な金刺繍の着物を着ている。顔を上げるのが怖い。

「由宇」

 耳に声を聞いて由宇はビクリと顔を上げた。ヌイ姫の美しい顔が微笑んでいた。

「ぬ、ぬい・・、ヌイ姫様・・・・」

 ヌイ姫は由宇を立ち上がらせると家を指さし優しく言った。

「さあ、我らが城を打ち立てようぞ」

 嫌だ、と由宇は強く思った。ここで従ったら自分は確実に地獄に落ちる。

 臨兵闘者皆陣裂在前、

 りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん、えいっ!

 由宇はこれでも仏教の修行を積んでいる。心に炎をまとう愛染明王様のお姿を抱いて助けを求めた。しかしその心をヌイ姫の細くしなやかな指が撫でた。

「わらわこそがそなたの愛染明王じゃ。望むまま全てを受け入れよ」

 細い指が優しく由宇の膨らみを撫でる。逆らえない。由宇は受け入れた・・・・


「社長!」

 等々力と付き合いの長いサブチーフが等々力を抱き起こそうとした。由宇は等々力の丸い腹を蹴った。

「この役立たず。肝心なところで熱中症なんかになっちゃって」

「は? あ、そうか・・」

 サブチーフは由宇の乱暴に眉をひそめながらもその説を受け入れ、とにかくもADに重い体を担ぎ上げさせた。

「さっさと車に連れていきなさい」

「は、はい」

 由宇以外にヌイ姫の姿は見えていない。由宇は再び自信を取り戻した顔で家に向き合った。

「禍々しい気を感じます」

 等々力に代わってサブチーフが指揮してカメラがしっかりその晴れ舞台を撮る。

「惨劇の記憶が刻み込まれています。この地で命を絶たれたのは青木雄二さんばかりではありません。過去より延々累々と積み重なった人々の恨みの念が訴えてきます。地下に埋め込まれた怨念が重石に抑えられて成仏できずに苦しんでいます。あの家は重石です。あの家こそ元凶です! 取り除いて地下の霊たちを解放しなければ忌まわしい呪いは次々に犠牲者を生み出していきます。家を、破壊せねば!」

 目を爛々と輝かせ、自分の言葉に酔って、言い放つ。

「破壊せよ! 解放せよ!」

 ADがヒッと怯えた声を上げた。灰色の人間たちがぞろぞろ周囲に集まってきている。なんのコスプレか、男たちはちょんまげを結って粗末な着物を着て、女たちは頬被りをして髪を結っている。背の低い、痩せた男女たちだ。

「あ、足・・」

 古典的に、彼らは足が透けて無かった。幽霊たちだ、真夏の太陽が照りつける真っ昼間から。

「ひ、ひい・・」

 悲鳴を上げつつカメラは彼らを撮った。こんなに間近にはっきり幽霊を撮った映像など、今度こそ正真正銘、ないだろう。別の局スタッフはやはり等々力組ほど根性が座っていない。身の危険を感じて逃げ出そうとした。立ち止まり、震え上がった。道路のこちらからあちらからぞろぞろ灰色の昔の幽霊たちが集まってくる。女性スタッフは悲鳴を上げて頭を抱えてしゃがみ込んだ。幽霊たちはゾロゾロその脇を通り過ぎていく。彼らは家の周りのハマナス畑に集まっていく。

「せ、先生!」

「あはは、あはははははははは。解放だ、解放しろ!」

 由宇は完全に行ってしまっている。

「嫌あ〜、もうこんな人の担当嫌よお〜」

 目立たぬようにそれでも頑張ってついてきていたマネージャーの加納が泣きながら携帯電話を押した。サブチーフが訊く。

「どこへ?」

「紅倉先生よ! 他に誰がいるのよ!」

「はは・・はっ!」

 由宇が目玉を剥き出して加納に気をぶつけた。彼女はヒイッとひっくり返る。投げ出された携帯電話から女の「やめてー、はなしてー!」と泣き叫ぶ声が聞こえた。地獄だ。

 集まった幽霊たちは乏しいながら何か期待を込めた表情で家を眺めている。彼らを従えて由宇は両手を掲げ、言う。

「解放だ、崩れろっ!」

 突如ゴオッと風が唸り、家を囲む青いシートがバリバリとめくり上がり宙に舞った。いっしょに黒い粉が舞った。家は半ば以上崩れていた。表面が細かく動いてる。トタンがガバガバぶら下がっている。柱に蠢いている無数の白いものは、シロアリだった。自然の驚異が、今この瞬間家を一軒倒壊させようとしている。ボロッと、露出した柱が折れた。連鎖的にどんどん倒れていく。スカスカになった柱が屋根を支えきれず、傾き、ガラガラと瓦が雪崩を打って落下した。足元から根こそぎ傾げ、バリバリ、グシャン!、と、家が倒れ、もうもうと木屑のほこりが舞った。

