第18話 生き人形
「あれ? 今地震なかったか?」
「さあ? 電車の振動じゃないか?」
「そうか・・」
地震かと思ったのだが、馬木と角谷は今JR駅近くの線路脇の道路に面して小さな店の連なる商店街に来ている。昼に由利先生から青木先輩の形見のフィギュアを押し付けられてから2軒その手の店を回ってきたのだが特に収穫はなかった。この小さな店が一番マニアックそうだ。
入ると、店の名前「トイストリート」の由来か、入り口は狭いながらずっと奥があって予想外に広い店だ。居るだけで赤面してくる嬉し恥ずかしな代物がずらりと並んでいる。一番奥の倉庫の手前で小机に向かって帳面を付けているおじさんに声をかけた。
「すみません」
「はい、いらっしゃいませ。なんでしょう?」
丸メガネでプラモデル少年がそのまま大人になったような50過ぎのにこやかな人だ。店長だろう。
「ちょっと見てもらいたい物があって。これなんですが、どうでしょう?」
馬木はトートバッグから3個の透明ケースを出した。店長はほいほいと机の上に並べて一つずつ手に取って眺めた。
「あー・・、なるほどねえ」
嬉しそうにニヤリとする。
「これ、君たちが作ったの?」
「いえ。これを作った人を捜しているんです。心当たりありませんか?」
「うーん・・。ちょっと分からないなあ」
「そうですか」
なんだ、もったいぶって、がっかりだ。馬木の様子を見て店長は笑った。
「ご期待に添えなくてごめんよ。たしかに珍しい方だね」
角谷が言う。
「珍しい方ってことは、タイプ的にまったくないってわけでもないんですか?」
店長はまたさっきのニヤリとした笑いを浮かべた。
「そうだね。こういう勘違いしたフィギュアを作る素人ってけっこういるんだよね。おっと失礼。これ、君たちが作ったんじゃないんだよね?」
店長は面白そうに3体のフィギュアを眺めて嬉しそうにしゃべる。
「なかなか良くできているよね。でもねえ、フィギュアファンというのは芸術的な彫刻作品が欲しいわけじゃないんだ。あくまでそのキャラクターを自分の物として所有したいんだよ。キャラクターを勝手に解釈して変えちゃあ駄目なんだよ」
見てごらんよとずらりと居並ぶアニメのキャラクターたちを示す。
「ほらね、みんなちゃんとそのキャラクターの顔をしているだろう? こういう風にね、作家の個性が全面的に出ちゃった物って、好まれないんだよ」
「でも、これは実在の女優でしょ?」
角谷に示されて店長はアメリカのSFシリーズの女性フィギュアを取り上げた。
「スタートレッカーのボーグレディーね。まあこれなら売れるかもね。でも、大した値段は付かないな。熱狂的なファンはいるんだけど、絶対数が少ないからね。ははは。これが日本のアイドル女優のキャラクター物なら売れるんだけどね。リアルなのもいっしょなんだよ。やっぱりね、その、女優のファンでなきゃ欲しがらないから。どんなに良く綺麗にできていても、例えば、名前も知らないようなプロのモデルじゃあ誰も欲しがらないよ。キャラクターなんだよ、あくまでね。ファンはそのフィギュアを通して自分とそのキャラクターの物語を再現して楽しむんだよ。ま、子どものおままごとと似たようなものだね。フィギュアのファンは20代30代の男が中心だから、もっとこう、ラブアンドセックスな面が強いけどね」
「はあ・・」
ちょっと馬木たちには理解できない世界のようだ。
「じゃあ・・、つまり、これは全然ダメ?」
「そうだねー・・」
店長は3体のフィギュアを眺めて唸った。
「需要があるとすれば・・、そっちのほうかな?」
裏側の通路にのれんで仕切られたコーナーがある。紺色ののれんにはピンクのハートをバックにセクシーな女性のマンガが「子どもはダメよ」と投げキッスをしている。店長が言い訳のように言う。
「まあ、露骨に子どもはダメっていうのはうちじゃあ扱ってないけれどね、アニメのキャラなんかでも露出の強すぎるのはやっぱり子どもには見せない方がいいよね?」
3体のフィギュアは特に露出が過激なわけではないのだが。
「まあ需要があるとすればそっちの方かなと思ってね」
「つまり、リアルにエッチな物を作れば、まあ売れるかな?ということ?」
「そういうこと。キャラクター物に比べればうんと需要は小さいけれどね。完全にマニア向けだね」
「はあ・・」
マニア向けって、アニメやゲームのロリコンキャラと健全な成人女性のフィギュアとどっちがマニアかよく分からないが、それがフィギュアの世界らしい。なんだかこの作者が浮かばれない気がする。
やはり作者に心当たりがないということなので馬木たちは礼を言って出ることにした。帰りがけチラッとのれんの中を覗いてみたが、やっぱりアニメ系のフィギュアばかりだった。この世界でもやっぱりこのフィギュアは異質だ。
駅の駐輪場に自転車を止めてある。歩きながら角谷と話した。
「このフィギュアってそんなに駄目なのかなあ?」
「良くできているとは思うけどねー。でも本質的なところでずれているらしいというのはあの店で十分分かったな」
「そうだな」
この作者は自分の作ったバケモノマスクが世間をこれだけ震撼させている状況をどう思っているのだろう? ざまあ見ろとほくそ笑んでいるのだろうか?
駐輪場は駅の反対側なので階段を上がって構内を歩く。中心地の駅なのでけっこう広い。歩いていくと思いがけず賢造叔父さんに出くわした。
「あれ、叔父さん、お出かけですか?」
「うん。長陵まで行ってきた。きのう久しぶりに新聞見たら仏像展の記事が載ってただろう? で、近代美術館まで見に行ってきた」
「へー、けっこうなご趣味ですねえ。で、どうでした?」
「うん、面白かったよ」
叔父は目を輝かせてしゃべりだした。
「鎌倉時代の肖像彫刻が2体あってね。あ、そうだ、君たち秋に修学旅行で奈良京都に行くんだろう? だったら絶対奈良の国立博物館は見てきなさい。素晴らしい彫像がたくさんあるから。いやあ、鎌倉時代の日本の彫刻は間違いなく世界一だね。運慶快慶は知っているだろう? 東大寺の金剛力士像ね。あの力強さと存在感と写実性とデザイン性、う〜ん、素晴らしい! でもねえ、もっとすごい彫刻作品があるんだぞ。興福寺には絶対に行って来なさい。世界美術史上最高の肖像彫刻があるから。
おっと、せっかく見てきたんだから我が郷土の仏像彫刻の話をしないとね。驚いたね、新潟にもあんな素晴らしい肖像彫刻があったんだね。やっぱりね、鎌倉時代の物なんだよ。えーと・・、名前なんか全然覚えてきてないけれど、座像と立像と2体お坊さんの肖像彫刻があってね。ところがさあ、みんな駄目だね。見方がまるっきり分かってない。
そうそう、閻魔様の像もあってね。これをさあ、みんな上から見ちゃっているわけだよ。閻魔様だからね、どっかとあぐらをかいて座っているわけだよ。台の上に載せて展示してるんだけど、この台が低くてね、みんな閻魔様の顔を上から見ちゃってるわけだよ。考えてみたまえよ、ふだんはお寺の本堂に飾ってあるんだよ? それをどうやって見る? 正座するだろう?床の上で。すると、台の上の閻魔様を見上げることになるんだよ。するとだね、閻魔様の怖〜い顔にがっと睨まれることになるんだよ。そこで我々俗世の人間は震え上がってへへ〜・・っと、日頃の罪を顧みて反省するってわけだ。閻魔様を上から見下ろしちゃ駄目だよねー。
で、その2体の肖像彫刻の方ね。座像の方は胸くらいの高い台に乗っているんだけど、これを正面から距離を計って見るとピタッと目が合うんだよ。薄い皮膚に骸骨の浮き出たおじいさんなんだけどね、本っ当にそこに居るように感じるんだよ。見てるんじゃなくて見られてるんだよね。目の力が向こうの方が数段上だから。なんかお説教されそうでね、あはははは。