「あははははは、解放だ!」

 幽霊たちも喜んで万歳万歳と両手を上げた。

「あははは・・はは・・は・・・・・」

 由宇は白目を剥いて転倒した。サブチーフが這い寄ると由宇は気絶してなお笑っていた。

「撤収! 撤収だ! 逃げるぞ!」

 駄目だこりゃ。もう手におえん。サブチーフも昨夜紅倉美姫といっしょに神社にいた。昨夜の出来事は悪夢のようであったが、これはもう大スペクタクルだ。こんな面白い見せ物はないが、身が保たない。

「逃げろ逃げろ!」

 由宇を肩に担ぎ、加納を引き立たせて走った。幸い幽霊の群は彼らになんの興味も示さない。由宇の言うふたが開いたということなのか、彼らはハマナスの中に歩んでいった。灰色に覆われた土地が、また赤くなっていく。幽霊たちは進む内どんどん背が低くなっていった。階段を下りていくのではないらしい。ザクリザクリと低くなっていき、ドサリと倒れ込む。鋭いトゲたちに肉をこそげ取られ、力尽き倒れるようだ。それでも彼らの進軍は止まらない。後から後から幽霊たちは押し寄せる。コスプレの時代考証は江戸時代から明治に移ったようだ。年頃も子どもから老人まで様々だ。これはなんなのか? まさかこれだけの人間がこの地下に埋められていたわけではあるまい。第一彼らは外からやってきて、あそこへ向かっているのだ。逆だろう?

 スタッフはアパートの駐車場まで逃げてきた。先に等々力を担いできていたスタッフが青い顔で立ち尽くしている。

「う、撮せ」

 等々力が呻きながら言った。生きていた。バンの後部シートで座席に手をかけてなんとか起き上がった。痛みで顔が青黒くなっている。

「た、他局に負けるな。俺たちの番組だあ・・」

 番組のため、テレビマンの意地。それもある。だが、この様子を紅倉先生に見せなければ。勇気を得た等々力組カメラマンたちがカメラを構えた。

 等々力は車体を伝いながらBNTのバンに向かった。由宇がかつぎ込まれている。

「岳戸先生。大丈夫ですか?」

 肩を揺すっても意識を取り戻さない。等々力はそこにあったペットボトルの紅茶を顔に振りかけた。由宇はうわっとビックリして目を覚ました。

「な、なにすんのよっ!」

「先生! 今の事態が分かってますかっ!?」

「え、なに? なによ?」

 等々力は由宇を車の外に連れ出しその光景を見せてやった。驚いて呆然としていた由宇だったが、やがて嬉しそうに笑い出した。

「可笑しいですか?」

 怖い顔で睨む等々力にまったく反省するところなく言った。

「素晴らしいじゃない! 弥勒菩薩様の下生(げしょう)よ!」

「は、なに? みろくぼさつ?」

 由宇は嬉々として言う。

「この無知な罰当たり。この亡者の群をなんだと思うの? 皆救済を求めて集まっているんじゃない? 弥勒菩薩は救われなかった亡者を救済に現れてくれる未来仏よ!」

 等々力もオカルトのプロだ、思い出した。

「弥勒菩薩ってのはたしか釈迦の死後56億年だかの未来に現れるっていうんじゃなかったか?」

 今は56億年どころか1億年もはるかにたってないだろう?

「56億年が何よ! 終末よ、地獄の口が開いてこの世が終わるのよ! だから今弥勒様は現れてくださったのよ!」

 なんというご都合主義。でたらめだ!

「だからその地獄の口を開いたのは先生でしょう? なんとかなりませんか?」

 由宇はアハハと笑って、等々力を睨んだ。

「バーカ。そもそも人間ごときに地獄にふたをしたり口を開いたり出来るわけないじゃない」

 今度は責任回避か。等々力は虚しくなった。すっかり元の岳戸由宇に戻ってる。おそらく自分が最悪の悪霊に操られていたことなんて覚えていないのだろう。その憑いている霊とセットで岳戸由宇というキャラクターは成り立っているのだ。しかし、とも等々力は思う。忘れていていい。思い出さなくてもいい、と。あの時自分が見た彼女の涙は、あれも本物だったはずだ・・・。由宇はすっかり興奮して得意になって言う。

「全ては御仏のご意志よ。わたしなど小手先の箸に過ぎないわ!」

 その通りなのだろう・・。

 突然、


 ドンッ!


 衝撃が突き上げた。爆弾でも落ちたようだ。地震だ。ドンドンドンドンドン!!!!!! 震度7級の大地震が起こっている!