立像の方は辻説法って感じかなあ。こっちは丸いお地蔵さんみたいな顔の若いお坊さんなんだけど、ちょっと上向きで念仏を唱えているんだ。こっちはね、斜め下から見ると天井のライトが玉眼、ガラスの目玉ね、それに当たって生気が宿るんだよ。これまた本当にそこに立って居るようでね。存在感があるっていうより、まったく生きているんだよね。両方とも黒くて彩色はされていないんだけど、これを彩色したら江戸時代の生き人形になるんじゃないか? 不思議と彫刻の方は鎌倉時代だけなんだよね、これだけリアルで力強いのって。その前も後も、精神的なものなのかなあ?彫刻としちゃあぜ〜んぜんつまんなくなっちゃうんだよねえー・・」
叔父さんはべらべら一人でしゃべって一人でウンウンと感心した。ようやく、おっと、と現実に帰ってきて、
「君が角谷君かな? ヨッくんがお世話になっています」
と角谷ににこやかに挨拶した。角谷も挨拶して、おいとトートバッグを示した。
「叔父さん、それだけ彫刻が好きなら、フィギュアなんかどう?」
「好きだよ。物によるけどね」
「これなんかどう?」
通路の真ん中で開くわけにもいかないので丸いベンチの並ぶ休憩所に連れていって3体のフィギュアを見せた。見た瞬間叔父さんはへえーと声を上げて見入った。
「面白いね。なかなかよくできてるじゃない。気持ちはよーく分かるねえー」
店長と同じようにほろ苦く笑った。
「やっぱりフィギュアとしては駄目?」
「まあ売れないだろうね。かわいそうに。不遇の内に彫刻刀を折ったって感じじゃない?」
「折った? もう現役じゃないってこと?」
「だってこれ、もう56年前のキャラクターばっかりじゃない?」
「ああ、なるほど」
でも店には昔懐かしいキャラクターもいっぱいあったような気がするが・・
「最近フィギュアもつまらなくなっちゃったよね。みんな印刷になっちゃったからね。ペタってきれいにアニメ目のシールを貼っただけの顔なんて全然面白くないと思うんだけどねえ。ファンはそっちの方がいいのかなあ?」
叔父さんは思いっきり立体的に彫り込まれた異質のアニメ美少女の顔を見てしみじみ言った。
叔父さんと別れて歩き出して角谷が言った。
「おまえの叔父さんてなんというか・・、美人だよな?」
「まあ・・、そう言うかなあ?」
叔父は外に出ると化ける。女の人がバッチリ化粧して別人になるように。ただいつもの無精ひげを剃るだけなのだが、顔つきが変わる。たしかにもともと女顔なのだが、造りがどうこうというより、キャラクターが余命幾ばくもない「薄幸の美女」っぽくなる。年を取ってガリガリに痩せた分美人度は下がったが、男っ気が抜けてますます女性度は上がった気がする。
馬木は角谷に子どもの頃の叔父さんとの思い出を話した。
「へえー、なるほどねえ。おまえがどこかお坊ちゃんっぽいのはあのおじさんが原因か」
「なんだよ、お坊ちゃんって」
「褒めてんだよ。おまえって人の悪口言わないだろう? そのくせけっこう怒りっぽくて、それでいてお人好しで抜けたところがあるんだよな」
「悪く言ってるじゃないか」
「あはは、悪りい。でもそういうところが女子にもてるんだぜ?」
「はあ? もてるのはおまえだろう?」
「バッカだなあー。そういうところがお坊ちゃんなんだよ。俺にキャーキャー言ってるのなんか表面だけだよ。おまえクラスの女子にもけっこう隠れファンが多いんだぜ?」
「うっそだあー」
絶対信じられない。
「へへ、バーカ、そう思ってろ。おっと、電話だ。お、由利先生だ。もしもしー、角谷です。え?テレビですか? いや俺たち今駅を出るところなんですけど・・、火事?海岸の林で? 分かりました、えーと、待合所に行ってみます」
なんだ?