「うわあっ」

 バンが跳ね上がり、危うくスタッフを押し潰しそうになってひっくり返った。ゴゴゴゴと地の揺れる轟音に混じってパリンパリンガラスの割れる音がした。皆地面に這いつくばった。必死になって頭を抱えた。樹木の裂け軋む音が悲鳴のように上がった。ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・

 ようやく揺れが収まった。恐る恐る立ち上がって辺りを見渡すと自動車が数台ひっくり返り、アパートの窓はほぼ全てガラスが割れていた。脅えながら外を覗いている人影が見えた。

「・・・・・・・・・」

 圧倒された。地面が無くなっている。家の建っていたハマナス畑が、完全にえぐれて深い穴になっている。アスファルトの道路はひび割れて宙に浮き、海側の林は全て倒壊してはるか下まで流されていた。無数にウヨウヨしていた幽霊たちはすっかり姿を消していた。

「あれは、なんだ?」

 大穴の中に、ちょうど家が建っていた辺りに、木の塔が立っている。地下に埋まっていた建造物が土が流れて現れたのだ。土の支えを失って、グラグラ揺れて、崩れた。崩壊するとき、その内部に階段がグルグル巡らされているのが見えた。

 等々力は走った。痛みなど、もう忘れた。

「社長、危ないですよ!」

「俺は見たいんだよ、あそこに何があるか! 今しかねえ!封鎖されたら、もう見るチャンスはねえぞ!」

 カメラマンも走った。みんな追いかけていく。由宇も、白いヒラヒラドレスとハイヒールを忌々しく思いながら、後を追った。

「うりゃ!」

 崩れた急斜面を転げ落ちないように気を付けて滑り降りた。

「社長、待って、撮らせてください」

 カメラマンの到着を待って等々力は散乱する木材を慎重に踏み越えていった。古い木材だ。黒く水が染み込んで、グズグズになっている。太い毛がたくさん生えている。ハマナスの根だ。こんなに深くまで伸びていたのか? 10メートルはある。がれきの中心に小さな部屋があった。そこは崩れておらず、下部が地面に埋もれていた。そこにびっしり根が集中している。等々力は近づき、覗き込んだ。

「・・・・・・・・・・・」

 言葉を失った。

「どけ! どきなさい!」

 由宇がスタッフをかき分け、等々力をどかせて、それを見た。カメラを振り返り、さも自分の手柄であるように胸を張って言った。

「見なさい! これこそが、元凶! バケモノの正体よ!」

 少女が逆さまに突き立っている。すっかりほこりにまみれているが白のワンピースを着ている。ずたずたに裂かれ、裾はめくれ太ももが露出している。逆さの大の字に広げた手足に大量の根が絡まり、それが少女の逆立ちを支えていた。そして、

 少女の頭は黒い物にすっぽりはまっていた。頭部がまるまる飲み込まれ、白いうなじが覗いていた。

 少女の頭を飲み込んだ黒い物、それは、奇怪な姿をした黒いミイラだった。人のようである。首があり、長い髪の毛が生えている。しかしその顔はグロテスクな深海魚のようで、まさにあのビデオのバケモノの顔だった。裸の上半身は人間の女のように乳房があり、腕があったが、首が長く異様になで肩だった。長い首は少女の頭部を飲み込んで丸く膨れている。下半身は、魚のようだった。大きな鱗が覆っている。尻尾にひれもある。だがカエルに変体する途中のオタマジャクシのように強靱な太ももの脚も生えていた。やはり鱗に覆われ、足にひれがついていた。

 人魚。しかしそれは童話の中のロマンチックで美しい姿ではなく、もっと生物としてリアルで、太古の昔の恐竜の仲間のようだった。そして、何より見る者を戦慄させるのが、腹部だった。丸く膨れた腹が裂け、そこから同じ顔をした子どもたちがはみ出していた。3匹。膜の張った大きな目をして苦しそうに口をあえがせたかっこうで黒く固まっている。この人魚は母親なのだ。

 しかし、しかし、この状態はいったいなんなのだろう? いったい何者が無惨にも少女の頭を怪物のミイラの口に突っ込むような真似をしたのだろう? いったいなんのために? 殺人事件のあった家だ、警察の鑑識が念入りに調べたはずだ。この地下へ下りる階段が何故発見されなかったのだろう?

「せ、先生・・」

 等々力が恐る恐る訊いた。

「いったいどうしましょう?」

 由宇は余裕綽々の顔で言った。

「かわいそうでしょ、引き抜いてあげたら?」

 いいのだろうか? まさかこの状態でこの少女が生きてはいまい。現場保存をしなくていいものだろうか? ミシッと地下室の板壁が軋んだ。ここも崩れそうだ。

「ちゃんと撮ったな?」

 カメラマンが頷く。

「手伝え。ミイラごと運び出すぞ」

 等々力とスタッフ3人が地下室に下りた。根がびっしり張っていてクッションとロープになる。人魚のミイラは床に腰掛けたかっこうになっている。現代人とほぼ変わらない大きさだ。せーの、と4人でミイラを持ち上げようとしたが、ミシッとした重量がかかって持ち上がらない。根に押さえられているせいだろうか?