「なんかたいへんらしいぞ。テレビのあるところに行くぞ」
駅の中に戻って待合所に入った。満員だ。みんな深刻な顔で大型のテレビに見入っている。特別報道だ。海岸で火事が起こっている。もうもうと黒煙が上がり防砂林がかなりの範囲で燃えている。付近の病院では患者の搬出作業が殺気立った雰囲気の中行われている。
「おい、ここって・・」
金森先輩の入院している五十嵐大学付属病院だ。すると燃えているのは、あの家のある辺りか?
『火災の起きる数分前この辺りに局地的にマグニチュード8クラスの大きな揺れが観測されており、それによって起きた防波堤の丘の崩落によってできた大穴から石油が噴き出し、気温34度の炎天下の中、林の中で何らかの発火があり、充満したガスと霧状の石油に引火し爆発的に火災が広まったと見られます。現場は5日前にテレビのオカルト番組の取材後にスタッフの一人が殺害された家のある林の中です。その家を中心に崩落が起こり、突如石油が噴出したとの目撃報告があります』
やっぱり。
『局地的な地震の原因として、震源はごく浅く地中に埋没した不発弾の爆発によるのではないかとの見方もありますが、揺れは1分近く続いたとの観測から専門家からは否定的な意見が出されています。繰り返してお伝えします。先ほど3時ちょうど新潟県青山市の海岸で防砂林の火災が起こり、火は今も勢力を増して燃え広がっています。市は付近の住民に対し速やかな避難を勧告しており・・』
「たいへんだ・・」
なんという展開だろう。呪いの力とはそんなに強大なものなのか?
『火の出る前、崩落現場から地下に埋まった少女の遺体が発見されたとの情報もあります』
「え・・・・・・・・・・・」
一瞬にして頭がショートした。真っ白になって、何も考えられない・・・・・・・・・・・・・
かすみは結局今日もアルバイトを休んで家にいた。消防車と救急車のサイレンがやかましく鳴り続けている。
「ちょっと、かすみー、テレビ、たいへんよ。火事よ、すぐそこの関屋浜で」
母親に呼ばれて窓から外を覗いていたかすみは頭を引っ込めた。2キロは十分離れているが、ここまで黒煙は流れ、きな臭い臭いがしている。
「火事だって」
すっかり慣れてしまって机の上の葉子の生首に話しかけたかすみはさすがにヒッと息を飲んでおののいた。生首が白目を剥き、叫ぶように口を開いて静止している。
「ちょっと、葉子ちゃん? またわたしを脅かそうとしているの?」
おーいおーいと小さく呼びかけて、反応がないので震える指でそっと頭に触ってみた。
「ひっ・・」
ちょっと触れて、急いで指を引っ込めた。固形物の感触はないが、ぬるっ、というか、べちゃっ、というか、湿り気が感じられた。気持ち悪く思いながら指を嗅ぐと生魚の臭いがした。
「葉子ちゃん・・」
呼びかけても生首は恐ろしい表情を浮かべたまま固まっている。
「かすみー、分かってるー? 火事よー? ここまで火は来ないと思うけど、逃げる準備はしておくのよー?」
かすみは生首を見守りながら後ずさり、ダダダッ、と階段を駆け下りた。
等々力たちは事情聴取のため警察署に連れていかれた。事故の検証のため録画したビデオテープの提供を求められた。拒否したが、速やかな提出を強制された。等々力が事件に関わったのは2度目だ。しかも今回は少女の首なし遺体を抱えていたのだ。協力を得られないのなら事件の容疑者扱いに切り替えると暗に脅された。結局逆らえずテープを提供した。が、
そこは抜け目ない、等々力は重要なテープを選んでADの一人に託して事前に現場から逃走させていた。まず紅倉先生か三津木ディレクターに連絡すること。火災のせいか現場で携帯電話は使えなかった。今は使用が禁止されている。そしてテープを紅倉先生に見てもらって、急ぎ東京へ持ち帰ること。番組はもうあさってなのだ。ここで命がけで撮影したテープを警察なんかに没収されてなるものか!