「おい、誰か車からノコギリ持ってこい」

 スタッフが走り、取りあえず缶切りセットのナイフで根を切ろうとしたが丈夫でまるで歯が立たない。ミシリと音がして土がボロボロ崩れてきた。

「社長、拙いですよ、生き埋めになっちまう!」

 等々力はイライラ状況を観察した。地下室は約3メートルの高さ。埋まってしまったら、掘り出すのはそれなりにたいへんだろう。この穴自体全体が崩れてこないとも限らない。

「仕方ない、口を開かせてとにかく女の子だけでも運び出そう」

 等々力はミイラの頭と下顎に手をかけた。ミイラは思ったより肉の重みと弾力が残っている。

「いいか、引っ張り上げろよ」

 他の3人が少女の体を掴む。

「せーの」

 等々力は両手に力を込めた。亡者に斬られた腕が燃えるように痛い。

「ちくしょう・・」

 思った以上にミイラは頑丈だ。いったいどうやって口を開かせて少女の頭を突っ込んだのだろう?

「うおおお・・」

 血管を浮き上がらせて思い切り力を入れた。ミイラなんかもう砕けたってかまうものか!

 動いた! と思ったら、それは予期せぬ逆の動きだった。

「うわあっ!」

 少女の体を掴んでいた3人も悲鳴を上げて飛び退いた。

 ブチ、バキバキッ。

 ミイラが、少女の首を噛み切った。

 ミイラが、動いた、自分で。

 少女の体が根に引っ張られてまるでロケットのように打ち上げられた。ドスンと地上スタッフの真ん前に降ってきた。皆悲鳴を上げて飛び退いた。少女の体に、当然首はついていない。食われてしまった、ミイラの怪物に。

 ミイラは、ゴクリと少女の頭を飲み込むと、様子が変化してきた。表面に水気が現れてきた。カサカサに乾いていた目玉に黒目が浮いてきた。

「まさか・・」

 甦ろうというのか?

「に・・、」

 等々力は戦慄して叫んだ。

「逃げろ!」

 4人は慌てて根をたぐって這い上がった。地上に這い上がると等々力は首のない少女の体を脇に抱えてカメラマンを怒鳴った。

「もういい! 逃げろ! ここから離れるんだ!」

「社長、見てください!」

「なに?」

 振り返って等々力はまた驚いた。ミイラが黒光りしてどろどろ溶けていっている。甦ろうとしていると思ったのは自分の勘違いか?

「なんだ、この臭いは?」

 生き物の臭いではない。これは・・・・

「ガソリン?」

 溶けながらバケモノは床下に染み込んでいっている。黒いシミが広がっていく。ゴゴゴゴ・・とまた足元に不穏な震動を感じた。

「に、逃げるぞ!」

 今度はカメラマンも従った。他のみんなは、由宇も含めて、とっくに逃げ去っている。下りてきたのとは反対に斜面が崩れて流れた砂浜へ。等々力は叫んだ。

「逃げろ、もっとだ! 走れ走れ!」

 立ち止まっていた皆がまた走り出した。バケモノより首なし死体を抱えて喚いている等々力が怖い。

 ドンッ!、と音がして、空に真っ黒な柱が立った。石油が、噴出したのだ。一気にガスの臭いが充満した。

「走れ!走れ!走れ!」

 皆砂浜を必死になって走った。黒い飛沫が降ってくる。真夏の炎天下、ガスが充満し石油の降り注いだ林に火の手が上がった。あっと言う間に燃え上がっていく。アパートの辺りにも黒い煙がわき真っ赤な炎が立った。

「ちくしょう」

 等々力は海にジャブジャブ入った。鳥たちの死骸がウヨウヨ浮いている。地獄だ。まだ危険だ。浜に上がってとにかく走って走って走りまくった。

 天をもうもうと黒煙が立ち上り、下から赤く照らし出している。大火事だ。付近の住宅、病院も危ない。

「なんてこった・・・・」

 ようやく仲間たちのところに追いついて、海水浴客たちといっしょに等々力も呆然たる体でこの大スペクタクルを眺めた。まさに人知を超えたこの世の物とも思えぬ光景だ。

 等々力の抱える首なし死体に気付いてようやく海水浴客たちが悲鳴を上げた。

 そうだ、まさに地獄の景色だ。しかし、地獄はまだほんの入り口が開かれたに過ぎないのだ・・・・

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