等々力は事情聴取の最中に倒れてそのまま警察病院に収容された。ひどい高熱だった。当然だろう。腕と胸が真っ青に内出血していて、その体で遺体を抱えて全力疾走したのだ。よくここまで保ったものだ。
岳戸由宇も病院のベッドで寝かされていた。こちらは興奮状態が高じて意味不明のことを大声で喚き、相当感情が高ぶって医師が危険と判断し、鎮静剤を射って休ませているのだ。
現場にいたスタッフの内二人がいなかった。一人は警察が到着する前に脱出したADと、もう一人は岳戸のマネージャーの加納だった。彼女は崩落した穴に下りてこなかった。それ以降彼女の姿を見た者はいない。そのまま逃げていれば良し、もしうろうろしていて火災に巻き込まれてしまったなら・・哀れだ。
さて、使命を持って逃走したADは宮野忠男という。
宮野は等々力にテープを詰め込んだジュラルミンケースを託されると砂浜を走った。丘の上の防砂林を焼く火の手は早く、パニックに陥って逃げまどう海水浴客たちに混じって走って走って走りまくった。消防車のサイレンが鳴り響き、ようやく火の広がりが弱まると黒煙をかいくぐって林を横断して住宅地へ逃れた。表通りへ向かいながら携帯で三津木ディレクターに電話した。つながった。
状況を説明して指示を仰いだ。芙蓉さんから電話があったという。向こうでの仕事が片づいて急ぎこちらに向かっていると。分かり易いところということで駅向こうのファミリーレストランを指定された。そこで紅倉先生と合流して、ホテルを予約しておくからそこで先生にビデオを見てもらい、終了しだい今夜か明日朝一番の新幹線で戻ってくるように、とのことだ。芙蓉さんの携帯にメールを送っておくからじきに携帯にかかってくるはずだ、と。
タクシーを捕まえて駅に向かわせた。シートにもたれかかってようやくほっとした。
「お客さんたちテレビの人?」
お客さんたち? こっちの方言でそういう言い方をするのだろうか?
「ええ、まあ」
「すごいことになっちゃったねえ。お客さんたち逃げてきたの? ドラマ?映画? あれじゃあ撮影できないよねえ」
なぜドラマや映画の撮影だと思う?
「たいへんだったろうけどさ、お願いだから血糊なんかでシート汚さないでね。あれ、ちゃんと落ちるの? 俺もちょっとビックリしちゃったからね。シートに血がべっとりなんて、他のお客さん乗せられないからねえ」
いったい何を言ってる? チューブラーベルズの着信が鳴り響いた。
「はい」
『宮野さんですね?』
紅倉先生だ。
『今すぐタクシーを降りてください。できるだけさりげなく、急いで』
「・・・・・・・・」
駄目だ・・、遅かった。宮野も見てしまった、ジュラルミンケースに土と血に汚れた腕が置かれている。ゆっくり目を動かすと、となりに青い顔をした髷を結って粗末な着物を着たお百姓さんが乗っていた。
「う、運転手さん。そこでいい。止めてください」
「はいー」
ウ〜ウ〜、シャンシャンシャン、と消防車の迫ってくる音がする。
「すみません、ちょっと待ってくださいね」
消防車の往きすぎるのを待つ気だ。早く、早くしてくれ!
ドン!、とフロントガラスに何か降ってきた。
「うわああっ!」
血まみれのお百姓さんだった。両手を広げてフロントガラスに張り付いてじっと運転手を見ている。運転手は慌ててブレーキを踏もうとしたが、
「ひいいいいいっ・・・」
宮野も見た。運転席の足元にうずくまって別のお百姓さんが運転手の足を掴んでいた。
「くそっ」
ケースを肩に掛けていたせいで右側に乗ってしまっていた。宮野は一か八かドアを開けて道路に飛び降りようとした。
「があっ」
「うわあああっ!」
となりのお百姓が恐ろしい顔で襲いかかってきた。宮野は思った、
オレ、これ、前に撮ったぞ。
キイイイイッ、とブレーキ音を軋ませながらタクシーは前の車にぶつかって反対車線に飛び出した。大きな消防車が突っ込んできて、タクシーは転げて大破した。運転手も宮野も即死だった。
馬木の両親は共働きで今日は共に帰りが遅い。馬木は一人夕食を取り、テレビのニュースを見ていた。
火事は3時間後に山林火災用の科学消化剤をヘリコプターで大量に撒いてようやく収まったそうだ。死者が出ていた。50軒以上全半焼する大火事になり、現在3人が死亡、7人が行方不明になっていた。3人の死者の中に金森先輩が含まれていた。大学病院も一部が焼けたが、避難が早かったので人的被害はなかった。ただし、金森先輩だけ何故かまったく顧みられることなく病室に置き忘れられ、そのまま煙に巻かれて窒息死した。病院長が何故こんな事態が起きたのか原因究明を徹底して行うと苦しい顔で会見している。
火災の原因となった石油が噴き出したのはやはりあの家のあった場所だった。その前の局地的地震で完全に崩落していた。石油の噴出は4時間経った今も勢いは衰えたものの継続的に続いている。新潟県には青山市からおよそ60キロ離れた出雲崎町に明治時代に本格的な掘削の始まった油井があり、その沖で海底油田が世界で初めて開発された。しかし青山市の地下で石油の埋蔵が確認されたことはなく、今回の石油噴出が地下から湧出したものか、人為的に貯蔵されていたものか不明である。
土地の所有者である桜野卓蔵氏は地元で有数の資産家であり実業家である。入院中の氏に代わって不動産会社社長の息子が記者会見を開いている。長男か次男か知らないがこれが葉子の母の兄の一人だ。大きな丸い頭がはげ上がり、メガネをかけた奥まった目が白目がちでいかにも情がなさそうだ。しかしマイクに向かって話す顔はどこか嬉しそうだ。
「亡くなられた方、ご遺族の方には心より弔意をお送りします。あの土地は我が桜野家先祖伝来の土地であり、もともと漁師であった我が先祖が漁の安全を願って神社を建立した場所と聞いています。神社は既にありませんが、神聖な土地として代々受け継ぎ、守ってきたものであります。やはり何か特別な意味のある土地であったのでしょうが、地下に石油鉱脈があったと分かる話は何も伝え聞いておりません。土地の崩落が不発弾によるものとの話もあり、いずれにいたしましても我が桜野家及び桜野不動産の管理能力の外であったとどうかご理解願いたく存じます。もちろん責任の所在はともかく、被害に遭われた方々への経済的支援というものは考えております。どうぞご理解ください」
「わき出した石油の所有権はどうなるのでしょう?」
「それは当然我が家の土地ですから、全てとは言わないまでも所有権の一部は共有するものと考えます。被害者の方々への補償もありますし、その点は速やかに確定していただくよう関係機関には望みます」
「開発には桜野グループが当たるわけですか?」
「当然そうなると思います」
「ところで崩落した家で殺人の被害に遭った青木雄二さんは桜野一族の一人という話がありますが?」
「それは違います。殺害された青木さんと桜野家はなんの関係もありません」
「家の崩落現場から、つまりあの家の地下室から少女の遺体が発見されたという情報もありますが?」
ニュースは時間を延長して続けられる。
「当方では承知しておりません」
「5日前から行方不明になっているお嬢さんではないかという話もありますが?」
「勝手な噂をでっち上げないでいただきたい。コメントは控えさせてもらいます」
「今回の地震と大火事も一連の呪い騒動の一環という見方もありますが?」
「コメントするようなことでもないでしょう」
会見の中継は終わり、スタジオで専門家を交えて事件の推移や被害の具体的な様子などが検証された。
角谷から電話がかかってきた。
『よお、オット。大丈夫か?』
「なにが?」
『おまえ死にそうな顔しながら帰っていったじゃないか? 事故にでも遭わないかって心配してたんだぞ』
「そりゃどうも。死んでないよ」
『けっこうでした。なあ、あんまり思い詰めるなよ。まだそうと決まったわけじゃないんだから』
「ああ・・」
『由利先生も調べてくれてるからさ。当時現場に取材を受けたテレビのスタッフがいたらしいんだ。そっちの方に当たってるみたいだから』
「うん・・」
『大丈夫なんだな? じゃ、また明日な。それでいいんだろ?』
「うん、また明日な」
そうと決まったわけじゃない。
発見された死体が葉子と決まったわけじゃない。
じゃあ、誰だっていうんだ?
葉子が死んだ。
自分はそんなにショックを受けているだろうか?
死にそうな顔をしていた?
そうか、やっぱりそれだけショックを受けていたんだ。でも、ショックを受けていなければいけないように思う、この後ろめたさはなんなんだろう?
葉子が死んで、ほっとしているような気持ちはないか?
葉子は自分が思っていたような少女ではなかった。彼女が無事生きて戻ってきて、元通りの関係に戻れるかというと・・、正直なところ自信はない。
面倒を嫌う、自分が思っていたのとは違う葉子を嫌う気持ちがなかったか?
ショックを受けてほっとしている自分が嫌だ。純粋に彼女の死を悲しめない自分が嫌だ。・・・・・。
ふと、唐突にある言葉が甦った。
「いいんだよ、これで。人形は魂を吸うからね。あんまり本物そっくりに作らない方がいいんだ」
叔父さんの言葉だ。なんで今こんなことを思い出す? あれはいつ言った言葉だっただろう?
そうだ、馬木が小学校に上がるとき、それを記念しておじいちゃんに叔父さんが馬木の人形を作ってプレゼントしたのだ。今もおじいちゃんの机の上に飾ってあるはずだ。黒いランドセルをしょって、黄色い帽子をかぶって、まん丸の顔でニッコリしている。
馬木がそれを見て似てないとクレームを付けたのだ。
「いいんだよ、これで。人形は魂を吸うからね。あんまり本物そっくりに作らない方がいいんだ」
その時叔父さんがそう言ったのだ。
そうだ、叔父さんは粘土彫刻はよくやっていた。叔父さんの部屋にたくさん並べられていた。女の人の像ばかり。「おじさん、エッチー」と言ってからかったから、裸像が多かったのか。騒いで棚から落として一つ割ってしまった。その時も叔父さんは全然怒らないで、代わりに泣きまねをして、言った。
「あーあ、プラスチックだったら割れなかったかもしれないね」
馬木がいっぱい持っていたハンバーガーのおまけのオモチャ人形のことを言ったのだろうが・・、
プラスチック素材で作ったことがあったのではないか? つまり、フィギュアだ。
嫌だ、何故今そんなことを思い出す?
昼間叔父さんがさんざん熱弁していたじゃないか、展示されていた肖像彫刻の素晴らしさを。もし叔父さんがフィギュアを作るとしたら・・、やはり青木先輩が持っていたああいうフィギュアを作ったんじゃないだろうか? いや、
・・・・・叔父さん本人だったんじゃないか?
この作者は不遇の内に彫刻刀を折ったと言っていた。あれは、自分自身のことを言っていたんじゃないか?
それじゃあ、あれが叔父さんの作ったものだったとしたら・・、あのマスクを作ったのも叔父さんで、それじゃあ、叔父さんは青木先輩や、葉子を、知っていたのか?
「なんだよ、それ・・」
馬木はどういう訳か強い怒りを感じた。裏切られた気がした。葉子に、叔父さんに。信じていたのに、心から!・・・・・。そうだ、葉子が好きだった。好きで、好きで、すっかり有頂天になっていた。なんだよ、遊びだったのかよ? 反抗期には叔父さんに当たり散らした。それは馬木の甘えだったのかもしれない。叔父さんは馬木が何をしても絶対に怒らなかった。馬木にとって叔父さんは馬木が絶対安心して逃げ込める避難所だった。ある意味自分の父親や母親より信じていた。
「ちくしょう・・」
裏切られた。裏切り者!
馬木は「友だちのところに行ってくる」と書き置きを残して出かけた。自転車で、叔父さんの小屋へ。




